Christianity キリスト教

青山学院のステンドグラス〈7〉 学院本部

落ち着きある色彩が心を癒やす

1967年にベリーホールの改修を行われた際、中央階段の各踊り場の窓とチャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂(以下本部礼拝堂)の正面にステンドグラスが設置されました。

ステンドグラスのデザインを手掛けた古田十郎初代中等部部長は、完成した当時、「英国ソールズベリ・キャセドラルのステンドグラスに見られるグリゼール手法(もとは銀灰色の装飾的なもの)を用い、礼拝堂では在来の様式やオパールのグラスの調和する表現を試みた。即ち多色によらず、モノトンのそれによって礼拝堂の荘重な伝統的雰囲気を深め得れば幸いである」(「青山学報」56号〈1967年12月発行〉より)と語っています。

ステンドグラスから差し込んでくる光の陰影が、落ち着いた雰囲気を漂わせています。

ベリーホール

 

古田十郎先生 ―独特の着想で考案した〝ミカステンドグラス〟

1903年、北海道に生まれた古田十郎先生は、幼少期を青森県で過ごされました。青山学院神学部を経てアメリカのドルー大学、ユニオン大学に学ばれ、帰国後は広島県にて2年間の牧会生活を送られました。その後、1954年に退職されるまでのほぼ20年を青山学院とともに生き、神学部、旧制中学部、新制中等部、大学にて神学と聖書を講じられました。足立康先生(女子短期大学名誉教授・元女子短期大学教養学科教授 2021年1月8日ご逝去)は「青山学報」175号(1996年3月発行)の中で「1952年に新設された男女共学の中等部では、戦後の混乱期にあって、初代部長としての重責を担われたわずか5年の間に、他に類のないリベラルな校風を確立された」と述べています。

古田十郎先生

古田十郎先生

古田先生は教育者、そして伝道者として従事された一方、絵画などの創作活動にも取り組まれてきました。それは晩年にいたるまで精力的に続けられ、青山学院には「カナの婚礼」や「青山学院短大風景」などの作品が残されています。また、1960年代には伝統的なステンドグラスの技法から得た独特の着想で〝ミカステンドグラス〟を考案、実用新案を取得しました。ベリーホールに設置されているステンドグラスはまさに「ミカステンドグラス」です。ほかにも東京都品川区にある白銀教会や北海道の遺愛学院(旧遺愛女学校)などに設置されています。

古田十郎先生

左と中央がベリーホールの踊り場、右が本部礼拝堂に設置されている〝ミカステンドグラス〟

古田先生について足立先生は、独特の重厚な口調で愉快に語られる体験談や人生論、芸術論は忘れることはできないと言い、「なかでも出色だったのは、先生の闊達なユーモア精神で、病に苦しまれた晩年の年月でさえ、それはいっこうに衰えることはなかった。ご遺族からうかがったことだが、天に召される前日、往診した医師が『どこか苦しいところはありませんか?』とたずねたところ、先生は『苦しいのは家計だけ』と、90年の生涯最後のジョークを口にされたという」と語っています。

古田先生は、1994年2月にご逝去されました(享年90)。