旅先で出会う青山学院 3【倉敷】
2025/02/12
倉敷は古風な街である。重要伝統的建造物群保存地区に認定された美しい街並みが残されている(美観地区といわれる)。「旅行で倉敷に行くのであれば宿泊した方が良い」と言われた。確かに。夕方や夜になると、街並みが幻想的になる。映画やアニメの舞台になるのもうなずける。
戦前の倉敷紡績所には1200名ほどの職工が働いていた。そのうち1000名近くが女工である。仕事の終わりや休日に倉敷川のほとりで女工さんたちが談笑している姿を思い浮かべるだけでも楽しくなる。
倉敷は元々海だった。地図を広げてみよう。水島、早島、玉島、児島、連島、亀島、中島。倉敷の南には「島」が付く地名が多い。文字どおり、昔は島だった。16世紀後半、岡山城主だった宇喜多秀家が、倉敷付近から児島まで埋め立て事業を展開した。広大な海や干潟が新田へと変貌する。汐留め堤として築いたとされる宇喜多堤は、今も名残をとどめている。宇喜多秀家は五大老の一人として豊臣政権を支えるが、関ヶ原の戦いで石田三成を支持し、奮戦するも敗北し滅亡する。なお、児島湾干拓事業は、営々と戦後まで続くこととなる。
時は流れて倉敷には、幕府の代官所が置かれ、御料(天領)の中心地となった。高梁川の中流域として物資が集散し、都市として大いに賑わう。近代になると、倉敷の資産家である大原孝四郎が倉敷紡績所を設立し、初代社長に就任する。孝四郎が好んで使った言葉として「満招損、謙受益(満足は損を招き、謙虚は益を受ける)」がある。儒教の言葉だが、この「謙受」は今も社訓として引き継がれている。
二代目孫三郎は、社内改革を推進する。特に力を入れたのは教育だった。工員に初等教育を学べるようにと社内に尋常小学校を設立し、さらに倉敷商業補習学校(現在の倉敷商業)を設立した。また大原奨学会を設立し、地元の子弟を支援した。倉敷紡績の社長になるのは明治39(1906)年のことだが、その前年にキリスト教に入信する。社長になると工員の労働環境の改善に傾注した。食事のための従業員を雇い、狭い寄宿舎を社宅のようにした。駐在医師や託児所を備えている。こうした行動に対し、福利厚生施設を充実するよりも株主の配当を優先すべきとの意見もあった。しかし、孫三郎は従業員の健全な生活を確保し、教育することが経営者の使命であると退けた。また、児童福祉の父などといわれる石井十次に共鳴し、岡山孤児院での活動を献身的に支援している。度重なる石井のお金の無心にも孫三郎は応えている。
果たして歴史はどう評価するのだろう。大原孫三郎のこうした取り組みは公利・人道重視の思想として高く評価されている。地元の大原美術館はもとより、大原社会問題研究所(法政大学)、大原記念労働科学研究所(桜美林大学)など、いまでも大原の名を冠した組織が多く残されている。また、紆余曲折を経ながらも、クラボウ(倉敷紡績株式会社)として今日まで存続している。これらのことが答えと言って良いだろう。また、岡山にあった多くの銀行が合同して成立した中国銀行の初代頭取になっている。大原孫三郎は、地元の信望が厚かった。
晩年、孫三郎は息子総一郎に「自分は倉敷という土地に執着し過ぎた……」と語っているが、倉敷はそれだけ魅力ある都市だったということなのだろう。
倉敷駅を降り、10分ほど歩くと石積みで造られた古風な教会がある。美観地区からは少し外れるが、大正12(1923)年3月に建立された倉敷教会である。これも国の登録有形文化財に指定された建造物である。
大正13(1924)年8月16日、一人の青学生が、この基督教会堂(倉敷教会)でマンドリンの演奏をした。地元新聞「山陽新報」によれば、青山学院音楽部の主催で午後7時30分から開演するという。実は、この記事は8月14日のものであり、予告記事である。実際に演奏会が催されたかは定かでないが、2日後のことである。たぶん間違いないだろう。奏者は津山出身で音楽部の幹事を務めていた。マンドリンとギターの名手で、5月には東京・日比谷音楽堂で開催された大学・専門学校の連合演奏会で喝采を浴びたという。青山学院音楽部の主催ということは、大学側が倉敷教会に申し入れ、実現したということなのだろう。当時、このような取り組みが行われていたということはとても興味深い。幹事が津山出身ということを考えると、幹事が実現に向けて奮闘したに違いない。
倉敷教会を訪ねると、中井牧師が教会の中を案内してくださった。2階建ての礼拝堂は、修復は施されたものの、ほとんど当時と変わっていないそうだ。誰でもいつでも利用できる空間のようである。中に入ると、静かな礼拝堂に一人の女性が腰を掛けていた。女性に詫びながら、美しい礼拝堂を見学する。200名程度、詰めれば300名程度入ることができるという。
今から約100年前。完成したての舞台で催された音楽会は、若者が奏でるマンドリンの音色に厳粛な空間が彩られ、多くの人々を魅了したに違いない。
〈協力〉
・日本基督教団 倉敷教会