Column コラム

サムシング・オールド in UK —ふるきをたずねて—【佐久間康夫の「この世という広大な劇場」第28回】

青山学院大学名誉教授

佐久間 康夫

 

幸せな結婚のために

今回は、ちょっと変わった切り口で、イギリスの古い歴史を発見する小さな旅に出かけましょう。皮切りに、マザーグースを1編。「サムシング・オールド」(Something old)、つまり「なにかひとつ古いもの」という印象的なフレーズで始まる唄をご紹介します(原文はコラムの最後に付します)。

 なにかひとつ古いもの、なにかひとつ新しいもの
 なにかひとつ借りたもの、なにかひとつ青いもの
 そして靴の中には6ペンスを

 

これは花嫁が末永い幸せを願い、結婚式で身につけるアイテムを歌ったもの。「古いもの」は伝統、「新しいもの」は新生活、「借りたもの」は友との絆、「青いもの」は貞潔のイメージを表すそうです。「6ペンス」は金運向上のお守りなのでしょう。原文では語呂よく「ニュー」(new)、「ブルー」(blue)、「シュー」(shoe)と脚韻を踏んでいます。

新婦の身にまとうべきが「サムシング・オールド」とは、さすがに歴史と伝統を重んじるお国柄。古いものに対してほとんど信仰の念を抱いているのでは、と感じることもしばしばです。とはいえ、6ペンスがなぜここに? ブライダルシューズに忍ばせるには、一番小さい硬貨が好都合だったのかもしれません。

旧6ペンス硬貨は1554年から1967年まで造幣され、実に400年以上にわたり流通しました。その間に戴冠したイギリス国王は22名、貨幣のデザインも57種におよびます。イギリスの通貨の単位が十進法へ変更されたのは1971年で、旧制度においては12ペンスが1シリング、20シリングで1ポンドという複雑怪奇な体系でした。さらにギニー(21シリング)、クラウン(5シリング)、フローリン(2シリング)などの貨幣もあり、なじみのない人はお手上げです。

6ペンス硬貨。表と裏

 

写真は1967年に鋳造された、直径約2㎝とごく小型の6ペンス白銅貨です。表には君主の肖像を飾る慣例でエリザベス女王(当時)の横顔が。裏は狭い面に4種の草花が描かれています。バラはイングランド、アザミはスコットランド、シャムロック(三つ葉のクローバー)は北アイルランド、リーク(ネギの一種)はウェールズと、連合王国イギリス(UK)を構成する国と地域を示しています。

 

サムシング・オールドとの出会い

お酒好きだった祖父の家に、子ども心にも妙にひかれるスコッチ・ウイスキーがありました。「オールド・パー」と書かれたラベルと老人の肖像画には、未知の世界から漂いくる香りがしました。製造元のホームページには、明治時代に欧米諸国を視察した岩倉使節団が日本へ持ち帰ったウイスキーは、当社の創業者がブレンドした製品だったという説を誇らしげに掲載しています。

ウイスキーの名前の由来となったトマス・パーは、152歳という長寿を全うした実在の人物です。1483年頃にイングランド辺境の小村で生まれ、1635年に亡くなるまで、10人の国王の治世を生き抜きました。80歳で初めて結婚するも、105歳の時に浮気がばれて(コラー!)、公衆の面前で懺悔を命じられます。妻と死別後、122歳で再婚。長生きした恩恵で有名人になったパーは、ロンドンで時の国王チャールズ一世に謁見を果たします。そしてロンドン到着の6週間後に急逝し、ウェストミンスター寺院に埋葬されるという栄光に浴しました。

ウイスキーのグラスを傾ける時、人は琥珀色の液体が樽の中で熟成された歳月に思いをはせます。オールド・パーという製品名には、百寿者にあやかり健康を享受できるようにとの願いを込めたのでしょう。そもそもウイスキーの語源はゲール語の「生命の水」なので、これは絶妙の命名といえます。

ケンブリッジ大学の今は亡きリチャード・アクストン先生が、1年に1回だけ丸1日かけて行う名物講義を聴講させてもらったことがあります。古い時代の演劇を、実演も交えて教えてくださる贅沢の極み。先生に指示された教室は「オールド・キッチン」。まさか料理教室じゃないよなと、半信半疑で指定の場所に赴くと、かつてキッチンに使用していたというだけで、れっきとした英文科の建物でした。家屋などをコンバート(改修)して別な用途に用いる際、昔の名称をあえて残す例が多いのですね。

また、ケンブリッジ大学のさる催しに声がけされた時、「場所はOCRね」とあっさり一言。現地の方には通じるのに、私一人が理解できないようでした。後になって「オールド・コモン・ルーム」(Old Common Room)の略で、談話室を指す言葉とわかりました。英語の略語には新参者にピンとこないものが多く、しょっちゅうカルチャー・ショックを味わっています。

 

サムシング・オールドを見つけにロンドンへ

『ロンドン百科事典』をひもとくと、「オールド」で始まる項目がなんと38件も見つかります。やはりイギリスはサムシング・オールドが幅をきかせる国だなと実感します。

ロンドンのど真ん中に、どうにも得体の知れない石塊が道端にゴロンと置かれています。その名も「ロンドン・ストーン」。ローマ帝国がブリテン島に侵攻した時の里程標(りていひょう)であるとか、西暦100年頃の大邸宅の礎石(そせき)であるとか、考古学者の間でも諸説あるようです。

キャノン・ストリートの道路脇のロンドン・ストーン。2018年の改修により前面のグリルは取り払われています

 

サザック地区のパブ「アンカー」はロンドン子にこよなく愛されています。現在のお店の創業は18世紀半ばですが、この場所には酒場が15世紀から存在していた模様です。17世紀初めには近隣に劇場が何軒もあったので、シェイクスピアたち劇作家や俳優が芝居のはねた後、飲みにきて芝居談義で盛り上がったのでは、と愉快な想像もかきたてられます。

ロンドン市民の憩いの場所アンカー。ロンドン・ブリッジからも近いテムズ川南岸サザック地区

 

「バーリントン・ハウス」は、1660年代にロンドン有数の繁華街ピカディリーに建てられた旧バーリントン伯爵家のタウンハウスです。豪壮なルネサンス様式のファサード(正面)が通りに面しています。1868年以来、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(RA)の本拠地として美術展が開催され、この辺りを芸術文化の香り高い一角にしています。

バーリントン・ハウス。ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(RA)他、各種の文化団体が入居しています

 

隣接する「バーリントン・アーケード」には、40軒以上ものブティックが立ち並んで壮観です。その昔、バーリントン・ハウスの庭園へゴミが投棄されるのを防ぐ目的で作られたそうですが、今は由緒ある名店がひしめいて、観光客を呼びこんでいます。

名店がずらりと並ぶバーリントン・アーケード。天井の意匠にも見惚れます

 

アーケードの西隣を南北に走る通りが、これまた古い「ボンド・ストリート」。1684年に建設されたオールド・ボンド・ストリートの北側に、ニュー・ボンド・ストリートをつなげて全通したのが1720年のことです。300年前のどこがニューか、とツッコミを入れたくなりますね。19世紀半ばには、おしゃれな散歩道として人気が出て、ネルソン提督や詩人バイロンなど著名人が住み着きました。老舗ぞろいで敷居は少々高いですが、道幅はさほど広くなく、落ち着いた雰囲気を満喫できます。

ピカディリー界隈には、ロンドン最古の書店もあります。1797年に書籍商・出版人のジョン・ハッチャードが創業した「ハッチャーズ」です。5階建ての王室御用達店は、教養の深さを肌で感じることができます。今も有名な作家が新刊本のサイン会を開きますが、チェスタトン、モーム、バーナード・ショーら20世紀の文豪も常連客でした。

ハッチャーズ。出版の歴史を実感できる書店

 

 

オールドあってこそのヤング

ウォータールー駅近くの「オールド・ヴィック」はやはり歴史の古さで一目置かれる劇場です。1818年の開業以来、200年にわたってロンドンの演劇シーンを彩ってきました。

イギリス演劇史に名を残すオールド・ヴィック

 

ご多分にもれず劇場の経営は多難をきわめましたが、荒波をかいくぐり健全な娯楽を提供したのが19世紀の社会改良家エマ・コンスで、後に姪のリリアン・ベイリスが引き継いで辣腕を振るい、今日の盛名を築きあげました。劇場名は国民に敬愛された19世紀の女王ヴィクトリアのニックネームにちなんだものです。

劇場の壁面にはエマ・コンス(1837-1912)の人格と業績を讃える銘板が

 

オールド・ヴィックと張り合うように、「ヤング・ヴィック」という劇場が斜向かいに建っています。ナショナル・シアターの一部として1970年に創立され、74年に独立。長方形の舞台を三方から囲む形式の小劇場で、実験的な演劇にところを得て、活況を呈しています。

ヤング・ヴィック。名前にふさわしく若さあふれる劇場

 

世界最大規模の博物館「ヴィクトリア&アルバート博物館」(V&A)の分館にあたる子ども向けの博物館が、2023年にリニューアル・オープン、「ヤングV&A」と名称を改めました。

ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)の堂々たる正面玄関

 

前身は1872年に開館した子どもの文化専門のベスナル・グリーン博物館でした。「プレイ」「イマジン」「デザイン」と3つの展示室が新設され、子どもの想像力を大いに刺激する博物館です。お子様連れに自信をもってお勧めします。それにしても子どもの博物館にヤングV&Aの呼称は秀逸ですね。

ヤングV&A。ファミリー向けの親しみやすい博物館

 

「なにかひとつ古いもの」

Something old, something new,
Something borrowed, something blue,
And a sixpence in her shoe.

 

[Photo: 佐久間康夫、佐久間秀彰、本屋敷佳那]

 

《参考文献》
鷲津名都江著『マザー・グースをたずねて—英国への招待』(筑摩書房 1996)
藤野紀男著『図説マザーグース』(河出書房新社 2007)
山本信太郎著「パー爺さんとその時代—近世イングランドの長寿者の物語」(神奈川大学人文学会『人文研究』190巻 2016)
Ben Weinreb and Christopher Hibbert eds, The London Encyclopaedia(Macmillan 1983)

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