「夢なき者に成功なし」日本そして日本国民を守る国防の道へ〈卒業生・小野打泰子さん〉
2022/12/15
小野打泰子(おのうち やすこ)さんは現在、基地司令職が置かれている25カ所の航空自衛隊の基地の中で最大の隊員数を誇り、過去に開催された航空祭では32万人もの来場者を集めたこともある入間基地の基地司令を務めています。同時に、航空自衛隊にある4つの航空警戒管制団のうちの一つも率いています。
女性の防衛大学校進学が認められていなかった時代に航空自衛隊へ入隊。配属される部署で着実に努力を重ねた先に待っていたのは女性で二人目となる将官の地位でした。
冷戦終結以降、混沌とした現代を航空自衛官として過ごしてきた小野打さんに、中等部から青山学院で過ごしてきた思い出や国防への思いなどを伺いました。
──幼少時はどのようなお子さんだったのでしょう。
小さい頃は結構病弱で、喘息気味だったり扁桃腺が腫れてよく熱を出したりしていました。ただ成長とともにどんどん丈夫になり、中等部に入る頃にはすっかり元気になりました。
母は音楽大学への憧れがあったようで、私を音大に入れるべく、幼少時からピアノを習わせました。私も音楽は大好きだったのですが、音大附属の中学校に進むほどの才能はなく、ではどこに進学しようかとなりました。いくつかの中学校を受験した中で「校風が自由で伸び伸びしていていい」と両親が気に入った青山学院中等部に進学しました。ピアノは趣味として、自衛隊に入隊するまで続けていました。
──中等部の思い出をお聞かせください。
中等部では両親が感じた通り、本当に伸び伸びと過ごしました。裏磐梯登山や猪苗代湖でのオリエンテーリングは初めての体験で、とても楽しかったです。中等部の中庭に鶏が放し飼いになっていて、担任の太田隆三先生がかわいがっていらしたのを覚えています。また、宗教主任の笹森建美先生が入学式で話してくださった「あなた方は地の塩である」という言葉は、これまでキリスト教のことを知らなかった私にとって、初めて真剣に聞いた聖書の言葉として印象深く残っています。中等部・高等部の頃は毎日礼拝がありましたし、大学卒業までの10年間、青山でキリスト教を学びましたから、生き方や考え方の基本となるものが青山で培われたことは間違いありません。今も聖書の言葉は折に触れて思い出します。
また、中等部の頃はちょうど映画『007』がとても流行っていて、私も夢中になりました。世界を股にかけて情報戦を生き抜くジェームズ・ボンドがかっこよく、スパイになりたいと思いました(笑)。それが高じて大学では国際政治学科に進み、さらには自衛隊へ入隊するという進路につながったのだと思います。
──高等部での思い出をお聞かせください。
2年と3年で担任だった林和子先生とは今でも年賀状のやり取りをしています。厳しい時は厳しいのですが、しっかり面倒を見てくださいました。修学旅行で広島の平和記念公園、宮島や、萩・津和野を巡ったのが楽しい思い出です。
──大学での学びで印象に残っていることをお聞かせください。
国際関係を学びたいという思いはずっとあり、さまざまな国や地域の歴史や情勢を知ることが好きでした。厚木キャンパス(2003年3月閉学)は通学が大変でしたが、新しくてきれいなところは快適でしたね。
大学生活で一番よかったと思えるのは、衛藤瀋吉先生のゼミに入ったことです。衛藤先生には本や資料からどのように考え、何が問題で、どう解答を導けばよいのかといった、いわゆる思考過程を教えていただきました。そしてその思考をいかにまとめればよいかなど、物事の考え方の多くを学びました。「敗北を認めなければ誰にも敗北などありえない」「真実の敗北は負けたと思った瞬間に始まる」という先生の教えは、今も私の生きる指針となっています。ゼミで苦楽を共にした仲間とは、今でも毎年集まって衛藤先生のお墓参りに行ったり、懇親会を開いて先生の思い出話に花を咲かせたりしています。当時、国際政治経済学部は創設2年目と新しい学部だったせいか、ゼミ生だけでなく、みんな仲がよかったですね。クラスの団結も強くて、私もよくテニスや旅行などに参加して楽しく過ごしました。
学部では衛藤先生だけでなく、猪木正道先生をはじめ、多くの素晴らしい先生方との出会いがありました。たくさん本を読まなければならないのは大変でしたが、それらの本や先生方の講義から、学ぶ楽しさや知識を得る喜びも知ることができました。大学4年間で「何を疑問に感じ、どんな問題意識を持つ必要があるか」という思考を身につけられたことは、現在の自衛官人生でも大いに役立っています。
──いつ頃から自衛隊に入隊しようと思われたのですか。
大学で国際情勢や安全保障論関係について学んでいくうちに、スパイはともかく(笑)、今後も各国の情勢や軍事戦略などの情報分析をしたいと考えました。それを最も具体的に仕事として行えるのが自衛隊だと思い、大学4年の春に自衛隊の幹部候補生学校を受験しました。
両親に自衛隊に入隊すると伝えると、たいそう驚いて反対されました。親戚や知り合いに自衛官や関係者がいなかったので、心配だったのでしょう。しかし衛藤先生が両親に話してくださるなど応援していただいたおかげで、無事に入隊することができました。今、航空自衛官という私があるのは衛藤先生のおかげです。
──自衛官になるためにはどのような方法があるのでしょうか。
幹部自衛官になるには防衛大学校に入るという道もあるのですが、女性が入校できるようになったのは1992年からで、私が進学を考えた時はまだ男子校でした。そのため、女性が幹部自衛官を目指す場合は、大学卒業後に幹部候補生学校に進むという道しかありませんでした。防衛大学校で4年間学んだ人たちも卒業後に入校し、一緒に学びます。
──航空自衛隊はご自身で決められたのですか。
陸・海・空自衛隊の中で空自は一番自由というイメージがあり、女性が活躍しやすいのではと感じたからです。奈良にある空自の幹部候補生学校で約1年、自衛隊のイロハから学びました。法律や英語の授業など座学もたくさんありましたし、体力練成や自衛隊の教練、いわゆる「気をつけ」とか「敬礼」などの動作を学んだり、射撃の訓練をしたり……。毎日本当に忙しくて、ラッパの音で起こされる起床から就寝まで分刻みのスケジュールです。常に時間に追われ、休む間もありませんでした。実家以外で暮らすのは初めてですから、寮での団体生活も当然初めてです。アイロンがけは自衛隊では厳しく教育されることの一つですが、これまではアイロンどころか洗濯も親がしてくれていたわけで、自分で行って初めて親のありがたみを実感しました。同期の女性4名と力を合わせ、助け合い、無事卒業することができました。
──女性隊員が少ない時代、ご苦労も多かったのではないでしょうか。
さまざまな場面で女性が一人ということは多かったですが、在学当時の国際政治経済学部は圧倒的に男子学生が多く、男性が多い環境に慣れていたのか(笑)、私自身は特に意識したことはありませんでした。入隊したのは1987(昭和62)年、男女雇用機会均等法が施行された翌年です。その後、時代は平成となり、諸先輩方の努力によって「職場の華」ではない婦人自衛官の存在が徐々に認められるようになっていきました。女性自衛官ではなく婦人自衛官と呼ばれていたことにも時代を感じますね。
女性の活躍が評価されるようになりつつある一方で、女性の隊員は男性に比べて圧倒的に少ないので、女性の宿舎や更衣室がないといった物理的問題はありました。
幹部候補生学校を卒業したての3等空尉は、最初に全国各地にある小さな部隊に配属されるのが一般的です。自衛隊では各人が持つ専門分野を「職種」と言い、私の職種は「情報」だったので、当時は北海道のレーダーサイトが初任地となるのが通例でした。ところがそのレーダーサイトに女性用トイレがないということで、航空幕僚監部といういわば空自の頭脳に当たる調査部が最初の職場になりました。そのような時代を経て、現在は男女の性差によらず、各人の能力や適性で職種が決まり、男女平等が徹底されています。かつて女性が就けない職種制限もどんどん解除され、「映画『トップガン』を見てパイロットに憧れた」と入隊してきた女性隊員は、平成が終わりに近づいた2018年、自衛隊初の女性戦闘機パイロットになりました。
──その後、ご経歴を見るとさまざまな部隊や部署を経験されながら、昇任されています。
初めて部隊長となったのは青森県三沢基地の第1警戒資料処理隊でした。何をするにしても緊張していましたね。昇任については運やタイミングもあると思いますが、自身の努力を上の人が見ていてくれたことについてはうれしく思います。ただ、多くの組織に共通して言えることだと思いますが、どんなに現場の仕事が好きでも年齢や階級の変化に伴い、管理職的仕事が多くなります。
──2017年には女性初のミサイル防衛部隊指揮官に就任されました。
第6高射群司令を拝命した前後は、他国が発射した弾道ミサイルが日本の領空を通過している時期でした。第6高射群はそのようなミサイルを迎撃する部隊なので、24時間携帯電話を手放せない緊張感がありました。戦闘部隊で国防の一翼を担いたいという思いもありましたので、指揮官として勤務できることにはやりがいも感じました。
──そして2018年に空将補に昇任されました。空自女性自衛官ではお二人目と伺っています。
責任も重大ですし、しっかりやっていこうという思いを新たにしたと同時に、後輩たちのためにも失敗してはいけないと改めて感じました。
気がつけば、「女性初」とか「女性で○人目」といった冠が付かないほど、女性の活躍は当たり前になりつつあります。私はまさに自衛隊で「女が?」と戦力外扱いされる時代と、「女が!」と、実力に驚かれる時代、さらに「女ですが?」と当人も周囲も任務で性別を意識しない、そんな変遷をすべて経験してきた世代なのでしょう。
──座右の銘はありますか。
いくつかあるのですが、まず思想家で詩人のラルフ・ワルド・エマーソンの「その日その日が一年中の最善の日なり」。今日という日を大切にする、今日しかない、今このかけがえのない瞬間を精一杯生きて楽しむという姿勢は、日々を充実させてくれます。これは聖書の言葉、マタイによる福音書の「明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である」にも通じると思っています。
そしてもう一つ、「忘れる。頭を上げる。前進する」。この言葉は打海文三の小説『応化戦争記シリーズ』の主人公が言っていた言葉です。このような小さいけれど前向きな強さが自分を守り育て、未来に進む勇気を生み出すと思っています。もちろん失敗したら反省し教訓を得ることも大切ですが、気持ちとしては、失敗をいつまでも引きずらないようにしようと努めています。
──いつ起こるかわからない有事への心構えはいかがでしょう。
自衛隊は日本の独立と国民の安全を守るのが責務です。自衛官は全員、入隊時の服務の宣誓で「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」ことを誓っています。身をもって日本と日本国民を守ると宣誓し、入隊するのです。その上で大事な部下を守る必要もあります。荒木飛呂彦さんの漫画『ジョジョの奇妙な冒険』第5部に登場するブローノ・ブチャラティに「『任務は遂行する』『部下も守る』『両方』やらなくっちゃあならないってのが『幹部』のつらいところだな。 覚悟はいいか? オレはできてる」というセリフがあるのですが、まさにその通りですね。このようなとき胸を張って「覚悟はできている!」と言えるよう、努力を続けていきたいです。
──今後の自衛隊のあり方についてお考えをお聞かせください。
自衛隊はいかなる時でも脅威に迅速に対応し、日本の独立と平和と安全を守っていかなければならないので、宇宙、サイバー、電磁波といった新たな領域における各種能力の向上は不可欠です。特にAIの活用や無人化などは技術の進歩の速さが著しく、自衛隊も遅れないようにしなければなりません。技術的なこと以外では、多様性への対応も重要です。軍隊は歯車のようにみんなが同じ行動をしてこそ能力を発揮するという特性があるため、多様性とは親和性が低い面もありますが、社会構造の変化には対応する必要があると思っています。
──時代の急激な変化を感じていらっしゃるのではないでしょうか。
私が入隊して間もない1991年にソ連が崩壊した時、これからの世界は民主化へと進み、リベラルな国際秩序の普遍化がなされていくと盛んに言われました。ところが30年経った今でも、自由で公正な選挙ができない権威主義国家が世界の約4割を占め、しかも増える傾向にあります。統治しやすい非自由主義体制とポピュリズムの拡大なども考えると、多様なイデオロギーを持つ多極化した世界になっているように思います。さらに今年はロシアがウクライナを侵略する事態が発生しました。力による現状変更は国際秩序の根幹を揺るがす行為であり、決してあってはならないことです。自衛隊もさまざまなことに強い関心を持って注視しているところです。
──退官後にやってみたいことはありますか。
自衛隊は転勤が多いので、通常、基地のそばの官舎に入居します。私は動物が大好きなのですが、官舎では犬猫などの飼育は禁止です。ですので退職したら自宅にワンちゃんなどを迎えて、一緒に散歩するなどゆっくり過ごしたいですね。また、入隊以後触れていなかったピアノも再開したいです。いずれにしても青学で育ててもらったことは私の誇りですので、退官後もそのプライドをしっかり持って生きていきたいと思います。
──最後に在校生にメッセージを。
前職の第4術科学校長兼熊谷基地司令の時の指導方針は「夢を見ろ」でした。これは吉田松陰の「夢なき者に成功なし」から取っており、正式には「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし、故に、夢なき者に成功なし」です。夢というのは自分の人生に対するビジョンであり、夢を持ちその実現のために努力することで、人は成長し、運命を切り開けると思います。夢や目標がなければ、どんな能力があっても活かされません。若い皆さんには将来への大きな夢を持ち、前進してほしいと思います。
まだ将来の夢も目標も見えていない人には「人はなろうとするものになる」と伝えたいですね。その時「いいな」と感じたことに一生懸命になる、その積み重ねはきっと未来の「これをやりたい」へとつながっています。やりたいことが途中で変わるのだってまったく問題ありません。自然なことだし、むしろ進化とも言えます。今、その瞬間にやりたいことに全力を尽くすことで、きっと次の段階が見えてくるはずです。