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厚木キャンパスの思い出 皆様の投稿のご紹介【アオガクタイムトラベラー】

『厚木キャンパス回顧 開学40周年【アオガクタイムトラベラー】』の「前編」「後編」ともにご覧いただきましてありがとうございました。
そして緊急企画の「特別編」として、皆様から厚木キャンパスの思い出話を募集いたしましたところ、卒業生の方、現役の教職員の方、元教職員の方などから思い出話をお寄せいただきました。ご投稿いただきました皆様、誠にありがとうございました。
ここにご紹介させていただき、皆様と共有して、共通の思い出として味わっていただきたいと思います。

 

ご投稿のご紹介

加藤 智彦 さん 1991年文学部教育学科卒 実家が小田急線沿線なので、厚木キャンパスへの通学は1限でも比較的楽でした。
本厚木駅のバスロータリーにかなり並んで、温水、船子などのバス停を過ぎて、緑多き森の里へ。あの光景は今でもはっきりと思い出せます。
愛甲石田駅からのバス路線ができた時は、さらに実家最寄り駅に近くなり、便利でした。
講義が休講の時にはサークル仲間と森の里の公園(若宮公園)へ出かけ、スーパーで飲み物やちょっとした菓子を買って、公園内の四阿でおしゃべり。
サークルの部屋で先輩や同輩と練習や単位の話や時には恋愛相談。
学食が混んでいた時は、某棟コーナーにあった自販機のハンバーガーとドリンクで軽いランチを。
キャンパスも私も若かったあの日々を、こうして文章を綴っていると鮮やかに思い出します。 
資料
若宮公園

 

あふろ さん 2002年経済学部卒 通学は原付バイクでした。駐輪場の横には駐車場があり、高級車がたくさん停まってました。さすが青学! と思いました。 
資料
駐輪場

 

ながさき しげる さん 1988年経営学部卒 埼玉県から電車乗り継ぎで2時間40分かけて通っていました。1年生の初めの頃は1限の語学授業に遅れないように早くに登校していました。まだほとんど学生のいなかった一番奥の芝生に何か茶色い物が動いていたので近寄ってみたらウサギだったのには驚きました。 
芝生
G館前の芝生

 

白井 優考 さん 2001年理工学部卒 厚木キャンパス・・・厚キャン。懐かしいですね。自分は理工学部なので1年しか通っていませんが、強烈に印象に残っています。千葉市から通っていたので無茶苦茶遠かった。通学片道3時間、往復6時間、1日の1/4を電車内で過ごしました。厚キャンの思い出は色々ありますが、一番、覚えているのは大雪です。その日は6限まであって授業が終わる頃には一面銀世界。当然、バスもなく、電車も止まっており、友達の家のある海老名市まで歩いて行きました。当時は、絶望的な気持ちになりましたが、今では、良い思い出です。この頃の友達はみんな元気にしているかなぁ? 
雪景色
雪景色

 

mak0084 さん 1991年文学部英米文学科卒 4限終わりのバス停集合。サークル仲間と神奈中バスの後部座席に陣取って、集団下校していたのが思い出深いです。騒がしくて迷惑だっただろうなぁ。片道1時間半の通学は辛かったですが、今思えば毎日がピクニックの様な日々でした。最初から青山キャンパスだったら、サークル仲間との絆もあれ程強くはならなかった気がします。 
バス
神奈中(神奈川中央交通)バス

 

Mr. Mount Chamber さん 1990年文学部卒 森の里なる山の中、神奈中バスだけが頼りの公共交通。コンクリート打ちっぱなしで冬は寒い! チャペルは異様に立派! 授業で使ったゴルフ場、隣が富士通さん、松蔭短大さん。空き講あっても行く所ない!地方の国公立大並みに車、バイク率高し! 砂利の駐車場、雨の日はかなり酷。青山Cでサークルあると移動が逆に大変! お陰で246~134通って湘南通い。神奈川県に詳しくなった。本音はずっと渋谷がいいなぁ。 
チャペルと富士通
富士通研究所(左)とウェスレー・チャペル(右)

 

利部 誠 さん 1983年文学部卒 大学4年次にサークルの新入生勧誘で初めて訪れた時の第一印象は「遠いな」でした。が、その時入った学食の明るい雰囲気が忘れられません。その後大学職員となり、たびたび訪れましたが、帰りに今もあるのかわかりませんが本厚木駅前の「珍満」というホルモン焼き屋に通ったことが思い出されます。店員も顔馴染みになりました。特に今は教授になられた文学部の井上直子先生と端からメニューを全て食べ尽くしたことが印象に残っています。 
学食
学生食堂

 

13190005 さん 1994年法学部卒 埼玉の実家から片道2時間半かけて通った厚木キャンパス。しまいにはヤケクソになって、2年生の後期には1限の30分前に厚キャンに到着していたのは若気の至りです。朝もやの丹沢山系がきれいでした。家庭を持って間もない初冬、ふと思い立って家内を連れて厚キャンに行きました。一面に紅葉した蔦の葉に息を呑んでいました。 
丹沢
丹沢山系

 

andyshiny さん 2003年文学部卒 遠い、いや、遠過ぎ。同じことを思っていた人は、正直たくさんいたとと思う。片道2時間半みて都心から通っていた。ただただ留年だけはしない為に2年間通いとおした思い出。酷いアクセス環境だったなー。 
アクセス
大学パンフレットよりアクセス図

 

ひろせ さん 1988年経営学部卒 厚キャンの近くに「サンワ」っていうスーパーマーケットがあって、そこのコーヒーゼリーが美味しかったですね。友人と買いに行って、キャンパスの丘の上で食べました。
冬の本厚木駅でバスを待ってるとき、いつもスティービーワンダーの「パートタイムラバー」が流れていました。
授業が休講になったとき、赤いスターレットで通学していた友人と横浜までドライブしてました。当時、広い駐車場は通学する学生の車でいっぱいで、警備員さんもいて、楽しかったな~。 
サンワ
スーパー三和 森の里店

 

ペイトン さん 1993年文学部フランス文学科卒 進学のために3月中に上京しました。することもなかったので厚木キャンパスに行ってみようと思いました。神奈中のバスにはだれも乗っていなくて、キャンパスにもだれもいませんでした。こんな遠いところにキャンパスがあることに驚きました。2年間楽しい思い出がたくさんできて、今でも懐かしく思い出します。 
構内
厚木キャンパス

 

準硬バンザイ さん 1996年文学部卒 厚キャンは、私の青春そのもの。私は4年間通いました。なぜってグラウンドが準硬式野球部の聖地だったから。セミナーハウスに泊まって練習したことも。大学生になっても真剣にボールを追うひたむきさやみんなの笑い声も大好きでした。部員が打ったボールを拾うために、ぐるーっとグラウンドを回って歩く時、遠くからみんなを眺められる時間も好きでした。自分が主人公ではない4年間。教師として教え子に無償の愛を贈る土台となりました。みんなどうしているかな? 
グラウンド
グラウンド

 

Tmyk さん 1988年文学部卒 ふらりとチャペルを訪れたら、誰もいなかったので、勝手にパイプオルガンを弾いたことを思い出しました。確かG線上のアリアを弾いたように思います。途中で様子を見に来た人がいましたが(あまりにも自分が自信満々に弾いていたので)練習と思われたのか、そのまま戻っていきました。誰かが練習していて席を外した隙だったのかもしれません。とにかく素晴らしい音でした。たぶん人生で自分自身が出した最も大きな音だと思います。 
パイプオルガン
パイプオルガン

 

Taka 2003卒 さん 2003年文学部英米文学科卒 厚木キャンパスの想い出といえば、神奈川中央交通バス、略して神奈中バスの想い出ですね。本厚木駅をおりてバスセンターで並んで乗車、当時はIC乗車券なんてなかったので小銭を持っていないと支払いができないという事態が発生してました。自宅から片道3時間半かけて通っていたので、1限に間に合うように家を出たのに厚キャンに着いて休講するとか、マジ地獄でした。暇をツブすようなものが何もないし。学食は席が取れないし、アイビーホールでジュースでも飲んでたのかなぁ。 
厚木バスセンター
厚木バスセンター

 

青クリ男子 さん 1999年法学部卒 学食で値段の安い「スパゲッティメイト」を買い、そのまま螺旋階段を登ってE341の部室へ持ち込んで食べるのが日課でした。部室の窓を開けるとそこが屋上につながっており、みんなそこから出入りして、授業のない時はいつも集まってダラダラする時間が学生の醍醐味だったと思います。 夕方、山に沈んでいく夕日がとても綺麗でしたが、埼玉から2時間半かけて通学していた私には、これから帰るのを考えるとなんとも切ない気持ちでした。 
厚木祭で仮装した牛さんと、屋上でチャペルを背景に撮影
厚木祭で仮装した牛さんと、屋上でチャペルを背景に撮影〈写真ご提供:青クリ男子さん〉

 

Front wave さん(厚木1期生) 温水のコーポ春山に下宿し、原付バイクで通っていました。
グラウンドがまだ出来ていなかったので、のっぱらで体育のソフトボールの授業をしていました。フライを取ろうとしたら溝にはまってひっくり返ったことを覚えています。E館前でバレーボールをしました。
学食は席が足りなくて、入れなかったときは軽食コーナーでハンバーガーを食べていました。
けもの道がまだ舗装されておらず土の状態で、ある日、帰りのバスに並んでいたら大雨が降り、けもの道がぬかるんでしまい、私たちの間では“地獄谷”と呼ぶようになりました。
 
けもの道
通称“けもの道”

 

内田 達也 大学副学長(厚木1期生) 学生の時、東武動物公園駅の実家から片道3時間かけて通いました。旅行でしたね。週2日間1時限の授業があり、その時は前日に相模大野に住んでいた友人のアパートに泊まらせてもらっていました。
教員になってから一番思い出すできごとは、雪の日、試験範囲の授業をしなくてはならず、5時間目の授業を行ったのですが、帰りのバスが雪のために途中で立ち往生してしまい、そこから歩いて愛甲石田駅まで行ったところ、電車も止まってしまい、24時間営業の店で、電車が動くまで過ごしたことですね。

 

前編公開後にいただいたコメントのご紹介

当時、とある軽音サークルに所属されていた方々からいただいたコメントをご紹介いたします。
ありがとうございます。

 

・懐かしいね、25年も経つんだね。
あの頃に戻りたいよ。

・凄いプロジェクトを立ち上げましたね。
懐かしく、また新たな発見がある厚キャン回想を読ませていただきました。
気付けば、厚キャンを出てから20年以上が経っているのですね。

・数年前に偶然にも秦野に出張があったついでに、今は日産の研究所になっている厚キャンに思い出散歩に行こうと計画しました。
学生の頃聴いていた懐かしい曲を車の中で聞きながらハイテンションで厚キャンの入り口に行き、卒業生だと事情を話して中を歩かせてもらいたいと警備員に話しましたが、外部者は全く受け入れられないと言われ、敷地の外を少し散策しました。
外から見た感じ、厚キャンの面影は全くありませんでしたが、外の遊歩道は何か懐かしい感じがあり、うるうるしてしまった記憶があります。

・懐かしい写真あったな。愛甲石田駅の愛甲ダッシュ💨
多摩センターも候補地だったなんて知らんかった。そうだったらどんなに通学が楽だったろうか。1年の時、英語が一限にあったけど朝起きれず全部遅刻。でも単位はくれた。なんと有難かったことか。

・読んだ!結構興味深かったよ。奥さんにも紹介しといたよ👍

・同窓生にシェアしました♪

・懐かしい〜!!!
色々と思い出すね。
内部生からしたら不遇の時代と言わざるを得ないけど(笑)、不便さも思い出になると、やっぱりキラキラしたものに変わるんだな、と思ったり。
当時いろいろと感じてた不便さ、全部学校側も認識してたんだって知れたことが興味深いです。

・なかなか写真がエモいですね。
私、合格してから厚木だって知ったのであのときのショックといったらなかったです(笑)

・懐かしいエピソード満載ですね! 学食の席が少ない(サークル席”禁止”)とか…
日産潜入レポートも楽しみです笑

・うぉー、ありがとう。PCの画面でしっかり読みました。我らが青春…Where we were…

・俺は入学当初はサークルよりもクラスメイトたちの方が仲が良くて、彼らと昼休みを過ごしたG館前の芝生のどんぴしゃりの場所の写真も載っていた✨✨

・中身はあとでじっくり拝見させていただくとして、まだ読んでいないのだけどあまりにもノスタルジーだったのでハッとなりました😃お知らせありがとうございます😉👍

・写真が懐かしすぎます!
忘れてた記憶が甦りました😅ありがとうございます!

・ついに行くことはなかった「本格地酒 厚木の酒 やまぼし酒店」(神奈中バス小野宮前のアナウンス)
…休日に厚木ドライブするのも悪くないかもしれませんね。

 

貴重な資料のご提供

今回の『厚木キャンパス回顧 開学40周年【アオガクタイムトラベラー】』シリーズ公開後、かつて厚木キャンパスに勤めていた職員の方々から貴重な資料をご提供いただきましたのでご紹介いたします。

 

最後の厚木祭(2002年10月12日~13日)

ご提供者:海野 大輔 さん(当時、厚木事務部教務課所属)

「下の写真は、A館前で教務課職員で餅つきをして、来場者の皆さんに配布したときの様子です。
掲示板やキャンパス外周のニワトリや野菜の栽培など様々な想い出があります。
撤退が決まった後、噴水の水が抜かれると噴水の池で泳いでいた金魚はどうなったんだろうかと考えたりしました。」

厚木祭
厚木祭
厚木祭
厚木祭
厚木祭

 

パンフレットなど

ご提供者:鈴木 博貴 さん(1988年4月~2003年3月までの15年間、厚木事務部所属。厚木3期生)

当時の貴重な資料を大切に保存されていました。

資料
厚木キャンパスを紹介するパンフレット
資料
パンフレットに描かれたキャンパスマップ
資料
ウェスレー・チャペルの特集パンフレット
資料
最後の年に作られた厚木キャンパスを振り返るパンフレット

 

鈴木さんはキャンパス移転直前、新キャンパス開設準備室(相模原への移転準備を担当)に所属されていました。厚木から移転する情報は、1999年10月15日、「市民かわら版」(厚木市の地域新聞)がいち早くスクープ記事を掲載し、同日、大騒ぎになったとのことでした。そのほかの主要な新聞は、翌10月16日の紙面で伝えており、鈴木さんはそれらの切り抜き記事をきれいに保存されていました。著作権の問題でここでは紹介できませんが、当時の衝撃が伝わる紙面ばかりでした。

 

旅を終えて

厚木キャンパスの思い出を皆様と共有できたことをうれしく思っています。
今回も有意義な旅ができたと、タイムトラベラー隊もホッとしているところです。

「不便さも思い出になると、やっぱりキラキラしたものに変わるんだな」というコメントにとても共感いたしました。
人間なぜか、大変だったことの方をよく記憶しているもので、皆様もそれぞれの思い出があることと思います。
その思い出はぜひ大切にされてください。

次回は世田谷キャンパスを巡ってみたいと思います。
お楽しみに。

 

厚木キャンパス フォトアルバム

厚木キャンパスフォトアルバム1
厚木キャンパスフォトアルバム2
厚木キャンパスフォトアルバム3

 

本厚木駅 近影

本厚木駅近影1
本厚木駅を降りて、左・中央・右 の風景
本厚木駅近影2
右へ進み厚木バスセンターへ
本厚木駅近影3
厚木バスセンター
本厚木駅近影4
本厚木駅北口
(2022年7月13日撮影)