Interview インタビュー あおやま すぴりっと

卒業後も続く青山学院との絆に感謝〈校友・江藤愛さん〉

TBSアナウンサーとして活躍する江藤愛さん。中学生の頃からアナウンサーを志し、そのための努力を重ねた結果、現在は全国に、テレビを通じて情報と笑顔を届けています。
青山学院創立150周年記念歌舞伎や創立150周年記念式典では司会を務められ、献身的な〝青学愛〟にあふれた青学マインドをお持ちの方です。
青山学院での思い出やアナウンサーという仕事について、そして本学に期待することなど幅広く語っていただきました。

(2024年10月30日インタビュー)

 

 

木佐彩子さんにあこがれアナウンサーを目指す

──幼少期はどのようなお子さんだったのでしょう
人前に出ることや目立つことが苦手な子どもでした。幼稚園のお遊戯会でいい役をもらえても、着物を着てちょうちん行列に参加しても、恥ずかしさや「笑われている」という先入観が強く、早く終わって欲しい一心でした。習いごとの水泳は好きだったのですが、大会の緊張感や順位を競い合うのは嫌で、「どうして試合に出なければいけないんだろう」と思っていました。

中学生ではバレー部でエースだった姉の影響もあり、同じ部活に入りました。小学生までは嫌いだった勉強も好きになり、なかでも英語が好きだったので、中1の頃の将来の夢は英語の先生でした。ただその時点でも人前に出ることは苦手だったので、「先生になりたいけれどなれるかな」という不安を抱きつつでした。

中3のとき、テレビでアナウンサーの木佐彩子さんを拝見したのが、その後の人生に大きな影響を与えました。彼女の笑顔、堂々と話す姿、流ちょうな英語など何もかもが魅力的で、私も木佐さんのようになれたらと、アナウンサーという仕事を意識するようになりました。

──高校時代はどのようにお過ごしでしたか
アナウンサーになるために、方言を直さなければいけない、そのために「東京の大学」に進学しようと、心に決めて始まった高校生活。人生の中で、一度「マネージャー」をやってみたいという憧れがあった私は、バレーボール部のマネージャーをしたり、姉の誘いで、体育祭のチアリーダーの活動もしたりしました。その中で最も力を注いでいたのが、受験勉強。地元の大分から福岡まで夏期講習に通ったり、放課後も残って、いつも友人と勉強をしていました。しかし、受験した3つの東京の大学は不合格。合格したのは、地元の国立大学でした。もちろん高校の先生からは「地元の大学に行ってもアナウンサーへの道はあるんだよ」と言われたのですがどうしてもあきらめきれず、親に浪人させてほしいと頼んだら「やりたいようにやっていい、応援するから」と言ってもらえて。上京して大学生になっていた姉と同居しながら再度チャレンジしました。無事に合格することができ、浪人を許しくれた両親にも受験をサポートしてくれた姉にも、本当に感謝しています。

最初の受験に失敗したこと、他にもやりたいことをいくつかあきらめたことなど、高校時代には悔しい、情けない思い出がたくさんありますが、今振り返ると、その経験全てが自分の糧になったと思っています。

 

 

今につながる英米文学科での学びとキリスト教

──大学時代の思い出をお聞かせください
授業では、冨山太佳夫先生の英文学概論が大好きで、競争率は高かったのですが、3年の時には頑張って冨山先生のゼミに入ることができました。冨山先生は「物事は書かれていることだけじゃない、その裏にはいろいろな意味が込められている」ということを、英文学を通して教えてくださいました。また、「人に伝えたいことは最初にちゃんと言うんだよ、最初の一文が大事なんだよ」という先生の教えは、アナウンサーになった今、「人に届けるためにはどんな言葉を選ぶかが大事だ」という考えにつながっています。

 


大学学位授与式の日に正門前で

 

──思い出に残る授業はありますか
Integrated Englishプログラムの授業は能力別に分かれて少人数で学ぶのですが、周囲には帰国子女も多く、先生も外国人でレベルが高く、自分の英語のできなさ加減を痛感させられてばかりいました。それでも必死についていく中で気がついたのは、私の学んできた英語は「書くだけ・読むだけ」で、本当に大切なのはコミュニケーションだということです。最初は英語を話すことも恥ずかしかったのに、必死で学ぶうちにどんどんみんなと仲良くなりました。授業の一環であった「英語での交換ノート」に、ニックネームで自分の思いを書くと、それに対して誰かが返してくれる。日記だからこそ自分の気持ちを飾らずに表現できたところもあり、随分支えになりました。今でもつきあいの続いている大切な友人がたくさんいます。

それからキリスト教概論も好きでした。青学で聖書を手に初めて教会で礼拝をまもったとき、「この考え方、いいな」と思ったんです。人間、生きていれば人に対して負の感情を抱くこともありますよね。けれどキリスト教はそれを「赦してあげよう」と教えます。その考えにはっとさせられて、青学に入学できてよかったと改めて実感しました。以来、キリスト教概論の授業はいつも最前列で受けていました(笑)。自分の名前が「愛」だから愛を大事にしようと思うようになったのも、キリスト教の教えを学んだことがきっかけです。

──思い出の行事はありますか
2年次の夏休みに約3週間、語学研修プログラムでオックスフォード大学に行ったのも忘れられない思い出です。現地でシェイクスピアの劇をしたのもどきどきする経験でしたし、みんなで『オペラ座の怪人』を観に行ったのも贅沢な体験でした。本場の舞台で観られたことが、観劇好きの原点になったと思います。学生にとっては高価なチケットでしたが、みんなで思い切って行って本当によかったです。今も休日はミュージカルから歌舞伎まで、幅広く観劇を楽しんでいます。

 


語学研修プログラム オックスフォード大学での1枚。佐野弘子先生(中央)と、今も親交が続く親友(右)と

 

──2年次には「ミス青山」で準優勝されました
アナウンサーは一貫して目標だったので、恥ずかしながら「アナウンサーにはミス○○になっている人が多いようだから、私もなれたらいいな」という思いはありました。1年の時に英米文学科にいた広告研究会の友人に「ミス青山に出てみない?」と声をかけてもらったのですが、その時はまだ出る勇気がなくて。2年次にもう一度声をかけてくれたときに思い切って出場しました。当日は家族や予備校時代の友人までかけつけてくれてうれしかったですね。ステージでの自己PRでは何もできず「よろしくお願いします」しか言えなかったのですが、準ミスになれて、しかも苦手な人前に立つ経験もできて本当によかったです。

──就活もアナウンサー一筋だったそうですね
はい。学生時代はカフェとテレビ局でアルバイトをしていて、テレビ局のバイトの先輩がおすすめしてくれたのが、TBSのアナウンススクールです。大学2年の春から約半年間通い、3年次にTBSから内定をいただきました。とうとう中学生の頃から目指していた職業にたどり着けて本当にうれしかったです。

 

アナウンサーの仕事はサーバント・リーダーの姿

──念願のアナウンサーとなって約15年、ご自身で感じる成長や変化はどんなところでしょう
入社したての頃は、話すのが怖くて仕方ありませんでした。スタジオでも「江藤さんは?」と意見を求められたとき、何を話せばいいかわからない怖さがあったんです。でも今は、もちろん間違えてはいけないし、誰かを傷つけてはいけないという意味で、話す内容に責任を伴った怖さを持っています。だからこそしっかり準備しようという姿勢に変わりました。

アナウンサーの仕事を始めたばかりのとき、多くの先輩から「この仕事にはゴールがないよ」と言われたのですが、今ひとつ意味をわかりかねていました。けれど日を追うごとに、まさしくその通りだと実感しています。「今日もちゃんとできた、しっかり頑張った」と思った仕事でも、何年か経ってから見直すと「下手だな」と思うことがよくあるんです。空間の読み方、話し方、間の取り方、話す温度、感情、色々なものが混ざりあって感じるのですが、その時はできていると思っていても、今の自分だと「こんな発言ができていればよかったな」と思ってしまうことが多々あります。特に生放送のやり直しはききません。日々努力して磨いていかないと、技術はすぐに衰えてしまいます。ゴールがないとはまさにその通りだと思います。

また、休日の大切さも実感するようになりました。この夏は久々に大分の実家に帰省してのんびりした時間を過ごし、「このままずっとここでゆっくりしていたいな」と思うほど、働くことより休んでいる時間が幸せに思えたのですが、休み明けにスタジオに戻って一言発した時に「もっともっと、丁寧に伝えていきたい」と思いました。きっと休んだことで、心の中がリフレッシュされ、アナウンサーという伝える仕事を、より大切に思えたんだと思います。

──これまで担当された仕事でとりわけ思い出深い番組はなんでしょう
ひとつに絞れないほどたくさんあるのですが、最近では「CDTV ライブ! ライブ!」で青学の先輩であるサザンオールスターズさんとご一緒できて「1号館の屋上で練習してたんだ」といった母校での思い出話を聞くことができた時には、この日のために青学に入ったんじゃないかと思うほど感激しました。忘れられない経験です。最初に桑田佳祐さんが「青学出身なんだってね」と言ってくださったとき、母校がつないでくれた絆だと感じました。

ご縁のある仕事すべてを宝物のように感じていますが、小さい頃から音楽を聴くことが大好きで、音楽番組も録画して何度も見直すほどだったので、音楽番組にはとりわけ思い入れがあります。音楽を届けたいアーティストとファンの架け橋になりたい、音楽はもちろんアーティストの心も届けたい、という思いで向き合っています。

 


「CDTVライブ!ライブ!」相棒のBoonaちゃんと

 

──アナウンサーに求められる資質についてはどうお考えですか
整理整頓する力だと思います。話す仕事とどうつながるのか不思議に思われるかもしれませんが、特に生放送時、アナウンサーは話がさまざまな方向に行ってしまっても、元の流れに戻すという役目があります。しかも話を中断させることなく、すっと「こっちですよ」と雰囲気を壊さず引っ張っていくことが大切になります。あちこちに散らばってしまったものを元の場所に戻して本来あるべき形にするのは、部屋の整理整頓と同じだと感じます。昔、私の生放送番組の机を見た先輩から「愛ちゃん、MCテーブルが資料で汚いよ」と言われたことがあります。そのときの私はきちんと話すことに精一杯で、指摘されて初めて机に資料が散らばっていることに気づきました。正しく情報を伝えるためにテーブルの上が整頓されていないと、いざというときに「あの資料どこだっけ」と慌てることになります。それ以来、整理整頓を心がけるようになりました。本当に素敵でありがたいアドバイスでした。

──今では、後輩たちにアドバイスする側なのではないですか
「後輩たちに良い背中をみせてください」と言われる年次になってきました。背中……ではありませんが、先輩アナが後輩たちに「江藤アナは、足腰が強い」と伝えている、ということを聞いたことがあります。アナウンサーというのは、立ち仕事が多いので、「足腰を強くする」というのはアドバイスになるかもしれません(笑)。長寿だった祖父に習って青竹踏みをしています。

──一見すると華やかに見える職業ですが……
実際には自分が目立つのではなく、誰かの役に立つというのが仕事です。番組の流れの中で誰かを支える、誰かの役に立つということが大切な役割なので、私はこれも一つのサーバント・リーダーの姿だと思っています。青学の精神はこうして今の仕事につながり、私の大事な礎を築いてくれたと感じています。

 

人の気持ちを想像できる笑顔でやさしい人に

──文房具がお好きだそうですね
日々持ち歩いているペンケースには、ペンやマーカーなど何十本も入っています。考えていることを活字にすることで整理できたり客観視できたりするので、書くことも好きです。「5年日記」を毎日書いています。社会人になりたての頃は同じ悩みばかり書いていたのですが、ある頃を境に次第に前向きな内容に変わっていきました。負の要素をたくさん書いてきたからこそ、前を向けるようになったのかもしれませんね。日記アプリを利用される方も多いでしょうが、私は手書き派です。

──「座右の銘」はなんでしょう
「過去は未定」という言葉です。高校時代の悔しい思いなど、そのときは落ち込んでいるし悲しんでもいます。けれど時間が経ってみれば、浪人したから青学に入れた、青学に入れたからアナウンサーになれた、そして今がある。過去は今の心の持ちようで前向きに変わるんだという考え方です。逆に、今努力すればかならずいい方向に向かうという意味で、「未来は決定」だと思っています。

──アナウンサーを目指す人たちへアドバイスをお願いします
今の若い世代はコロナ禍という辛い時期を経験したからこそ、前向きに生きられる強い人が多いと感じます。また、自分のやりたいことが明確な人もたくさんいて、その目標に向かってまっすぐ進めるしっかりした世代だと思います。だからこそ、人の気持ちを想像できるやさしい人になってほしいですね。みなさん発信力がありますから、それに加えて「自分の発言を相手がどう感じるか」という想像力を働かせられるようになることが必要だと思います。強さとやさしさのいずれも持ち、目標に向かって進んでほしいです。これはアナウンサーを目指す人に限らず、これから社会に出ていくすべてのみなさんへ伝えたいです。

──今の青山学院はどのように見えますか。また、今後にはどのような期待をされますか
「青春」という言葉がとても似合う場所だと思っています。また、もともとパワーがあると感じていましたが、私が在学していた頃の「華やかなパワー」から、今は「さわやかなパワー」に変化した気がします。箱根駅伝で活躍している陸上競技部の影響もあるでしょう。また新たにできたマクレイ記念館のように、大学がきれいになっていくのも学生のモチベーションにつながると思います。今後も伝統を守りつつ進化もしていってほしいです。これからも校友・在校生や青学に関わるみんなが「青学が大好き」と誇れるような場所であることを願っています。

──在校生に向けてメッセージを
今の学生は本当にしっかりしていて、私も尊敬している面がたくさんあります。ですからどうかそのまま等身大でいてください。大事なのは、ちょっとしたことでも「ありがとう」と人に感謝する気持ちを忘れずに過ごすことだと思います。私が司会・進行を担当している「THE TIME,」で流れる「シマエナガの歌〜今日もいい日に♪〜」という歌にも、「誰かに笑顔でありがとう」という歌詞があります。まさにこの歌詞の通り、いつも笑顔で人にありがとうと言える人になってほしいです。

──本日はお忙しい中、ありがとうございました。

 


江藤 愛 さん ETO Ai

1985年生まれ、大分県日田市出身。
青山学院大学文学部英米文学科卒業後、2009年にTBS テレビに入社。
現在は「CDTV ライブ! ライブ!」「ひるおび」「THE TIME,」などで司会・進行を担当し、
2023年の「世界陸上ブダペスト大会」「アジア大会 中国・杭州」では総合司会を務めた。
TBSエキスパート特任職トップスペシャリスト。

 

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「青山学報」290号(2024年12月発行)より転載
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