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13号館が無い! 不吉な数字だから?【アオガクタイムトラベラー】

アオガクタイムトラベラー初出動

在宅勤務中の昼下がりに-

青山学院ウェブサイトの「キャンパスマップ」を見ていたら、面白いことを発見した。大学の建物は、確か建築された順番に〇号館と名付けられていたと聞いていたが、なんと、「12」と「13」が欠番になっているではないか!


大発見か?

 

でもなんとなく12号館があったのは覚えている。確か、今の17号館が建つ前に存在した教室棟だ。自分も学生の時に授業をそこで受けた覚えがある。1階には購買会があり、地下には学食もあった。

ところが13号館は聞いたことが無い。
年が若すぎるせいで知らないだけで、もっと昔にあったのだろうか? 
いや、もしかして「13」という数字はキリスト教的に不吉な数字だから、欠番にしたのではないだろうか?!

勝手に想像しつつ、 “アオガクタイムトラベラー”の初出動である。
ちなみに“アオガクタイムトラベラー”とは、キャンパスや建物に関して疑問をもった隊員が不定期に調査を行う、独自の機関である。

 

「13」という数字にまつわる話

先ずは、世間では「13」という数字をなぜ不吉とするのか、調査してみた。

〈北欧神話〉
12人の神が祝宴を催していた時に、招かれざる13人目の客としてロキが乱入した。そのロキは、ずる賢いなどの性格とされ、ロキのせいでラグナロク(神々の黄昏、終末の日)を迎えたことから、「13」を忌み数としている。

〈キリスト教〉
最後の晩餐で、13番目に席に着いたのがユダだった。お金でイエスを売り、裏切ったとされるイスカリオテのユダである。このユダは13番目の使徒だという説もあるが、12番目が正しいようだ。どうしても「13」を不吉な数字に祭り上げたかったのだろうか。

『聖書・キリスト教辞典』より

    イスカリオテのユダと言えば「裏切り者」の代名詞である。ユダはもともとイエスの十二弟子の一人だったが、次第にイエスに不信を抱くようになり、イエスを十字架につけようと画策していたユダヤ人指導者たちに銀30枚で売ってしまった。

これと同じように、イエスが処刑された日が13日の金曜日だった、ということが近代以降に広まったようだ。ご存知の通り映画のタイトルにもなっているが、聖書にはイエスの磔刑日の詳しい記載はない。

〈そのほか〉

  • 階段が13段 … 日本では死刑執行を意味する隠語
  • 太平洋戦争のA級戦犯が絞首刑になったとき、絞首台までの階段の段数が13段だったから

  • 建物の13階 … 西洋では、建物の13階を作ることが忌避される
  • 12A階もしくは12B階、12半階と呼んだり、13階を飛ばして14階にしている建物がある

  • 飛行機の座席番号、空港のゲートで13を用いない
  • 〈独自調査の結果〉
      ●座席番号
       JAL
       ・エアバス350-900
          … 13と14が無い
             日本航空サイトへ
       ・ボーイング767-300ER(763)
          … 12~14が無い

       ANA
       ・ボーイング787-9
          … 13がある(数字順に)
            全日空サイトへ
       ・エアバス320(32G)
          … 13だけ無い

       アメリカン航空
       ・ボーイング787-9
          … 13がある

       エアフランス
       ・ボーイング777-300
          … 7~13が無い
       ・エアバス350-900
          … 13~15が無い

      ●空港のゲート(13番ゲート)
       羽田空港 … ある! 
        羽田空港サイトへ(中央付近)
       成田空港 … 無い
        成田空港サイトへ(右端)
       ヒースロー空港 … ある
       ジョン・F・ケネディ国際空港 …無い


    ジョン・F・ケネディ国際空港構内図。見事に「13」が飛ばされている(赤丸箇所)。

     

  • 日本では、船や山小屋で13人が集まった際は、顔の絵や藁人形で14人目を追加する習俗がある、らしい。
  • F1競技においては、以前はカーナンバーに13番は用いないことが慣習となっていた、らしい。
  •  

    以上はWikipedia情報をもとに、ほかの資料などをあたった結果である。末尾に「らしい」としたものは、追いきれなかった情報であるが、面白いので載せてみた。ほかにも様々な言い伝えなどがあり、枚挙にいとまがなかった。

    青山学院でも以上のような理由から、13号館を飛ばした(造らなかった)のではなかろうか? きっとそうに違いない!
    そんなワクワク(?)した気持ちで、長年、青山学院の数多くの建築に携わってきた管理部の吉田茂担当部長に真相を聞いてみることにした。

     

    学院の施設・設備の生き字引 管理部吉田さん

    定礎式、献堂式など建物に関するイベントで、取材の際に必ずお会いするのが吉田茂さん。いつも「昔の首相と同じ名前だ」と思っていたものだが、とても気さくで優しい方だ。長年管理部に在席され、学院の施設に知悉した方だ。管理部長を務めたのち役職定年となり、今は管理部の担当部長の職にある。相模原キャンパスの移転や、初等部、中等部、高等部校舎の建て替えを手掛けてきた方だ。
    きっと13号館なんて無かったことも、その理由もご存じのはず……。
    快く調査に応じてくださった。


    執行部向け内覧会での説明役を担ってきた吉田さん(左)

     

    核心に 13号館は存在したのか?

    吉田さんの回答

      今の15号館(ガウチャー・メモリアル・ホール)が建つ前、そこには“とんがり帽子”の大学礼拝堂と、その後ろに2階建ての建物が建っていました。その2階建ての建物は、“アバコ”という会社に事務室として貸し出していた建物です。
      その後アバコが移転して大学の建物となり、13号館と名付けられました。
      空いた部屋には大学の写真部や吹奏楽部の部室、ビル管理室や倉庫が入っていました。
      アバコが撤退した後も通称名“アバコ”と呼ばれていましたね。
      15号館が建つ時に壊されました。

    現在の構内図をもとに当時の場所を説明してくださった

     

    13号館はかつて存在した……。残念!
    我ながら面白い推理だったのになあ。

    吉田さん、ありがとうございました。また次回以降も、登場していただきます。

    それにしてもアバコってなんだろう?

     

    アバコとは?

    これが「青山学報」254号(2015年12月発行)に答えが載っていたのです。

    アバコ(AVACO)… 一般財団法人日本聖書協会キリスト教視聴覚センター。1955年に青山スタジオを建設。
     Audio Visual Activities Commission

      今のように塀はなく、自由に出入りができ、主にラジオの録音スタジオとして使われていたようです。大学の授業「放送ジャーナリズム」もこのスタジオで行われていたそうです。1970年に早稲田にスタジオが完成したため、1976年頃、青山学院から撤退したようで、その時、13号館と名称を変更。学務部の外事課や部室、管理室などが置かれました。

    当時の外観写真。右後ろには9号館が見える。

     

    また、「青山学報」7号(1954年7月発行)にも次の記事が載っていました。

    ・アバコ建築近々着工

      A・V・A・CO(キリスト教視覚事業部センター)建築のため学院構内敷地200坪を貸与することとなり、今月着工、クリスマスまでには完成の予定。鉄筋コンクリート2階建てで、内1室約30坪を学院の集会室として設備。また録音室、レコード、フィルムライブラリー等の諸施設は大学のラジオ、ジャーナリズムの実験室としても利用できることになっている。

     

    一般財団法人日本聖書協会キリスト教視聴覚センターのホームページにも建物の遷移が紹介されていました。

     

    あるサイトには、「昔有ったスタジオ」と題して、当時の様子が書かれていました。

      民放関係の劇伴(テレビなどの伴奏音楽)やコマーシャル等、小編成の録音には大変よく使われていて、それなりに良い音で録っていたと思う。(中略)「マグマ大使」などのアニメ(当時はテレビ漫画と云っていたが)なども、この青山のアバコで録っていた。

    キリスト教に関係のないテレビ放送関連の録音などもここで行われていた様子がわかりました。

    2019年2月、受験生のご両親や卒業生から青山学院大学に寄せられた「受験生応援メッセージ」の中に、「法学修士(旧アバコ世代)」と書かれた方からのメッセージを見つけました。その方は間違いなく“アバコ”で放送ジャーナリズムの授業を受けていた方でしょう。
    教職員の中にも、その存在を覚えている人が結構いました。

     

    最後に残った「13」という数字の謎

    ここである疑問が……。
    13番目に建てられた建物ではないのでは?

    時系列に並べてみました。

    ・1955年 AVACO完成
    ・1975年4月 大学10号館・11号館完成
    ・1976年頃 AVACO撤退・13号館になる?
    ・1979年1月 大学12号館完成
    ・1988年2月 大学14号館(総研ビル)完成

    どうみても、13号館だけ、建てられた順番で数字がつけられていないように見えます。
    この点を吉田さんに伺いました。
    今は、建てられた順番に数字を振っていることは間違いないそうですが、「40年以上も前のことなので、詳しくはわからないですね」という回答でした。

    最後にちょっとした謎を残して、ここでタイムトラベラーは燃料切れのため、解散です。
    やはり「13」という数字にはなにか不思議な働きがあるのでしょうか?

     

    次回のタイムトラベラーは?

    「キャンパスの地下には巨大空間がある?」「戦争中に謎の地下道があった?」「定礎に入れる物とは?」を調査中です。
    お楽しみに。