青山学院のステンドグラス〈1〉 幼稚園
2020/10/19
青山学院にはさまざまなステンドグラスがあります。ステンドグラスの起源には多くの説があり、一説では9世紀のヨーロッパで生まれ、キリスト教の教会の窓を飾る教会美術として始まったといわれています。当時は文字を読めない人々にも聖書のストーリーなどをわかりやすく伝えるため、教会などで積極的に用いられていたそうです。
今回紹介する幼稚園のステンドグラスは、礼拝室の正面にイエス様が羊を抱いたステンドグラスが、左側の三つの窓にはぶどうの木と十字架のステンドグラスが設置されています。実は以前より、幼稚園のステンドグラスについて調べていたのですが、誰がデザインを手掛け、どこに制作をお願いしたかなど、その詳細についての資料を見つけることができませんでした。どうしたものかと幼稚園主事の石橋エリ先生に相談したところ、「長山篤子先生ならご存知だと思います」とご多忙中にもかかわらず、連絡をとってくださいました。
これまで謎に包まれていた幼稚園のステンドグラスデザインの誕生について、元幼稚園主事の長山篤子先生にご執筆いただきました。
幼稚園の礼拝室に捧げられているステンドグラスについて、設置より25年の年月を経た今、当時の信仰の証しとして捧げられた思いを、再び顕彰することになりました。
幼稚園のステンドグラス制作に至った経緯は、1996年3月15日発行の「青山学報」175号に、記載されています。その内容は、三年保育開始に当たる園舎改修に伴うものでした。改修理念の重要な一つは、三年保育実施にあたり、園児の大切な宗教教育の実践を実現することでありました。そのために当時、院長であり園長だった深町正信先生を始め、私たち保育者は、園児の礼拝に相応しい、イエス様の愛が伝わる温かい優しさに満ちた礼拝室が与えられることを祈り、切望しました。その祈りが聞き届けられ、1995年9月4日に、新しく改修された礼拝室で、感謝礼拝が行われました。タイトルにあるコヘレトの言葉(当時の資料には伝道の書と記録されています)は、感謝礼拝当日の式辞で深町先生が述べられたコヘレトの言葉3章1節から11節の中の一節です。礼拝室の完成は、幼い子どもが成長する過程で最も重要な「永遠を思う心」が「時宜にかなって」備えられたのでした。
礼拝室の正面には、イエス様が羊を抱いたステンドグラス、左側の三つの窓には、ぶどうの木と十字架のステンドグラスが設置されました。正面のイエス様の姿は、深町先生が、有限会社ステンドグラスサプライの制作担当者・石川佳代氏と相談し、マタイによる福音書18章『「迷い出た羊」のたとえ』をモチーフに、絵を選定して制作されました。そしてこのステンドグラスは、自然光を取り入れることが難しかったため、ステンドグラスの裏に電気を設置して光が放たれました。礼拝室左側の細長い三つの窓に設置されたステンドグラスには、十字架の絵を挟んだ中央に、ヨハネによる福音書15章「イエスはまことのぶどうの木」をモチーフとした、ぶどうの木が描かれました。この三つのステンドグラスのデザインは、長年幼稚園で保育に当たっていらした赤澤光子教諭が手掛けました。
羊を胸に抱いて愛しむイエス様
マタイによる福音書18章『「迷い出た羊」のたとえ』がモチーフ
デザインを手掛けた赤澤先生は、保育の中でも絵を担当されていた
ステンドグラス制作過程において、深町先生はお忙しいにもかかわらず、幼子の魂の救いを祈り、願いながら、お一人でステンドグラスサプライを訪問し、石川氏と交渉、話し合ったおかげで、イエス様とぶどうの木、十字架のステンドグラスが完成しました。現在、青山学院名誉院長でいらっしゃる深町先生に改めてお話を伺ったところ、「真の牧者は、主イエス・キリストであることが、礼拝室正面に描かれている羊飼いの姿です。この主イエス様の見守りのもと、幼稚園は入園式、卒園式、毎日の礼拝、保護者のための聖書の学び、講演会、親睦会を行ってきたことを、今も鮮やかに思い出します」とおっしゃっていました。青山学院幼稚園40周年記念誌にも、「保育の土台となる礼拝」と題して、礼拝室で礼拝を捧げる園児、保育者の様相が記されています。また、「礼拝室が与えられる」と題した記録も残されています。その中には「教職員一同心を合せて、一丸となって保育に向かうよう、神様にその道が示された思いでした」と、礼拝室完成に伴う感謝礼拝の様子が記されています。
豊かに彩られたステンドグラスの光を感じながら礼拝を守っている子どもたち。
講壇にいるのが長山先生(2000年)
改修時、初めて三年保育に入園されたH・Hさんのお母様が、当時を振り返って、「優しいステンドグラスの光の中での礼拝は、厳粛な思いに満たされ、神様の御言葉を感謝の中で聴くことが出来ました」と述べていらっしゃいました。聖書が私たちに示して下さっているメッセージが、ステンドグラスを通して、今も、継承されていることでしょう。
当初、長山先生は「私よりもお詳しいでしょうから」とほかの方を推薦してくださったのですが、残念ながらご辞退されてしまいました。そこでもう一度、石橋先生から長山先生にお願いしてくださり、「それであれば」と執筆をご快諾いただくことができました。
今回、石橋先生から長山先生に連絡をしていただかなければ、そして長山先生執筆を引き受けくださらなかったら、幼稚園のステンドグラスの歴史はベールに包まれたままだったかもしれません。お二人には改めて感謝申し上げます。