Interview インタビュー あおやま すぴりっと

選手のポテンシャルを最大限に引き出し勝利へ導く〈校友・池田太さん〉

小学3年生で始めたサッカーに夢中だった少年は「将来はサッカー選手になりたい」という夢を実現させ、さらに日本女子代表監督としてなでしこジャパンを率いる立場となりました。
FIFA女子ワールドカップ オーストラリア&ニュージーランド2023では、1次リーグを1位で通過、ベスト8に導きました。
ひたすらサッカーに打ち込んだ大学サッカー部での思い出からJリーグでプレーした選手時代、指導者として、そして池田太監督を魅了してやまないサッカーの魅力まで幅広くお話をうかがいました。

(2023年9月11日インタビュー)

 

姉の影響で始めたサッカー 高校でディフェンダーに転向

──サッカーはどのようなきっかけで始められたのでしょう。
姉が小学校でサッカーをしていて、母に連れられ練習を見に行くうちに面白そうだ、自分もやりたいと思ったのが始まりです。当時、小学3年生でした。サッカークラブは4年生からしか入れませんでした。ボールを追いかけるサッカーが楽しそうで、ほかの同級生と一緒に先生に直談判して3年生が入れるチームを作ってもらいました。

中学校にあがりサッカー部に入ると2年生がいなくて先輩は3年生だけ。メニューを自分たちで考えて練習するやり方は楽しかったですね。平日は部活動に明け暮れ、休日はサッカークラブチームの青梅FCの練習に参加し、試合にも出場させてもらっていました。

──高校は埼玉の強豪校に進まれました。
全国高校サッカー選手権大会に憧れがあり強豪校に入学したくて、武南高校に進学しました。入学後は球拾いからのスタートです。いつ声がかかっても、万全の状態で試合に出られるよう、常に準備はしていました。そしてついに2年生のとき、試合に出られる機会が巡ってきました。当時練習ではフォワードでプレーしていたのですが交代を告げられたのは、ディフェンダーのセンターバックのポジションだったので驚きました。でも、試合に出たいという気持ちが圧倒的に強く、ポジションにこだわりはありませんでした。卒業後、当時のことを監督に尋ねたところ、粘り強さや相手に対しての強い姿勢などを見ていただいていたようで「お前はディフェンダーだろう」と即答されました。

憧れていた全国大会にも3年生のときにキャプテンとして出場、ベスト8まで進みました。監督と選手の間に立ってコミュニケーションを取るのはキャプテンの大事な役割ですが、なによりもまず自分自身がひたむきにサッカーに打ち込まないといけない、その姿こそキャプテンシーだと学びました。きつい練習の後にみんなで食べたラーメンのおいしさは忘れられません。サッカーでつながっている小・中・高校の仲間とは今でも連絡を取り合う仲です。大切な仲間ができ、多くを学び、まさにサッカーに育ててもらったと感じています。

 

 

1部リーグ昇格に五輪代表候補 実り多い大学時代

──高校卒業後は本学に進学されましたが、進路はどのように決められたのでしょう。
僕が高校生の頃、まだJリーグが発足していなかったので、選手として活動するには実業団に入る必要がありました。企業である実業団に入るには、大学でなにを学ぶかも重要になってきます。青学を選んだのは校風が明るく感じたこと、サッカー部の雰囲気もよかったことが大きかったです。当時は関東2部リーグでしたが、1部を目指して戦えるチームだと感じました。

当時の1・2年生は厚木キャンパスだったため、初めてのひとり暮らしも経験しました。自由な時間があったからこそ、自分を律し、大学4年間という限られた時間をいかに使うかを意識していた気がします。練習は厚木キャンパスから離れた横浜市の綱島総合グラウンドでしたので、授業と練習が重ならないよう履修科目の曜日を集中させるなど工夫もしていました。遠征も多く、授業に出られないときにはレポート提出で対応してくださるなど、先生方のご協力にも感謝しています。部活動との両立で授業の際には疲れもあったのですが、会社や経済、世の中の仕組みを学べた授業は実に貴重な時間でした。

──サッカー部では1年生からレギュラー、1部昇格にも貢献されました。
練習メニューもキャプテンを中心に自分たちで考えてつくり上げているサッカー部の雰囲気が自分に合っていました。練習後、仲間と綱島温泉に寄るのが恒例でしたね。

大学1年生のときにバルセロナオリンピックの代表候補合宿に招集されました。また、3年次には目標だった1部昇格を果たせてうれしかったです。現在の総監督である中村修三さんが三菱自動車からの出向で監督に就任されたのも僕が3年生のときです。

卒業後の進路を考える時期、ちょうどJリーグ発足の準備が進んでいて、サッカー部のメンバーもJリーグ入りするクラブチームの練習に参加していました。僕自身は卒業後、Jリーグでサッカーをしたいという思いがある一方、サッカーは趣味で続けていこうかと迷う時期がありました。けれども就職した自分を想像したとき、仕事を終えて帰宅してテレビをつけ、そこにかつての仲間がサッカーをしている姿が映っていたら、自分も挑戦したかった、と後悔するのではと思いました。そこでJリーグでプレーしたいと監督やコーチに伝えたところ、4年生の夏に浦和レッズの練習に参加する機会をいただき、その後入団が決まりました。もしも入団が叶わなかったら、急いで就職活動を始めていたでしょうね。

 

Jリーガーから指導者へ サッカーの魅力も再確認

──Jリーグ元年に浦和レッズに入団。どう過ごされたのでしょう。
スカウトされて入団した同期もいて、毎日練習に食らいついていくのに必死でした。試合に出て結果を出さなければ生き残れませんから、当時はサッカーを楽しむ余裕はなかったですね。特に1年目は自分の力不足も自覚していましたし、周囲はみんなライバルでした。とはいえ一緒に食事に行ったり、日本リーグを経験された先輩方がいろいろ話をしてくれたり、キーパーの土田尚史さんがよく声をかけてくれて、家族ぐるみで食事に行くこともありました。

プロとして4年間プレーした後、次の契約が更新されませんでした。当時はまだJ2やJ3は整備されておらず、この先どうするか決断を迫られました。その時、当時のGMだった横山謙三さんが、指導者の道はどうかとご提案くださったのです。もちろん選手を続けたいという気持ちはありましたが、Jリーグで4シーズン戦って、ほかのチームから声がかからなければそこまでの選手だということです。一方で、指導者として働くのは楽しいのではと思うようになりました。好きなサッカーに関われるのは魅力でしたし、Jリーガーとして長年プレーしてから指導者になる人よりも早く指導者としてのスタートを切ることで、実績も重ねていけるのではと思い、指導者の道に進むことを決めました。

 


浦和レッズ選手時代(1993年)©J.SEIO

 

──その後、指導者としてさまざまな経験を重ねていかれたのですね。
引退後、最初は浦和レッズのU-18という高校生チームのコーチとなりました。監督はさまざまなことを決断するのが仕事で、コーチは監督の意図していることを選手に伝えたり、選手の思いを監督に伝えたりします。さらには今起きていることやこれから起こりそうなことなどを監督に伝えるのが役目です。監督よりは選手に近い位置ですね。

トップチームのコーチを7年間務め、多くのタイトル獲得に携わった後は、サッカーを通じて心を育み、普及していく浦和レッズのハートフルクラブのコーチになりました。ここでは、サッカーを教えると子どもたちの目が輝くのがうれしかったですね。サッカーはルールも簡単ですし、みんなで足を使ってゴールへボールを進め、シュートが決まったときは全員で喜び合える、そのシンプルなところに魅力があると改めて感じられた経験でした。

また、この時期にJリーグの監督に就くことができるJFAのS級ライセンスを取得しました。このS級ライセンス取得の際、同じ受講生に2012年にアビスパ福岡の監督に就任された前田浩二さんがいて、「一緒に戦ってもらえないか」と声をかけてくださったんです。これまでずっと浦和レッズでさまざまな経験を積ませてもらってきましたが、今以上に自分の能力を伸ばすためには浦和レッズ以外のクラブのことも知るべきだと思い、アビスパのコーチの話を受けることにしました。振り返れば、いつも大事な場面で人に恵まれてきたと思います。


浦和レッズトップチームコーチ時代の練習風景(2003年)©J.SEIO

 

日本代表監督として なでしこジャパンを率いる

──2017年にU-19の日本女子代表監督に就任されました。
女子を指導するのは初めてでしたが、特に不安はありませんでした。就任した年の10月、W杯のアジア予選に当たる「AFC U-19女子選手権中国2017」で優勝、翌年の「FIFA U-20女子ワールドカップ フランス2018」ではドイツ、イングランド、スペインを破って初優勝することができました。なでしこジャパンやU-17はすでに世界一を獲っていましたから、U-20もついに優勝できて本当にうれしかったですね。「自分たちも世界を獲りたい」という強い意志を持った選手が多く、一体感を持って戦えたところに勝因があったと思います。さらに1試合ごと、戦いの中で選手たちが成長していってくれたことを感じました。

この一体感を築くためには、まず選手一人ひとりがしっかり自立している必要があります。普段は異なるチームでプレーしていますから、各チームが大切にしているものなどを確認しつつ、日本代表として戦う誇りを伝え、大好きなサッカーで世界一を目指せる喜びを忘れないでほしいといったことを伝えていました。
2019年以降も19、20歳以下のチームの監督を務め、2022年8月にはコスタリカで行われたU-20ワールドカップで準優勝しました。そのチームと兼任する形で、2021年10月になでしこジャパンの監督に就任しました。

 


FIFA女子ワールドカップ オーストラリア&ニュージーランド2023コスタリカ戦(2023年7月26日)
写真:アフロ

 

──どのようなことを考えて、チームづくりをされていますか。
Jリーグなら、1シーズン通してチームをつくり上げていきますが、代表チームの場合は活動期間が決まっています。また前回のキャンプに招集された選手が次のキャンプにも参加しているとは限りません。短い期間でもチーム内で密度の濃いコミュニケーションを取りながら、選手たちが自分の持っている強みをしっかり出せるように、所属チームで活躍している選手が集まっている中で競争しつつ、日本代表として戦うまとまりのある空気を醸成する、そういうことを考えながらチームづくりをしています。

選手がピッチ内でどうふるまっているかはアンテナを張って見ていますし、コーチやスタッフからも様子を聞いています。自分の目だけでは限界がありますから、選手の状態を知るためにもコーチの存在はとても重要ですね。アンダーカテゴリーでも一緒に戦ったことのある選手は、自分のメッセージのニュアンスも伝わりやすいと思いますが、そういった選手も含めて、全員にしっかりと意図が伝わることが大事です。今や海外所属も珍しくありませんから、「日本代表になるほどの選手なら自分のチームと代表チームの戦術の違いくらい対応できないとね」と発破をかけつつ、その上で目指す方向を同じにしていきます。とは言え、どれほど勝ちたいかという強い思いや勝利への執念など、選手各自の野心がなければこちらがいくらあおっても結果は出せません。そこで自分が示した方向性やコンセプトを選手たちが実際にピッチで実践してみてどう感じるか、それをフィードバックしてもらい調整していくといった具合に戦い方をつくり上げています。

また、選手たちは対外的なことに目を向けることも大切です。日本代表はその言葉通り日本の代表として世界と戦いますが、相手国もそれは同じなので、敬意も込めて相手国のことを知ることは大切だと思います。その国の文化や暮らしの中でどれだけサッカーが親しまれているかなど、選手たちに知ってもらいたいですね。

──2023W杯の結果についてはどう思っていらっしゃいますか。
今回のW杯で、日本代表の俊敏性や何人もが関わってボールをつなぎ連動する組織的な部分は世界に通用する武器だと実感しました。90分間強い気持ちを持ち続けることができる粘り強さも備えています。一方、海外は体の大きな選手が多いので、ボールの奪い合いや局面を打開する力という点で強みがあり、そういう点は今後日本代表がより成長させていかなければならない部分だと感じました。

──強豪国を倒して決勝トーナメントに進みました。勝負の分かれ目はどこにあると感じていますか。
勝ち負けの差は本当に紙一重です。今まで努力してきた積み重ねの部分、試合当日の選手のコンディション、試合の戦術、さまざまな要素が組み合わさって決まる複雑なものだと思います。岡田武史さんは「勝利の神は細部に宿る」と仰いました。まさにその通りだとも感じます。ただ敗れるときは敗れる要素があるわけで、そこはしっかり見極めていきたいと考えています。
今年からオリンピックアジア予選も始まり、アジア2枠を巡って厳しい戦いをしています。オリンピックというのはサッカーに限らずどの競技でも、国民のみなさまに大きなインパクトを与える国際試合です。なでしこジャパンが活躍し勝利する姿を見ていただくことが、この先の女子サッカーの発展も含めて大事なことになってくると思いますので、まずはしっかりと予選を突破することに集中したいと思います。

──在校生に向けてメッセージを。
一度きりの人生なので、いま思っていることに迷わず進んでほしいなと思います。目標がある人はそれに向かって頑張ればいいし、目標が無い人は、無いということをそのまま受け入れればいいんです。時間はあっという間に過ぎるので、重要なのは、「今」と自分の「直感」を大事にすることです。そして学校生活で出会った友人を大切にしてください。若い頃に出会った友人は一緒にいろいろなことを経験し、思い出を共有できる一生の仲間です。人はひとりでは生きていけません。ですから、仲間を思う気持ちを忘れないようにしてください。それが学校生活やその先の人生をより彩り豊かなものにしてくれると思います。

 


池田 太 さん IKEDA Futoshi
1970年、東京都生まれ。1993年、青山学院大学経営学部卒業後、浦和レッズ入団。1997年より浦和レッズユースコーチなどを経て2012年よりアビスパ福岡コーチ就任。2017年U-19日本女子代表監督、2018年U-20日本女子代表監督などを経て2021年よりなでしこジャパン(日本女子代表)監督。2011年JFA S級ライセンス取得、2018年AFC会長特別賞受賞。

 

池田太さんの主な活躍

大学時代のトピックス(1989-1993)
 五輪バルセロナ大会日本代表候補に選出
 サッカー部を1部昇格に導く(1989-91年)

浦和レッドダイヤモンズ時代のトピックス(1993-1996)
 主に左サイドバックを担当
 通算出場61試合。1得点。

指導者としての主なトピックス(1997-)
指導者としての主なトピックス(1997-)

 

 

「青山学報」286号(2023年12月発行)より転載
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