Christianity キリスト教 図書紹介

「生きよ」と呼びかける書『コヘレトの言葉を読もう』

高等部聖書科教諭

中西 理恵

「なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい。」(コヘレトの言葉一章二節)

私の友人は、聖書を開いてこの言葉が目に留まり、自殺を思いとどまったと言います。空しさを抱いているのは自分だけではないということを知り、その後、導かれて教会に行き、洗礼を受け、今は牧師の道を歩んでいます。

私自身もコヘレトの「すべては空しい」という言葉に心惹かれ、不思議な安堵感を覚えたことがあります。けれど、「すべては空しい」という言葉に、ああそうだなぁ……と共感して終わり、という面がありました。「空しい」という言葉の印象が強すぎて、自らの生き方への積極的なメッセージを受け取ることは少なかったように思います。

ところが、ここで紹介している本は、「コヘレトの言葉」を新しい視点から読み取るという試みをしています。「空しい」という言葉を三十八回も繰り返すコヘレトは虚無主義者のような印象を与えますが、著者は言います。「コヘレトという人は『懐疑主義者』でもなければ、『虚無主義者』でもありません。コヘレトは空しさを見つめながら、空しさにあえぐ私たちに向かって、むしろ『生きよ』『生きるのだ』と呼びかけます」。

新しい読み方の鍵として著者が注目しているのは、「ダニエル書」の黙示思想との対論です。ダニエル書の成立は紀元前二世紀半ばと考えられていますが、著者は「コヘレトの言葉」も同時期に成立したと見ています。紀元前三~二世紀は、ユダヤ教団において黙示思想が大きな影響を与えたであろう時代。黙示的生き方は来世に価値を置き、現世は堕落して破局に向かうゆえに、これを試練として耐え、禁欲的に生きるという態度です。

これに対してコヘレトは、現世を喜び楽しみ、すべてを神からの賜物として受け入れ、与えられた生を徹底して生きることを説いているのではないか、と著者は言います。終末に希望を抱きながら現在の試練に耐えるダニエル書と、終わりを見つめながら限られた今の時に価値を置くコヘレトの言葉。聖書の中に二つの価値観が共在することが興味深いです。しかし、どちらも神の支配の中で生きるという真剣さは共通しているようにも思われます。

また、この本は、新しく出された聖書協会共同訳も紹介し、新共同訳と比較しているのも面白い点です。例えば九章九節。新共同訳の「愛する妻と共に楽しく生きるがよい。」に対して、聖書協会共同訳は「愛する妻と共に人生を見つめよ。」と訳します。ずいぶん印象が違うように思いませんか?

著者によると、「愛する妻と共に人生を見つめよ」は画期的な新訳ですが、実は原典のヘブライ語の直訳だそうです。コヘレトにとって愛する妻は人生のかけがえのないパートナー。その妻と共に人生を見つめよ、と勧めています。著者は言います。「平均寿命が四十歳に届かない旧約時代において、妻と共に過ごす時間は限られていました。その人生の時間は、神から与えられた賜物だとコヘレトは見ているのです。『共に人生を見つめよ』とは、結婚生活において心すべき夫婦の生き方が実に味わい深く表現されているのではないでしょうか」。

今この時を、神から与えられたかけがえのない賜物として喜んで生きる。コヘレトの言葉から私たちが積極的に受け取りたい姿勢です。

 

書籍情報

小友聡 著
日本キリスト教団出版局 2020年
1,400円+税

「青山学報」271号(2020年3月発行)より転載