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青山学院 由来の地探訪プログラム【後方支援編】

青山学院は、明治時代に米国のメソジスト監督教会から派遣された3人の宣教師が設立した学校がルーツとなっています。この度、創立から150年の節目に、教職員8名からなるワーキンググループを組織し、米国における学院由来の地を訪ね、そのルーツを探るプログラムを実施しました。メンバーは「団長」「学院史」「国際交流」「広報」「校友会」「後方支援」担当で構成され、全12回に及ぶ事前学習会を経て、自ら掲げた20以上のミッションに臨みました。

 

青山学院 由来の地探訪団員

 

「青山学院 由来の地探訪プログラム(以下、本プログラム)」は、創設者4名の由来の地を探訪し、調査することを主なミッションとしていましたが、今回、「後方支援編」では、このプログラムが誕生するまでの秘話とさらに団員が現地ですべてのミッションをクリアすべく奮闘した2名の後方支援活動について報告します。

 

「青山学院 由来の地探訪プログラム」のはじまり

どこに行くの?

「青山学院由来の地訪問ツアー」。創立150周年記念企画を学内で公募した2023年3月、このタイトルのアイデアが応募されました。その時点では、150年前に宣教師が降り立った日本の地である横浜や青山学院記念の地碑(海岸女学校跡)のある築地を巡るツアーを想定していました。しかし、ここで疑問が沸きます。青山学院の歴史は宣教師が派遣される以前からではないだろうか、なぜスクーンメーカー氏が、ソーパー氏が、マクレイ氏が日本に派遣されることになったのか、なぜ彼らは宣教師になり日本に学校を作ろうと思ったのか、日本に来る前にこそ、この答えがあるに違いない、そのルーツを探ることが、150周年の節目の年の使命(ミッション)なのではないか!

とすると由来の地とはどこか・・・? アメリカだ!!! こうしてアメリカの由来の地を巡る企画を立案することが決まりました。しかし、広いアメリカのどこに行けばよいのでしょう? 

青山学院では、国内の宣教師由来の地を訪ねることはあっても、アメリカにまで遡って訪ねたことはほとんど無く、資料も少なく、どこに行けば良いのやら・・・。

そうだ、シュー土戸 ポール先生(青山学院宣教師)に聞いてみよう!

これを始めの1歩として由来の地の企画立案がスタートします。

シュー先生からは、西海岸では、マクレイ氏の弟が創設し、自身も学校長を務めたマクレイ神学校(現:クレアモント神学校)、東海岸では、ガウチャー氏が創設したボルチモア女子大学(現:ガウチャー大学)及びラブリーレーン合同メソジスト教会、ソーパー氏や本多氏が学んだドリュー神学校(現:ドリュー大学)の資料館などをご紹介いただきました。さらに、シュー先生はガウチャー大学の学長、クレアモント神学校校長ともいずれも連絡を取り合う仲であり、日程が決定すれば連絡も取っていただけるとのこと。こうして、訪問先が少しずつ決まっていきます。

◆参考:Aoyama Gakuin Archives Letter14号(2016年7月25日号)

 

その頃、スクーンメーカー氏の研究のためシカゴに行っておられる河見誠先生(大学コミュニティ人間科学部教授)が、このツアーに協力してくださるとのお知らせをいただきました。まさに渡りに船?いろいろ教えてほしい!

そして、やっぱり頼りになるのは青山学院史研究所。所長の小林和幸先生や日向玲理先生、佐藤大悟先生にいろいろと教えていただきました。
 
せっかくアメリカに行くのであれば、由来の地を訪ねるだけではもったいない。大学の協定校や現地留学生との交流、校友会支部との交流もしてきたら良いんじゃないかな~。だんだん欲が出る。

青山学院校友会の海外21カ所に設けられた支部のひとつとして、ロスアンジェルス支部があり、この支部の皆さんが毎年欠かさず創設者3名の眠る墓地を訪ねてくださっています。せっかく校友の皆様が集まるのであれば、この機会を逃すわけにはいかない!との勘が働きます。

こうして、大学の協定校であるガウチャー大学との交流や校友会ロスアンジェルス支部との交流などが加わります。サプライズ訪問ではないので、まずはロスアンジェルス支部の支部長に連絡を取ることにしました。支部長の矢島成倖氏は青山学院の先輩だけど初対面、受け入れていただけるだろうか?ちょうど2023年9月、支部総会のために来日していらした時に時間をいただけることとなり、今回の企画の趣旨などを説明に行く。やっぱり最初はこちらもカチコチで、矢島氏も表情が硬い。でも、話しているうちに、ロサンゼルスの交通事情や宿泊先、行程についてのことなど、現地滞在中の具体的なアドバイスまでもいただきました。

相談が終わる頃には笑顔を向けてくださり、訪問OKのお返事。
かくして、広いアメリカの東と西にわたる行先が決定します。

 

いつ行くの?

アメリカが広すぎて距離感がわからない、何日あれば、行先をすべて回れるのだろう?これは旅行会社にアドバイスをもらわないと、自分たちだけで行程を組むのは無理でした。そこで、国際部で学生の渡航をサポートしている旅行会社の協力を得て、行程を作ってもらいました。

そして、東→西で、最低でも8泊9日かかることが分かりました。でも、時期は、ツアー代金ができるだけ安価な時期にしなければ。この行程を考え始めた頃から、あろうことか円安の真っただ中、そんな時期があるのか?それでもできるだけ安価である10月下旬から11月初旬を選びました。

 

誰が行くの?

ところで、最も大切なことを忘れていないか。この8泊9日の大陸横断強行日程に参加してくれる教職員がいるのか・・?

業務命令で、ということも考えられるけれど、できるだけ志を持って行ってくれる人がいいね。まず、リーダーを決めよう。迷わず、伊藤悟先生。なぜなら「折角150周年の節目なら、日本ではなく米国だよね。」冒頭でアメリカに決まったのは実は伊藤先生の一言がきっかけとなっていたからです。

次に、歴史を紐解くわけだから学院史研究所の協力が不可欠だよね。所長の小林先生に相談してみよう。本学のご卒業生で数々の知見をお持ちの土肥歩先生をご紹介いただきました。それはまだ土肥先生が2024年4月に本学に着任される前のことでした。

さて、当然、職員からも誰か行ってもらおう。ということで、誰か手を挙げてほしいと思い、10年ほど前に人事部が創設した学内業務助っ人制度「ニコニコお助けプログラム」で募集してみることに。協力者募集のチラシも作成し、呼びかけを行いました。

 

 

参加者を募るためのチラシ
参加者を募るためのチラシ

 

ポータルサイトで募集を開始したわずか数分後、「応募者来ました!」想定外の状況にびっくり。その日のうちに国際部の坂田博希さん、学務部の江口大生さん、2名の応募。誰か応募してくれるかな~とドキドキする間もありませんでした。どちらかと言うと、返信の手順を整えていなかったので、あまりの応募の早さに慌てたほどです。

次に記録のための写真を撮ってもらったり、海外へ学院をPRするノウハウを持った職員がほしいね。大学の事務局長に相談してみよう。大学広報課の久場川レオナルド誠智さんに即決定。

最後に、総合企画部が中心となって企画立案している訳だから誰かひとり。衣斐宏亮さんが喜んで手を挙げてくれました。

これにてアメリカ行きの6名が決定。もちろんそれぞれの上長も快く承諾してくださいました。

渡航メンバーの6名が決定しましたが、協定校を表敬訪問するのであれば、大学執行部の先生にも同行いただいた方が良いのでは?ということで、国際担当の内田達也副学長に打診しOKのお返事。授業と会議の合間を縫い、ガウチャー大学訪問のスケジュールに合わせて、3泊4日(現地滞在約1日)の弾丸スケジュールにてご同行いただくことが決まりました。

そして、この企画の立案段階から参加している総合企画部の沼由美、原口知子は、アメリカには行きませんがプログラムが円滑に進むよう日本でのサポートに専念します!となり、「後方支援」という役割を拝命しました。

 

何しに行くの?

なんだかんだでメンバーも決まって、企画にリアル感が増し、身の引き締まる思い。行先それぞれに訪ねる目的をさらにはっきりせねば。

大きくは、ルーツを探ること(学院史)、大学の協定校との交流(国際交流を発展させること)、校友会支部との交流(校友との交流を深めること)、由来の地の映像記録やWEBサイトなどでの広報、さらに学院のことをアメリカ国内でPRすること(国際広報)の4つ。これらをメンバーで共有、役割を分担する中で、行先ごとの「Mission」をメンバー自ら課してもらおう。こうして、企画名称も「訪問ツアー」から「訪問プログラム」へ変更し、訪米前から、厳しいトレーニング(事前学習)が開始されました。

トレーニングのプログラムは、渡米しない後方支援の2人で決めましたが、いつしか、受動的なツアー形式ではなく、参加者自らが課題を見つけ、解決する形式のプログラムに変わっていきました。

 

トレーニングプログラム(当初案)
トレーニングプログラム(当初案)
広報活動についての勉強会
広報活動についての勉強会
広報の観点からプログラムの成果物についての話し合い
広報の観点からプログラムの成果物についての話し合い

 

トレーニングプログラムは各回のワーキンググループだけではありません。団員が夏休みなどを利用して自主学習ができるよう、スクーンメーカー氏、ソーパー氏、マクレイ氏、ガウチャー氏に関するそれぞれの参考図書(洋書を含む)を選定しました(もちろん、後方支援担当で多くの資料を読んだうえで効率よく学習できる図書を厳選しました)。

団員は、課題図書以外も自主的に関連図書を読んで学習し、ペアになってクイズを制作、発表(アウトプット)をすることで知識の定着を図りました。

 

創設に関わる人物の事前学習の内容をもとにグループワーク
創設に関わる人物の事前学習の内容をもとにグループワーク
創設に関わる人物の事前学習の内容をもとにグループワーク
創設に関わる人物の事前学習の内容をもとにグループワーク
資料から人となりを読み取り、グループワークで発表した人物のキャッチコピー
資料から人となりを読み取り、グループワークで発表した人物のキャッチコピー
ペアごとに人物についての発表を行った
ペアごとに人物についての発表を行った

 

こうしたワーキンググループを開催するにあたっては、開催の約1週間前には議題案を作成し、伊藤団長と打ち合わせを行うというのも後方支援担当の重要な役割でした。

当初は、出発前10回程度の開催予定日のうち、議題がなければ流会ということも考えていましたが、実際にやってみると次から次へと準備しなくてはならない項目が顕在化し、10回では足りない・・・という状況に。部署も所属もそれぞれ違う団員のスケジュールを何とか合わせて、日程を追加し、限られた時間のなかでワーキンググループを重ねます。毎回のワーキンググループは約90分間、それぞれのミッションとゴールを設定して集中して進めていきました。

 

鬼のトレーニングプログラム(最終版)。全17回となった
鬼のトレーニングプログラム(最終版)。全17回となった

 

後方支援は何もしなかったのか?

鬼教官のごとくほぼ毎週の事前学習会を設定し、アメリカへ行く6人にムチを打つ後方支援の2人でしたが、その2人にも陰ながらのミッションがありました。

訪米直前。準備に追われる毎日を過ごしました。旅行会社との契約範囲などの細かな取り決め、緊急時の連絡体制の構築、訪問先との詳細スケジュール調整、学内外広報、団員の参考資料集作成、出張に係る学内手続についての確認、イレギュラーな勤怠管理について団員及び所属長への説明など、直前の確認事項の整理などに追われる中、「お土産」の準備。行先ごと、渡す相手ごとにあわせた贈答品、見合う金額。持っていく数の割り出し、スーツケースに入れて持って歩ける大きさと重さの検討・・・ミッションインポッシブル。渡米前日。なんとか一人ひとりが持って行ってもらう「山」をテーブルに並べ6人に預けることができました(お土産総数は100個超!)。ちなみに早い者勝ちで小さな山から引き取られていきました。

 

手土産品一覧(150周年グッズを中心に)
手土産品一覧(150周年グッズを中心に)

 

また、訪問先にはせっかく貴重な時間をとっていただいているわけですから、学院のことを余すことなく知ってもらう努力も必要です。訪問団が現地で青山学院のPRに困らないよう(話題に困ったときに備えて)、ネタになりそうなウェブページやデジタルパンフレット、PR動画などを冊子にまとめた「二次元コードリンク集」を作成し、手荷物に含めました。

 

 

手土産とは別に、今回、校友会ロスアンジェルス支部の皆様には出発前から様々な情報をいただくなど大変お世話になったことや、現地で団員が交流会に参加をさせていただくことから、参加費を事前に海外送金する手配も行いました。ほかにも、資料提供や一眼レフカメラの借用、現地払資金の調達など学内の関係部署との連携など、細かな調整により本企画を応援していただける環境も整えました。

そして、いよいよ出発の日を迎えました。最後に残ったのは、訪米団を象徴する「団旗」。実は出発の前の週に到着する予定でしたが、入稿したデータに対して業者から注文がつき、納期が遅れてしまったのです・・・。後方支援の2名は、出発前最後のミッションを達成すべく、10月28日(月)出発当日のギリギリ午前中に納品された旗を手に、急ぎ羽田空港国際線ターミナルに集合する団員に届けました。何とか間に合ってホッとする2人でした。

 

羽田空港出発口にて。元気に旅立つ団員
羽田空港出発口にて。元気に旅立つ団員

 

そして、18時25分発の飛行機に乗り込むため出発ゲートに向かう団員を見送りました。
(土肥団員はミッション①を遂行すべく前日に出発していました)

 

姿が見えなくなるまで見送りました
姿が見えなくなるまで見送りました

 

アメリカ滞在中、連絡手段は主に TEAMS にて日本から現地での団員のやりとりを見守っていました。現地時間を常に意識し、寝る前に確認、緊急連絡のためスマホを枕元に置き、いつもより朝早く起きて、また TEAMS 確認・・の日々。アメリカとの時差は8~10時間。途中、サマータイムの終了を挟み、11月3日の午前2時に時計の針を1時間遅らせます。

現地から「朝食が用意されていない・・」との連絡、旅行会社の行程には含まれていたはずなのに・・。
「●●さん、どこですか?こっちで待ってますよ」との連絡、その後は連絡ない。無事に会えたのか???

大人旅なので心配はないのですが、なんだか気になる。それでも、日々送られてくる訪問先のレポートと写真で順調に進んでいることを確認し、ほっとしていました。そして、届いたレポートを速報に仕上げて学内ポータルサイトに掲載。

 

出発日の翌日、学内ポータルサイトに速報を掲載。大きな反響を呼びました
出発日の翌日、学内ポータルサイトに速報を掲載。大きな反響を呼びました

 

滞在中ごろ、11月16日(土)に開催される「青山学院創立150周年記念式典」にて上映する歴史動画の素材写真が急遽必要となり、すぐに現地の団員へ連絡。ガウチャー大学の資料館にて海外宣教(インド、エジプト、アジア圏など)の写真を取り寄せるミッションが追加となりました。(ガウチャー編:ミッション⑦

ガウチャー大学訪問直前のミッション追加にもかかわらず、団員からは「了解!」の連絡。タイトなスケジュールの合間を縫って、創設者に関わる貴重な写真が続々と送られてきました。こうして、無事、歴史動画「わたしたちのいしずえ ~Prologue~」を完成することができました。

その後、着々とミッションを達成していく団員を TEAMS で確認しつつも、日に日に連絡が少なくなります。20を超えるミッション、そして早朝から夕方までの過密スケジュールに体調を壊していないか、ちょうどアメリカ合衆国大統領選の投票直前でもあり、現地でのトラブルに巻き込まれていないか…。日本から遠くアメリカの地に向け、無事を祈る8日間は、まるでわが子を心配する母の気持ちでした。

11月4日21時10分、定刻に羽田空港国際線ターミナルに無事6名が帰国したことが TEAMS で連絡あり。

良かった、お疲れ様でした。

こうして、後方支援担当もようやく日本時間の生活に戻りました。

しかし、そんな時間もつかの間。創立記念式典の開式前に、本プログラムを報告したスライドを上映することになりました。とにかく、時間がありません・・・。由来の地探訪の余韻に浸る間もなく、早速準備にとりかかります。団員が撮影した数百枚の写真の中から何点かピックアップし、スライドショーに仕上げます。

当日は、青山学院講堂において、ご来賓、ご招待者、在校生、教職員など約1400名が参列し、盛大な式典となりました。会式前のわずかな時間ではありましたが、早めにお集りの皆様には、本プログラムの報告を楽しんでいただくことができました。

 


創立記念式典で上映したスライドショー

 

また、せっかく築いた訪問先との関係を絶やさぬよう、帰国後も定期的に連絡を取り合っています。例えば、12月には、創立150周年記念デザイン(初等部生の絵画作品をプリント)のクリスマスカードを発送し、さらに3月には、訪問記をまとめた『青山学報No.291』及び「あなたと青山学院No.46」、11月16日に発行された『写真に見る青山学院150年』、式典で来場者に配付された「記念切手(創設者の肖像画をプリント)」「青山学院を支えた人々~漫画で描くサーバント・リーダー~」など、周年に関わる制作物を関係先に発送しました。

そして、2025年3月12日、桜の咲くキックオフの日から約1年後、いよいよ「青山学院 由来の地探訪プログラムワーキンググループ」の最終回を迎えます。ほぼ完成した各広報誌に掲載する報告記事を確認したあと、最後にメンバー一人ひとりに事後インタビューを行い、それぞれの1年間の胸熱コメントを聞くことで事前インタビューからの成長を確認することができました。

 

事前インタビューの様子はこちら:

 

事後インタビューの様子
事後インタビューの様子

 

団員からのコメント(抜粋)

実際に由来の地に訪れて、宣教師が当時こんな景色を見ていたのだということが分かって感動した
留学派遣中の学生の現地での様子や近況を直に聞けて良かった
コロンビア大学での資料収集は個人的にも学院史研究所としても大きな成果となった
アメリカの大学が戦略的に作っているグッズを参考に帰国後すぐに作ってみたりしている
今回のプログラムでもちょっとしたトラブルがあるとアタフタしたが、これと比べられないほど交通網もなく、船が他国に着くかもわからない中、ゼロから青山学院を創った創設者の大きさを感じた
今回の経験が教職員に伝わり、それが何かの種になり次の実りにつながるかもしれない
みんなでアイデアを出し合ってミッションを作り上げ、ゴールに辿り着けた充実した1年間だった
80年前の本を図書館で借りて頑張って解読し、準備したことがアメリカで目の当たりにできてすごく感動した
ワーキンググループの最初の回は形が全く見えなくて一言も発言できなかったことを覚えているが、回数を重ねていく中でいろいろなことを調べて疑問も湧いてきて、もっと知りたい、こうしたいと思うようになり、積み重ねていったら20個以上のミッションになったのは、全員で取り組んだからだと思う
実際に旅をしたのは1週間程度だが、非常に深いつながりができた
日頃、あまり接点のない部署の方々と一緒に仕事ができたのは本当に嬉しいことでした

 

後方支援としては、初めはすべてが手探りでこのプログラムが成立するのか、不安もありました。しかし、団員の皆さんが毎回毎回の打合せで、それぞれ調べてきたことを発表したり、アイデアを出し合ったり未知への好奇心や作り上げていくパワーを感じて、いつの間にかプログラムがどんどん膨らんでいくことが楽しくなっていきました。そして、アメリカに渡航し、ミッションをひとつひとつクリアする行動力にも感動していました。帰国した時の「チーム」の結束力にも驚きました。

創立150周年の節目に相応しく、このプログラムは、青山学院にとっても、それぞれの団員にとっても、いろいろな形でたくさんの実りがあったように思います。

 

解散式(本部礼拝堂にて)
解散式(本部礼拝堂にて)

 

 

※本ページ掲載の内容は、2024年10月時点のものです。
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