Column コラム

イギリス流 名せりふの味わい方【佐久間康夫の「この世という広大な劇場」第16回】

青山学院大学文学部比較芸術学科教授

佐久間 康夫

名せりふというものは、本来、「誰が」、「どのような状況で」、「誰に向かって」話したのか、という文脈を考慮に入れないと理解できないものです。しかし、こうした前後関係を考えずとも意味がよく分かり、名言として流布するようになった言葉も数多くあります。

今回は、そのような英語の名言をご紹介したいと思います。イギリス人の国民性には、人生に対して皮肉っぽい見方をするという、斜に構えた傾向が見られます。そんなイギリス人らしい発想に裏付けられた辛口の金言を、どうぞご賞味ください。
(カッコ内に付した日本語はあくまで大意で、必ずしも正確な訳ではありません)

 

‟I can resist everything except temptation.”
(どんな敵にも私は打ち勝つことができます、誘惑以外の敵であれば。)

──オスカー・ワイルド

 

耽美的な作風で知られる19世紀末イギリスの作家オスカー・ワイルドは、ヴィクトリア朝の因習的な価値観をあざ笑うような警句をたくさん残しました。この言葉は、喜劇『ウィンダミア卿夫人の扇』(1892)冒頭のやりとりの中のせりふです。人間が誘惑にはからっきし弱い存在だという主旨を、思いがけないレトリックで表現したところがミソです。

彼の書いた代表的な小説『ドリアン・グレイの肖像』(1891)にも、青年貴族が純真な若者を享楽の世界に誘う場面で、“The only way to get rid of a temptation is to yield to it.”(誘惑から逃れる唯一の方法は、誘惑に屈してしまうことだ。)という、よく似たせりふが述べられています。

著者はよほどいろいろな誘惑にかられた生涯を送ったのでは、と勘繰ってしまいますが、英語圏の名言作者という意味において、ワイルドほど名人の称号にふさわしい人もいないでしょう。渡米した際、「申告が必要なものを持っていますか」という税関吏の問いかけに、“I have nothing to declare except my genius.”(天賦の才能のほかに申告する物はありません。)と返答したほど奇矯な人物ですので。

ロンドンのヘイマーケット劇場のお土産のマグカップには、劇作家ワイルドの肖像と名言が

 

“Marrying to increase love is like gaming to become rich;”
(愛を深めるために結婚するなんて、金持ちになろうとして賭博に耽るようなものですわ。)

──ウィリアム・ウィチャリー

 

17世紀の劇作家ウィリアム・ウィチャリーが書いた風刺喜劇の傑作『田舎女房』(1675)に登場するメイドのルーシーが女主人に向かって発するせりふです。続けて、“alas, you only lose what little stock you had before.”(元から持っていたわずかな蓄えを使い果たしてしまうだけですよ。)と身も蓋もないことまで口走っています。恋に夢中になって、我を忘れている人には、頭から冷や水を浴びせかけるような言葉です。

喜劇では大体のところ、恋愛関係にある人物に皮肉な目を向けるのが定石です。恋人たちの振る舞いに辛らつな言葉を投げかけておいて、幕切れにいたると一転して、彼らの結婚を祝福する、という段取りで作られることが多いのです。愛情を絶対視することなく、いや、むしろ相対化することによって、愛と幸せの本質を問い直そうとするのが喜劇の神髄です。

 

 

“This world is a comedy to those that think, a tragedy to those that feel.”
(この世とは、理性的に考えれば喜劇であるけれど、感情的に受け取れば悲劇になる。)

──ホレス・ウォルポール

 

18世紀の小説家ホレス・ウォルポールが知人に宛てた手紙の一節です。彼の父親はギリス史上初の総理大臣ロバート・ウォルポール。3男のホレスも下院議員の生活を26年間送りましたが、政治家としては目立った業績はありません。むしろ著述家として令名が高く、3000通ともいわれる書簡を残した他に、ゴシック・ロマンスと呼ばれる恐怖小説の傑作『オトラント城』の作者でもあります。

彼の豪壮な邸宅ストロベリー・ヒル・ハウスは、自らの財力に物をいわせ、中世の古城をイメージして40年もかけて建てられたそうです。まさに奔放な想像力の世界に耽溺した一生だったのでしょう。

目の前の出来事にどっぷりと浸かってしまえば、人生は悲劇と感じられるかもしれません。しかし余裕をもって一歩退き、客観的に眺めてみれば、人間の行うことなどどれも喜劇にすぎません。同じ一つの事象であっても、考えようでまるで違って見えるもの、と主張しています。

ホレス・ウォルポールの邸宅ストロベリー・ヒル・ハウス ©KotomiYamamura

 

“Ask yourself whether you are happy, and you cease to be so.”
(自分が幸せであるかどうかを考えたとたんに、幸せは遠のいてしまう。)

──ジョン・スチュアート・ミル

 

自由主義の立場から社会改革や女性参政権の必要性を唱えた19世紀イギリスの経済学者ジョン・スチュアート・ミルが『自伝』(1873)で述べた言葉です。何かに夢中になっているときは、確かに自分が幸せかどうかなどと思いもしないでしょう。幸福とは現在ではなく後になってから感じ取れる感覚なのかもしれません。

さすが哲学者だけあって、平凡の非凡といいますか、考えてみれば当たり前の真理を簡潔に表した一文です。この短い一言で、幸せの何たるかを考えさせられますね。同書の “This end was only to be attained by not making it the direct end.”(幸せになれるのは、幸福自体を目的として追求しないときのみです。)という言葉も併せてかみしめてみますと、手に入れたいものは求めてはいけない、という逆説が人生には潜んでいるようです。

ジョン・スチュアート・ミルの肖像

 

 

“We make a living by what we get, but we make a life by what we give.”
(我々は手にする金銭によって日々生計を立てているが、本当の人生を築くには人に何かを与えることが必要なのだ。)

 

さて、よく知られた名言の中には、誤ってある人の文句とされて定着してしまったものもあります。上の言葉は、第2次世界大戦時のイギリスの首相ウィンストン・チャーチルの言葉として、よく引用されるのですが、私の調べた範囲では、典拠が明らかではありません。どうやらチャーチルの言葉ではなさそうです!

とはいえ、“living”(生計)と“life”(人生)という語の微妙なニュアンスの違いを対比させて、的を射た表現が見事です。またそこに込められた明快な博愛精神も多くの人の心をとらえたのでしょう。金儲けにあくせくしているだけでは、本当に生きていることにはならない。豊かな実りある人生を設計するには、どうしたらよいのか? この問いに対する一つの解が上の言葉だと思います。チャーチルの言葉ではないとしても、これはやはり心に響く名言といえるのではないでしょうか。

第2次世界大戦時の英米の巨頭、チャーチル首相とルーズベルト大統領が
ベンチで談笑している像。ロンドンのニュー・ボンド・ストリートで見つけました

 

[Photo:佐久間 康夫(1枚目と4枚目)]

ストロベリー・ヒル・ハウスより

ストロベリー・ヒル・ハウスより佐久間先生の元に素敵なお写真が届きましたので、ご紹介いたします!(アオガクプラス編集部)

Strawberry Hill House & Garden. Photo: Kilian O’Sullivan.
【次回へ続く】
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