明るい未来を信じて〈卒業生・盛田哲平さん、今泉遥さん、岩渕啓大さん〉
2025/10/10
「音楽に国境はない」
と語る盛田哲平さん、今泉遥さん、岩渕啓大さん。青山学院幼稚園でともに学んだ3人は、盛田さんの発案でNPO法人ブライト・フューチャーを立ち上げました。現在はアメリカと日本、それぞれ別々の場所で学業に励みながら、互いに協力し合い、ラオスへの支援活動を行っています。
学生とNPO法人の社員、二足の草鞋を履く3人を結びつける強い絆、社会貢献活動についての原動力そして活動から得られるものなどについて語っていただきました。
──まずはNPO法人ブライト・フューチャー(以下ブライト・フューチャー)について教えてください。
盛田 ブライト・フューチャーは日本で使われなくなった楽器や学習教材を物資の足りない国、ラオスに送り、音楽、スポーツ、アートを子ども達とシェアする活動をしています。
──ブライト・フューチャーを立ち上げたきっかけは?
盛田 初等部を卒業してすぐアメリカ合衆国の中学校に進学しました。当時はまだ英語がきちんと喋れなかった上、日本人は自分1人。なかなか他の人たちとコミュニケーションがとれず、寄宿舎での生活や学校にも馴染めずにいたんです。それが、音楽の授業でリコーダーを演奏するというのがありました。その時、周りはみんな、リコーダーを扱うのが初めてだったのですが、自分は初等部で習っていたので、一人だけ演奏できたんです。リコーダーを演奏できることで「これどうやって吹くの?」ってみんなから聞かれて。そのことがきっかけで、友達ができたんです。本当に「音楽に国境はない」と実感した瞬間でした。
それからしばらくたった時のこと、学校で使ったリコーダーはその後、どうなっているんだろうって、ふと気になりました。各家庭の押入れなどに埋まってしまっているんじゃないかな、なんて想像しました。もし、使われなくなった楽器を集めて、楽器がない国、入手が難しい国の子ども達におすそ分け出来たらいいなという考えが浮かびました。徐々にその気持ちが溢れてきて、活動を始めました。
──なるほど。それでブライト・フューチャーの立ち上げの際にお声がけされたのが、今泉さんと岩渕さん
盛田 はい。2人とも初めから参加してくれています。現在ブライト・フューチャーでは、8人ほどのあらゆる年代の方に働いていただいていますが、当初、活動するなら同じ年代の人との方がやりやすいかなと思い2人に声をかけました。その際、アメリカの別の地域の学校に通っている今泉さんも、たまたま同じようなことを考えていたことを知りました。
今泉さん 小学生の頃はとくに音楽がすごく好きだったので、盛田君から話を聞いた時とてもいいプロジェクトだなと思い、私も参加することにしました。
岩渕 実は僕も盛田君の話を聞く前から国を越えたサポートというのに興味があったので、盛田君から具体的な話を聞いた時にすごくいいプロジェクトだなと思いましたし、僕も一員として頑張りたいと思いました。
──3人は現在アメリカ、日本、それぞれ別々の学校に通っていらっしゃるそうですね。元々は同級生だったのでしょうか
盛田 僕と岩渕君、今泉さんは同じ青山学院幼稚園に通っていました。岩渕君とは同じ学年、今泉さんは1個下の学年にいました。今泉さんとは通っている教会が同じだったのがきっかけで友達になりました。そして岩渕君とは元々すごく仲が良くて。彼はすごく頼りになるんですよ。頭はいいし、「やってほしい」と思ったことも全部やってくれる。本当に信頼できる人です。もうこの人しかいないなと、声をかける時、真っ先に思い浮かびました。
──幼稚園からみなさん一緒ということですね。青山学院では幼稚園から大学まで社会貢献活動を行っていますが、何か参加されたことはありますか?
盛田 初等部の頃、止揚学園(しようがくえん)に行き、一緒に生活したり、学んだり、運動会をやって凄く楽しかったのを覚えています。
今泉 私は初等部の頃は参加したことがありませんでした。ただWFP(WFP国連世界食糧計画(国連WFP))の活動やフィリピンの子ども達への支援の話を聞いてとても刺激を受けたことを覚えています。レッドカップ*が家にいくつかあり、まだ使っています。
岩渕 レッドカップ、懐かしいな。僕もラオスに行く前は、実際に現地に行ってサポートするプロジェクトには参加したことはありませんでした。ただ、初等部ではWFPの活動であったり、中等部では生徒会の一員だったのですが、生徒会活動の中で、ペットボトルキャップや使い捨てコンタクトレンズの回収などのプロジェクトに参加してきました。
──ブライト・フューチャーがラオスを支援先に選んだ理由は何ですか
盛田 支援先を選ぶ際、JICAの方々からフィリピンなど、日本に近いアジアの国々についてのお話をお聞きしました。その中でも、ラオスは内陸国で貿易も上手くできず、ベトナム戦争にも巻き込まれたため、国土には地雷なども埋まっていると知りました。貧困にあえぎながらも、あまり注目されていない国のため支援の手が届きにくい。だったら僕たちが何とかしようと思い、ラオスに決めました。
今泉 そして、ラオスの学校は副教科が充実していないんですよね、ラオ語や数学の授業はあるのですが、音楽やアート、スポーツの授業はない。ラオスの子ども達にも副教科の楽しさを知ってもらいたいと思いました。
──それでラオスには、3人でいらしたんですね?
盛田 最初は自分と今泉さん、そして母たちで行きました。2回目の渡航には、初回に学校のカリキュラムの都合で行けなかった岩渕君も参加しました。それからは定期的に行っています。2025年の3月にも行きましたし、そして夏にも行く予定です。今後も年2~3回は現地に赴き、現地での活動を続けていきたいと思っています。
──現地での活動以外、普段の活動について教えてください。まずは、どのようにして学習道具を集めているのですか? 3人で役割分担などを決めていらっしゃるのですか?
盛田 まず学習道具についてですが、オンラインを活用して集めています。
今泉 LINEから登録してもらい、学習道具を送ってもらうようにしています。その後、ブライト・フューチャーで清掃して、ラオスに送っています。
盛田 普段の活動は、岩渕君が学校帰り等に事務所に寄って、リコーダーを掃除してくれたり、ピアニカの部品を交換してくれたりしています。私と今泉さんがアメリカにいるため、そういった活動ができないので本当にありがたいです。
今泉 事務所に足を運べない分、現地に赴く際のプログラムを打ち合わせしたり、企画したりしています。前回行った学校では、前とは違うこと、例えば前回は折り紙をやったから、別のことを行おうとか。具体的に持っていく物やプログラムを考えたり、提案したりしています。
──3人とも現役の学生(生徒)さんです。学校生活に勉強にNPOの活動と両立は大変ではないでしょうか
岩渕 僕は現在国際政治経済学部で勉強していますが、この活動について同じ学部の友達に話したら興味を持ってくれて、リコーダーをくれた子もいます。そんな時、友達に支えてもらっているなと強く感じます。NPO法人での仕事と学業、そしてアメリカンフットボール部の活動をこなすのは大変な面もあります。しかしながら事務所が学校に近くアクセスしやすいこともあって、学校帰りに寄り、楽器の清掃も行えています。なので学校との両立はさほど難しくないのかな、と感じています。
今泉 両立は大変ではありますが、通っている学校が活動に非常に理解があり、サポートしてくれます。「こういう活動しているんだよ」と何気なく話したら、「とってもいい活動だね。学校でも広めたら?」と言ってもらえたこともあります。サポートしてくれる環境なので、両立はさほど苦ではないなと思っています。
盛田 自分の学校でも、学校側がかなり協力的です。「チラシを学校で配ったら」とか「みんなの前で発表したら」とか提案してくれますね。活動をアメリカ国内でも広げられるよう、認知してもらえるよう手伝ってくれます。
──支援してくれる人たちがいるというのは心強いですよね。この活動を通して感じることや、支援を通して得られるもの、手ごたえについて教えてください
盛田 新しく始めるのは怖いことであり、まして初めて見る物を試すというのはやはりチャレンジ、勇気が必要です。しかし最初にラオスを訪れた時から感じたことですが、子ども達は何にでも楽しく挑戦してくれる。本当に教え甲斐があり、教えているこちらの方も「物を大切にしなきゃな」など教えられることが多い。この活動だけではなく、他のことでも、本当にまじめに取り組もうという気持ちが溢れてきます。自分自身にも「僕にできることはないかな」とやる気が出てきます。
今泉 確かに。子ども達に初めてリレーを教えた時のことです。子ども達はリレーをやったことがないという状況でした。でも楽しんでくれたんです、心から。
今泉 これからもラオスの子ども達に新しいことをどんどん挑戦していってほしいなと思いました。それから盛田君がNPOを立ち上げた理由として、「音楽に国境はない」と言っていましたが、それを現地に行って実感しました。青山学院の幼稚園の講演会で園児から「どうやってコミュニケーションとっているの?」と質問を受けましたが、その場に通訳さんはいらっしゃるのですが、でも実際は通訳をそこまで必要としない。音楽やアート、スポーツなどを通して、心でコミュニケーションがとれたことに、すごく感動しました。こんなにも言語の壁がなくなるんだと、感じました。
岩渕 僕は、ラオスの子ども達はもちろん、大人の「どう楽しく生活していくか」という前向きな姿勢がとても印象に残っています。ラオスの人が本当に望んでいるものは何か、そして僕達には何ができるのかをもう一度しっかり見つめ直したいと思いました。
盛田 そうだよね。これはラオスのお家を訪問した時の話です。その家にはドアもなく、窓もなく、毎日自分たちで得たもので食事をする自給自足の生活をしている。だから、次に来る時のために「何か欲しいものはありますか」と聞いたのですが、「今の生活で十分だから、何もいらない。もしできたら、また来てほしい」と言われた。あの時は震えるほど感動しましたね。
岩渕 日本から見ればラオスは、恵まれていない国という印象があるかと思います。確かに物資はないかもしれません。しかし、その中で日本と同じように、むしろ日本以上に、普段の生活を楽しんでいるというのを目の当たりにしました。
──教えられることも多い社会貢献活動。みなさん一人ひとりにとって社会貢献とは何でしょうか?
今泉 私はこの活動をしている時に、それが自己満足で終わらないよう意識しています。私が思う社会貢献とは何なのかと考えた時に、例えば寄付する際も、こちらの善意を一方的に押しつけるのではなく、受け取る側のニーズや状況を丁寧に理解することが重要だと考えています。それをどのように活用できるかを伝え、最終的には子ども達自身が新しい経験に挑戦できるようなサポートを目指しています。
岩渕 僕にとって社会貢献とは、聖書の言葉を借りると「隣人を愛する」ことだと思っています。社会貢献をしなくても、他の国をサポートしなくても自分達の生活には影響はない。でも、そういった関係のない第三者、隣人を愛することによって世界中のみんなが幸せになればいいなと思っています。あとは寄付などをしても、それが実際にどういった経路を経て必要としている方々に届いているのかということを、正直実感したことはありませんでした。今回の活動を通して、実際に寄付をしていただき、掃除をし、現地に支援物資を持っていくという活動をすることで社会貢献が多少はできているかなという実感をしました。
盛田 2人ともさすがすぎますね(笑)。なんて言っていいかわからなくなります。というより全部言われてしまいましたが(笑)。自分としては、一言で言うと、小さなことでも、ペットボトル回収であっても、「社会貢献になったらいいな」という願いで行動を起こしたことなら、それは全て社会貢献と言っていいのではないかと思っています。
──ブライト・フューチャーの今後の目標を教えてください
盛田 ラオスの子ども達が、学習道具の使い方を忘れてしまわないよう、これからは子ども達だけではなく、先生達にも教えていこうと思っています。それで現地の先生達から子ども達に教えてあげられるようなサイクルができればいいなと考えています。
また、最近始めたことで言うと、自分達は授業がお休みの夏以外は何もできなくなってしまうので、ラオスに住んでいる日本人で、コーヒー農業をやっていらっしゃる方達とパートナーシップを結び、コンサートホールなどで彼らの作ったコーヒーを売って、支援につなげることもしています。
またラオスでは仕事がなくて困っている方がすごく大勢います。できたら農業を広げ、現地の方が仕事を手にできるようにしていければと思っています。
今泉 ラオスで勉強して大学まで出ても、仕事の機会がすごく限られているので、いい仕事や自分のやりたいことを追求していくと、どうしても労働力がタイや中国などの国外に流出してしまう。そのため国が発展しない。常に輸入に頼らざるを得ない国となる。悪いサイクルが出来てしまっていると感じているので、人材をラオスにとどめるために、仕事を提供したり、またコーヒーやハーブの栽培が盛んなので、そこに自信をもってもらえるような活動、仕事につながるような活動を創出したりしていけたらなと思っています。
岩渕 自分個人としては2人に任せてしまっていることが結構多くて、あまり仕事ができていないところもあると感じています。もっと学校の合間をぬいながら、積極的に活動を行っていきたいと思います。また、ラオスの子ども達と青学の幼稚園の子ども達の手紙やオンラインで交流するプロジェクトもやってみたいなと思っています。
──すごく素敵ですね。まさに明るい未来、ブライト・フューチャーですね。本日はありがとうございました