東日本大震災をめぐる2冊『希望の地図 3・11から始まる物語』『「なぜ」と問わない』
2020/03/05
※本記事は2015年10月発行の「青山学報」より転載しています。
「3・11」からやがて5年。この間、この未曽有の出来事をめぐって数多くの本が出版されたが、その中から二冊紹介したい。
『希望の地図』は「キリスト教図書」とは言えない。しかし、そこに登場する人々の「3・11」から始まる物語から「3・11サバイバー」である私たちが今生かされている意味、「本当の希望」の意味を様々な角度から問われる内容である。
東日本大震災から半年後、中学校受験失敗から不登校になってしまった光司は、ライターの田村に連れられ被災地を回る旅に出る。岩手県宮古(青山学院女子短期大学が被災地支援活動を継続している町)・釜石・大船渡・仙台・福島……破壊され、傷ついても「希望の地図」を描いている人たちを訪ねながら。
重松清氏自身が「被災地」を自分の足で回り「絶望的な状況」を前にしても「希望」を捨てない人々との出会いと証言を軸として紡いだドキュメントノベル。
「これだけの圧倒的な、そして理不尽とさえ言える災害の中、『神』に救いを求めることはありませんでしたか?」「田村」が、そして筆者が、大船渡で家・会社すべてを流されて奮闘する男性にぶつけた問いに、彼はこう答える。
「ずっと祈っていました……神様はなにを考えているのだろう、生き残った私はなぜ生き残って、なにをなすべきなんだろう……」彼が見つけた答えが「ダーバール」と言うヘブライ語である。
「この言葉には『出来事』と『神の言葉』という二つの意味があるんです。つまり出来事と神の言葉は同じなんです。だから震災という出来事も神の言葉であるならば……神様は自分に必ず道を示してくださるに違いない」。
──この様に語ったこの男性は、岩手県の大船渡市、気仙沼市など「気仙地方」の言語である「ケセン語」で新約聖書を翻訳した山浦玄嗣氏の『ケセン語訳新約聖書』を出版した会社の社長である。
彼も山浦氏も東日本大震災で甚大な被害を受けた大船渡カトリック教会のメンバー。ケセン語研究者の山浦氏は津波による壊滅状態の中、診察を続けた開業医である。
震災後テレビ、新聞、雑誌などのインタビューが殺到する。「彼らは判で押したようにこういうのです、『あなたはキリスト教信者だ、だからこの問いに答えてほしい。東北の実直な立派な人々がなぜこんな目に遭わなくてはならないのか、神はなぜこんなにむごい目に遭わせるのか、あなたは信仰者としてどう思いますか』」。
この問いは山浦氏を怒らせる。「気仙の人たちは、キリスト者だけでなく、仏教徒もみなとても信心深い人々です。家族を亡くし、家屋をなくし、傷ついた何千という人を私は診てきた。彼らと泣いた。けれども『なんで私がこんな目に遭わなくてはならないのだ』と言う恨みを聞いたことはただの一度もない」。
「なぜ」と問うことは意味もないし、非常に「意地悪な」質問だと怒る山浦氏。しかし怒りつつもこの問いに応えた書が『「なぜ」と問わない』。『ケセン語訳新約聖書』と合わせて是非一度手に取ってほしい。
『希望の地図― 3・11から始まる物語』
重松清 著
幻冬舎文庫 2015年
『「なぜ」と問わない』
山浦玄嗣 著
日本基督教団出版局 2012年