高速道路の上にあるテニスコートの風景
2023/11/18
今年の5月中旬、Twitterで話題になったツイートがあった。
半年も前の話で恐縮なうえ、
この間に「Twitter」も「X」に名称が変わった。
時のうつろいを実感する。
ただし「ツイート」という言葉はまだ生きているようだ。
そのツイートに、高速道路の上にテニスコートがあるという、インパクトのある画像が掲載された。
この上の画像はこの記事作成のために購入した画像であり(転載厳禁です)、
そのツイートのスクリーンショットは、著作権上、掲載できないので残念だが、
2000万人以上のユーザーに表示され、
5.9万人のユーザーが「いいね」を付けていた。
(X上で、「青山学院 テニスコート」をキーワードに検索してみてください)
「青山学院中等部のテニスコートが六本木通りとさらに首都高渋谷線の上に設置されてるのだけど、これは青学の土地になってる?」
と書かれている。
正確には、中等部のテニスコートではない。
青山学院のテニスコートである。
授業やクラブ活動で使用している。
このツイートを見たのだろう、
翌日以降、新聞社とテレビ局から取材の依頼が舞い込んだ。
急な話に、回答を作成するべく、「青山学報」や年史の記事をあたり、管理部や資料センターから資料を取り寄せた。
学院執行部の了承を得て、新聞社に回答書を送ったところ、下記の記事が出来上がった。
記者の小川さんが見事な記事を作ってくださった。
思わぬところから、思わぬ話題で盛り上がるのだなあと、つくづく思ったものだ。
歴史的背景を調査すると、以下のことがわかってきた。
戦後、自動車の利用増加と東京オリンピック開催(1964年)に向け、首都圏内の道路網整備が急ピッチで進められていた。
都内各地に首都高速道路を張り巡らせる計画が立てられ、その一環として、青山学院周辺にも高速道路が作られることになった。
現在「首都高速3号渋谷線」と呼ばれている高速道路の建設計画である。
当初の計画案では、「グラウンドの上を通過(高架)」という、青山学院にとっては、はなはだ危険な計画であった。
高速道路から物が落ちてきたり、それこそ車が頭上に落ちてきたら、とんでもない大惨事だ。
安全・安心をはかるため、当時の青山学院院長、大木金次郎を中心に、東京都他各方面と折衝をかさね、「地下貫通」とすることに決まった。
この決定までに3年間、交渉を重ねたという。
1962年1月20日、渋谷4丁目の青山学院大学付近の暫定出入口 – 道玄坂1丁目(渋谷出入口)付近の1.3 kmの工事が始まり、1964年10月1日に開通したようだ。
東京オリンピック開催のわずか9日前の開通だった。
このテニスコート部分の土地は青山学院が所有権を有しており、地上権を設定し(1962年12月27日契約締結)、首都高速道路株式会社(3号渋谷線)と東京都(都道412号)に使用を許可している状態である。
また契約上、道路の上に工作物は設けることができず、軽微なものについては協議の上、決めることができるとしている。
この状況下、一からしっかりと調べてみようと、鵜飼眞常務理事が本格的な調査に乗り出した。
管理部や資料センター、さらには高等部社会科教諭の西村嘉高先生に協力を求め、新たな資料を発掘した。
そして、あきらかに目で見てわかる当時の状況が判明した。
ここで皆様に貴重な資料をご紹介したい。
最後に、貴重な資料を探しあてた鵜飼常務理事の談話で締めくくりたい。
〈参考文献〉
・「青山学報」47号(1963年6月発行)
・『青山学院九十年史』学校法人青山学院 1965年
・『青山学院100年 1874-1974』学校法人青山学院 1975年
・『青山学院120年』学校法人青山学院 1996年
〈協力〉
・西村嘉高高等部教諭
・資料センター
・管理部