Story ストーリー

解体されるウェスレー・ホールとその歴史

大学新図書館棟の建設(2024年4月開館予定)に伴い、2022年2月から12月までの工期で、ウェスレー・ホールおよびアイビーホール青学会館新館の解体工事が始まっています(施工業者:清水建設株式会社)。別れを惜しみ、ウェスレー・ホールのこれまでの歴史を振り返ってみたいと思います。(本部広報部)

 

建学の精神を象徴する建物として

1968年9月、青山学院創立90周年記念事業の一つとして「青山学院宗教センター・ウェスレー・ホール」が建設されました(ページトップの写真。建設直後のウェスレー・ホール〈1968年〉)。


④がウェスレー・ホールの位置

 

アメリカのメソジスト教会からの多額の寄付を得て建てられたもので、キリスト教の宣教の使命と、青山学院の建学の精神を象徴する建物として、青山学院の人格教育の中核であるキリスト教教育のために、各種宗教活動を企画・推進する宗教センターが置かれました。同年の創立記念日である11月16日に献堂式が行われました。その使命の大きさから、献堂式には、キリスト教学校教育同盟やIBC(Interboard Committee on Christian Work in Japan)の関係者も参列されました。そしてこの時「ウェスレー・ホール・ニュース」も創刊されました。

ウェスレー・ホールは学生たちのキリスト教活動の場として利用されたほか、3階には展示施設としての青山学院記念室が設けられました。この後、1978年3月に、間島記念館に「青山学院資料センター」が設置されたことから、記念室に展示されていた資料はすべて資料センターに移管した、と記されています。

1979年1月、青山学院記念室のあった3階にウェスレー図書室が設けられ、1月25日に開所式が行われた旨が「青山学報」92号(1979年3月発行)に記されています。ウェスレー・ホールの名前は、メソジスト教会の創設者であるジョン・ウェスレーとチャールズ・ウェスレーに由来しています。その関係資料を収集・保管するためにウェスレー図書室が設けられました。

 

青山学院宗教センター・ウェスレー・ホール 各室の配置図
「青山学報」92号(1979年3月発行)より

 

善行を表彰される

1980年には、宗教センター・ウェスレー・ホールが、一般社団法人日本善行会から表彰を受けています。政治や宗教、思想を超えて明るく住みよい社会を作るために善行運動の推進に努め、善行を尽くしている団体・個人を表彰するもので、宗教センターが中心となり、献金を集め、各種社会福祉施設に贈り、学生たちが奉仕活動を行ってきた活動に対する表彰でした。

 

改修と事務室の移転

青学会館に新館を建てることになり、ウェスレー・ホールの一部も取り壊すことになります。ところがその工事の影響でウェスレー・ホールが傾いてしまい、1993年9月に、宗教センターが間島記念館に移転することになりました。

 

そして1994年4月にアイビーホールに新館が完成し、宗教センター事務室が再びウェスレー・ホールに戻ります。しかし、それ以外の間島記念館に移った部屋は、そのまま間島記念館に残りました。

また、校友会事務局も青学会館に戻りましたが、3階の同窓会事務室はウェスレー・ホールに残り(青山さゆり会解散後、教職員組合事務室が入る)、2022年に至ります。


1996年11月の図面より3階の配置図

 

このとき、ウェスレー・ホールの西側にあり、取り壊された集会室は、アイビーホール新館1階に設けられました。

 

ガウチャー・メモリアル・ホール

古くなった大学礼拝堂を建て替えることになり、2001年9月、ガウチャー・メモリアル・ホールが完成しました(9月22日献堂式)。当初、宗教センター事務室も新しい建物に入る予定でしたが、諸事情により間島記念館に移転することになりました。

宗教センター事務室の移転後、ウェスレー・ホールの建物内の各部屋には、様々な事務部署などの移転の変遷がみられました(下表)。

 

そして、大学新図書館棟の建設に伴い、ウェスレー・ホールは解体されることになり、その歴史に幕を下ろします。

かつてウェスレー・ホールで勤務されたことがある職員の方に思い出を伺いました。

 

エピソード

当時・宗教センター事務室勤務 現・中等部事務長
武田 英稔

 

ウェスレー・ホールは職員になって最初に配属された場所でもあり、思い出もたくさんあります。

建物すべてがキリスト教活動に関わる部屋でした。学生たちが聖書を読んで、讃美歌を歌って、お祈りしたり、ハンドベルの練習などの活動をしていました。

2・3階には宗教主任の先生方の部屋がありました。2階には祈祷室があり、中等部の小坂圭二先生がデザイン・作成した十字架や祈りのための椅子があったのを覚えています。3階にはウェスレー関連の図書室がありました。

ウェスレー・ホールと東門の間に職員が住んでいた家屋(元宣教師館)があり、取り壊してアイビーホールの新館を建て増すことになりました。ところが工事の影響で、ウェスレー・ホールが傾いてきて、特に宣教師のクランメル先生のお部屋が傾いて危険になったため、工事期間中、間島記念館に事務所を移転することになりました。また、その工事の最中に遺跡が見つかり、その遺跡調査も加わったため、工期が延びることになりました。アイビーホールの新館ができて、ウェスレー・ホールも補強され、宗教センターもウェスレー・ホールに戻ってきました。

工事の時に、ウェスレー・ホールの建物の一部も減らされて、アイビーホール新館の1階に談話室が設けられました。

その後、大学礼拝堂を新しく建て、その建物に宗教センターも移転する、ということになりました。2001年に完成したガウチャー・メモリアル・ホールです。ところが、教室数を優先することになり、事務室は一緒に入ることができず、間島記念館に移ることになりました。

 


解体工事直前の様子(2022年1月14日撮影)

解体工事直前の様子(2022年1月14日撮影)
掛井五郎先生作「黙示」(1967年)→ 本部棟の脇に移動しました

解体工事直前の様子(2022年1月14日撮影)
建物入口の壁に掲げられた「青山学院教育方針」

解体工事中の様子(2022年6月30日撮影)
赤枠がウェスレー・ホール 青枠が青学会館新館

 

〈参考文献〉
・「青山学報」各号 
・「青山学院広報」各号
・管理部資料(図面ほか)