創立150周年記念楽曲「Festive Music for Aoyama Gakuin」を作曲〈校友・渡辺俊幸さん〉
2025/03/13
2025年3月16日に開催される、青山学院創立150周年を記念した演奏会。ここで演奏される150周年記念委嘱作品「Festive Music for Aoyama Gakuin」を手掛けたのが、本学高等部、大学経営学部出身の渡辺俊幸さんです。演奏会開催にあたり、青山学院創立150周年記念演奏会実行委員会の学生委員である、御園真史さんと石田光太郎さん、佐々木琴乃さんが聞き手となり、渡辺先生に、高等部時代の思い出や、今回の作曲にあたっての思い入れ、人生に影響を与えた人々について語っていただきました。
御園 このたびは素敵な曲を作っていただきありがとうございます。私たちオーケストラのメンバーはもちろん、卒業⽣や今回さまざまな形で企画に参加するみなさんからも、メインの「第九」だけでなく、渡辺先⽣の委嘱作品が本当に楽しみだという声を聞いています。「Festive Music for Aoyama Gakuin」の譜面が手元に届いたときは、これを自分たちが初演するのだという実感が湧き、とても嬉しくなりました。現在は3月16日に開催される「青山学院創立150周年記念演奏会」に向かって本格的に練習がスタートしたところなのですが、素晴らしい曲を前にして、やる気に満ちあふれているところです。客席には⻘⼭学院の卒業⽣の⽅が多くいらっしゃると思いますので、この曲を通して150周年の盛⼤なお祝いができるよう、心を込めて演奏したいと思っています。
⽯⽥ まずこの曲を作曲されるにあたって、渡辺先生がどのようなことを思いながら書かれたのかお聞かせいただけますか。
渡辺 私は青山学院に高等部から入学しました。大学にも進みましたが、大学入学とほぼ同時に赤い鳥というフォークグループのドラマーとしてデビュー、さらにさだまさしさんとの仕事も本格的に始めたのでどんどん忙しくなり、大学にはあまり通えませんでした。ですから私にとって「青学での思い出」といえば、高等部での3年間に集約されています。これがもう本当に幸せに満ちていて、その後の私の人生にも大きな影響を与えた輝かしい日々でした。曲を委嘱されたときは高等部での思い出がいくつもよみがえり、楽しかったことや先生方への感謝といった思いをすべて曲に込め、青山のますますの発展を祈る、そんな希望に満ちた力強い曲にしたいというイメージが湧きました。
では具体的にどんなことを曲に反映させるか考えたとき、真っ先に思い浮かんだのが高等部での礼拝です。それまで私が接してきた音楽は軽音楽でした。小学生でビートルズの音楽に出会って以来、ドラマーを目指すほどバンド形態の音楽に情熱を注いできました。けれど高校生の頃にはカーペンターズやバート・バカラックといったアーティストが登場し、私の興味もハーモニーの美しさや作曲へと移っていました。そのタイミングで、礼拝で讃美歌という新たな音楽に出会ったわけです。
それまで私がやってきた軽音楽は、いわゆるルート(和音の一番下の音)を基本とするコードネームに基づく音楽だったので、クラシックの和声学に基づいた美しさが色濃く出る讃美歌のハーモニーに惹かれ、聖歌隊にも入りました。当時は知る由もありませんが、バッハ編曲によるマタイ受難曲にも出てくるような讃美歌 もあり、そのハーモニーの美しさに感動して家でも弾いてみたこともありました。その後、社会人になってから改めて音楽を一から勉強しようと留学した先でクラシックを学び、理解を深めることができました。
帰国後はさまざまなジャンルの作曲をしましたが、近年はオペラを書くなど、クラシック寄りの楽曲を作る比重が大きくなっています。その原点には高等部時代の讃美歌があるのです。そこで今回の作曲にあたり、讃美歌を編曲したものを取り入れようと思ったのですが、讃美歌の先にある「祈り」を音楽に込めてこそ、今回の曲の主旨にかなっているのではないかと考えが変わりました。こうしてまず「祈り」というテーマが生まれました。
高等部の聖歌隊は夏に軽井沢の追分寮で合宿をします。当時の私は知らなかったのですが、同行される音楽の越谷達之助先⽣は、石川啄木の短歌を「初恋」 という曲にされた方でした。越谷先生からは、日本初のプリマドンナとしてオペラ「蝶々夫人」を作曲したプッチーニ本人の前で披露した三浦環さんの伴奏をしていたというお話をよくお聞きしました。先生ご自身は音楽のジャンルにこだわらない度量の大きさがあったからこそ、「初恋」という日本歌曲の名曲も生まれたのでしょう。ちなみに高等部の始業のチャイム「花のまつり」も越谷先生作曲です。作曲コンクールで、私が作曲したロック色が強くジャズの要素も入っているような曲が1位になったときは、すごくほめてくださったことも忘れられません。尊敬する先生から⾃分の⾳楽を肯定していただけたのは、この上ない喜びでした。夏の合宿ではキャンプファイヤーの際にお祈りもします。越谷先生は敬虔なクリスチャンでもあり、映画俳優をされていたこともあって、それはいいお祈りをされるんです。星空の下、明かりはキャンプファイヤーだけで、そこに響く先生のお祈り。聖歌隊の全員が感極まって涙を流したことも鮮明に覚えています。あの感動や感謝を、ぜひ曲に込めたいと思いました。
高等部で思い出深いこととしては、生徒会での活動もあります。生徒会長だったとき、肝心の生徒が生徒会にあまり関心を持ってくれていない現状を打破するために、ジーパンを認めるという制服の改正を打ち出しました。高等部では生徒会の規則で制服の変更が可能だったので、そこに目をつけたんです。案の定、総会には多くの生徒が集まり3分の2以上の賛成が得られ、制服改正が決まりました。先生方も「高等部の規則にのっとって決めることだから」と、生徒の意志を尊重してくれて。改定はされても2~3年生の服装に際立った変化はなかったのですが、新1年生の中にはとんでもない格好で登校する生徒もいて、「若気の至りでばかなことをしてしまった」と大いに反省しました。そこで今度は評議員として訴え、制服のルールを元に戻したという出来事がありました。あのときはよくぞ先生方が、心中思うところあっても規則を遵守してくださったと思いますし、年を重ねるほどその思いは強くなっています。これこそ青学ならではの自由とそれに伴う責任を当事者自らに学ばせるという教育で、教員という立場から高飛車に抑え込まなかった先生方には、今も感謝の思いでいっぱいです。
私が通った中学は当時としてはごく当たり前の、ちょっと髪の毛が長いと厳しく指導される学校だったので、高等部に入学したときは天国と地獄ほどの違いを感じました。そういう場所で多感な3年間を過ごせたことがどれほどありがたかったか、約半世紀経った今でも感じます。だからこそ、このお話をいただいたときは、感謝の思いも曲に注ぎたいと思いました。
御園 私も評議会議長として10年ぶりにダウンコート導入という制服の改正をすることができたのですが、その過程でジーパンの記録も目にしていました。ここでご本人にお会いできるとは感慨深いものがあります。
「Festive Music for Aoyama Gakuin」は依頼を受けられてからどれぐらいの時間をかけて作られたのですか。
渡辺 1カ⽉ぐらいです。あまり長い時間をかけても、考えているだけで進みません。私はSibeliusという楽譜ソフトを使い、メロディーを作るのとオーケストレーションを考えるのをほぼ同時進⾏で行います。「聴いていて飽きることがなく、いつの間にか聴き入っていて、いいねと思っているうちに終わる」というのが心地良い音楽だと思っているので、そこを意識しつつ曲のイメージと方向性を考えました。
今回は祝典序曲ですし最初に聴衆を惹きつけたいという音楽的なプロデュースもあり、ファンファーレから始めることにしました。そして最後は長三和音で終わろうと。というのも、クラシックにさほど関心がない方も聴く可能性があることを考慮すると、曲の最後が美しく感動的であることは大事なのです。マーラーの感動するような楽曲は長三和⾳で終わっていますし、ベートーヴェンの「第九」も調性としては⻑三和⾳的なものがずっと続く傾向があります。そこでこの曲でも、終わりは⻑三和⾳を連発することにしました。
最初のファンファーレが終わると、青学創立に関わった方々の「素晴らしい学校を築いていく」といった情熱を表現したパートとなります。次に出てくるメロディアスな「祈りのテーマ」はこの曲の主題で、青学の今後のさらなる発展を願う祈り、会場でこの曲を聴いてくださっている方々が幸せであってほしいという祈りなど、さまざまな思いを込めています。その後、この曲に何度か登場することになる「喜びのテーマ」が続きます。こちらも「祈りのテーマ」と同じく、オーケストレーションを変えながら何度か登場します。
さらにもう一つ曲にエネルギーを注ぎたいと思い、後半に「懐かしさ」をモチーフにしたパートを入れ込みました。この懐かしさには、私が高等部で過ごした幸福な3年間の思い出や青学への感謝の思いも含まれています。そして最後は喜びにあふれる長三和音で終わる、というのが曲の一連の流れです。
作曲中は「ここで変化をつけたいな、ここではもう一度『喜びのテーマ』を使おう」など、曲が気持ち良くつながっていくことを意識しました。いい音楽の条件のひとつに「聴いていて飽きることがない」と言いましたが、そのためにテンポに緩急をつけたり、オーケストレーションも可能であれば4小節ごとに変えるといった変化をつけるのもそのためで、職人的な部分といえるでしょう。こうした技術・手法に自分のインスピレーションや思いといった部分を重ね合わせながら作り上げました。
御園 この曲の中でスムーズに作り上げられた部分、悩まれて時間がかかった部分というのはありましたか。
渡辺 悩んで時間がかかった部分はあまりないですね。作曲家が映画やテレビのテーマ音楽にかけられる日数は3~4日、映画音楽については1カ月で30曲、テレビではもっと多く作曲しなければいけないことも珍しくありません。アニメにいたっては1分半の曲を70曲作らなければいけない職業ですから、早く書くことには慣れています。与えられた時間の中で精一杯やっていますが、それでも「もう少し時間があればもっとオーケストレーションに深みを出せた」などと思うこともあります。けれど今回は⾃分が納得するまで時間を使えたのでやりがいもありましたし、満足できるものを作り上げることができたという手ごたえも感じています。
⽯⽥ 「祈りのテーマ」や「喜びのテーマ」など、曲のどの部分か具体的に教えていただけますか。
渡辺 楽譜で説明すると、ファンファーレの後の、先人たちの情熱を表現した楽しげなメロディーは17番からです。また、33番からは⾏動⼒や⼒強さといったものが表現されています。46番からが「祈りのテーマ」、86番からは「喜びのテーマ」で、この2つのテーマがこの後も何度か展開されます。「懐かしさ」は95番からで、112番はつなぎの部分なのですが、聴いている方が青学のエネルギーを感じ、高揚するような曲調になっています。そして116番で再び「祈りのテーマ」、さらに121番は「喜びのテーマ」の変奏で、そこから最後まではずっとニ長調で長い調性のハーモニーが続きます。
メッセージ性のあるものだけをつなげるだけでは音楽的に面白くありませんから、66番のようなちょっと厳かな曲調も加わっています。これもやはり飽きずに楽しく聴いていただくためです。同じメロディーがほどよく繰り返されることもそのための手法のひとつです。前に聴いたメロディーがもう一度出てくると、なんとなくでも記憶に残っていますから「あ、さっきのメロディーだ」と曲に親近感が湧いたり、より興味を抱いたりすることにもつながります。映画音楽も、同じモチーフをいろいろなシーンに散らしておいて、いちばん感動的な場面でその全体をどーんと流すでしょう。これは映画音楽では重要な手法で、誰もが知っている有名な映画音楽の多くはこのような形で映画に盛り込まれています。今回の曲でも「祈りのテーマ」や「喜びのテーマ」を最後の方でも聴いていただくことで、より感動が深まると思っています。
佐々⽊ 個⼈的には「祈りのテーマ」がいちばん好きなのですが、先⽣が特にこだわった箇所はありますか。
渡辺 やはり「祈りのテーマ」ですね。それから「懐かしさ」のような叙情的な曲は私の得意とするところでもあり、自身の思いを込めるところでもあるので、とても⼤切です。また、聴衆のみなさまに「感動してほしい」という思いが強いのも「祈りのテーマ」です。ですから私が高等部で讃美歌に触れ、感動した思いも感動を届けたいという思いも込めました。とはいえ、最初のファンファーレにしても「輝かしい未来」をイメージしましたし、曲のすべての部分に私の気持ちが詰まっています。
佐々⽊ 「Festive Music for Aoyama Gakuin」では、曲のテンポを明確に書いてくださっています。今回、冨平恭平先⽣は渡辺先生の指定されたテンポに沿って忠実に指揮されていますが、今後ほかの指揮者の方が演奏されるとき、解釈によって多少テンポが変わることもあるかと思います。その点についてはどう思われますか。
渡辺 お渡しした音源が、私自身が納得できるテンポではあります。ただ、優れた指揮者は作曲した私自身も気づいていない新しい解釈をされるかもしれません。同じクラシック曲でも、指揮者による解釈はさまざまでしょう。テンポも違うし、リタルダンド(だんだん遅く)と書いていないのに⼊れたりすることもありますが、そういったアゴーギク(速度変化)はあっていいと思います。インテンポ(一定の拍子)ではないところがクラシック系の⾳楽の良さでもありますから。作曲家の指示通りのテンポでなくてもいい方向に行くならば、そうやっていただいた方がいいと思いますし、むしろ期待するところでもあります。こちらを「すごいな」と思わせてくれたら、そこは指揮者の実力ですね。一方、曲解されてテンポを⼤幅にいじられ「それだとちょっと……」ということもなきにしもあらず、です。ですからケースバイケースで、「楽譜に書かれたテンポを厳守、いじるのは絶対ノー」というわけではないです。
佐々⽊ 演奏者に「これをイメージしながら弾いてほしい」というものはありますか。
渡辺 全員で統一する必要はなく、一人ひとり、それぞれの「祈り」を込めて演奏してくだされば、それでいいと思います。
⽯⽥ 僕はコントラバスを弾いているのですが、曲の最初は教会の鐘が鳴っているような印象を抱きました。
渡辺 特にイメージはしていませんでしたが、言われてみればそうなっていますね。教会に結びつけられるのは青学出身者ならではというところもあるかもしれませんし、そのイメージを大切にしてください。作曲家は自分のインスピレーションに従って音楽を作ります。その結果、自身が予測していなかったことを表現している場合があると思います。指揮者が曲をより深く解釈し、作曲家自身が気づかなかったことを表現することもあるでしょうし、演奏する側にも自分なりの解釈が生まれ、より深みのあるもの、より面白いものにしていくということもあるでしょう。まさに「教会の鐘」ですよね。こういうお話を聞くと、作曲家というのは、ちょっと抽象的ですが「あるものを下に降ろす」という役割があるのかなと感じます。
御園 曲のすべての部分において、その楽器を指定した理由が先生の中にはあるかと思います。どのように楽器を選ばれたのでしょう。
渡辺 例えばファンファーレだったらトランペットに勝るものはないですし、華やかにするならバイオリンが最初の⽅でトリルするといったことは、作曲のセオリーでもあります。また、今回のような喜ばしい祝典の曲の場合、荘厳かつ華やかなチューブラーベルが鳴ったり、トランペットが高らかに鳴り響くのも定番です。それに加えて作曲家には過去の多数の作品例がインプットされていますから、それを取捨選択しながらオーケストレーションし、その中に⾃分なりの⼿法や発明的なものを含めていきます。
「祈りのテーマ」の部分で言えば、私はストリングス(弦楽器)がとても好きなんです。バッハの曲にしても「祈り」が世界観の曲にはやはりストリングスがあります。ソロで「祈り」の音色を響かせる場合はオーボエやクラリネット、フルートなども用いられますが、主体としてはストリングスが鳴っていてほしいというのが私自身の好みとしてはありますね。ストリングスの音色にはふくよかさや包容力がありますし、何よりオーケストラの中に占める人数が圧倒的に多い。ストリングスがしっかり鳴るか鳴らないかで、曲のスケール感も深みも、それこそ⼤きく変わります。あと、あえてハーモニーはストリングスではなく金管楽器が取り、ストリングスはユニゾンでメロディーを取るというような⼿もあるので、そういったものに従いながら自分の好みも反映させたという感じです。
⽯⽥ 最後が弦楽器のトレモロで終わるのはなぜでしょう。
渡辺 トレモロにしたのは、⻑く伸ばせるからです。トレモロにしている⽅が⾃由に⻑さを変えられるんですよね。楽譜に音符は書いてありますが、それは「⼀応このぐらい伸ばしてほしいです」という目安となる⻑さにすぎず、指揮者のそのときの気持ち次第ではこの拍数通りでなくてもいいのです。ストリングスのトレモロにはエネルギーを感じませんか? 大きな音を出せる金管楽器やティンパニに負けないエネルギーを放出するには、ずっと圧を加え続けることができるトレモロが最適だと思いました。私の曲の中にはフォルテピアノからクレッシェンドしていくときにトレモロにしないものもあるのですが、今回はトレモロだなと。
佐々⽊ トレモロの前の瞬間にちょっと区切りというか「間」がありますが、これにはどのような意図があるのでしょうか。
渡辺 この「間」でリタルダントし、さらにモルトリタルダント(よりだんだん遅く)となるので、気合のようなものです。「溜め」と言ってもいいでしょう。このような余白の意味を理解できるのは、人ならではですね。
佐々⽊ アマチュアオーケストラには休符や空⽩を楽しむということがなかなか難しいのですが、その先にある迫力をみんなで作れるよう、そういった意図的な空⽩もできたらいいなと思います。
渡辺 そうですね。この「間」は、ここで指揮者や演奏者のエネルギーも⾼まっていくというイメージなんです。そして「間」の後に、祈りをはじめとするそれまでにいろいろ込められてきたものが全部集約され、巨大なパワーとなって未来に向かうというところを表現したフォルティッシモがくる。これこそ「終わり良ければ全て良し」というくらい胸が震える瞬間です。つまり、この「間」さえうまくいけば、次のグランカッサ(大太鼓)が大きく響いた時点で聴衆も「おお!」となり、続く大合奏によって感動を呼び起こす。これぞ管弦楽では常套⼿段です。このグランカッサの人は本当に思いっきり叩かないとだめです、ぜひお伝えください(笑)。そしてここは楽譜にフォルティッシモと書いてありますが、このスフォルツァンド(力を込めて強く)の⽅が⼤きいという感じです。
御園 これまでの先⽣の人生に大きな影響を与えた⽅を教えていただけますか。
渡辺 一人はさだまさしさんです。さださんがソロデビューして以来、私は女房役としてさださんを⽀えるという決意を持って仕事をし、彼も私を信頼してくれ、4年間苦楽を共にしました。ところが留学して音楽の勉強をしたいという思いがどんどん大きくなってしまい、思い悩んでさださんに相談したところ、「じゃあ⾃分の分まで勉強してきてくれよ」と快く送り出してくれました。
もう一人は小澤征爾さんです。留学先であるアメリカのボストンに到着し、ホテルのテレビをつけたら「イブニング・シンフォニー」という番組をやっていて、偶然、⼩澤征爾さんが指揮をしている姿を⾒ました。小澤さんの名前は知っていましたが、ボストンにいらっしゃることは知らないくらい、当時の私はクラシックに関心がありませんでした。
翌日、⽇⽤品を買いにデパートに行くと、店員の女性が「昨⽇のイブニング・シンフォニーは⾒た? セイジ・オザワは素晴らしかったわね」と私に声をかけてきたのです。これには驚きました。中学生のとき、音楽の先生から「ビートルズを聴くような⼈間は不良だ」と言われ、「僕は不良じゃない」とひどく傷つき、「学校が推奨するようなクラシックなんか聴くものか」という反発心が生まれて以来、クラシックはレコードでしか耳にしたことがありませんでした。それが、デパートの売り場で普通にクラシックを聴いていて、日本人である私に尋ねてくる。あまりに驚いたので、小澤さんが振るボストン交響楽団の演奏をボストン・シンフォニーホールに⾏って聴きました。生まれて初めて聴く生のオーケストラです。
留学前の4年間、プロの世界で何度も録音現場に立ち会ってきましたし、コンサートで指揮もしましたが、シンフォニーホールという⾳空間に⾝を置いたことはありませんでした。スタジオでの録⾳は、弦楽器が演奏しても音が響かない部屋の中で弾き、私はそれをヘッドホン越しに聴いて、後からリバーブ(残響音)をかけます。それが普通だと思っていましたから、シンフォニーホールで何の装置も使わずとも⽣の⾳が直接⾃分の⽿に⾶び込んできたことが衝撃でした。しかもそれが⾃分の想像していた以上に美しい⾳だったものですから、猛烈に感動したんです。こんな素晴らしい世界があったのだと気づいた瞬間でした。
同時に、⼩澤さんにも大変関⼼を持ったので、ボストン交響楽団の定期会員になり、2週間に一度は演奏会に⾏くようになりました。小澤さんの引き出す音楽の美しさはもちろん、どんな曲も暗譜で振っていることにも感銘を受けました。その小澤さんに対する団員のリスペクトもひしひしと伝わってきて、彼に対する敬意がますます⾼まっていきました。そこで彼の著書である『ボクの⾳楽武者修⾏』(新潮社 1980年) や、私が好きな作曲家である武満徹さんとの対談本『音楽』(新潮社 1983年)などを取り寄せ、興味深く読みました。
いちばん驚いたのは『音楽』にあった一節です。武満徹さんが作曲した現代⾳楽の初演がボストンであり、公演後、ふたりで深夜0時頃までワインを酌み交わしたそうです。そして朝4時頃、武満さんがトイレに起きたら「君はもうデスクに向かってスコアの勉強をしていたよね」と。「⼩澤征爾はすごい勉強家だということは聞いていたが、これほどまでとは思わなかったよ」と武満さんが言うと、小澤さんは「いやいや、世界でやっていくには、こんなのは普通のことだよ」、そう返すんです。なんという厳しい世界なのだろうと衝撃を受けると同時に大きな刺激となり、留学時代の「もっと勉強しなきゃ」というモチベーションにつながりました。以来、今日にいたるまで、世界レベルで活躍する⾳楽家というのはそういうレベルで勉強しているという意識が自分の中に色濃くあります。
ドイツのケルン放送交響楽団の⾳楽監督だった若杉弘さんという指揮者のインタビュー記事にも、「小澤征爾さんには一度も会ったことはないが、小澤さんがこういうふうに勉強している⼈だということを伝え聞き、⾃分もそれを励みに頑張ってきました」と書かれていて、さまざまな指揮者にも影響を与える小澤さんはやはりすごいと思いました。小澤さんには一度だけお会いしたことがありますが深くお話ししたことはなく、それでも⼼の師匠のように思っています。斎藤秀雄門下としては小澤さんの後輩にあたる秋山和慶先生も、やはり小澤さんのことを尊敬されていました。
⽯⽥ 僕も⼤学で聖歌隊に⼊っていた時期があり、讃美歌を歌うと⼼が洗われ、すっきりした気持ちになります。先⽣のいちばんお気に⼊りの讃美歌はなんでしょう。
渡辺 最初にもお話しした136番です。バッハがつけたハーモニーが素晴らしく、高等部の3年間で聴いた讃美歌の中で私のベストですね。
御園 素晴らしい曲を作っていただき、私たちも「⻘⼭学院で常に演奏され続ける曲にしなければいけない」という使命を強く感じています。先⽣からお聞きした⾔葉を次の世代に伝え、150周年だけでなく、200周年、250周年と、そのつど演奏される曲にしていきたいと思っています。今⽇は貴重な機会をありがとうございました。
1955年生まれ、愛知県名古屋市出身。青山学院高等部、大学経営学部入学と同時にフォークグループ「赤い鳥」に加入、プロとして活動を始める。アメリカ・バークリー音楽大学に留学。帰国後、さだまさしさんの専属音楽プロデューサー、編曲家を務めたほか、数多くのテレビドラマ、アニメ音楽などの制作を手掛ける。2010年4月から2020年3月まで洗足学園音楽大学音楽学部音楽・音響デザインコースの教授、2020年4月から同大学客員教授。日本音楽著作権協会理事を務める。
〈主な作品〉
・テレビドラマ
NHK大河ドラマ「利家とまつ」「毛利元就」
NHKドラマ「大地の子」
NHK連続テレビ小説「ノンちゃんの夢」「かりん」「どんど晴れ」「おひさま」
フジテレビ「リング~最終章~」 他多数
・アニメ音楽
「銀河漂流バイファム」「ボスコアドベンチャー」「宇宙兄弟」 他多数
・オペラ
「禅~ZEN」「ニングル」
・その他
日本国際博覧会(愛・地球博)開会式テーマ曲「愛・未来」
他多数
〈受賞〉
「リング~最終章~」 第20回ザ・テレビジョン・ドラマアカデミー賞、劇中音楽賞
「おひさま~大切なあなたへ」 53回日本レコード大賞編曲賞を受賞