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スペルミスの大失態? Unibersity!?【アオガクタイムトラベラー】

アオガクタイムトラベラー緊急出動

ある1本の電話から-

「青山キャンパスの正門にある大学の英字の表札のことなのですが、Unibersityとなっていますが、Universityの間違いではないでしょうか?」

リアリー?
本当なら、恥ずかしいこと以上に、大問題だ!
“英語の青山”が聞いてあきれるではないか!

その場では即答できず、後日ご回答する旨、少しうろたえ気味にゴニョゴニョと対応した。

現場を確かめに行こう・・・。

青山学院の英字表札

 

嗚呼、本当だ・・・
これはまずい・・・
誰かに伝えなくては・・・
取り替え工事だから管理部?
いや、先ずは総務部か?
執行部に伝えたら大変なことに・・・
手に余るおおごとではないか!

いや、待て。
そんなミスをするわけがない。
きちんとした理由があるはずだ。

アオガクタイムトラベラーの緊急出動である。

 

正門が出来たころ 58年前

先ずは正門ができたころを調査。なにか答えが見つかればいいのだが・・・。
青山学院の公式機関誌である「青山学報」の記事索引を検索。今から104年前の1916年に創刊された歴史深い広報誌である。

早速、「青山学報」46号(1962年12月20日発行)に『正門完成す』との記事を発見。

    門標は大木(金次郎)院長の筆で右に青山学院、左に大学とはめ込まれ、上部に金色の盾のマークが輝いている。
「青山学報」46号より
「青山学報」46号より。英字の表札が見当たらない。撮影の角度が悪いか?

古い写真なので鮮明ではなく、英字の表札が見当たらない。この時にはまだ作られていないようにも見える。英字の表札の記述も無かった。

次に青山学院創立120年周年を記念して作成された「青山学院120年」(1996年発行)を見ると、英字の表札が写っている。これだ! だが詳しい記述は無かった。

「青山学院120年」より
「青山学院120年」より

誰が英字の表札を作ったのだろうか?
なぜ「b」にしたのだろうか?
なぜ間違いに気づかなかったのだろうか?
それとも間違いではないのだろうか?

60年近い昔のことを知っている関係者はいるのだろうか?
前回ご登場の管理部吉田茂さんさえもご存じないとのこと。
当時関わっている方はきっと偉い方たちで、その時50歳だとしたら、現在110歳くらい?

完全にお手上げだ。 \(T□T)/

タイムトラベラーはもはや解散か、と思ったその時、
ゴールド隊員が、少し変わった英字の書体に関心を持ち、静かに調査を開始したのである。

ちなみに、アオガクタイムトラベラーの隊員の名前は、全員カラー名である。

 

不思議な書体「ブラック・レター」

確かに、不思議な書体だ。
「G」も面白いし、最後の「y」の下にはウナギが泳いでいる。

「見てください。この書体は、《オールドイングリッシュ》という特殊な書体で、vがbになっています!」と、いつも冷静なゴールド隊員が興奮を隠しきれない声で叫んだ。
ゴールド隊員は、日ごろ筋トレを欠かさない(たまにさぼっているようだ)。

FFonts.netサイト検索結果
FFonts.netというサイトで「OLD ENGLISH」書体の「university」を検索してみた

 

本当だ、見事に、bである。
どうやら突破口が開いたようだ。

オールド・イングリッシュの中でも、「ブラック・レター(Blackletter)」と呼ばれる書体のようだ。ブラック。なにやら曰くのありそうな名前だ。
その「ブラック・レター」を調べてみると、
・アルファベットの書体の一つ
・西ヨーロッパで12世紀から15世紀にかけて使われていた 
・英語において「ゴシック体(Gothic Script)」と言うと通常はブラック・レターを指す
・言語の「古英語」とは違う
・名前の由来は、ブラック・レターで書かれた本は、文字による「黒い」部分の割合が多くなるから
ということがわかってきた。

1851年に創刊されたアメリカの新聞「The New York Times」のロゴもブラック・レターだ。

また、『世界大百科事典』によれば、ゴシックとは「元来〈ゴート人の〉を意味する語。ゲルマン人の未洗練な流儀に対する蔑称の語調をもつ。」と書かれている。ルネサンス期中期のイタリアのヒューマニストたちがローマ帝国で使われていた書体を愛しており、洗練されていないものとして嫌い、蔑称としてゴシックという呼称を与えたという。

 

「グーテンベルク聖書」世界初の活字書体「ブラック・レター」の登場

そして、あの活版印刷を発明したヨハネス・グーテンベルクが印刷した世界初の印刷聖書「グーテンベルク聖書」またの名を「42行聖書」がまさにブラック・レターで書かれているのである。
世界初の金属活字の書体がブラック・レターだったのだ。

グーテンベルク聖書は現在、世界に48部しか存在せず、日本そしてアジアで唯一、慶応義塾大学図書館が貴重な上巻1冊を所蔵している。
ラテン語の聖書「Vulgata」が元になっている。

 

欣喜堂(きんきどう)の活字書体設計師、今田欣一さんは次のように語っている。

    15世紀、教会専用の公式書体「レットレ・フォルム」となり、のちに「テクストゥール(Textur)」とよばれるブラック・レター体が誕生しました。テクストゥールとは平織りの織り目の等しい布を意味しています。

 

青山学院の歴史の中に垣間見えた「ブラック・レター」

青山学院の100年史や120年史の資料を見ていると、様々なブラック・レターに出会った。

 

・東京英和学校(1883-1894)の神学校の校舎の礎石板

東京英和学校の神学校の校舎の礎石板

・野球チームのユニフォーム

野球チームのユニフォーム
1893年撮影

1883年、青山英和学校(青山学院)に野球部が創設された。同時期に波羅大学(現・明治学院)、工部大学校(現・東京大学工学部)、慶應義塾、駒場農学校(現・東京大学農学部)などにベースボール・チームが誕生した。その当時の野球部員のユニフォームにはあきらかにブラック・レター体で大きく「A」と記されている。

・東京英和女学校の卒業目録

東京英和女学校の卒業式目録
中央やや上に「Tokyo Ei-Wa Jo Gakko」と書かれている

・高等女学部の聖句
1923年に発生した関東大震災後に再建された高等女学部校舎の階段上に捧げられた聖句の書体もブラック・レター体。今も高等部北校舎1階のロビーに残っている(シルバー隊員が発見した)。

高等女学部の聖句
Christ
Way Truth Life
I am the Way, the Truth, and the Life. わたしは道であり、真理であり、命である。
ヨハネによる福音書14章6節

 

・青山学院創立140周年ロゴのデザイン

周年ロゴのデザイン
学院創立140周年時に作られた周年ロゴ

 

ロゴの説明文には、「周年ロゴタイプは、青山学院のさまざまなコミュニケーション活動において、視覚的なイメージを形成する核となるものです。キリスト教教育の伝統と誇りを感じさせる、中世末期のカリグラフィーを基につくられたブラック・レターと呼ばれる書体からデザインされています。」と書かれている。正門の英字表札から書体を採用したそうだ。

 

青山学院資料センターの岩本智実事務長に伺ったところ、毎年の学院職員の新人研修で、英字表札を案内し、スペルミスではなく、特殊な飾り文字だと説明しているとのことだった。

ではなぜ、青山学院ではブラック・レターを使っているのだろうか?

 

核心へ ゴシック様式、ラテン語、キリスト教

ここで関わってくるのが「ゴシック様式」だ。

ゴシック様式とは。

    美術史や美術評論において、西ヨーロッパの12世紀後半から15世紀にかけての建築や美術一般を示す用語。ゴシック式聖堂建築が始まった同時期にゴシック体が広まった。

ロバート・S・マクレイ

青山学院の源流となった三つの学校のうち、1879年にロバート・S・マクレイが設立した美會神学校に建てられた教会の特徴が《尖塔》で、まさにゴシック建築の教会の特徴であり、この当時からゴシック様式が伝統になっているものと思われる。マクレイは青山学院の初代院長である。

美會神学校の構内にあった天安堂と呼ばれた教会
美會神学校の構内にあった天安堂と呼ばれた教会

ゴシックとの関わりが見えてきた。

Dickinson College

ロバート・S・マクレイは、アメリカのペンシルヴァニア州にあるDickinson Collegeを卒業した後、中国、そして日本での伝道活動を行った。そのDickinson Collegeは、1773年にラテン語学校として設立された起源をもっており、多分に影響を受けていたものと思われる。青山学院に多大な援助を行ったジョン・F・ガウチャーもDickinson Collegeを卒業している。

ラテン語との関わりも見えてきた。

グーテンベルク聖書はラテン語で書かれたものだと先に述べたが、ラテン語についても調べてみた。

ラテン語

ローマ帝国の公用語。カトリック教会の公用語でもあった。
ルネサンス期には知識階級の言語となる。
19世紀まで、ヨーロッパの大学では、学位論文をラテン語で書いていた。
中世においては公式文書や学術関係の書物の多くはラテン語(中世ラテン語、教会ラテン語)で記されていた。
現在唯一、バチカン市国が公用語として用いている。
ちなみに、ウイルスという言葉もラテン語が由来である。

歴史学者の方の証言

お立場上、お名前を伏せるが、青山学院の歴史学者の先生にお話を伺った。

    19世紀後半のイギリスで、ウィリアム・モリスらによってアーツ・アンド・クラフツ運動が起こりました。それは、中世時代の見直しであり、建築・文化など多方面へ影響を及ぼした大きな運動でした。装飾文字もその一つです。
    同時期に発明されたタイプライターの影響もあるかもしれませんね。

イギリスは産業革命で「世界の工場」となり、生産量や技術力は世界一だったものの、品質が良いとは言えず、特にデザイン力が弱く、デザインの品質改善のため、アーツ・アンド・クラフツ運動が起こったようだ。その影響は世界各地に広がり、書籍やステンドグラスといった分野にも及んでいる。

タイプライターが商業生産され始めたのは、19世紀中ごろ。かつて活版印刷で技術職人たちが作り上げた装飾文字から一変し、味気の無い書体になったことに対する思いもあったのだろうか。

青山学院の源流となる三つの学校が創設され、発展していった19世紀後半。まさにこの時代であった。

 

推論 キリスト教と学問の象徴「ブラック・レター」

最後にご紹介したい文がある。

河野三男「ブラック・レター体、ことばの林、文字の森」より要約

    音声に代わって文字が言葉を伝える役割を担い始めて、中世初期には装飾文字が始まり、文字を肉体化し、文字に生気や神性を吹き込むというその装飾行為には、ことばの音を伝えたいという思いが込められていると理解できます。まさにブラック・レター体は絵画的、審美的、神秘性を帯び、神のことばをおさめた器としての書物(聖書)とそこに記された文字「ブラック・レター体」は、カギをかけても守るべき貴重な財だったのです。
『欧文書体百花事典 普及版』2013年 朗文堂

中世という時代、装飾文字に神の生きた言葉としての思いを込めていたのであろう。

 

このままだと、1冊の本ができあがってしまうほどの広がりを見せてきたため、ここで一区切り。
アオガクタイムトラベラーは、以上のことがらを総合的に判断し、次のように推論した。

ブラック・レター体は、
 1.キリスト教との関わりが深い書体である。
 2.学問の府であることを象徴する書体である。
 3.長きにわたる歴史と伝統を感じさせる書体である。

以上のことから、ブラック・レターを採用したのではないだろうか。

なにせ、記録が残っていないため推測の域を出ない。
単純に、表札の制作者が「好きな書体だったから」という理由だけかもしれないのだが・・・。

まあ、なんとか納得のできる推論ができあがり、ホッとしたところで、燃料切れ。
アオガクタイムトラベラーは解散となった。

この内容で、電話の質問に回答しよう。

それにしても、もう少し後世の人たちに配慮して書体を選んでほしかったという愚痴が・・・。

 

さて、次回のタイムトラベラーは?

「キャンパスの地下には巨大空間がある?」を企画中。
お楽しみに。

 

〈参考文献〉
・小林章『欧文書体 その背景と使い方』美術出版社 2005年
・小林章『欧文書体2 定番書体と演出法』美術出版社 2008年 
・組版工学研究会編『欧文書体百花事典 普及版』朗文堂 2013年
・『世界大百科事典』第2版 日立デジタル平凡社 1998年
・「マクレイ博士伝」マクレイ博士伝編集委員会編 1959年
・「青山学院100年 1874-1974」学校法人青山学院 1975年
・「青山学院120年」学校法人青山学院 1996年
・「青山学報」46号 1962年12月20日発行

〈資料提供〉
・青山学院資料センター