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大学新図書館棟に潜入! そして図書館の歴史【アオガクタイムトラベラー】

4月某日。初夏を思わせる陽気の中、われわれアオガクタイムトラベラー隊の3名、レッド隊長と、ブラック&ホワイト隊員、そして私ブルーは、来年2024年3月に完成予定の新図書館棟建設現場に向かった。
果たして、予定通りに工事が進んでいるのだろうか。
進捗状況を探る潜入調査である。

アオガクタイムトラベラー隊、久方ぶりの出動である。

 

新図書館棟 2024年4月オープン

主な建築概要は以下の通りである。

【概要】
・地上6階、地下1階
・建築面積: 約3,500㎡
・延べ面積: 約18,000㎡
・建物高さ: 29.7m
・収蔵冊数:約150万冊
・座席数:約1,500席
・2024年4月開館予定

 

50%完成した新図書館棟の内部へ

実は今日4月19日、建設会社(清水建設)による現場見学会(進捗状況報告)が行われたのだ。
午前中は学院執行部に、午後は大学執行部に対して行われた。
“潜入”ではなく、普通の取材の仕事でございました。
失礼いたしました m(_ _)m

われわれは午前中の会に同行。
堀田宣彌理事長、山本与志春院長をはじめ、学院執行部全員、ヘルメットを着用して出発。
図書館長の伊達直之先生ら図書館関係者も同行。
清水建設の担当者の方から、完成予想図を見せていただきながら進捗状況を伺い、各フロアを見て回った。

最上階から下に降りてくる形で視察を開始。
全員で、最上階に昇るべく、工事用の仮設エレベーターに乗り込んだ。

 


工事用の仮設エレベーターに乗り込む(イメージ)

 

ところが、安全確認用のランプがなかなか消えず、発車しない。
ふと、不安がよぎる。重量オーバー? 危険なのでは……。全員の頭に、そうよぎったのではないだろうか。
1分ほどそんな時間を過ごして、ようやく発車。
ゆっくりと最上階の6階に昇っていった。

到着した6階は、コンクリートがむき出した状態で、足場も高く組まれ、工事現場そのものだった。


6階

 

ここ6階には、プレゼンテーションルームが備わることになっている。
最上階だが、思ったほど高くない。6階だからか……。
周りのヒマラヤスギの方が背が高そうだ。

現状の様子からは出来上がりがあまり想像できなかったが、完成イメージのパネルも見せていただいたので、ある程度イメージがわいてきた。


上:プレゼンテーションルーム 下:6階鳥瞰パース  (予定)

 

階段で1フロア下へ移動。
5階は書庫スペースと、閲覧のためのスペースとなり、研究個室も設けられる予定。
中庭が明るく、開放的な気分にさせてくれそうだ。


中庭側から撮影 タワークレーンの支柱がそびえる

上:研究個室 下:5階鳥瞰パース  (予定)

 

4階に降りる。
広々とした空間だ。
(撮影した画像の中に企業秘密が含まれていたため、掲載NGとなってしまいました……。
以下同様の箇所があります。ご了承ください)

ここはほぼ書架の予定。
そして中央付近からは、下層階を見晴るかすことができる。


上:下層階を見晴らせる贅沢な空間 下:4階鳥瞰パース  (予定)

 

3階へ。
4階と同じような空間が広がる。


3階

 

ところどころに置かれた赤いコーンは、その位置の下の階の配電位置を示しているそうだ。
現在の床面から25cmは高くなるとのこと。

中央の吹き抜け付近には、閲覧スペースが設けられる予定。


上:中央付近の吹き抜け 下:3階鳥瞰パース  (予定)

 

ここで、西側に誘導された。
そこはテラスだった。

テラスからの眺めは、青山キャンパスの新しい風景を提供してくれた。
この眺望は、勉学で疲れた脳を解きほぐし、新たな発想を生み出してくれるであろう癒しの空間である。
そして、撮影の名所になることは間違いない。
緑の木々に囲まれ、青い空が広かった。

この階から17号館と通路でつながるそうだ。

そして2階へ。


2階

 

ここはエントランスとなる。
ラーニング・コモンズ(Learning commons) として、情報通信環境が整い、自習やグループ学習用の家具や設備が用意された空間となり、個人または仲間同士で学び合える場所となる。


上:ラーニングコモンズ 下:2階鳥瞰パース  (予定)

 

東側のアイビー通り側はテラスとなる予定。


テラス部分。奥には青山学院記念館(大学体育館)が位置する

 

貴重な聖書を集めたスペースも備わるようだ。


左のパネルが聖書コーナーのイメージ図

 


中央右が伊達直之図書館長

 

1階に降りてみる。
地下1階とつながり、情報学習フロアとして利用されるスペースとなる。


上:1階と地下を結ぶ階段スペース 下:1階鳥瞰パース  (予定)

 

最後に地下1階へ。
東側の出入り口からは、地上につながっていた。

 

ブルーのシートで覆われた建物が新図書館棟。
左の建物は青学会館。奥には幼稚園園舎が見える。
ここは、かつてプールがあった場所だ。


アイビー通り(右)と結ぶ通路
ここに新たな門が作られる予定

 


体育館に沿って17号館に伸びる新たな通路

 

現時点では、スケジュール通りの進捗状況で、建物全体の50%、外装(サッシ、ガラスなど)については80%が出来上がっているとのことだった。

重い荷物を移動させてきたタワークレーンは役目を終え、5月の連休前には撤去されてしまうそう。


4月下旬、タワークレーンが撤去されました

 

となると、あとは内装ということになる。
5月の連休明けから本格的に内装工事に着手。
8月の一斉休暇明けに建物内に電気を通し、年内には書架を完成させる予定、とのことだった。

見学会での現場の印象は、内部はどこもきちんと整理されており、手間暇をかけながら安全を確保しつつ、日々しっかりと工事が行われていることを感じさせた。

ブラック&ホワイト隊員が気がついたことがあった。
現場の皆さんのヘルメットには、大きく平仮名で苗字と血液型が記されていた。おそらく、万が一事故等で病院等のお世話になる時のために、名前と輸血のための血液型が記されているのだろう。「命がけの仕事なんだな」とブラック&ホワイト隊員がつぶやいた。

「あっという間の1時間だった」と振り返るレッド隊長。「この時代に学びたかったな」とひとりごち。

施工を担当している清水建設と青山学院は、歴史的に長い付き合いがあり、大いに助けていただいた過去がある。
清水建設の前身である清水組社長を務めた清水釘吉氏は、ちょうど100年前の1923年9月1日に発生した関東大震災後の東京都復興に尽力した人物であり、青山学院の前身の東京英和学校に学んだ人物でもある。
灰燼に喫した本学の校舎の復興にも尽力。間島記念館(当時:間島記念図書館)の建築にも携わり、本学の建築資金が足りなくなった時、自ら工事費用を寄付してくださった方だ。
かつてタイムトラベラー隊が調査した「謎の校章」をご参照いただきたい。

再び、図書館建築に携わっていただいていることに、縁を覚え、感慨深い。

 

一口メモ 階数が違う

まわりの校舎とは、階数の数え方に違いが出てくるようだ。
新図書館棟のエントランスは2階となり、周りの校舎の1階に相当する。
以下同じように1階ずれていく。

これは、青山キャンパス内での高低差が影響している。
確かに、以前、イモリ川の源流を追ったとき、まさにこの図書館棟付近の地下から水が湧き出ており、今は暗渠となって地下を水が流れていることを知ったものだ。
青山通りが分水嶺であり、この一番高いところから明治通りに向かって下っている。

こちらも、かつての記事「青山キャンパスにかつて川の源があった!?」をご参照いただきたい。

 

このまま終わろうかと思ったが、タイムトラベルをしていないことに気がついた。
おっとっと。手抜きになるところだった……。
ここで、図書館の歴史を振り返っておこう。

 

図書館の変遷

間島記念図書館


完成当時の間島記念図書館

 

再び時を100年遡り、1923年、関東大震災により青山キャンパス内の多くの建物が倒壊した。

この復興のために、石坂正信院長やC.W.アイグルハート理事、B.スプロールズ女学院院長らが渡米し、支援を要請した。その結果、アメリカ国内で日本支援のための多額の寄付が寄せられ、青山学院に対し50万円の援助金が割り当てられた。そのお金で、高等学部校舎(現在の大学1号館)、中学部校舎(現在の大学2号館)、講堂が建設された。また、大講堂は卒業生の方からの寄付で建てられ、現在のイチョウ並木は、中学部の生徒たちと教職員の寄付によって苗木が買い入れられた。

詳しくは、かつての記事「黄色の世界 ギンナン吟遊」をご参照いただきたい。

女学院にも40万円の復興資金が寄せられ、鉄筋コンクリート3階建ての本校舎(旧高等部北校舎)が建てられた。

この震災をきっかけに、同一敷地内での校舎建築の経済性や、学校の大規模化による世間からの評価の向上などの利点を考え、1927年、「青山女学院」を「青山学院」に合同した。

そして図書館が作られることになる。

戦前の「青山学報」78号(1929年12月)に、石坂院長の「間島記念図書館の落成に臨みて」と題したあいさつ文が載っていた。
「各学部に付属の図書室があったが、中央図書館を設立したい事は、自分が院長就任当初からの計画であった」。

中央図書館にあたる最初の図書館が「間島記念図書館」であった。今の「間島記念館」である。

それぞれの学部ごとにおかれた図書室を統合した中央図書館。
これまでも教職員・学生からの新築希望があったものの、財政的に余裕がなかった、と『青山学院九十年史』に記されている。

石坂院長は「青山学報」78号の中でさらに「校舎とともに中央図書館を新築したいとの希望は、一日も自分から離れなかった。学院の学風を発揮するうえに、教授や学生の研究に資するために、図書館の新築は最も重要なるものなる故である」と記している。

石坂院長が資金面で相談した相手は間島弟彦氏だった。青山学院の校友会会長、学院理事を務めた間島氏はその時、病気療養中であった。間島氏は石坂院長の願いに肯い、図書館建築費用の寄付を承諾した。


間島弟彦

 

間島氏は、東京英和学校高等普通学部を第1回生として卒業後、アメリカのアルビヨン大学に留学。帰国後、第十五国立銀行に入行。その後三井銀行に転じ、同社取締役まで務めた人物である。母校を愛する気持ちが強く、校友会会長を務め、「校友が責任ある立場で母校を支えるべき」との考えのもと、青山学院を支援した。

間島氏からの寄付の承諾を得たものの、彼は当時不治の病とされていた結核に罹っていた。そして1928年3月21日、57歳の若さで召天した。
彼が生きているうちに図書館建築の実現は叶わなかった。
しかし、間島氏の遺志をついだ愛子夫人から寄付が申し出られ、間島記念館が建てられることになった。
最初に10万円、不足追加分1.76万円の寄付であった。

そして出来上がった図書館は、間島弟彦氏、愛子夫人への感謝の意を込め、「間島記念」と冠された。

1929年10月17日に落成式が行われ、翌年の1930年1月に開館した。

【概要】
・鉄筋コンクリート造り
・3階建て(書庫は4階建て)
・総床坪460坪
・電気暖房装置、防火装置あり
・156人を収容
・1.8万冊の蔵書(10万冊まで収容可)
・震災前の大講堂に倣い、コリント式の円柱を並べた

また前出の通り、清水組が設計・施工に携わり、工事の途中で学院の資金が不足したところ、清水組の社長で校友の清水釘吉氏から、残りの不足分を補填する形で2.5万円の寄付をいただき、無事、工事を終えることができた。落成式では、石坂院長が清水組に対し「不断の犠牲的労苦に対して、深く感謝する」と述べている。

『青山学院九十年史』は、「間島弟彦の遺志と愛子夫人の厚意と、間島弟彦の遺言執行人であった米山梅吉の隠れたる尽力と、清水釘吉の協力によって図書館は完成・開館の運びとなったのである」と記している。

 

一口メモ 三井の三巨人からの恩恵

間島弟彦 ― 米山梅吉 ― 万代順四郎

青山学院を卒業後、三井銀行に勤め、重鎮として活躍した3傑。
この人々たちの強力な母校愛と献身(自らの寄付、資金調達、組織化)が、昭和前期の青山学院を経済的に支えてきたことは間違いない。

 

余話あれこれ

「青山学報」14号(1955年11月)の特集号に【青山学院大学間島記念図書館略史】が掲載されていたので、内容をかいつまんで紹介したい。

・東京英和学校図書室が、青山学院の歴史上最初に登場する図書室であった
・戦争中の1945年3月に、東京連隊区司令部(陸軍)の一部が間島記念図書館に移転してきて、さらに5月には同司令部の大部分が強制的に2階の全部屋、1階の書庫を使用するに至った
・戦後1946年4月の新学期には、戦災もなく、すぐに図書館として復帰することができた
 その頃、玄関の側には購買部の店舗や喫茶店があった

 

大学図書館

戦後の様子が断片的に「青山学報」に記録されていた。
1953年の「青山学報」2号(1953年7月)を読むと、
・洋書29,154冊
・和書34,961冊
・毎日朝9時から夜8時30分まで開館し、日曜日も開館
と書かれていた。
洋書の割合がかなり高いことに驚く。

そして、間島記念図書館は全学院の図書館であったが、1953年4月から大学図書館として大学・短大の共同管理となり、諸学部はそれぞれ直属の図書室を運営することとなった、と記されていた。
ここでいう諸学部とは、高等部、中等部、初等部を指しているものと思われる。

1957年の「青山学報」20号(1957年3月)には、「大学図書館利用者激増」との見出しで、試験期間の1月、1日あたりの利用者が1万人を超えた旨の記事があった。
その当時、大学の在校生数は7,000人前後であった。

利用者の増加、そして図書の増加で手狭となり、増改築を繰り返してきたようだ。

そして本格的に増築することになり、創立100周年記念事業として現在の大学図書館が建てられた。工事名を“図書館増築工事”としており、間島記念図書館からつながる“増築”という形であった。


完成当時の大学図書館

 

【概要】
・鉄筋コンクリート造り
・地上3階、地下1階
・総床坪1544坪
・冷暖房完備
・閲覧席:600席
・収容冊数:27万冊
・設計:株式会社日本設計
・施工:フジタ工業株式会社
・総工費:約8億円

1977年3月14日、献堂式を挙行。
開架式として、利用者が自由に閲覧することができた。

間島記念図書館は、一部の書庫を残して、残りの図書館の機能は、この新図書館に引き継がれた。
そして、学院史の資料などを収集、保管する資料センターが誕生し、建物名は現在の「間島記念館」となった。

実は私ブルーも、青山学院に奉職した最初の部署は、大学図書館であった。
その当時から、「書庫が足りない」「早く新図書館を作りたい」といった声が挙がっていたのを覚えている。
とにかく本が入荷したら、分類整理・登録処理を行い、配架作業(本棚に分類番号順に並べる作業)をしていくのだが、棚のスペースが足りず、本の移動をする作業が専らであった。また毎年年度末には、重複図書をピックアップするなどして大量の図書を廃棄処分しなくてはならず、その作業を図書館員総出で行ったものだ。
それが20数年前の話である。
常に、書庫スペースの不足と戦ってきた歴史がある。

 

知の拠点として

さて待望の、新しく出来つつある新図書館棟。
「知との出会い」「知を拡げる」「知を深める」を実現する空間として設計され、「学生が成長する場であると同時に、時代の変化に合わせて図書館自らも成長し、進化する」をコンセプトとした新図書館棟。
外装、内装が整い、見た目にも、機能的にも完備した姿を見るのが楽しみである。

どんな知との出会いが待っているのだろう。
大学に学ぶ者にとっての「知の拠点」が青山キャンパスの心臓部に位置することになる。
痛快な出来事である。

 

〈参考資料〉
『青山学院大学五十年史 1949-1999』資料編 青山学院大学 2003年
『青山学院大学五十年史』青山学院大学 2010年
『青山学院一五〇年史』資料編Ⅱ 学校法人青山学院 2021年
『青山学院九十年史』青山学院 1965年
『青山学院の歴史を支えた人々』気賀健生著 2014年 学校法人青山学院
『青山学報』各号 青山学院

〈協力〉
清水建設
管理部
資料センター

 

 

《アオガクタイムトラベラーシリーズ》