Interview インタビュー あおやま すぴりっと

青山で芽吹き、仕事の中で育まれた「誰かのために」の精神〈校友・高橋克典さん〉

俳優として常に第一線で活躍を続ける高橋克典さん。2024年の青山学院創立150周年に際しては「ブランドアンバサダー」に就任。2024年9月に開催された大学同窓祭では実行委員長を、2025年3月に行われた創立150周年記念演奏会では司会を務めるなど、母校との縁は続いています。

初等部から青山学院で学ばれた高橋さんは本学で、助け合う思いやりの精神が形成されたと話されます。

今回の堀田宣彌理事長との対談では、青学での思い出、俳優という仕事について、そして本学に期待することなどを語っていただきました。

(2025年3月16日インタビュー)

 

[聞き手]
青山学院理事長 堀田 宣彌 HOTTA Nobumitsu

 

スクール・モットーを体現 ボランティア活動を積極的に

──高橋さんには本学の150周年のブランドアンバサダーとして多大なご協力をいただきありがとうございました。
母が青山学院女子短期大学の教授を務めていたことや、息子が高等部に在籍中で、3代にわたって青学にはお世話になっているご縁で、記念すべき年のお手伝いができて大変光栄です。僕が初等部4年に在籍していた当時に100周年を迎え、幼稚園から大学までオール青山の総勢約4000名が参加した総合体育祭を思い出します。それから50年が経ちました。司会を務めさせていただいた、創立150周年記念のフィナーレを飾るオール青山のサントリーホールでの記念演奏会も素晴らしかったです。

──そうですね、フィナーレにふさわしい演奏会でした。私自身も記念すべき節目に理事長でいられたことを、大変恵まれていると思っています。高橋さんは長年青山学院に関わっておられますが、本学にどのような印象をお持ちですか。
青学の「地の塩、世の光」というスクール・モットーには奉仕の精神が根底にあり、幼稚園や初等部など、青山学院に通っている子どもたちにはその精神が染みついていることを期待します。人のために何かするということが基本になっていて当たり前というか、行動の骨幹になっていることを。

また、青学では大学からの出身者も奉仕の精神や愛校心がある学生も多く、今なお母校に貢献している方が多い。スクール・モットーがしっかり浸透しているのかなと感じます。青学の経営スローガンで、一人ひとりの個性を大事にする「Be the Difference」も今の時代にふさわしく、その精神を身につけた多くの卒業生が各界で活躍されています。

自分にも何かできないかと考えていたところ今回の150周年でお手伝いをすることができました。特に、青学は奉仕の精神の中でもボランティア精神が大きなベースにあります。若いころは仕事をするのは自分のためと考えますが、やっていくうちに誰かのためにしているのが仕事だと気がつきました。学院にはもっと、ボランティア活動にも力を入れてほしいですね。

 

 

──2024年度の大学同窓祭〜グリーンフェスティバル〜では実行委員長を務めてくださったり、高橋さんが本学に惜しみない協力をしてくださいました。
在校生や卒業生が誇りを持てる学校であってほしいという思いがあります。大学同窓祭に関わることになり、僕にできることは何かと考えたとき、真っ先に思いついたのがチャリティー朗読劇でした。メインイベントのキャスティングを保護者の皆さんにお願いしたり、チャリティーイベントにしようという話になってからはスタッフみんなと、卒業生や青学ファミリー一丸となって作り上げました。これは青学だからできることです。

──大学同窓祭での朗読劇は高橋さんをはじめ錚々たるキャストで、大盛況でしたね。
また、さまざまな社会での経験や活躍をされている保護者の皆さんがいて、自分の子どもも含めた子どもたちをほかの保護者と一緒に育て合うところが、非常に良いところだと思います。これがどれほど貴重なことか。子どもたちは社会に出て大人になってから「恵まれた環境で惜しみなく愛情を注がれ育ててもらった」と知ることでしょう。

 

楽しい思い出満載の初等部 ラグビーに打ち込んだ中等部

──初等部から在籍されていますが、青山学院での思い出をお聞かせください。
初等部時代には伊藤朗先生がよく大きな声で「感動してますか!」と言われていました。子どもたちに対して本気で「感動しない人生なんか意味がない!」と。それも心に深く残っています。

そして初等部ではいろいろな行事が本当に楽しかったですね。オール青山が参加するクリスマス・ツリー点火祭も楽しみで、キャンドルサービスの厳かな雰囲気や、初等部の児童がクリスマス・キャロルを歌うなど大好きな行事でした。雪の学校には、大学生のときに学生リーダーとしてボランティアでも参加しましたね。そのときは雪がまったくなくて、ボランティアのメンバーに運送会社の息子がいたので「ほかのスキー場から雪を運んできてくれない?」など、本気で話していました(笑)。でもそれくらい、子どもたちに雪の学校を経験させてあげたい、6年生に卒業セレモニーをしてあげたい思いでした。ところが追い打ちをかけるように雨が降り出して、わずかばかり残っていた雪も泥まみれになってしまいました。それが、ある時間から雨が雪に変わったんです。どんどん降り積もってあっという間に白銀のゲレンデができて、あれはうれしかったですね。

──大学生の時から学生リーダーとしてボランティアをするなど、その頃から奉仕の気持ちを持たれていたのですね。初等部時代も楽しく毎日を過ごされたようですが、中等部はいかがでしたか。
中等部ではラグビー部とバンドの思い出が大きいですね。幼い頃からピアノを習い、初等部ではトランペット鼓隊に所属して音楽に親しむ生活を送っていました。中等部に進学してから運動をしたくなりラグビー部に入り、思いきり体を動かす楽しさを知りました。チームで一丸となることや「One for all, All for one」の精神も生まれ、良い経験となりましたが、活動中に鼻の骨を折る怪我をしてしまいました。当時はバンドにものめり込んでいたので、その後演奏や歌でも自信をつけることができました。音楽に夢中になったことが現在の仕事の起点になりましたね。何よりも僕の精神的な基礎は初等部とラグビー部で形成されたと思いますし、助け合う思いやりの精神や頑張ればやり遂げられるという体験は、現在の仕事にも活かされています。

 

 

外の世界に憧れた青春期 エンターテインメントの道へ

──高等部ではどのように過ごされたのでしょう。
ラグビー部は1年まで続けていましたが、学校の中に自分に合うものが見つけられず青学の外の世界に興味津々でした。当時はアメリカのハイスクールを舞台にした楽しい学園生活を扱った映画がたくさんあって、音楽ありダンスありの彩りに満ちた世界に憧れました。現実には映画のようにはいきませんでしたが、今も高等部で続いている「ミュージックフェスティバル」は、僕たちの一つ上の先輩が立ち上げたイベントでした。僕も第1回は集会委員として参加し、翌年の第2回には委員長として参加しましたよ。

──そうでしたか。そして大学では経営学部に進学、随分長く在籍していただいたようです(笑)。
7年在学、2年休学の計9年ですね。実は初等部3年のときに家庭が経済的に厳しい状況に陥ったのですが、それでも親は青学に通わせ続けてくれました。それなのに僕は何のビジョンもないまま「経営学部でいいかな」くらいの気持ちで大学に進み、卒業後の進路も周囲は真剣に考えて就職活動をしているのに、音楽中心の家で育ったせいか、就職して働くイメージがわかず、むしろ当たり前のようにエンターテインメントの世界での自分の道を考えていました。

在学中、ファッションショーでモデルさんに服を着せるというアルバイトをしていた時期があります。そのとき「君が着てみたら」と言われてモデルの仕事を始め、その流れでバンドのオーディションを受けたら2万6000人の中から選ばれて大喜びでした。さらにミュージカルに出演する機会をいただいたりと、仕事が忙しくなり、大学に行く時間もままならなくなりました。そのため学生課に退学届けを出したのですが、受理した職員の方がラグビー部のOBで、しかも女子短大の教授であった母と親しい間柄だったこともあり、出したはずの退学届けがなぜか自宅のテーブルの上に置いてあって(笑)。親には申し訳ない思いでいっぱいになりました。

 

誰かの喜びに そして団らんの中心に

──モデルや音楽、ミュージカルなどの先に俳優への道があったのですね。俳優としてのターニングポイントになった出来事はありますか。
お世話になった人が事務所を立ち上げたので、そこに所属してオーディションを受けるようになり、次第に俳優業がメインになっていきました。転機となった作品は二つあります。一つは、主演したドラマ『サラリーマン金太郎』です。ヒットするなど恵まれてはいたものの、いろいろ思うところがあり、役者を辞めようと思った時期がありました。ぶらりとツーリングに出て、人が住んでいるのだろうかと思うほどの田舎にたどり着いたとき、そんな土地にも僕のことを知ってくれている人がいたのです。しかもドラマを見てくれていて、「金ちゃん」と呼んでくれて。「役者というのはこんなに楽しんでもらったり、好きになってもらえたりする仕事なんだな」と気づけたことで、辞めようか、という思いが覆りました。

もう一つは、緒形拳さんがお声がけくださったNHKドラマ『翔ぶ男』への出演です。演じたのは有能な若き指揮者でありながら殺人の容疑で緒方さん演じる刑事に執拗に追われる役なのですが、脚本を読んだとき、何も考えなくていいくらい、演じる人物の言葉の裏側にある気持ちが感じられたんです。それまで少女漫画から飛び出してきた王子様のような役が多かったので、立体的な人間像を盛り込める奥深い池端俊策さんの脚本に出会えたことは大きな転機でした。

 

 

──もし役者を目指す人がいたら、どんなアドバイスをしますか。
「人生台なしにするつもりの覚悟が必要です」と伝えたいですね(笑)。一方で、ものすごく魅力がある面白い仕事でもあります。最初は有名になってうれしいとか、そういう浅い部分で喜んだりするのですが、応援してくださる方に接していくうち、「誰かのために」という気持ちが次第に生まれます。「来週のこの日が楽しみだ」「あの番組を見るのが待ち遠しい」と思っていただけるのは、役者冥利に尽きます。

──役者は武士になったり犯罪者になったり、普通ではありえないさまざまな人物の人生を経験されます。これもすごいことですよね。
今もNHKの『大岡越前』の撮影で江戸と京都を行き来していますから。

──不規則な生活は大変そうです。オンとオフの切り替えはどうされていますか。
きわめて曖昧ですね。土日が休みの方なら、週5日働いたら、基本的には週末は家族との時間を存分に過ごしたり、趣味に没頭したり、仕事に追われることなく休日を過ごせるわけでしょう。役者は、現場以外の空いている時間はすべて準備の時間になってしまいます。いつでも準備と焦りと恐怖がセットです。

──準備と焦りと恐怖。そのような重圧と向き合いながらもなお俳優という仕事に魅力を感じられるのは、なぜでしょう。
家族の団らんの真ん中にテレビがあるという時代に育った世代なので、テレビドラマというエンターテインメントを楽しんでいただけるのはうれしいことですし、それがこの仕事の一番の魅力でもあると思います。

昔、真田広之さんなど俳優の先輩たちと、ハリウッドで朝まで飲んだことがあります。そのとき「ハリウッドは日本のことを全然わかっていない」とこぼしていました。例えば、武士が帯刀する太刀の重さを知らないので、ありえないチャンバラシーンになってしまうと。それでもその先輩は「俺はここにとどまって頑張る、絶対何とかする」と言ったので、僕も僕の道で頑張ろうという思いを新たにした思い出があります。その先輩もハリウッドで見事に成功を収められました。一方の僕も、幼い頃に家族で見ていた『大岡越前』で主演させていただくことになったのは、感慨深いものがあります。

 


舞台『応天の門』在原業平役として出演の高橋さん
写真提供:明治座

 

生徒・学生ファーストの学校であり続けてほしい

──高橋さんの本学に対する愛情がある上での、あえて厳しい意見もお聞かせいただければと思います。
今はどこの学校でも先生方の働き方改革もあるため、学校の部活動を学校から切り離す傾向にありますよね。しかし、在校生は学校の誇りですから、やはり常に生徒・学生ファーストであってほしい。在校生の活動自体を、勉学しかり、部活動しかり、学院がしっかり支援していただければと思います。

また、「前例がない」という理由だけで、大人が子どもたちの可能性を摘むようなことがあってはなりません。生徒や学生の主体的な試みについて、青学は本来、認めてくれる、聞いてくれる寛容さがあると僕は思っています。「先生や学校を説得できるだけの材料を持ってきなさい」など、型からはみ出るにはどうすればいいのかというところまでの指導を期待したいですね。

給付型奨学金については、堀田理事長が本当に尽力してくださっていることをよく存じ上げています。更なる要望として、大変だとは思いますが、文化系・体育会系いずれも結果を出して青学に貢献してくれた人に対しては、報奨金や給付型奨学金制度を設けるのもいいと思います。大会で優勝したり優秀な成績を収めたりするには、単に「好きだから」だけでなく、その結果を得るための努力と、その過程で数えきれないほど悔しい思いや辛い思いをしているはずです。高等部の優秀な生徒が他大学に入学してしまうのは非常に残念なことだと思いますので。

──貴重なご意見をありがとうございます。最後に在校生へのメッセージをお願いします。
大事なことは後からわかってくると思うので、在校中は好きなことを思いきりやって道を見つけてくれれば。ぜひ、自分にとって面白い、楽しいと思えることをしてください。ただし「楽しい」思いにたどり着くまでには、楽しくないことがきっとあります。だからといって安易な「楽しい」で終わらせず、楽しくないことを乗り越えた先にある「楽しい」を体感してほしいです。ちょっとやそっとじゃ自分が辞めないだろうなと思えるほど好きなことを探す、見つけだすことも大事だと思います。そしてやってみるとそこからまた出会いもあるので、「始める」ことを大切にしてください。

──本日はありがとうござました。 

 


高橋 克典 さん TAKAHASHI Katsunori

1964年生まれ、神奈川県出身。青山学院初等部、中等部、高等部卒業、大学経営学部出身。母は青山学院女子短期大学名誉教授の好子さん(故人)。
1993年に歌手デビュー。以降、俳優としても数多くの映画やテレビドラマで活躍。
2024年の大学同窓祭でメインイベントプロデュース・演出を務め、出演。
青山学院評議員、理事長諮問委員。青山学院創立150 周年のブランドアンバサダーを務めた。

 

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「青山学報」292号(2025年6月発行)より転載
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