旅先で出会う青山学院 11【福岡】
2025/08/30
「間もなく福岡空港に到着します」のアナウンスで眼下を見ると、福岡の市街地が一望できた。みるみるうちに市街地に近づき飛行場へ着陸した。
福岡空港を降りて、地下鉄に乗り込むと、あっという間に博多・天神と市街地に到着する。各地の飛行場は都市から離れているため、利便性に難を感じることが多い中、福岡空港は便利さを実感する。
騒音など問題が多いのも事実だろう。建物の高さ制限(約70m)があるのもその一つである。ただ、高層ビルが少ないのは悪いとは思わない。その分、周囲の山々を見渡せるし、建物が横に広がるので、都市の広がりが実感できる。最近、高さ制限が緩和され、天神付近が再開発を進めている。天神ビッグバンと言われている。若者の街、天神がどのように変化するか楽しみだ。
東京・大阪・名古屋の三大都市圏に次ぐ地方中核都市圏(札幌、仙台、広島、福岡)を総称して札・仙・広・福(さっせんひろふく)と言う。福岡は九州の中心なだけでなく大陸からの玄関口でもある。福岡の開放感は、中国や韓国からの観光客を歓迎する。博多と言えば、日本三大御当地ラーメンの一つと数えられる博多ラーメンをはじめ、辛子明太子、もつ鍋や水炊きなど、リーズナブルで美味しいものがたくさんある。
大陸とのつながりが深いのは歴史的所産だ。稲作技術・鉄器文化・漢字・儒教……多くの文化が伝わった。志賀島(しかのしま)で発見された金印(漢委奴国王印)は、大陸との関係を示す貴重な資料である。倭の奴国王(なのこくおう)は後漢に朝貢し、光武帝から金印を賜った。奴国王は後漢の権威を利用して支配を正当化したのである。中国の持つ中華思想は今も昔も変わらない。中華思想とは、中華が世界の中心であり、その文化や思想は世界で最も価値があるというものだ。面子を大切にするのもその表れと言えるだろう。中華の周辺民族を東夷・北狄・西戎・南蛮と呼び野蛮の地域として「四夷(しい)」「夷狄(いてき)」などと総称した。後漢の光武帝が奴国王に金印を与えたとするのも『後漢書』の「東夷伝」に記載されている。最近では不確定なことが多いため、金印の真偽が問われるが、それでも2000年近くの昔に思いをはせるのは楽しいことである。
志賀島は博多から直通の船で30分。福岡の身近なスポットである。もともとは島だったが、砂洲によって九州と陸続きになった。私は電車を利用しJR香椎駅から乗車すると、平日にもかかわらず大勢の若者が一緒だった。ところが、終点の一つ手前の海ノ中道駅でほとんどの人が降り、終点の西戸崎駅で降りる人は数人しかいなかった。レンタサイクル屋も残念ながら見つからない。途方に暮れた。幸運なことに、ちょうど停車したバスに飛び乗り志賀島に向かった。終点(志賀島小学校前)から15分程度歩くと、金印公園がある。金印はこの辺で発見されたとのことだが、詳細はわからない。公園の丘からは博多湾を一望できる。福岡PayPayドーム、福岡タワーなどの博多の町並みも見ることができた。
6世紀の初めに起こった筑紫国造磐井(つくしのくにのみやつこいわい)の乱は新羅と結びつき大和朝廷に反乱を起こした事件である。大陸との結びつきが強いことがうかがえる。当時は海によって隔てられていたという認識も薄く、国境という感覚はなかったようだ。日本が形成されるのは大和朝廷と親交が深かった百済が滅亡し、白村江の戦い(663年)で敗れたころだと言われている。大和朝廷は大陸への侵攻をあきらめ、各地に山城を築き、大宰府付近に水城(みずき)を築いて最前線とした。さらに都を飛鳥から近江大津宮に遷し、中大兄皇子は天皇(天智天皇)に即位する。東アジアの国際情勢に左右されず、日本独自の歩みを始めるのがこの時期である。
元寇のときにも、来襲に備えて防塁を築造した。西南学院大学では1号館の新築の際、防塁跡の遺構が発見されたという。これを遺跡として保存したことに大学の見識がうかがえる。
福岡は近世を通じて黒田氏が藩主である。藩祖長政の父は豊臣秀吉の軍師として知られた黒田孝高(官兵衛)である。
豊臣秀吉の子飼いの武将で知られる福島正則は、黒田孝高の家臣である母里太兵衛に向かって、大盃の酒を飲み干せば、望みの物を与えるとした。太兵衛は秀吉から正則に与えた槍を所望し、見事に飲み干したという。この話は黒田節として歌い継がれ、実際の槍は今も福岡市博物館に「呑み取りの槍」として展示されている。普段は物静かでありながら、無理と思えることでも成し遂げる気概と実力を有す、この胆力こそが黒田武士だと語られた。今でこそ一気飲みは奨励できないが、乾杯は「杯を乾かす」ことである。盃を一気に飲み干すことこそが相互信頼の証とされていた。
バスケットボールで活躍している校友の比江島慎選手は福岡に隣接する古賀市出身だ。日本バスケット界は2016年にBリーグを発足し、全国にプロチームを編成したが、比江島選手はその草創期を支えた。そして、2023年FIBAバスケットボール ワールドカップでも大活躍、48年ぶりの自力でのパリオリンピックの出場権を獲得した。とくにベネズエラ戦において、比江島選手は類まれな集中力でシュートを連発し、逆転勝利に導いた。この比江島選手が集中した状態のことを〝比江島スイッチ〟と言うそうだ。青学時代も何度もこれでチームを救ったそうである。福岡県人の気概と青学の伝統を併せ持つ比江島選手のオリンピックでの活躍を期待したい。