Variety いろいろ

黄色の世界 ギンナン吟遊【アオガクタイムトラベラー】

黄色に染まる季節がやってきた。青山キャンパスの正門から続くメインストリートは、日本の秋を象徴する、黄色の世界となる。きれいに色づいたイチョウ並木が訪問者をお迎えし、目を楽しませる。
今回は、銀杏(イチョウ、ギンナン)にまつわるお話です。

今年はコロナのせいで、多くの人たちに楽しんでいただくことができず、とても残念です。
キャンパスで実際に楽しめなくとも、あの黄色い世界をご想像いただき、詩人のごとく、ギンナンに想いを馳せた旅に出てみましょう。

 

親しまれる銀杏

ドイツではイチョウ葉は愛と友情の印とされているそうで、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、66歳の時に25歳年下の女性に「銀杏の葉」という詩を贈り、イチョウの葉を添えて愛を託したと言われています。

ゲーテ詩集より「銀杏の葉」
ゲーテの代表的詩集『West-östlicher Divan(西東詩集)』(青山学院女子短期大学図書館所蔵)に掲載されている詩「銀杏の葉」

 

少し、いつもと違う、格好いいスタートになりました。
心も色づいてしまったかのようです。

さて、日本人にとっても、とてもなじみのある植物と言えるでしょう。

『新修宮沢賢治全集』の第八巻に収められている「いてふの実」では、たわわに実った千人の黄金色の子どもたち(ギンナンの実)が、悲しむ母親(イチョウの木)をよそに、これからの自分の旅に想いを馳せ、あるいは旅立ちを嫌がり、そして日の出とともに旅立つという、人間の巣立ちに見立てたストーリーを描いています。

鹿児島県伊佐市では、同市出身の海音寺潮五郎が『二本の銀杏』という小説を著していることにちなみ、「銀杏文芸賞」を運営しています。

 

俳句などでも数多く詠まれていることは言うに及ばずです。

また、熊本城は別名「銀杏城」と呼ばれ、十両以上の力士の髷の結い方を大銀杏(おおいちょう)と呼び習わします。

多くの大学のキャンパスに植えられ、東京大学大阪大学ではロゴマークにも使われています。ちなみに、東京都のシンボルマークは、イチョウの形のように見えて、実はイチョウをモチーフにはしていない、とのことです。

そして、食用としても親しまれ、茶わん蒸しで食したり、空炒りして岩塩をかけて食べるなど、魅力ある食材ですが、毒性もあるため、食べすぎには注意とのことでした。

このほか、イチョウに関わるトピックは枚挙にいとまがないほど、日本人にとても近しい植物です。

愛と文学と食欲ばかりに浸りたいところですが、現実的には、とても厳しい世界がもたらされます。

そうです。

踏んだが最後、あの匂いがつきまとうのです。
悲しくも、やっかいな存在。
“黄色の絨毯”の上では、歩行速度も普段の20~50%減となり、下を向いて歩くという、人生に前向きでないかのような、負の側面をもたらします。

 

掃除が大変です。

以前、「青山学報」誌上で、読者の方からの質問にお答えするコーナーに、次の投稿をいただき、実際に掃除をしている方(IVYCS)からいただいた回答を掲載しています。

Q.「ギンナンは、拾った後、どのような処理をしているのでしょうか?」

A.「一般ごみとして処理しています。」

なんとなく官僚然とした回答で寂しいのですが、次の補足説明が厳しい現実を物語っていました。
A.「多い時には、1日に3回清掃します。」

お疲れ様です。
踏まれてしまったものや、排水溝の溝にがっしりと挟まってしまったものなどは、とても厄介です。

清掃の様子

 

有効利用している点も紹介しています。
A.「幼稚園では、秋の収穫として覚え、チャリティー活動に役立てています。
園児、教員、用務員が協力して、幼稚園のイチョウの木から落ちるギンナンを拾い、洗って干した後、園児が袋詰めをして、それを園児の保護者が買い取り、その売上金をCFJ(チャイルド・ファンド・ジャパン)に献金しています。」

幼稚園の保護者の方々のご協力に感謝申し上げます。先生や用務員の方々もギンナンの処置がさぞ大変なことでしょう。

基本的には、学生・生徒・教職員はもとより、一般の来校者の方にも、ギンナン拾いは認めていない、とのことでした。皆さま、ギンナンを持ち帰らないようお気をつけください。

 

青山学院のイチョウ並木の歴史

この青山学院のイチョウ並木はいつから存在するのか?
調べてみました。
このようなとき、何も言わずとも資料を探し出してくれるシルバー隊員。ありがたい存在だ。

関東大震災からの復興のときに
正門から間島記念館へと続く、青山学院を象徴するイチョウ並木は、1926年に整備されました。1923年の関東大震災で甚大な被害を蒙り、その後の復興計画のもと、現在の大学1号館と2号館が建てられ、その際にイチョウ並木も整備されました。イチョウの苗木は、当時の中学部の生徒たちと教職員の寄付によって買い入れられました。植えられた苗木は、まだ人の高さほどだったそうです。復興のために、アメリカに渡り募金活動を行うなど、大変苦労をされた石坂正信院長(第5代)の案によりイチョウが植えられたそうです。

後に『青山の学風』という書籍を著した中学部の教師、塚本與三郎先生は、その著書の中で「石坂いちょう」と呼んでいます。

石坂正信院長
アメリカ訪問から帰国した石坂正信院長(中央)と出迎えた教職員と学生たち

 

「青山学報」70号(1974年10月発行)に掲載された都田恒太郎氏(元青山学院理事)の『いちよう並木』によると、中学部の生徒たちがイチョウの木の枝にぶら下がって遊んでいる姿を見つけると、石坂院長は中学部の先生を呼びつけ、そして中学部の先生が生徒に注意したそうです。
生徒をイチョウに近づけないように、根元に丸石を置いてみると、今度はその丸石で遊んでしまい、これまた石坂院長からの叱責を受ける対象となったそうです。

1926年頃に撮影された構内の写真
1926年頃に撮影された構内の写真。イチョウの背はまだ低い

 

その後の第二次世界大戦による空襲で、イチョウ並木も被害を受けました。
1947年、中学部の父兄会からの援助を手始めに、緑化運動が開始され、再びイチョウ並木は甦ります。

中等部の松江幸雄先生は「青山学報」155号(1991年10月発行)の『キャンパスの樹と中等部のメタセコイア』の中で、「イチョウは含有水分が多く、防火の役目を果たし、幹の片面は激しかった空襲に焼けただれたけれど、新しい芽を出し、フェニックスのように甦った樹々である」と記しています。

青山学院の初等部、中等部、高等部では、この1945年5月25日の「山の手空襲」について、体験者の方々が語り継ぐ「山の手空襲を語り継ぐ集い」に参加し、空襲を体験された方のお話を聞き、体験記の朗読に参加しています。この空襲で、3000人以上の方が亡くなり、青山学院も7割が焼失したと記録に残っています。

イチョウ並木の樹によって、大正時代から生き残って戦争を経験している樹もあれば、戦後生まれの樹もあり、みな同じように見えて、先輩・後輩、年の差があるようです。

 

ゆるキャラ「銀ニャン」

青山学院大学の公認キャラクターに「銀ニャン」というキャラクターが存在します。
2012年に登場した、まさにギンナンを模したキャラクターです。これまでに様々なグッズとしても登場しています。

銀ニャンのノート
ブラック&ホワイト隊員が所有するノート「Nyampus Note」

 

「銀ニャンフェス」というイベントでは、大学の学食や、青山キャンパスの周辺の飲食店の方にご協力をいただき、学生らが構内で拾った銀杏を飲食店に提供し、メニューに加えていただくという活動も行っています。いわば小規模の「地産地消」のような活動です。2020年度は残念ながら新型コロナの影響で実施できなかったようです。

青山学院らしからぬ銀ニャンの口調がかなり気になりますが、そこは“ゆるキャラ”ということでお許しいただければと思います。

(うちのブラック&ホワイト隊員とピンク隊員が、青山学院のキャラクターに関する楽しい企画を考えているようだ。)

 

60秒動画「銀杏の哀しみ」「銀杏の叫び」

2017年に「青学のエナジー」をテーマに、在校生を対象とした「青学動画コンテスト2017」を実施しました。大学総合文化政策学部教授の内山隆先生とゼミ生の皆さんの全面協力で実現した「60秒動画コンテスト」です。
そのコンテストで見事受賞された作品の中に、大学生〈当時〉の五十嵐紗英さんが作成した、銀杏に関する連作があります。
銀杏目線のその作品は、完成度の高い作品です。ぜひご覧ください。

 

青山学院賞(選考者:堀田 宣彌 理事長)
「銀杏の哀しみ」 作者:五十嵐 紗英さん

 

大学長賞(選考者:三木 義一 大学長〈当時〉)
「銀杏の叫び」 作者:五十嵐 紗英さん

 

最後に

葉が色づき始めるのが以前に比べ遅くなってきたようにも感じていますが、皆さんはいかがでしょう。
菜の花、タンポポ、ひまわり、スイセン、リュウキンカなど、ほぼ一年を通して黄色で目を楽しませてくれる植物たちの連携プレーに感謝です。

風景を創造し、目を楽しませ、愛の言葉を代弁し、食欲をも満たしてくれる銀杏。
くれぐれも、足元にはご注意を。

秋の青山キャンパス
そういえば、うちの隊には、イエローがいないなあ。ギンナン好きのイエロー、募集中。

 

さて、次回のタイムトラベラーは?

いよいよ、青山キャンパスの地下にあるという巨大空間に潜入。
果たして、無事帰ってくることができるのか?

もう一つ、青山学院の鵜飼眞常務理事が発見した謎の案件も調査中。
3か月調査をして、いまだに答えが見つからない! どうしよう?

 

〈参考文献〉
・『青山の校風』塚本与三郎著
・「青山学報」56号、70号、155号、237号、246号、261号
・「青山学院新聞」7号
・「青山学院120年」学校法人青山学院