Column コラム

ホーム・スイート・ホーム――イギリスの家で暮らして【佐久間康夫の「この世という広大な劇場」第24回】

青山学院大学名誉教授

佐久間 康夫

 

家は文化を映す鏡

「ホーム・スイート・ホーム」という歌をご存じですか?イングランド民謡とされることもありますが、もとは19世紀の初めにヘンリー・ローリー・ビショップが作曲し、ジョン・ハワード・ペインが作詞した “Home! Sweet Home!”という曲です。日本では明治時代に訳されて、「埴生(はにゅう)の宿」という邦題の唱歌となりました。「蛍の光」や「庭の千草」とならんで、日本人の間で親しまれてきた、英語圏の歌曲のひとつといえます。

原詩では各連の最後で、“There’s no place like home!”という1行がリフレインされます。きっとどこかで聞き覚えのあることでしょう。この歌詞が喚起するイメージは多様で、「楽しい我が家」、「いかに粗末でもうちが一番」、「住めば都」、「忘れがたき故郷」、あるいは「借り着より洗い着」などなど、原詩の文脈を超えて連想は豊かに広がっていきます。

衣・食・住というカテゴリーのうち、特に「住」については、如実にライフスタイルを表す要素といえます。住環境を観察すれば、その国や地域で暮らす人々の人生観や価値観が透けて見えてくるからです。今回は、ケンブリッジ市内に家族で一軒家を借りていた経験をもとに、イギリス人の住まいについて、私的な感想をつづってみます。

ケンブリッジ市内に筆者が借りた家。友人の画家リチャードに描いてもらいました

 

レンガ造りの街並みにて

木造家屋の多い日本に比して、イギリスの家といえば、おしなべて頑丈そうなレンガ造りです。民話『3匹の子ぶた』で3番目の子ぶたが作ったレンガの家は狼の攻撃を見事はねつけますが、そのエピソードを地で行くようなレンガの街並みが普通に見られます。

レンガの色調には地元で採掘される土壌の性質が反映されます。例えば、イングランド中部オックスフォードシャーでは、「ハニー・カラー」(はちみつ色)をしたレンガの色合いが、遠目にも優しく映ります。

オックスフォードシャーのウッドストックにある友人宅。このレンガの色がハニー・カラー

 

それがカンタベリーあたりの南東部に参りますと、一転して赤茶っぽい色が濃く出ていて、街全体がぐっと落ち着いて見えるから不思議です。各地方の風情あるたたずまいを醸し出しているのがレンガの色味なのです。

カンタベリー大聖堂の屋上から市内を見下ろして。街全体が赤茶色に彩られています

 

レンガの外壁は見るからにがっしりとしています。外は凍てつく寒さでも、レンガの効用で密閉性が高いため、一度温まってしまえば、室内は思いのほかポカポカです。窓の面積も日本と比べて心なしか狭い印象を受けます。立派なお屋敷の鎧戸はいざ知らず、日本風の雨戸はあまり取りつけられていません。日差しを室内に取り込むことよりも、断熱効果や気密性の方が重んじられているようです。

推理小説の世界に、密室ミステリーと呼ばれるジャンルがあります。誰も出入りできない部屋で人が殺されている、果たして犯人はどこに消えたのか、という謎解きものです。このようなトリックを眼目に掲げた小説が欧米で最初に考案されたのには、その前提としてレンガ造りの重厚な居宅の存在があったからではないでしょうか。

とはいえ堅固に見える一方で、イギリスでは建築物の耐震設計にさほど意を配っていないようです。元来、地震の起きない国なので、重いレンガを積み重ねるだけで必要十分だったのでしょう。日本のような地震大国と比べ、耐震性はほとんど問題視されてこなかったのだと思います。

私どもが借りた家の大家ヒューズ夫妻の夫君トニーは年配の退役軍人でした。辛口のユーモアたっぷりのイングリッシュ・ジェントルマンを絵に描いたような彼は、イギリスに地震のないことをどうしても認めたくない様子でした。何十年も前の某月某日に「ロンドンで地下鉄に乗ろうとした時にグラっときたんだ」と言い張っていました。イギリスに地震が起きないのがまるで沽券にかかわるとでもいうようで、なんとも愉快でした。

北国の家には暖炉が必需品ですので、煙突がまるで民話に出てきそうな風情で、屋上に突き出ています。あくまで実用的な設備ですが、ずら~っと煙突の並ぶ光景は見慣れない目にはまことに可愛らしく映ります。ミュージカル映画『メリー・ポピンズ』において、煙突掃除人の一団が、顔をススだらけにして屋根の上で歌い踊る、あの名場面が思い出されますね。もっともかつてのヨーロッパでは、子どもが劣悪な労働条件のもとで煙突掃除をさせられていたという負の歴史もあったのですが。

屋根の上に列をなす煙突。ケンブリッジ市ニューナム地区にて

 

ストリートネームとハウスナンバー

イギリスでは表札に居住者の名前を表示しません。掲示されるのは、一軒ごとの番号、いわゆるハウスナンバーのみです。国中のすべての道路に○○ストリートとか○○ウェイといった固有の名称が付されているので、ストリートネームとハウスナンバーだけで郵便が届く次第です。番号の方は道の片側が奇数、向かい側が偶数と大体決まっています。

ハウスナンバー制には、プライバシーを守るという意味があるのかもしれません。しかし、住人の名前が明記されていないため、困ることもありました。私どものような借家では、現在の居住者にかまわず、前に住んでいた家族への手紙が平気で届いてしまいました。

我が家の前の道路。道を挟んで奇数と偶数の番地が並びます

 

住人の名前が入っているわけではないのに、ハウスナンバーのデザインに凝る人が多いのも面白いところです。私も自分好みのハウスナンバーの製作を専門店に依頼してみました。番号の他にどんな装飾を入れるか、色や形はどうするか、すべて自由にアレンジできました。材質は真鍮製で、ずっしりとした重さが手に心地よい優れものができあがってきました。

ハウスナンバーを作成した実例。遊び心が楽しいですね

 

イギリスのタクシー運転手が道路を熟知していることは有名な話です。道路すべてに名前があるため、道順など覚えやすいのでしょう。さすがにロンドンほどの大都会になると、同じ名前の道路がたくさん存在します。そこでポストコードが東西南北の区域に振り当てられているのです。これは日本の郵便番号に相当するもので、例えばEは東ロンドン、Wは西ロンドン、ECは東ロンドン中心区、Nは北ロンドン……という具合です。

ベイカー・ストリートの道路標識(レプリカ)。Wという記号により西区の街路であると認識できます。
名探偵シャーロック・ホームズの住居があるとされた通りです

 

かけがえのない価値を家に求めて

私がイギリスの住宅について国民性の表れだなと感じるのは、年代物の物件へ寄せる愛着が人一倍強い点です。そもそも伝統や歴史が大好きというお国柄から、物持ちが良いという副産物も生まれてきたのでしょう。

ちょっと立派なお宅になると、固有名がついた家が見られます。英語圏の小説を読むと、そうした例にしばしば出会います。E・M・フォースターの『ハワーズ・エンド』の題名は、物語の舞台となった邸宅の名称です。チャールズ・ディケンズの『荒涼館』やA・A・ミルンの『赤い館の秘密』なども、同様に屋敷の名前が表題にされていますね。

私どもの大家さんのお住まいは「ファイレッツ・バーン」という住居表示でした。この「バーン」が農場の納屋を指していると知った時の軽い驚きは忘れられません。本来は別の用途に使われていた建物を、住宅用に改築した家屋のことを英語で「コンバーテッド・ハウス」(converted house)と呼びます。「ファイレッツ・バーン」はまさにそのコンバーテッド・ハウスで、農場の納屋をきれいに修繕した住居でした。

納屋に住んでいると聞くと、「えっ!?」と思われそうですが、年季が入った建物を再利用する営み自体に価値を見いだして、コンバートされた家での生活を楽しんでいるのです。リビングの壁面には、納屋だった頃のレンガをあえてむき出しにして残してあります。外壁を見てみると、家畜の出入り口だった部分がレンガの色のちがいから歴然と分かります。

大家さんのご自宅「ファイレッツ・バーン」。あえてレンガをむき出しにしたリビング

 

天井部分は納屋の構造をそのまま残して

 

食器棚は19世紀に建造された戦艦の甲板の廃材を生かして作ったもので、これもトニーご自慢の逸品でした。コンバートされた家の中にコンバートされた食器棚があるなんてすてきですよね。

船の甲板の廃材を再利用した食器棚

 

概してイギリス人は物件が新築であるかどうかにこだわりません。私の知り合いにも、かなうことならヴィクトリアン・ハウス(19世紀に建てられた家)に住みたい、と願っている夫婦がいます。彼らの現在の住居も築30年ほどなので、日本の住宅事情に照らしたら、ほぼ減価償却していると思われてしまうでしょう。それをさらに百年以上も経った家に住み替えたいというのです。

不便な個所があるのは差し引いて、インテリアを自分好みに改装しつつ、歴史を感じられる家に住んでみたい。この発想はおよそ平均的な日本人がマイホームに対して抱く夢と、なんとかけ離れていることでしょう! 時のエキスをたっぷり吸いあげた家の価値が、かの地では高く評価されているのです。

[Photo:佐久間 康夫]

 

紹介した映画・書籍
ロバート・スティーヴンソン監督、ジュリー・アンドリュース主演『メリー・ポピンズ』(1964)
E・M・フォースター著、吉田健一訳『ハワーズ・エンド』(河出書房新社 2008)
チャールズ・ディケンズ著、佐々木徹訳『荒涼館』(岩波文庫 2017)
A・A・ミルン著、山田順子訳『赤い館の秘密』(創元推理文庫 2019)

 

読者の方より

読者の方より佐久間先生の元に素敵なお写真が届きましたので、ご紹介いたします!(アオガクプラス編集部)

「先生のエッセイを読んで、(イギリス留学中の)ステイ先のクリスマス仕様の室内をふっと思い出しました。まるで物語の世界に入ったかのような、theイギリスのクリスマスに感動したのを覚えています。」
写真提供:小畑遥香さん(青山学院大学文学部比較芸術学科2017年度卒)

 

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