“ルター聖母理解の変遷”日本で唯一の研究書『ルターはマリアを崇敬していたか?』
2020/10/31
2017年はマルティン・ルターによるプロテスタント宗教改革500周年の年であった。青山学院においてもプロテスタント宗教改革を振り返るイベントがいくつか行われた。筆者もある学会でプロテスタント宗教改革について講演をする機会があり研究を行った。その中で出会ったのが本書である。
著者の澤田昭夫筑波大学名誉教授(1928─2015)は東京大学文学部西洋史学科、コーネル大学大学院(M.A.)、ボン大学大学院(Dr.phil.)で学んだ後、南山大学、筑波大学、日本大学で教鞭を取り、本書出版当時は東京純心女子大学教授であった。
本書の大きな貢献は、丁寧な文献研究を通して、宗教改革者ルターが、その生涯において、聖母マリアに対する崇敬を持っていたことを明らかにし、提示していることにある。日本ではルターのマリア崇敬はほとんど知られていない。また本書はルターの聖母理解の変遷を追っている。日本におけるこのテーマでの唯一の研究書であるといってよい。
プロテスタント教会では、17世紀、18世紀にかけて聖母マリアへの崇敬が失われていった。また日本のプロテスタント教会では今日、聖母への崇敬も関心もほとんど見られない。そしてその原因をしばしばルターに帰すのである。しかしルターは聖母を崇敬していた。
プロテスタント教会が、聖母マリアを忘れていった大きな理由の一つは、プロテスタントのスローガンの一つ「聖書のみ」にある。聖書には聖母マリアについての記述が多くない。「聖書は『聖書のみ』と主張しているのか?」ということは真剣に論じられなければならないと思うが、実はルターは、聖書に記されていない教会の伝統も重んじている。ルターが批判し拒絶したのは、聖書の権威よりも上に立とうとする当時の堕落したカトリック教会のあり方であり、また中世のスコラ学の伝統である。その一方で、ルターはキリスト教初期の伝統、教父の伝統、また教会公会議の伝統を大切にしている。教会は当初から聖母マリアを「神の母」と呼び、特別な崇敬を持っていた。
カトリック教会と東方正教会だけでなく、ほとんどのプロテスタント教会も最初の4つの教会公会議を認めている。第1ニカイア公会議(325年)、第1コンスタンティノープル公会議(381年)、エフェソス公会議(431年)、カルケドン公会議(451年)である。これらの公会議で確認された内容は、当然のことながら宗教改革者たちにとっても重要な真理として受け止められている。そしてエフェソス公会議は聖母マリアを「神の母」として確認している。
著者によると、第二次世界大戦後、ルターの母国ドイツでは「ルターと聖母マリア」というテーマが大きな関心を持って扱われてきているが、日本では、カトリック側からもプロテスタント側からも、このテーマの研究は全く行われていないという。
初期のキリスト教会もルターも大切にしていた伝統「聖母マリアへの崇敬」は、プロテスタント教会がその歴史の中で失ってしまった大切な宝であると思う。プロテスタントの歴史を振り返る中で、この小著が果たしている先駆的役割は非常に大きい。
澤田昭夫 著
教文館 2001年
1,800円+税