Interview インタビュー 青山極め人

園舎の屋根まで届いた一打を原点に、夢中が育てた長打力〈川本 琉生さん・中等部3年〉

【硬式野球】

父と兄の影響で2歳から野球を始めた川本琉生さん。本学幼稚園在園時には、他の園児が砂遊びに夢中になる中、ただ一人プラスティックバットでボールを打ち続け、園舎の屋根まで飛ばすこともあった。先生に寄り添ってもらいながら夢中になったその時間が、今の原点だ。バッティングの面白さに目覚め、ジャイアンツアカデミーを皮切りに、より強い少年チームへと渡り歩いて研鑽を積んだ。小学6年生の時には、ホームラン王に輝き、ジャイアンツジュニアにも選出された経歴を持つ。中学では世田谷西リトルシニアに所属。持ち味の長打力を生かした打撃で全国大会優勝に大きく貢献し、その活躍が評価されベストナインにも選ばれた。2年生の夏、暑さで全力疾走を少し怠ったことを監督に指摘され、ベンチから外れた経験は、大きな後悔とともに意識を変える転機となった。守備では「後ろの打球を追ったり、前の打球に滑り込んだりする瞬間に試合の流れを変えられるセンターが一番好き」と語る。初等部のラグビー部や中等部の陸上部で培った体力・走力、これまでの家族の支えを力に、そして恩師から贈られた「勝ってもおごらず、負けても腐らず」という言葉を胸に、4月からは親元を離れて岩手県の高校に進学、寮生活へ。新しい仲間、新しい環境の中でさらなる成長を重ねながら、「岩手県勢として初の甲子園優勝に貢献したい」というその想いの先には、すでに世界を舞台に躍動する未来の姿が重なって見えた。

 

川本 琉生さん

中等部3年

 
◆主な戦績 2022年8月 高円宮賜杯 第42回全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメント ホームラン王/2022年12月 NPB12球団ジュニアトーナメント KONAMI CUP 2022 準優勝/2024年12月 日台会長盃国際野球大会 東東京支部 選抜/2025年4月 JA共済杯 第31回日本リトルシニア全国選抜野球大会 優勝 ベストナイン(外野手)/2025年8月 エイジェックカップ 第53回日本リトルシニア日本選手権大会 優勝 ベストナイン(外野手)/2025年8月 第19回全日本中学野球選手権大会ジャイアンツカップ 優勝

「青山学報」295号(2026年3月発行)より転載

 

Episodes ―こぼれ話―

紙幅の関係で「青山学報」への掲載がかなわなかったインタビュー全文をご紹介いたします。

 

 

幼稚園で出会った、野球という楽しさ

──野球を始めたきっかけについて教えてください
3つ上の兄が野球をやっていて、父と一緒に兄がキャッチボールをしている姿を見ていたので、物心ついたときから、自分も始めました。
──本学の幼稚園ご出身ですね。その頃から野球で遊んでいたと伺いました
当時からバッティングが好きだったので、幼稚園の迫田敏幸先生にひたすらボールを投げてもらってプラスティックのバットでバッティングをしていました。とにかく遠くに飛ばすのが面白かった記憶があります。
──他でも野球をしていたのですか
兄が先に通っていた「ジャイアンツアカデミー」というスクールに、年中(5歳)になってから入りました。
初等部に入ってからは、3年生まで「レッドサンズ」という学童チームに、その後「オール麻布」に、5年生から「深川ジャイアンツ」に入りました。
──学童のチームを変えていったのはなぜですか
自分の力を確かめたいという気持ちがあったからです。

 

自分の力を試したい、小学生時代の挑戦

──「深川ジャイアンツ」のチームはいかがでしたか。学童軟式野球の全国大会であるマクドナルド・トーナメント(以降、マクドナルド杯)にも出場しましたね
「深川ジャイアンツ」は、毎年、全国大会に出場しているようなチームです。積極的なバッティングをするチームだったので、自分も含めて、みんなよく打ちました。6年生のときのマクドナルド杯では惜しくもベスト8止まりでしたが、ホームラン王を受賞できたのは嬉しかったです。
──そのときの打順とポジションを教えてください
一番バッターで、サードを守りました。
──その後、「ジャイアンツジュニア」*の選考会に挑戦して、合格されていますね。ここでの野球はいかがでしたか
はい。「ジャイアンツジュニア」での練習は、すごく楽しかったですね。コーチもレベルの高いことを教えてくれました。ここで野球がうまくなれたと思います。

*「ジャイアンツジュニア」とは、読売ジャイアンツが毎年結成する小学6年生の選抜チーム。12月に開催される「NPB(一般社団法人日本野球機構)12球団ジュニアトーナメント」への出場と、将来の野球界を担う選手の育成を目的としている。選考は夏に行われるデジタルトライアウト(動画投稿)と実技の2段階で、合格者は9月〜12月の期間、所属チームに在籍したまま、原則として「ジャイアンツジュニア」での活動を優先する。

 

中学時代に掴んだ、日本一

──野球において得意なこと、不得意なことについて教えてください
得意なことはバッティングです。
不得意なことは、まだ身体が成長途中であるため、機敏な動きや瞬発力が課題です。これからはそれらを強化していきたいと思っています。
──中学生になってからは硬式野球のクラブチームに入ったと伺いました
はい。「世田谷西リトルシニア(以降、世田西)」というチームの体験会に行ったとき、選手たちのバッティング力がすごかったことに驚きました。自分のバッティングをもっと磨きたいし、自分の力がどこまで通用するのかも見てみたいと思って、バッティング力の強いこのチームを選びました。
──2025年度は、日本リトルシニア協会の春夏の全国大会(全国選抜大会、日本選手権大会)で優勝、8月の全日本中学野球選手権大会ジャイアンツカップを制覇し、見事3冠を達成されましたね。チームが勝ち切れた要因は何だったと思いますか
みんなが笑顔で、緊張せずにのびのびと楽しく野球ができたことが一番の要因だと思います。
──外野手としてベストナインにも選ばれましたね。評価された点はどこだと思いますか
小学6年生の「ジャイアンツジュニア」のときに外野手をやらせてもらい、自分に合ったポジションだと思ったので、そのままずっと外野手をやっていますが、今回ベストナインに選ばれた理由は、バッティング力が評価されたからだと思います。自分の強みであるバッティングで、パワーを使いながらも、コンパクトに打て、しっかりと打率を残せたところだと思います。

 

得意な打撃力を裏付ける分析と感覚

──打撃で意識していることはありますか
小学生のときにはあまり気にしていなかったのですが、「世田西」で教わってから、構えのときにトップ(バットの先端のこと)を深く取るイメージでやっています。トップが浅くなると手が先に出てしまうので、それを意識してバッターボックスで構えています。

 

 

──優れた打撃力はどのように身に付けたのですか
練習や試合の動画に映っている自分自身のバッティングフォームを何度も見て、一番いい状態で打てたときと比較して分析しています。
とにかくバッティングが好きなので、夜、自宅の駐車場や公園で、母に付き合ってもらい、自分が納得いくまで素振りをすることもありました。室内練習場では、母に球出しをしてもらっていました。
──どのようなバッティングが川本さんにとっての“一番いい状態”なのですか
追い込まれた状態で、しっかり対応できるのが一番いい状態だと思います。2ストライクで後がないときでも、ボールを見極めて、寸前で止めることができる。それができたとき、自分が一番いい状態だと感じます。
──今の主なポジションはどこですか。一番好きなポジションはありますか
今のポジションは外野全般ですが、中でもセンターが一番好きです。
──外野手にとってのポジションの魅力をおしえてください
後ろの打球を捕ったり、前に落ちる打球を滑り込んで捕ったりするときに、球場の雰囲気や試合の流れを変えることができるので、そこが一番魅力だと思います。
──部活や普段の走り込みで鍛えた効果を実感する瞬間でもありますよね。練習等でつらいと感じることはありますか。そういうときはどうしていますか
怒られたときや、筋トレや走り込みでつらいと思うときもありますが、大声で声出しすることでストレスを発散し、気持ちを切り替えています。

 

野球と部活、そして学業との両立の裏側に

──日常生活で意識していることはありますか
とにかくたくさん食べるようにしています。1日4食、白米は夕食時に2合、1日で5合ほど食べています。毎日のお弁当は、2Lのタッパーに入れて持っていきます。野球の練習のときは、カレーをお弁当にしてもらい、素早く食べてすぐに動けるようにしています。補食はバナナや栄養補助食品のゼリー飲料を積極的にとるようにしています。
──中等部の部活では陸上部にも所属していたそうですね。部活と野球との両立は大変でしたか
野球において走ることは大事なので、足腰を鍛えようと思って陸上部に入りました。塁間をより速く走ることができるよう短距離を選びました。
陸上部の活動は火・木曜日、野球は水・木・土・日曜日だったので、木曜日は陸上部を早退して野球の練習のために神宮球場へ母に送ってもらっていました。野球の練習場所は、水曜日が駒沢球場で、土日は、試合がなければ多摩川の河川敷で、試合があれば会場へ直接集合でした。母や父の送迎なしでは両立できなかったと思います。
──ご両親の支えも大きかったんですね。ご家族への想いを教えてください
毎日朝早くからたくさんのお弁当を作ってくれて、遠くの試合会場へ行くときなど、朝の暗いうちから夜遅くまで、両親がいつも車で送迎してくれました。疲れていると泥だらけのユニフォームを自分では洗わないので、高校に入ったら自分でできるようこれから少しずつ自分でやろうと思います。毎日支えてくれて本当に感謝しています。
──学校の勉強との両立はいかがでしたか
夜まで野球の練習があるので、寝るのは23時半頃になります。朝は6時半起きなので、結構眠いです。しかも、木曜日は学校の授業が7時間あるので、それがつらいですね。中等部は小テストが多いので、いつも気合で乗り切っていました(笑)。
──気合で(笑)!? どのように乗り切ったのですか
朝はどうしても起きられないので、夜、野球の練習から帰ってきて疲れていても、その後に勉強するようにしました。テスト期間中は、睡眠時間をかなり削って勉強していました。

 

悔しさを力に変えて

──これまでに悔しかったことはありますか
大会前なのに、不調続きだったことがあったんですが、全力疾走をすべきところを暑さに負けて少しだけ手を抜いてしまったことがありました。それを、監督に注意をされ、ベンチから外されたことです。
もっともすぎて、あまりにも悔しくて、それ以降、気持ちを入れ替え、どんなときも手を抜かないように心がけました。
そのときは、チームメイトからも慰めの言葉をもらい、あらためてチームメイトのありがたさを感じました。
──これまでで一番嬉しかった瞬間を教えてください
まずは、チームが全国優勝3冠を達成できたことが嬉しいです。
また、ジャイアンツカップの予選で、「多摩川ボーイズ」と戦ったとき、負けそうな試合だったのですが、自分のホームランでチームを同点にし、さらにサヨナラホームランを打って勝てたことも印象に残っています。
「多摩川ボーイズ」には、「ジャイアンツジュニア」のときにとてもお世話になった笠井駿コーチがいらっしゃるので、自分の成長した姿を見てもらえたことも嬉しかったです。
──忘れられない言葉はありますか
「世田西」の蓬莱昭彦総監督に「そのバッティングならどこでも通用するよ」と言われたときは本当に嬉しかったです。
また、恩師である笠井コーチからいただいた「勝ってもおごらず、負けても腐らず」という言葉も強く心に残っています。どんなに優れた選手であっても、決しておごらず、負けたとしても決して卑屈になってはいけない。かつて笠井コーチ自身も当時の監督に言われた言葉だそうです。自分もいつもそうありたいと思っています。

 

これからの挑戦

──憧れの選手はいますか
村上宗隆選手です。パワーがあって、広角に球を飛ばせるところが魅力です。
──高校で挑戦したいことはなんですか
4月から岩手県の花巻東高校に進学しますが、岩手県から甲子園優勝校が出ていないので、チームメイトとともに日本一になることを目標にしたいです。そのために、自分のバッティングをさらに磨いていきたいです。
──将来の夢を教えてください
小さいときからお世話になった巨人に入り、プロ野球選手として活躍したいと思っています。
──本日は、お忙しい中、インタビューに応じていただきありがとうございました。これからのご活躍や、さらにその後に続く野球選手として成長される姿を楽しみに、応援させていただきます

 

母が語る成長の軌跡

今回、お母さまにもお話を伺う機会がありましたので、一部ご紹介いたします
とにかくバッティングが好きで、幼稚園では毎日、先生とバッティングをして遊んでいて、ときには、園舎の屋根の上にボールが乗ってしまうこともあったようです。あまりにもバッティングが好きなので、年中になってすぐ、年中から入らないとなかなか人気で入れない「ジャイアンツアカデミー」という子ども向けのスクールに入れ、先に入っていた兄と一緒に通わせました。
野球をやっていたおかげで、送迎の数は多かったですが、いろいろな場所へ行き、私たちも多くの感動をもらいました。
食事面では、まずはとにかくたくさん食べて身体を大きくしないとパワーもつかないので、特に量を重視して食事を用意しました。我が家のご飯は肉、肉、ご飯、肉、ご飯という感じなのですが(笑)、息子は魚も好きなので、外食でお寿司を食べにいくときは「何皿以上は絶対食べなさい」というと45皿ほど食べていましたね。補食は、試合前と試合中にすぐに摂れるよう、ゼリー飲料とバナナを持たせていました。
おかげで、中学では体重が20kgちょっと増えました。中学1年生のときは60kg以下だったのですが、今では83kgになりました。
4月からは、自宅を離れて寮生活になるので、小型のバケツ型洗濯機での泥だらけの洗濯からようやく解放されます(笑)。
「世田西」は、2024年の秋から公式戦39連勝、そして中学リトルシニア史上、初の全国大会3冠を達成しました。幼稚園の遊びから夢中になった結果が、「世田西」のチーム内でも打率1位となり本人の強みとなったことを、親として誇りに思います。
息子は夢と希望を追い、新しい世界に挑戦しますので、これからも全力で応援していきますが、青学ファミリーの一員として、やはり幼稚園からお世話になってきた青山学院を離れることは母として寂しいので、3年後青山学院大学でプレーする日が来ればいいなと願っております。

 

幼稚園の先生からの手紙

当時、ひたすらバッティングにのめり込む川本琉生さんに寄り添った幼稚園教諭 迫田敏幸先生よりメッセージをいただきましたのでご紹介します

川本琉生さんへ

 花巻東高校へのご進学、本当におめでとうございます。
 私の記憶の中にある琉生くんは、身支度を終えると一目散に園庭へ駆け出し、バットとボールを手に「せんせい、やろう!」と呼んでくれた姿です。
 ある日のことです。私はピッチャーをしていましたが、あまりに打たれるので、わざと速球と見せかけて緩い球を投げたり、内角の次に打ちにくい外角低めに投げたりしても、まるで吸い付くように「パコーン!」と打ち返される。その技術の高さに驚かされたことを今でも鮮明に覚えています。
特に印象的だったのは、「感覚」に対する真っ直ぐな姿勢です。他の保育者が投げた球を空高く飛ばし、周りから「すごい!」と声があがっても、琉生くんだけは首を傾げて納得いかない表情をしていました。自分の中にある「会心の一打」の感触とは少し違ったのでしょう、自分の追い求めるものへ到達しようとする芯の強さを間近で感じる時でもありました。

 別の日には、琉生くんが始めた野球に年長組の数名が仲間に加わった時、初めてピッチャーをする子どももいて、その経験の差に戸惑いながらも、少し逸れてしまうボールを黙々と拾いに行き、ストライクが来るまで根気強く待ち続けていた姿も忘れられません。技術を追い求める強さと、仲間を受け入れる温かさ。その両方を持つ琉生くんなのだろうと思わされます。

 リトルシニアでのホームランや長打力、数々の大会での優勝、日本一、ベストナイン選出というこれまでの素晴らしい歩みをお聞きしました。
心から嬉しく誇りに思います。

 名門・花巻東という厳しくも高め合える環境にあっても、自らの技術と誠実に向き合うその芯の強さと温かさが、琉生くんの支えとなりますように。
琉生くんのこれからの歩みも確かに神さまに守られ、一歩一歩が神さまと共にありますようにと祈っています。

かっ飛ばせー るいくん!!
ホームランホームラン るいくん!!

迫田敏幸

 

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(写真提供:ご両親)

 

 

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