世田谷キャンパス開学60周年を記念して、皆様に思い出話を募集いたしましたところ、卒業生や世田谷キャンパスで働いていらっしゃった方から思い出話をお寄せいただきました。
ご投稿いただきました皆様、誠にありがとうございました。
ここにご紹介させていただき、皆様と共有して、共通の思い出として味わっていただきたいと思います。
卒業生の皆様からのご投稿
HK さん 1988年機械工学科卒
世田谷特集、首を長くして待っておりました。世田谷キャンパス時代はよく教授室に遊びに行って先生と色んなお話をした記憶があります。私にとっては充実した日々を過ごすことができました。とっても懐かしく貴重な思い出です。
ありがとうございます! 大変お待たせいたしました!
林 豊 さん 1969年経営工学科卒
私が理工学部に入学したのは昭和40年4月で1期生でした。初年度から廻沢キャンパス(当時は世田谷キャンパスとは言いませんでした)への通学でした。と言ってもキャンパスは工事中で正門も出来ていませんでした。当時の写真をお送りいたします。残念ながら渋谷キャンパスで授業を受けた事はありませんでした。 でも全校の中で自分が仲間になりたい教授が中心となってたまに集まるために廻沢から渋谷まで運行されていたマイクロバスで行ったものです。それを「アドバイザーグループ」、略して「アド・グル」と称して文系の学生さんとの交流もでき多くの女学生ともお話しが出来ました。 理工学部には女学生は2名しかいませんでした。 理工学部には、クラブも同好会もありませんでしたが機械工学科の吉田君らとクラブを作ろうと機運を盛り上げ、学校にも働きかけて廻沢にもクラブが出来ました。1年後には第1回「めぐりさわ祭」が行われたのでした。第2回の小冊子も残っています。 懐かしい思い出です。
第1期生の方からの貴重なお話、そしてお写真のご提供、ありがとうございます。
正門の写真、とても貴重です!
はまひろ さん 1970年機械工学科卒
今回の世田谷キャンパス対談で、2期目から1年次は青山キャンパスと有りますが、正しくは3期目から1年次、青山キャンパスの間違いです。私たち2期目は、1年次の留年決定者に「いいなー、青山キャンパスで学べるねー」とひやかしたものでした。
大変助かりました。
修正いたしました。
渡辺 博 さん 1978年機械工学科卒
‘72入学、私の青学理工学部機械工学科は機械油匂う男だけの材力・流体・熱力・他機械関係の授業と、オシャレ青女との理工テニス部でした。卒論は空気機械ご専門の渡部研究室で「斜流型タービンの流れ特性」について、人生初めて研究なる物を致しました。本研究は先生のご出身、慶應義塾大学理工学部ターボ研の支援を頂いていたので何回か日吉も訪問交流しました。修論は幼いころから興味のあった内燃機関、「ロータリーエンジンの熱損失」を寺崎研の松浦講師に教授頂きながらも、不明点は他大学(日本大学粟野研)に出向く又はメーカにも問い合わせ、自力で研究目標を明らかにしました。定年後はENG知識を活かし、同窓の若手酪農家とバイオガス発電機導入を「地の塩、世の光」の精神、非営利で行っております。実現の暁には青学の皆様にもエコミルクを飲みながら見て頂きたい。そして、この地球温暖化にSTOPの為、是非とも青学全体でCO2削減に取り組んで頂きたいと思います。
大学からの研究を活かされたサーバント・リーダーとしてのお働きですね。
バイオガス発電の実現、楽しみでございます。
はまのひろし さん 1970年機械工学科卒
最寄りのバス停が、千歳農協前。すごーく田舎に来た気分でした。でも、キャンパスに入ると、別世界でした。何もかもが真新しく特にチャペルはオシャレで私のお気に入りの建物でした。私は、理工学部2期生、ほとんどの学生が未成年なのに、そこかしこに灰皿が置いてあるのも、大学だなーと感心したことの一つです。一番の楽しみは、部活のため、マイクロバスで青山キャンパスに通うことでした。青山キャンパスは当時もキラキラ輝いていました。
2期生の方からの貴重なお話、ありがとうございます。
前出の「はまひろさん」ですね。
清水 信光 さん 1974年物理学科卒
6期卒業生です。皆さんお元気ですか。入学した夏休みに仲間たちと清里の寮で語り明かしたり、研究棟の長い廊下でパターの練習したり、思い出は尽きません。ゼミの先輩と午後のコーヒーブレイクを物理科の事務所で楽しみました。アドグルでは高名な教授の薫陶を受けたことを今も大切にしています。現役の青学生と先生がたのご活躍を祈念しています。
6期生の方からの貴重なお話、ありがとうございます。
K.M さん 1995年経営工学科卒
中庭の芝生の上での友人との会話が懐かしい、楽しい時間だった。今でもLINEグループ作って連絡とっている友人は自分を含めて姓がマ行、ヤ行がほとんどで、50音順で近くの席に並んだ面々だ。出会いはそんなことから始まった。
友人は宝ですね。
しまだ さん 2002年理工学研究科化学専攻修了
当時、学部3年間・大学院2年間の5年間を世田谷キャンパスのすぐ近く(徒歩5分くらい)で生活していました。就職で一時期ほかの土地へ移り住みましたが、気がついたら当時の下宿先から100メートル以内の距離のマンションを購入していました。世田キャンがマンションになってしまってしばらく経ちますが、正面の門の前を通り過ぎるたびにあの頃のことを思い出します。無くなってしまったのは残念ですが、時代の流れですかね。在学証明書の発行のために一度だけ相模原キャンパスへ行ったことがありますが、それはとても立派なキャンパスで、当時の自分たちはなかなか過酷な(?)環境で勉強していたんだな……などと思いました。でも、好きでしたよ。世田キャン。
世田キャンが大好きなのですね。ありがとうございます。
吉田 勝也 さん 1985年化学科卒
理工学部化学科、1985年卒業の吉田勝也と申します。青学での4年間は、私の生きる基盤になっています。宗教主任の伊藤久男先生のご指導により教会に通うようになり、2年生の時に洗礼を受けました。4年生の卒業研究は、生物化学研究室でさせて頂きました。当時、私には研究したいテーマがあり、教授の鮫島達也先生に「このテーマで卒論を書かせて下さい」とお願いしたところ、「できるだけのサポートをするから頑張りなさい」と言って頂きました。たいへん嬉しかったです。鮫島先生の温かいご指導により、無事、卒論を完成させることができ、大きな自信になりました。世田谷キャンパスでは、先生方、研究室のメンバーや友人に恵まれ、この場をおかりして、心より感謝を申し上げます。青学卒業後は、医学部に進学しました。現在は、がんに特化した心療内科、かつや心療内科クリニックを運営しています。青山学院の益々の発展をお祈り申し上げます。
先生や仲間など多くの方々との恵みのある出会いですね。
これからも病気で困っているかたを一人でも多くお救いくださいますように。
坂口98 さん 1998年経営工学科卒
キリスト教概論を落として毎週水曜日に朝から厚木に通う。
身につまされるお話です。
伊藤研の踊り子 さん 1987年化学科卒
私が大学院1年目の時のこと。院生ともなると夜中まで実験をしたり、研究室に寝泊まりすることさえありましたが、それは男子学生に限ったことで、「女子学生は夜10時までに帰宅」という規則がありました。秋の学会準備に実験が忙しくなった頃、私はその規則を破って終電近くまで残ることがあり(一つの分析結果が出るまで何時間も待たなければならなかった)、その場合は警備員のいない裏門を乗り越えて帰っていたのです。ところがある日、隣の実験室に行こうとして例の横に果てしなく長い廊下を横切った時、懐中電灯を手に巡回していた警備員と鉢合わせしてしまいました。私はさっそく捕まって、「誰かに迎えに来てもらわない限り帰さない」と言われました。院生仲間のだれかの提案で、研究室の4年生のA君が近くに住んでいるしバイクを持っているから彼に聞いてみたら、ということになり、あの携帯電話などない時代に誰がどうやって連絡をつけたのか記憶にありませんが、そのあと私はA君のカワサキバイクの後ろに乗り、警備員に見送られて夜中の学校を出たのでした……
青春ドラマのワンシーンのようです。
富本 晃吉 さん 1984年物理学科卒
現在は、名誉教授の池田正幸先生だけが恐らく理工学部創設前後の事情をご存知の物理学科教員でいらっしゃるかと思います。オーラルヒストリー的に先生のインタビュー記事を採録して頂ければ大変嬉しく存知ます。ご連絡先などは学院で把握されているものと拝察致します。
ご提案いただきありがとうございます。
ご連絡してみたいと存じます。
チェリー さん 2005年第二部経営学部経営学科卒(学生雇員)
私は、理工学部の学生ではありませんでしたが、学生雇員として図書館で3年間勤務させて頂きました。真面目な学生さんが沢山の蔵書を抱えて、図書館と研究室を往復していたのを昨日のことのように覚えております。大変だったのは、文献複写依頼が毎日あり、蔵書の中から指定された文献を探し、さらに指定された論文のページを大量コピーして発送するという業務でしたが、英語等外国語の文献は探すのが一苦労でした。校舎内の薄暗い廊下は、天井に沢山のダクトやパイプがあり、さながら潜水艦の通路を彷彿させる感じだったのをよく覚えています。今は、マンションになってしまいましたが、当時のレンガ造の外構はまだ残っています。そのレンガの壁を眺めながら、懐かしい校舎や図書館を時折思い出しております。
ご自身の授業のために、仕事の後、青山キャンパスに行くのも大変だったと思います。
ありがとうございました。
なおゆうのママ さん 1972年文学部教育学科卒
文学部だった私はアドグルで理工学部のT先生を選びました。充実していて楽しそうに思ったからです。入会してからは授業の合間に足しげく廻沢に通いました。楽しい日々でした。アドグルでの数々の行事、旅行、本当に楽しかったです。大学での一番の思い出です。そこで夫とも出会いました。今はT先生も夫も逝ってしまいましたが心の中でいつまでも楽しい思い出として生き続けます。
T先生、天国で見守ってくださっていると思います。
経営工学科草野球有志軍団 さん 1983年経営工学科卒
大学のソフトボール大会で、理工学部経営工学科中心で集まった有志で出場した時の相手が、同じ理工学部の準硬式野球部チームだった。結果は我々有志軍団が勝利し、悔しがった野球部は軟式野球で再戦を挑んで来たが、何と軟式でも我々有志が勝ってしまったのだ! 勝因はソフトボールも軟式野球もスーパーエースが完封したからだった! しかし、そのスーパーエースは惜しまれつつ若くして病気で亡くなった。その姿と思い出を忘れない様に、また、彼にこの投稿が届く様に……
ご投稿ありがとうございます。スーパーエースを偲びます。
金子 有加里 さん 1990年化学科卒
理工茶道部に所属していました。忙しい実験の合間にキャンパスの一角のこぢんまりとした茶室へ走り、白衣を脱いで貴重な安らぎのひと時を過ごしました。先生もお優しく素敵な方で大変癒されました。世田谷祭ではドキドキしながらお点前! 学業に無理なく活動できる数少ない部活でした。卒業後1回だけ後輩の方に呼んで頂きましたがその後は皆さんご無沙汰で、また是非集まりたいです。
素敵なときを持たれましたね。
徳永 健 さん 1995年法学部卒
私は法学部だったので授業では世田谷キャンパスと無関係でしたが 、体育会アーチェリー部所属でここにはアーチェリー場があったので、厚木(1~2年次)・青山(3~4年次)を上回り4年間お世話になったので、ある意味最も思い入れがあるキャンパスでした。アーチェリー場だけでなく、トレーニングで運動場を利用したりキャンパス内を走ったりと、部員の仲間たちと苦楽を共にした思い出は卒業して30年経ってもはっきりと覚えています。かつて世田谷キャンパスのあった場所を通るとあの懐かしい日々を思い出します。
3つのキャンパスに通われたのですね。
blancas さん 1977年理工学部卒
キャンパス本体で無く、隣接する女子寮のことを思い出しました。当時の彼女は、廻沢キャンパスの隣に隣接したスクーンメーカー寮の住人で、携帯電話など無い時代に連絡を取るのが一苦労でした。この寮に外線電話は1本?で、電話交換手ならぬ伝言手は寮生が輪番で担当するという酷な話で、週末などに拘束されるのは言語道断だと思えました。
今と比べるととなかなか厳しい時代でした。
匿名 さん 1994年文学部日本文学科卒
世田谷キャンパスに入るかどうか分かりませんが、スクーンメーカー寮(女子寮)にいました。門限などとても厳しい寮で、今の若い人に当時の生活を話すと引かれます(笑)。門限や各種当番のおかげで制限されてしまった活動もありましたが、寮での日々は忘れられない思い出です。
そのような時代でも、思い出がたくさんあって安心いたしました。
M.H. さん 1987年法学部私法学科卒
私は4年間スクーンメーカー寮で生活しました。寮は理工学部とのおつきあいが多く、毎週の夕拝にはよく機械科の三輪先生がお越しになり、とてもすっきりと分かりやすく、聖書や力学、古楽器のことを話して下さいました。世田谷祭やクリスマス礼拝は、青山や厚木とは違った趣があり、地域の方が多数来場するアットホームな雰囲気がありました。一番印象深いのは、チャペルにあった手作りのパイプオルガンの音色です。これはあのとき大学院生だったF氏の卒業研究でした。その後世田キャンは、大規模マンションになることが決まり、当時杉並に住んでいた我が家にもそのチラシが入りました。赤レンガの外壁はそのまま残すとのことで、大きく描かれていました。それから20数年後の昨年、私が転職したら同時入社の人が、あの世田谷のマンションに、新築当時から住んでいるというのです! 赤レンガの外壁は今も健在とのことです。大切にしてくれてありがとう!
F氏のパイプオルガンの音色を聞きたいです。
身近な方で住んでいる方がいらっしゃるとは!
久保 和彦 さん 1992年物理学科卒
世田キャンの話ではありませんが、世田キャンからすぐ近くにあった「キッチン駅前」が懐かしいです。駅も無いのにこの店名。入店に少し勇気のいる店構えの怪しい店でしたが、ここ以上の『豚しょうが焼き』に出会った事はない絶品でした。研究室入り浸りの理工学部学生の多くがお世話になっているはずです。さすがに跡形も無いのでしょうね…
職員座談会でも「キッチン駅前」の話題が出ました。
今も健在であれば、食べに行きたいですね。
中邨 良樹 さん(現・本学経営学部経営学科教授) 1998年経営工学科卒
卒業論文作成時は研究室での滞在時間が長くなるので、夕食は近隣で。正門出て右側には夫婦で営む弁当屋、信号渡って環八に向かう途中のそば屋、左側農協前にはハンバーガーとピラフがおいしい町レストラン(キッチンとか言っていました)が行きつけでした。
「キッチン駅前」は人気がありますね。
kazu329790 さん 1987年電気電子工学科卒
1985-87年まで世田谷キャンバスに通いましたが、もう40年も過ぎてしまってるので、キャンバスの思い出も薄れてきてます。その中でも食べ物の事はいくつか鮮明に記憶に残ってます。学食のスパゲティ大盛り、正門前の喫茶店のカレー、そして校内のイチョウの木から落ちた銀杏を研究室のみんなで拾って、身を剥ぎ、フライパンで煎って食べた事。でもその後の手の臭さと言ったら……。口では言い表せません。40年たった今もあの時の匂いの記憶は消えませんね!
匂いが伝わってきました。
海が好き さん 1986年物理学科卒
スキューバダイビングを目的に沖縄や三宅島/八丈島/小笠原の海で合宿していた当時のサークルは理工文化連合会に加盟し、器材を保管する部室が世田谷キャンパスにありました。海以外での水・土曜の陸トレは渋谷や厚木のメンバも世田キャンへ集合し、学内周回のランニングや正門を入って左側のバスケットコートでのバスケットボールが主な活動でした。世田谷キャンパス単独での学園祭もあり、本校出身のHさんのコンサートが大盛況だった記憶があります。学食ではコロッケ付シーフードコンボやスプーン利用のかつ丼ばかりでしたが、正門前の駅前キッチンやパスコにも大変お世話になりました。サークルや授業後には千歳烏山の雀荘が帰宅先。東秀の餃子や養老乃瀧の養老ビールが想い出です。大学院生になると自家用車での通学が認められ学内の駐車場を利用しました。どの駅からも遠く学内から出にくい環境からか、その分友人との濃いキャンパス生活が送れたと思います。
たくさんの思い出をありがとうございます。
「スプーン利用のかつ丼」と、「Hさんのコンサート」のHさんがだれだか、気になりました。
終わりに
世田谷キャンパスの思い出を皆様と共有できたことを大変うれしく思っています。
経営工学科1期生の林豊様をはじめ、初期のご卒業生の方々に多くご投稿いただき、ありがたい限りでございます。
また年代を越えた皆様からのご投稿、感謝申し上げます。
卒業生それぞれの皆様のお心に、様々な思い出が残っていることでしょう。
世田谷キャンパスの歴史を紐解き、常務理事の対談、職員座談会、そして、卒業生の皆様からの貴重なお話を伺うことができ、世田谷キャンパスという空間のあたたかさを感じることができました。
ご協力くださった皆様、ありがとうございました。
このシリーズの最後として、現在、世田谷キャンパスで学んだ・働いていた現役の先生方に、思い出話を募っています。
まとまり次第、公開いたします。
富本様からご提案いただきましたように、池田正幸先生にお会いできればと考えております。
また、2025年12月20日に、世田谷キャンパス跡地を訪れてみました。
祖師ヶ谷大蔵駅から歩いてみました。まっすぐの1本道でした。
こちらも詳報できればと思います。
お楽しみに。
〈世田谷キャンパス開学60周年記念シリーズ〉