Interview インタビュー あおやま すぴりっと

可能性を信じ外交官に 日本と世界の架け橋に〈卒業生・島根 玲子さん〉

外交官として第一線で活躍している島根玲子さん。
高校を中退した後、一念発起して大学入学資格検定(大検*)を取得し、本学に入学。その後は、早稲田大学法科大学院に進学し、国家公務員採用総合職試験に合格、さらに同時に司法試験にも合格するという、異色の経歴の持ち主です。
学生時代に学んだ英語を使いたくて海外旅行を繰り返すうち、次第に世界の諸問題について考えるようになったことが、現在の職業へとつながりました。
在学中の思い出や外交官になるまでの道のり、そして現在の仕事などについて語っていただきました。

*大検(大学入学検定試験)…2004年度末に廃止となり、2005年度から高認(高等学校卒業程度認定試験)に移行した。

 

荒れた生活から一変 大学進学を目指す

──島根さんは外交官としてご活躍中ですが、どのような業務を担当していらっしゃるのですか。
アジア大洋州局の地域政策参事官室という、アジア地域全般の総合的な外交政策を担当する部署にいます。そこで私が担当している業務は主に三つあります。一つはASEAN(東南アジア諸国連合)との関係に関することで、特に南シナ海問題に携わっています。二つ目は歴史問題で、現在は韓国の従軍慰安婦問題や徴用工問題などが中心です。そして三つ目は韓国、中国との関係についてです。以前、中南米を担当していたときは12~14時間の時差があったため、現地とのやりとりが深夜になったり、朝早くに出勤することもありましたが、今は時差がほとんどないのでその点は助かっていますね。

──外交官は採用人数も少なく狭き門ですが、長年目標にされていたのですか。
いいえ、まったくそんなことはありません。中学生の頃は将来のことなどなにも考えていない思慮の浅い子どもで、勉強も特に好きでもないし、部活も長続きしませんでした。高校も「制服が可愛い」という理由で選んだほどです。うちの親はもともと「ああしなさい、こうしなさい」と言うタイプではなく、高校も「自分の好きなところに行きなさい」とだけ言われていました。ところが私が選んだ高校を知ると、「なんでそんなところに行くの」と言い出して……。当時の私は、本当は親にもっと相談に乗って欲しかったし、いろいろ言ってもらいたかったのですよね。それなのに好きな高校に行けと言われ、ならばと選んだ高校は反対された。「今までなにも言ってこなかったのに、なんで」と思春期の心に火がついて、そこから反抗心が芽生えました。高校の入学式の時点で、すでに髪を金髪に染めていました。

──高校生活はいかがでしたか。
最初から周囲の生徒の中でも浮いていました。遅刻も当たり前で「それのなにが悪いの」と本気で思っていました。クラスに友達はいましたが、次第に高校以外の子たちと遊ぶ時間のほうが増えていって、ついには高校に行かなくなりました。まともに通ったのはせいぜい最初の数カ月で、そこから2年ほどは昼間寝て、夜はクラブやカラオケで遊び、朝帰宅するという荒れた生活が続きました。典型的なコギャルでしたね。

ただ、毎晩遊びながらも「このままでいいのかな」という思いはいつも抱いていましたし、親にすごく迷惑や心配をかけているという自覚もありました。母から夜中に携帯に電話がかかってきても当然私は出ないのですが、深夜に何件も残っている着信履歴から、母がろくに寝ていないことがわかりました。街をぶらついている私を探している母の車を見かけたこともあります。そういうことが積み重なって、とうとう「このままお母さんを悲しませ続けてはいけない」と目覚めました。同級生たちがちょうど高校3年に上がる時期のことです。

すでに2度留年していたので高校は中退しました。その後、予備校に通って大検を受け、大学を受験する資格を得て、いくつもの大学を受験した中で合格できたのが青学の文学部英米文学科でした。勉強していて唯一苦痛に感じなかった科目が英語で、短絡的ですが「英語ができれば世界が広がるかな」と考えて英米文学科を選びました。青学の試験は確か英語の配点が高かったので、合格できたのだと思います。こうして同級生と同じ年に大学に入学できることになりました。

島根玲子さんインタビュー

 

英語を使いたくて海外旅行へ 世界に関心を持つきっかけに

──本学での思い出についてお聞かせください。
入学してしばらくはまだ高校時代の後遺症があったというか、宿題をするという概念すらなかったので、授業で「宿題やってきましたか」と言われてもきょとんとしていました。そんな私を温かく見守ってくださった先生方には感謝しています。中でもお世話になった体育の桜井智野風先生の授業は3年まで履修し、今でも連絡を取るなどお付き合いさせていただいています。

英語の授業も新鮮でした。受験のための英語の勉強しかしていなかったので、実際に英語を話す授業が多いことに最初は驚きました。「今から隣の人と英語で会話をしてください」と突然言われたときは、最初こそ「そんな恥ずかしいこと、とてもできない!」と思ったのですが、次第に慣れていくものですね。周囲の友人たちも臆することなく英語で話していることにも勇気づけられました。

青学での英語の授業を通して、人前で英語を話すことへの抵抗感がなくなると同時に、英語力が着実に身についていくことも実感できました。そうすると実際に英語を使ってみたいと思うようになったことが、在学中に20カ国近くを旅行することにつながり、そして結果的に現在の仕事に就く原体験となりました。旅行で発展途上国を訪れることが多かったので、人生で初めて貧困や飢餓の問題に触れ、それらについて調べたり考えたりするようにもなりました。

──海外旅行のどんな点に魅力を感じられたのですか。
普段の生活からまったく違う環境に行けることが楽しかったですね。観光名所巡りには特に興味がなく、街角のカフェで道行く人を眺めながらのんびりとお茶を飲み、その土地の空気感を味わうことが好きでした。私は中学、高校と修学旅行にも行っていないので、友人と旅行にいくことはこんなにも楽しいものかとびっくりしました。大学時代の友人たちとは今でも仲良しで、一緒に旅行にもいきます。こういった友人と出会えたことも、青学で学べてよかったと思えることの一つです。大学での講演の機会をいただいて青山キャンパスに来たときも「これほど帰って来たいと思わせる大学って珍しいのでは」と感じました。私は青学の雰囲気も青学生も、すべて本当に好きですね。

──本学卒業後、どのような経緯で早稲田大学法科大学院に進まれることになったのでしょう。
就職活動が始まったとき、海外を飛び回るような仕事をしたい、世界で働きたいと考えました。そのためにはよりアカデミックなバックグラウンドを得たほうが、希望の仕事に就けるチャンスが多いのではと考え、もう少し学んでみようと思ったのです。当時はロースクールができてまだ数年しか経っておらず、司法制度改革がまだ高々と掲げられている時期だったため、幸いなことに法律科目を受験せずに入学できました。将来弁護士として働くことにこだわっていたわけではなく、司法試験も当初は「受かればいいかな」くらいの気持ちでした。

ただロースクールでの勉強は本当にきつかったですね。予備校時代も1日に多くの時間を勉強に費やしていましたが、ロースクールの3年間は土日も含め、文字通り朝から晩まで勉強していました。昼食も30分と決めて一人で食べて、眠くなったら立って勉強したり……。周囲はみんな、法学部を卒業していて、教室は予備校のような雰囲気でした。そんな陰鬱な毎日を過ごしていたら、次第に「これだけ苦労しているんだから、合格というごほうびがなければやっていられない」と思うようになり、本気で司法試験合格を目指すようになりました。私が青学に入学したことを親はものすごく喜んでくれましたが、引き続き大学院の学費まで出してもらっていることを申し訳なく思っていました。だから司法試験に合格してその恩に報いたいという気持ちもとても大きかったです。

 

組織の一員として役立つため選んだ外交官という仕事

──大学院で勉強に励む中、長期休暇を利用してケニアとカンボジアを訪問されていますね。
貧困問題について実際にこの目で見て知るために、アフリカを訪れました。ケニアに4カ月ほど滞在し、NGOでボランティアをしました。このNGOでの私の役目はファンドレイジング、活動資金の調達です。ほかの学生たちと一緒に活動していたのですが、結論から言えばなにもできませんでした。お金も持っていない、スワヒリ語もできない、人脈もない、そんな日本人の一学生がケニアに行って「私はなにかいいことがしたいんです」と言ったところで、できることはないという現実を嫌というほど突きつけられました。自分の無力さを痛感する経験になりました。

ケニアの孤児院にて
ケニアの孤児院にて孤児と一緒に遊んでいるところ
子どもたちは英語が話せなくても身振り手振りでいろいろなことを教えてくれました

 

NGOは草の根の活動なので、今度は国のレベルでなにかできないかと思い、大学院にあったJICA(国際協力機構)の派遣プログラムを利用してカンボジアに行きました。ポル・ポト政権時代に知識人が処刑され、法律家がいなくなってしまったカンボジアの法整備支援を行うというものでしたが、このとき「国のレベルでできることって結構多い」と気づきました。そして、ケニアで個人としての無力さを感じただけに、「ならば組織の一員となって世界を救えるような仕事がしたい」という思いが芽生えたのです。ここで〝外務省に入省して外交官になる〟という目標がはっきりと見えました。

──その後、司法試験だけでなく外交官になるための国家公務員試験総合職にも合格。有言実行ですね。
もしも外務省の内定がもらえなかったら、弁護士になって国連職員になれればと思っていました。結果としては、司法試験の合否が出る前に外務省の内定が出ていたので、その時点で弁護士ではなく外務省で働くことを決めていました。

入省してからさまざまな仕事に関わってきましたが、とりわけ印象深く残っているのは2016年に三重県で開催されたG7〈伊勢志摩〉サミットです。私は広報担当として1年間携わり、サミットが開催されるまでの過程を目の当たりにしました。特に思い出深いことは、広報活動の一環として三重県内の学校で「イチからわかる! サミット塾」と題して「サミットってなに? 外交ってなに?」をテーマに子どもたちに授業を行ったことです。授業などやったことがないのでどうしようと思いましたが、中高生時代の自分が理解できるように話せばいいのでは、と。どの学校に伺っても必ず行っていたのは、授業当日の給食メニューをあらかじめ教えてもらうことです。たいていのメニューには小麦が使用されているので、「小麦はどこから来ていますか」という話から始まり、小麦の自給率、輸入国へと進み、では世界には何カ国くらい国があるのだろうと、自分の半径1m以内の身近なところから世界をわかってもらう授業は、私にとっても貴重な経験になりました。

──仕事で達成感ややりがいを感じるのはどんなときですか。
きついこともたくさんありますが、歴史的場面に立ち会えたときは「この仕事をやっていてよかった」と心から思います。たとえば2016年12月、安倍総理のハワイ訪問に同行した際、安倍総理と当時アメリカ大統領だったオバマ大統領は真珠湾にある追悼施設「アリゾナ記念館」を訪れ、犠牲者を慰霊しました。そのとき私の隣に座っていた方が、真珠湾攻撃を受けた軍人の娘さんでした。彼女は「私は今まで、奇襲して父を傷つけた日本はなんて野蛮な国なんだろうと思っていた。しかしこうして総理自ら来てくれて、父の肩を抱き寄せてくれた。このような素晴らしい日に立ち会える日が来るとは思わなかった」と涙を流していました。こういう瞬間のために生きていると感じます。

今後は、まだ在外での勤務経験がないので海外の大使館に勤務してみたいですね。しかも途上国と先進国の両方を経験したいです。途上国なら入省後2年間、スペインで研修していたので、スペイン語を活かしてキューバ、先進国ならアメリカ、特にニューヨークがいいですね。

真珠湾にて
真珠湾にて 後方にはアメリカの政府専用機エアフォースワン

 

──ご自身の経験を踏まえて、特に人間関係でつらいと感じている人へ伝えたいことはありますか。
私は高校時代、どんなに遊んでいても、心底では全然楽しくありませんでした。自分が帰属する場所がない状態がとてもつらかったです。でも、そういう経験をしたからこそ視野を広く持てるようになり、人に対して寛容になったと思います。だから今つらい思いをしている人も、その経験は必ずどこかで生きるはずです。ほかの人のつらい思いをわかってあげられるし、自分がつらい思いをした分、人にはそういう思いをさせないようにしようとやさしい人になれる。いつかきっと生きると信じて欲しいです。それでも耐えがたいほどつらかったら、その場にとどまらず逃げだしていいのではないでしょうか。社会も世界も広いのだから、自分が壊れる前に逃げていいと私は思います。

──最後に在校生へのメッセージをお願いします。
学生の頃は「なにをやろうかな」と考えたときに、自分の持っているものに固執する傾向があります。たとえば「自分は英米文学科だから英語系の仕事かな」「自分は教育学科だから先生かな」など……。今まで歩んできた後ろを見て、自分になにができるかと考えがちです。過去に培ったものをプラスにとらえて未来に生かそうとしているのであればいいのですが、「自分にはこれしかないからできることもこれぐらいかな」と思ってはいけないと思います。実は私もそういう思考回路でした。「自分に大学受験なんて無理だし」「高校もちゃんと行っていないんだからやれることなんて限られている」など、過去を見ることで将来の可能性を否定していました。しかし一念発起してやってみれば本当はいろいろなことができるものなので、皆さんにもどんどん挑戦して欲しいなと思います。

島根玲子さんインタビュー

 

島根玲子さんからのメッセージ

 

島根 玲子さん Shimane Reiko

埼玉県生まれ。高校時代に2度の留年、そして中退の後、大検を取得。青山学院大学文学部英米文学科卒業。早稲田大学法科大学院を経て2010年司法試験合格。2011 年外務省入省。経済局、中南米局等を経て、現在アジア大洋州局所属。

 

島根さんの著書

『高校チュータイ外交官のイチからわかる! 国際情勢』(扶桑社)

島根さんの著書『高校チュータイ外交官のイチからわかる! 国際情勢』
移民・難民、エネルギーなど、日本や世界が抱える諸問題を分かりやすく解説している一冊

 

[Photo:加藤 麻希] https://www.katomaki.com

「青山学報」268号(2019年6月発行)より転載