心惹かれたアフリカで農業の発展に尽力〈卒業生・竹越 久美子さん〉
2019/07/09
竹越久美子さんはアフリカの開発支援に関わり、ブルキナファソやタンザニア、マダガスカルなど各地に長期赴任して、専門家として農業分野のサポートを行ってきました。
将来的には自身の仕事がなくなり、現地の人々だけで農業を発展させていけることが目標だと竹越さんは語ります。国境を越えて奔走する姿は、自分の使命を見出して進んで人と社会に仕える、青山学院が育成を目指すサーバント・リーダーそのものです。
──竹越さんは現在、独立行政法人国際協力機構(JICA)農村開発部に所属され、日本とアフリカを往復していらっしゃるそうですね。具体的にはどのような仕事をされているのでしょう。
アフリカ小規模農家の収入向上支援「SHEP(シェップ)アプローチ」をアフリカ各国で実践する支援を行っています。具体的には、アプローチに関心を示した国に対して研修を行い、その後の現場活動のフォローを行っています。
アフリカでは、トップダウンで政府が農家に特定の作物の種子を配布し、農家は受け取った種子を蒔き、収穫してから売り先を探すというパターンが一般的です。これではせっかく作物が収穫できても、売れ残って無駄が生じることも多々あります。そこで農家自身がマーケットに行って情報を収集し、分析し、計画を立てて栽培するという、ビジネスとしての農業を行うための基本的考え方を示したものが「SHEPアプローチ」です。
今はアフリカの農業省職員に対して日本で2週間の研修を実施し、3週目にはケニアに行って実際の現場を視察し、その後各国を巡回・フォローしているので、日本を拠点に仕事をしつつ、アフリカへの出張も頻繁にあるという状況ですね。2017年1月からは日本からセネガルに拠点を移し、市場志向型農業アプローチ広域アドバイザーとして、引き続きこの業務を担当する予定です。
現段階では、私たち日本人が教えたりサポートしたりしていますが、この先は経験のある国が経験のない国に教える形を作り、横のつながりを強化できればと思っています。私はあくまでもアドバイザーとして黒子に徹し、アフリカの方々が活躍する場を作っていきたいですね。
──アフリカに興味を持つようになったきっかけは何でしょうか。
大学3年の時、交換留学生としてフランスに1年間留学しました。現地の語学学校の同じクラスにチャド人とスーダン人がいたのですが、この2人はとても仲良しでした。ところが国同士は、国境線での紛争が絶えない関係です。それを知った時、アフリカに対する漠然とした興味を抱いたのが、きっかけでした。
さらに、帰国してからフランス語の通訳ボランティアをした際、たまたまベナンのダンスグループやセネガルの音楽グループに同行して回るなど、アフリカの国々と関わる機会が続きました。そのため、アフリカをもっと知りたい、行ってみたいという思いが強くなっていきました。
青学を卒業後は東京外国語大学大学院に進学したのですが、学びたかったことと実際に学んでいることのギャップに戸惑うこともあり、休学して在カメルーン日本大使館付きの外務省在外公館派遣員として、現地で2年間過ごしました。
当時はJICAが行う研修事業手続きを大使館が行っていたので、そのお手伝いもさせてもらい、開発支援に関心を持つきっかけになりました。また滞在中に出会ったとても優秀な若者たちでも就職先がないという現実も目の当たりにし、アフリカの開発に関わり、こういった有能な若者が能力を発揮できる機会を増やせる手伝いができればと思うようになったのです。
──初めてのアフリカでの生活が2年間ということですが、仕事や生活面で不自由はありませんでしたか。
生活面ではまったく問題ありませんでしたね。治安についても「ここに行ったら危険」と教わっている地域に行かなければ、怖い思いをすることもありませんでした。食生活も日本から調味料さえ持って行けば、現地の食材を自分好みの味に調理できます。
仕事については正直、最初の2カ月くらいは「この調子で2年もこの土地で過ごせるだろうか」と不安でした。カメルーン人は日本人と仕事の仕方も違いますし、ぶつかることを気にせず自分の意見を主張してくるので、最初はなかなかなじめませんでした。けれども「自分の考えがスタンダードではない」ということに気づき、まずは相手の意見を聞いて受け入れるという姿勢を無意識に身に付けていくと、どんどん楽しくなっていきました。2年間が終わる頃には、「もっと居たい」と思ったほどです。
──竹越さんが本学のフランス文学科を志望したのはなぜでしょう。
昔から海外志向は強いほうでした。高校で英語科に進んだのもその一環です。英語は高校で一生懸命学んだので、大学では別の言語を勉強したいと思い、たどりついたのが青学のフランス文学科でした。大学でフランス語を学び始めたら面白くて楽しくて、留学を経て「もっとフランス語を学びたい」という思いがさらに強くなりました。
──大学生活はどのようなものでしたか。
大学生活は、「勉強とマンドリン」だけでした(笑)。入学時からフランスに留学したいという思いがあったので、最初の2年間でフランス語を徹底的に学ぼうと決めていたのです。ですからアルバイトもせず勉強に明け暮れましたね。
唯一の息抜きがマンドリンクラブでした。もともと音楽が好きだったので、大学に入ったら何か音楽をやりたいなと思っていたところ、マンドリンクラブが楽しそうに感じ入部しました。クラブ活動はリフレッシュできる貴重な時間でした。1・2年の頃は厚木キャンパスに通っていたので、クラブ活動のために週に2度、青山キャンパスまで来ていましたよ。とてもまとまりのあるクラブだったので活動は楽しく、定期演奏会のほか他大学とのジョイントコンサートなどもあって、貴重な経験がたくさんできました。
このマンドリンクラブのメンバーや、同時期に交換留学生としてフランスに行った仲間とは、今でも付き合いが続いています。留学生の仲間は私以外の2人もアフリカに関わり、同じ時期にマダガスカルで仕事をするという偶然もありました。
──お世話になった先生方との思い出はありますか。
フランス語の「オーラル・コミュニケーション」の授業はフランス人のマリーエレーヌ・ブブレ先生で、いつも楽しい授業をしてくださいました。テーマ自体は先生が毎回提示するものの、「今日はこういう話がしたい」という意見があれば、柔軟に対応してくださいました。その中で日常におけるコミュニケーションで使う単語を学ぶことができたので、とても役立ちました。現在フランス在住のブブレ先生とは今でも親交があり、私がフランスに行くと、時々お会いしています。
ゼミは鳥居正文先生の「言語学意味論」でした。鳥居先生にも本当にお世話になりました。論文提出は締め切りぎりぎりになるなど、私は「やる気こそあるものの、手のかかる学生」の典型だったと思います。教育実習先がなかなか見つからなくて、先生に手伝っていただいたりもしました。大学院でも鳥居先生の元で意味論を学びたいと思っていたのですが、先生がしばらくフランスに行かれることになり、それが叶わなくなった時も、新たな進路についていろいろ相談に乗っていただきました。
──青学で学んだからこそ身に付けられたものはありますか。
青学ではフランス語の基礎を徹底的に教えていただいただけでなく、コミュニケーション力も身に付けることができました。青学時代の仲間とは、仕事はそれぞれ異なるのですが、「外を向いている」という共通点があります。開かれたマインドを持っている方々に出会えたのは、青学だったからではと感じます。
また、1年の時に聖書を読む授業があったおかげで、聖書の内容を理解していたことがアフリカでも役に立ちました。アフリカはイスラム教徒も多いですし、異文化、異教徒もしっかり理解する必要があります。先入観やイメージだけで話してはいけないと気をつけることができたのは、学生時代にキリスト教を知るという授業があったおかげです。