Interview インタビュー あおやま すぴりっと

日本代表として挑む東京オリンピック〈卒業生・山崎アンナさん〉

2020年3月18日、東京2020オリンピック「セーリング女子49er(フォーティーナイナー)FX級」代表に内定した山崎アンナさんにインタビューした記事を再掲いたします。
山崎さんは、初等部・中等部を経て、高等部2年の時にセーリング競技を続けるために日本体育大学に飛び入学をされました。

同競技は、7月27日(火)12時05分~、江の島ヨットハーバーにて行われる予定です。
皆様のあたたかい応援をお願いいたします。

 

2019年12月に行われた世界選手権で日本勢トップの結果を残し、東京オリンピックセーリング女子49er(フォーティーナイナー)FX級代表に内定した山崎アンナさん。最初は海が怖くて泣いてばかりいたという少女は、負けん気の強さとたゆみない努力によって日本を代表する女性セーラーに成長しました。

伸び伸び過ごしたという青山学院での11年間と、競技に専念するため飛び級で進学した現在の学生生活、そして東京オリンピックにかける意気込みとその先の未来まで、語っていただきました。

(2020年3月18日 インタビュー)

 

セーリングの魅力は自然の中で自分の力を試せること

──東京オリンピック代表内定おめでとうございます。
ありがとうございます。初等部の卒業文集に「将来はオリンピックに出て金メダルを獲りたい」と書いたほど昔からの夢だったので、決まった瞬間は本当にうれしかったです。でも、その直後からメディア対応などがあったので、喜びの余韻に浸っている時間はありませんでしたね。また、同じようにオリンピック出場を目指していた先輩方に勝利して獲得した代表権だったので、「先輩方の分も頑張らなければいけない」と、身の引き締まる思いでした。

──セーリングはいつから始められたのですか。
兄がセーリングをしていた影響で兄について海に行ったのが初等部2年生、7歳のときです。はじめは安全のために艇を紐でつなげられ、スタートしました。それから15歳までのジュニアが乗れるOP(オプティミスト)級という艇に乗るようになりました。

最初は自分からセーリングをしたいと言い出したものの、本格的に練習をするようになると嫌でたまりませんでした。毎週土日に海に行くのですが、そのたびに艇の上で地団駄踏んで「嫌だ」と大泣きしていたほどです。コーチにも「艇が壊れるからじたばたするな!」と怒られていましたね。今は風の強い状態で練習をするために、あえて荒れている海に行くこともありますが、当時は波の立つ海が怖かったです。

──意外ですね。いつ頃から意識が変わったのでしょうか。
気持ちに変化が生まれたのは、初めて海外遠征をして世界選手権に出場した初等部6年生のときです。それまで国内では、気乗りのしない練習をしていましたが、試合では勝てていました。しかし海外ではそんな中途半端な姿勢では通じないということを初めて実感し、そこからやる気が出ましたね。

12歳の時に出場したドミニカ共和国での世界選手権の様子
12歳の時に出場したドミニカ共和国での世界選手権の様子

 

──山崎さんにとってセーリングの魅力はどんなところでしょう。
セーリングは風を使って水上を走る競技ですが、風などの自然の力そのものをコントロールすることはできません。その条件の中でいかに力を発揮できるかという、自分を試せるところに魅力を感じます。

──どのような力・能力が必要とされる競技ですか。
与えられた条件下で最大のパフォーマンスをするためには、風を読む力が不可欠です。また、自分たちが進むコースを引く上では海の色や深さ、潮、波、地形、他艇の位置など、様々なことを多面的に考える必要があります。そして、近くにイルカや小さなサメが泳いでいることもあり、そういうところに目を向ける視野の広さも欠かせません。だから経験も必要ですが、私はどちらかというと「あ、あそこの風がいい」というその場のひらめきでレースを組み立てることが多いです。

セーリングに適した体づくりも重要です。風が弱いときは体重が軽いほうが速く進みますが、強いときは風を抑える力が必要になります。体重は軽すぎず重すぎず、しなやかに動ける筋肉のある体が理想的です。

そのような要素すべてを整えることで、ようやく本番で最大限の力を出す素地ができます。

──49erFXはペアで操る競技ですね。
2017年からノエビアの女子セーリングチームに所属し、髙野芹奈さんとペアを組んでいます。艇は2人乗りなので、パートナーとのコミュニケーションも非常に重要です。クルーの髙野さんは車でいうアクセルの役割、スキッパーの私は舵取りと、常に意思疎通を図りつつ、それぞれの役目を果たします。どんなときも2人で一緒に動かしているので、レース中はずっと会話をしています。髙野さんは、年下なのに生意気でわがままな私に対していつもフラットに接してくださりありがたいです。性格はとても似ている面と正反対の面の両方があるので、そこがいいですね。2人の名前から「アンセナ」と呼ばれることも気に入っています。

4年前ペアを組んだ頃の髙野さん(左)と
4年前ペアを組んだ頃の髙野さん(左)と

 

──これまでに行った海で好きな場所はどこですか。
一番きれいだと思ったのはニューカレドニア、一番好きなのはオリンピックの選考で勝ったニュージーランドのオークランドです。日本ではよく練習している神奈川県の葉山が好きです。

 

青山学院が育ててくれた物事を広くとらえる力

──本学には初等部から高等部2年まで在籍されました。
青山学院の自由な校風のおかげで、11年間伸び伸びと過ごすことができました。自然が好きで、体を動かすことも大好きで、物事を広くとらえる力や小さなことにくよくよしない楽観的な性格は、青山学院が育んでくださったのだと思います。

特に初等部は楽しい思い出がいっぱいです。体育の授業がとりわけ楽しくて、体育が好きになった上に「青学初等部の体育の先生になりたい」という夢も抱くようになりました。また、6年生の担任だった喜多正裕先生はいつもセーリングを応援してくださいました。卒業式は、初めての世界選手権の選考大会と同日となり出席できなかったのですが、後日、初等部の礼拝堂で特別に私だけの卒業式をしていただいたことは忘れられません。初等部は、いつも守ってもらえているような安心感があるところでした。

また、初等部で毎日讃美歌を歌っていたのがいまだに残っているのでしょうね、今もふとしたときに口をついて出てきます。歩いているときなどにごく自然に……。讃美歌を歌うと元気になるのです。

初等部の運動会にて
初等部の運動会にて(中央)

 

──クラブ活動はされましたか。
初等部では5年生のときに英語クラブ、中等部では1年生のときだけ女子バスケットボール部に入りました。部活は楽しくて続けたかったのですが、土日の練習や試合がすべてセーリングのスケジュールと重なってしまい、出られないので残念でしたが辞めました。バスケットボールの試合に出たかったし、友人たちともっと遊ぶ時間が欲しいと思うこともありましたが、セーリングは私にとっては「当たり前」のものになっていたので、それを辞めるという選択肢はなかったですね。土日だけでなく、夏休みなどの長期休みも、雪の降る冬も、いつも海にいました。

──海外遠征が多いですが、青山学院で英語力が身につきましたか。
高等部まで青山学院で過ごせてよかったと思うことの一つに、初等部からずっと英語に親しむ環境で学べたということがあります。海外遠征が多いですし、外国人のコーチとは英語でのやりとりですから。ただ、私は聞く力はある程度あると思うのですが、話す力がなかなか上達しないのが課題ですね。

 

セーリングに専念するため飛び級で大学へ

──高等部に進まれた後は飛び級で日本体育大学に進学されました。大きな決断でしたね。
1年生の頃は飛び級なんてまったく考えていなかったのですが、転機になったのが現在の49erFXという艇種に乗り始めたことでした。FXは非常にスピードが出るので練習できる場所が限られていて、毎週末、和歌山まで通うようになりました。金曜日に学校が終わったら飛行機に乗り、ときには母に車で和歌山に送ってもらい、月曜日に戻ってくるという生活で、さらに合宿や遠征もあります。次第に学校を休む日が増え、登校できた日は友人から休んでいた分のノートを借りてひたすら写し、勉強していました。

セーリングに集中すると学校に行けず、通学を優先すると練習できないという状況に、このままではまずいと思い始めた2年生のとき、日本体育大学の「飛び入学入試」を知りました。日体大には公認欠席の制度があり、合宿や遠征で休む際は課題で対応してもらうことができるのが魅力でした。「受けるだけ受けてみよう」と挑戦したところ、合格できたのです。うれしいよりも「合格した!」とびっくりする気持ちのほうが大きかったですね。

青山学院の自由な校風が大好きでした。しかし日体大に飛び級で進学することに、迷いはありませんでした。唯一、友人たちと離れるのがつらかったです。しかし、今でも付き合いが続いていて、私の中では一生の友人たちです。

──日体大ではどのように過ごしているのですか。
セーリングができる環境を求めて日体大に進学したものの、初等部からずっと青山学院で過ごしてきたので、未知の世界にいきなり飛び込んだら寂しくて、最初の頃は毎日泣いていました。環境が激変したことに気持ちが付いていけなくて、ただ涙だけがぽろぽろ出てしまう感じでした。しかし海外遠征にたくさん行くようになってからは、毎日が忙しくて泣いているどころではなくなり、自然と落ち着きましたね。

1年の半分以上は試合や練習に費やされますが、オフは大学の時間として授業にも出ています。それから家族と過ごす時間も少しでも長く持つようにしています。英語ももっと勉強したいですね。セーリングだけでなく、できるだけたくさんのほかのことにも目を向けるよう心がけています。

──競技に専念するには大学に進学しないという道もあったと思います。なぜ飛び級してまで二足の草鞋を履こうと思われたのですか。
今後の人生を長い目で見たとき、教職課程も取りたいと思ったからです。「青学初等部の先生になりたい」という思いは今も持っていて、小さい子が好きだし、私のようにオリンピックに出たいと言っている子がいたら、私が先生方にしていただいたように全力で協力してあげたいのです。教職課程を履修しているので課題もかなりボリュームがあり、遠征先でも苦労しています。それでもいつかセーリングから一線を退いたとき、セーリング以外のものもあるようにしたいので、教職課程は頑張って取りたいと思っています。

 

見すえているのは東京オリンピックのその先

スキッパーの山崎さん(左)とクルーの髙野さん 撮影:中嶋一成
スキッパーの山崎さん(左)とクルーの髙野さん 撮影:中嶋一成

 

──山崎さんの乗る49erFX級は、「海のF1」と称されるほどのスピード種目だそうですね。
はい。艇は5m近くあって、結構大きいですが、海の上では飛ぶように走ります。トラピーズというワイヤーロープで体を支え、艇外に乗り出してバランスを取りながら操船するのですが、時速40kmほど出ますね。

私はこのスピード感に惹かれてFXを選びました。スピードがある分、1試合は約30分と、セーリング競技の中では短いほうです。一斉にスタートしてアンカーの置かれたマークを回るコースを2、3周し、タイムではなくゴールした順位を競います。

レースが始まると、艇は風を動力としてジグザグに走ります。その道筋を決めるのに、その都度しっかり決断することが大事です。

──勝負はどのような点で決まるのでしょうか。
上位を狙うには、スタートから最初の1マークを回るまでが一番重要で、そこが勝負といってもいいほどです。特にスタートは、スタート地点にスタンバイしてから実際にスタートするまで5分間あるのですが、その間はルールを厳守しつつ、ほかの艇と様々な駆け引きをする時間帯でもあります。スタートの瞬間にベストな位置と速度であるよう、スタートラインからはみ出すことなく、ほかの艇にぶつからずに随時艇をコントロールしていないといけません。風や波がある中でそれをするわけですから、高い技術が求められます。以前はこのスタートに苦手意識がありましたが、今はしっかり克服できました。

──世界のレベルとの違いはどのようなところだと感じていますか。
ヨット発祥の国であるオランダをはじめ、ヨーロッパには強豪がそろっています。日本では、ハンドリングなど一人で練習する技術は向上しますが、多くの国の人たちが集まれる上に競技人口も多いヨーロッパのほうが、レースの練習環境としては恵まれています。また、私たちは日本人の中でもフィジカルが強かったことがオリンピック代表の座をつかめた一因だと思うのですが、欧米人のフィジカルの強さは圧倒的で、恵まれた体格もうらやましいです。ただし私たちは小柄な分、素早く動けることが長所なので活かしていきたいですね。

それから一つの大会で12レース、15レースとある中で、海外の選手はどのレースも安定させるのがとても上手な点も見習いたいところです。

インタビューに答える山崎アンナさん

 

──東京オリンピックへの意気込みをお聞かせください。
世界選手権やヨーロッパ選手権だとダークホースがメダルを獲得することもあり得ますが、オリンピックは違いますね。「たまたま獲れた」ということにはならないと思います。オリンピックでメダルを獲ることができる人は、本当にそれだけの実力を持っている人。おのずと限られてきますね。

日本で開催されるオリンピックに日本代表として出場する以上、最大限のパフォーマンスを発揮できるよう万全な準備をして臨みたいです。

応援してくださる方、お世話になった方々、そして家族に、今まで頑張ってきたことを披露できる最高の機会でもあるので、自分のできることをすべて見せたいですね。特に母は練習のために和歌山まで車で送迎してくれるなど、いつも私を支えてくれました。代表が決まったときもすごく喜んでくれたので、母のためにも頑張りたいです。

──東京オリンピック後も競技は続けるのですか。
私にとってセーリングは趣味ではなく、セーラーとして大会で成績を残すためなので、大会で勝ちたいという気持ちがある限り、競技を続けたいです。その後はコーチングにも興味がありますし、青学初等部の先生というもう一つの夢が実現している未来もいいですね。

──最後に在校生へのメッセージを。
自分がやりたいと思ったことはやりたいと主張して、周囲のたくさんの方々に感謝しながら自分を信じて頑張りましょう!

──本日はありがとうございました。

 

山崎アンナさんからのメッセージ

 

山崎 アンナ さん YAMAZAKI Anna

1999年、神奈川県横浜市生まれ。青山学院初等部、中等部を経て高等部2年の時、日本体育大学へ飛び入学。現在同大学体育学部体育学科4年。2015年JOCジュニアオリンピックカップ女子レーザー4.7級優勝。17年から49erFX 級で髙野芹奈選手とペアを組み、同年ジュニアワールド選手権で銀メダルを獲得。

 

[Photo:加藤 麻希] https://www.katomaki.com

「青山学報」272号(2020年7月発行)より転載

 

ノエビア女子セーリングチーム

ノエビア女子セーリングチーム

株式会社ノエビアは美と健康を創造する企業として、豊かな自然の恵みを活かした商品を通じ、輝く女性を応援されています。「海」という大自然に夢を追う女子セーリングを「企業スポーツ」としてチームを設立。2017年4月より、“49erFXクラス”において、山崎アンナさんと髙野芹奈さんによる新チームを結成し活動中。