Interview インタビュー あおやま すぴりっと

アイドルとして、作家として ともに歩み見えた景色〈卒業生・加藤シゲアキさん〉

ジャニーズの人気グループNEWSのメンバーであり作家でもある加藤シゲアキさん。
作家、歌手、俳優、脚本家もこなす多種多彩な活躍をされています。

自身6作目となった著書『オルタネート』により、最も将来性のある新人作家に贈られる、第42回「吉川英治文学新人賞」を受賞され、4月9日に贈呈式が行われました。

多忙なスケジュールの中、母校でのインタビューの時間をいただき、青山学院の中等部、高等部、大学で過ごした10年の時の中で、支えてくれた友人や先生との思い出、聖書や法学部で学び得たもの、人との関わりや出会いの大切さを語っていただきました。

(2021年4月20日 ガウチャー記念礼拝堂にて)

 

『オルタネート』の主人公たちは自分の分身

──吉川英治文学新人賞受賞おめでとうございます。受賞の感想をお聞かせください。
これまで文学賞には縁がなかったので、意識しても仕方ないものと思っていました。『オルタネート』も「これでなんらかの賞を狙いたい」といった思いは一切なく、ただ小説の楽しさを若い世代に知ってもらえたらいいなという気持ちで書きました。そういう作品が直木賞や本屋大賞にノミネートされ、さらには吉川英治文学新人賞をいただくこととなったので、喜びだけでなく驚きもありました。

同時に、「文学賞を受賞する作品って〝こう〟だよね」と、僕が狭量に決めつけていたことにも気づかされ、小説の自由さを改めて実感しました。

執筆活動を始めて10年になりますが、今回の受賞が新たなスタートになります。気持ちが引き締まりますし、現役の作家の方々が今後も選考委員として僕の書いたものを読まれることがあり得るという点に、緊張感は今以上に感じますし、モチベーションも上がります。

──『オルタネート』で読者に伝えたかったことはなんでしょう。

青春のきらめきや熱量、「オルタネート」というマッチングアプリ、SNSに対しての向き合い方など、いろいろなメッセージを込めてはいますが、「これを伝えたい」というものがあるわけではありません。伝えたいことがあるなら、わざわざ小説という手法を取らず、そのまま言葉で言ったほうが早いのです。

小説とは、伝えたいことの周りのものを描くことで、テーマや核のようなものを浮かび上がらせる作業だと思っています。だから書くほうも読むほうも回りくどい。けれども、読むことが結果として自分自身を見つめ直すきっかけにつながることがあります。僕自身がまさにそうだったので、そういったことを若い人たちにも経験してもらいたいという想いが一番大きかったです。

著書『オルタネート』
著書『オルタネート』

 

──思い入れのあるキャラクターはいますか。

蓉(いるる)、凪津(なづ)、尚志(なおし)という作中の三人の主人公は全員、自分の分身だと思っています。自分の中にある多面的な部分の一面を切り取り、キャラクターの造形としてふくらませていきました。ですから三人には個人的な思い入れもあるし、書き終わった後も「彼らには幸せになってほしい」と思うような、愛着のあるキャラクターたちですね。

──好きな作家やジャンルを教えてください。

サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』など海外文学が好きですね。学生時代は村上春樹さんが翻訳したものが好きで、フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』やレイモンド・カーヴァーなどもよく読みました。あまりに好きで、英米文学科に行けばよかったと思ったこともあるくらいです(笑)。海外文学の名作古典は、いまだに読み返す機会が多いですね。

──小説を書く際は、あらすじをすべて決めてから、あるいはテーマだけ決めて書き進めるのか、どのようなスタイルでしょう。

創作のスタイルは作品によって変わります。デビュー作の『ピンクとグレー』では自死のシーンがあるのですが、そこがまず決まっていて、そこに向かってストーリーを走らせていったので、シーンから作ったといえます。今回の『オルタネート』の場合は、最初に高校生三人の性格や生い立ちや彼らが求めているものだけを決めて、あとは高校生活を送るように書いていきました。僕の追体験でもありますね。結末は決めないで書き進めましたので、「そろそろ着地点を定めなければ」という感じでした。

──言葉へのこだわりはお持ちですか。

言葉へのこだわりはありますが、それを言語化するのはとても難しいです。一つ言えることは、「一番言いたいことは絶対に書かない」ということです。たとえば愛を伝えたいときに「愛」という言葉を使わない、使ってはいけないというのが小説だと思います。伝えたい言語や考え方の周りを掘ることで浮かび上がらせていくのが小説なので、使わない言葉や文章をある程度先に決めるということはあります。

加藤シゲアキさんインタビュー

 

中等部から高等部 支えてくれた先生と友人

──加藤さんは広島で生まれ、5歳で大阪に、そして10歳のときに横浜に転居されました。幼少時はどんなお子さんでしたか。

一人っ子で両親が共働きだったこともあり、一人で遊んだり学んだりすることが好きで、どちらかと言えば内向的な性格だったと思います。もちろん、友達がいなかったわけではありませんが、転校のたびに友達との距離間が掴めなくて苦労したこともありました。友達がいることで学校生活はスムーズにいくと感じたことで、友達と仲よくなれる方法も徐々に身に付けていきました。

大阪時代はピアノや少林寺などを楽しんで習い、横浜に引っ越してからは、中学受験のために進学塾に入りました。しかし、小学校6年生のときにジャニーズ事務所に入所したことで、芸能活動と両立ができる中学に志望校を決める必要が生じ、青山学院の中等部を受験しました。

──勉学と芸能活動の両立は大変だったのではないですか。

中等部、高等部とも先生や友人が支えてくれました。今思えば勉強も好きだったのでしょう。大変だったという思い出はありません。ただ、部活は参加できる日が限られていることもあって、やりたいという気持ちはありましたが入部は叶いませんでした。

勉強面で苦労したという覚えはあまりないのですが、唯一、英語で初めて明確な挫折を体験しました。僕は中等部に入学するまで4教科の受験勉強のみで、英語は一切勉強していませんでした。一方、初等部から進学してきた生徒は、すでに英語の素地がしっかりあるじゃないですか。スタートの段階で、すでに周囲から遅れていたのです。でも負けず嫌いなので、なんとかついていこうと頑張りました。また聖書と国語の教科書が読み物として面白くて好きでよく読んでいましたね。

この中等部時代に「テスト勉強は反復することで記憶を定着させる」という自分に合った勉強方法を確立できたので、成績も結果を残せました。この勉強方法は高等部や大学時代も続け、「試験前の一夜漬けで乗り切ろう」とか「今日は徹夜で勉強しよう」という考えは一切ありませんでした。

──思い出に残る先生はいますか。

中等部3年のときの担任で学年主任でもあった佐藤いつ子先生は、厳しいけれどちゃんと生徒に向き合ってくださる先生で、大変お世話になりました。夏休み明けに髪の毛を染めて登校したときは、「変わったわね」と言われてショックでした。ショックだったということは先生に嫌われたくなかったのでしょう。先生に「外見が変わっても中身は変わってない」と思ってもらいたくて、頑張って成績を上げました。

中等部生の頃(校内にて)
中等部生の頃(校内にて)

 

──思い出に残る行事などはありますか。

高等部の修学旅行で九州に行ったことです。最初は騒いだり、はしゃいでいた生徒も、長崎の原爆資料館を見学した後、みんなショックを受けて、大人しくなっていましたね。夜景の美しさも忘れられません。ただただ楽しい時間で、高校生活の貴重な思い出になりました。
 
混乱を避けるため文化祭には参加できなかったのですが、終わる数十分前に私服で一般客を装って行きました。門が閉じた後にクラスの仲間と合流すると、クラスの出し物だったジェットコースターを、僕にも体験させてくれました。確かクラスごとに出し物を競っていて、僕たちのクラスのジェットコースターが1位になった記憶があります。バレーボール大会でも優勝したし、2・3年の時の渡辺健先生のクラスでは、クラス単位で参加する行事にいつも真剣に、全力で取り組んでいました。僕はそういう行事に対してドライだったり面倒がったりしてしまうタイプだったのですが、クラスメイトがあまりに一丸となって打ち込んでいるのでおのずと〝自分もやるしかない〟という感じになり、最終的には真剣に参加していました。それもまたいい思い出です。

 

大学生活の4年間は宝物のような時間

──大学は法学部に進まれました。

中等部からの友人は経営学部や経済学部に進学する人が多かったのですが、大学生になっても付き合いは続きました。法学部で新たにできた友人たちは、出席できなかった授業のフォローをしてくれるなど、勉強面でも支えてくれました。

法学部の定期試験は基本的に論文形式で、判例についてどう解釈するかを問うものが多かったです。だから友人たちと一緒にこうなんじゃないか、いやああなんじゃないかと意見を交わしていると、次第に試験勉強という枠組みから外れて議論になっていくことがよくありました。法学部では「日本は法治国家だけど、法は完璧といえるか」など、一つ一つの問いに対して真摯に向き合い、掘り下げて考えるという姿勢を学ばせてもらいましたし、一緒に議論を交わしてくれる友人たちの存在も大きかったです。この経験は、現在の執筆活動に活かされている気がします。

──法学部で学び得たことはなんでしょう。

「まだ世界はできあがっていない」ということです。最初にそれを実感したのは、「人権はどの時点で生まれるのか、胎児はいつから〝人〟と見なされるのか」といったことに関する授業でした。その定義は法律で決まっているのですが、僕はそれを知ったとき、すごく不条理だけど合理的な気がして、さらにそこに「まだ世界はできあがっていない」という物語を感じたのです。社会の一部を形成している法がまだまだ完成されていない、ということを一番強く思いました。

──周りの人から影響を受けたことはありますか。

別の学部に進んだ友人たちからも刺激を受けました。自分の専門外の勉強の話もそうですし、友人の好きな映画や小説、ラジオ番組などを教えてもらうことで、僕自身の好きなものの幅も広がっていきました。また、一念発起して猛勉強し、在学中に公認会計士の試験に合格した友人には感服して、努力したら夢が叶うんだと間近で実感しました。ほかにも僕の在学中に33年ぶりに陸上競技部が箱根駅伝に出場し、同じ大学の仲間が走るということもあって大いに盛り上がりました。多様な人間が集まる大学という場でいろいろな人と触れ合うことができた4年間は、僕にとって宝物のような時間でした。

大学の卒業式の日に
大学の卒業式の日に

 

──心に残っている授業はありますか。

「キリスト教概論」の授業は好きでしたね。先生は聖書をすごく面白く読ませてくれたので夢中になりました。僕は中等部の頃から聖書を小説だと思って読んでいたので、解釈次第でいろいろな捉え方ができるという点にますます魅力を感じました。聖書は世界でもっとも読まれている小説とも言われています。けれどもどれだけ読んでも僕にはいまだに理解できない、わからないところがたくさんあります。学んだ解釈も、腑に落ちるところもあれば「本当に神様はそう考えたの?」としっくりこない点もありました。そして、そういう疑問を抱き問い続けること、自分なりに解釈することが、楽しかったし好きでした。疑問を持ち続けていると結果的に自問自答することになるので、聖書を読むことが、自分を見つめ直す鏡のようにもなっていました。

宗教に影響を受けた人々が世界を作ったという部分が間違いなくあるということは、やはり物語の影響はすごいということの証明でもあると思うのです。つまり物語の力というものを圧倒的に見せつけているものの一つが聖書だと思います。おこがましいかもしれませんが、そこが僕も小説を書く意味があるのかなと思えた要因になっていると思います。

 

続けていかなければ見えない景色がある

──中等部から大学までの校風はどう感じていらっしゃいましたか。

中等部は〝自由〟、〝もっと自由〟が高等部、〝もっともっと自由〟が大学、です(笑)。僕からすれば、芸能活動との両立を受け入れてくださるということがそもそもすごいなと思っていました。また、青山学院には文化・芸術の分野で活躍されている方がたくさんいることからもわかるように、芸術的な豊かさを大事にしていますよね。そして、さまざまな学校行事を大事にしていることが在学生の人間形成につながっているとも思います。自由ゆえに、ときに、はみ出る人もいるし、まとまらないこともあるかもしれません。けれどもそれも若いときにいろいろなことを経験しておくことで、社会に出たときに役立ってくれるはずです。青山キャンパスがある渋谷という立地も、自由な校風に関係しているのではないでしょうか。毎日見る景色、空気なども影響しているのだと思います。

──今後の抱負をお聞かせください。

今回、著書が賞の候補になったり受賞したりして思ったことは、自分に小説を書く才能があるかはわからないとしても、書き上げることと書き続ける才能はあったんだ、ということでした。

続けていかなければ見えない景色はたくさんあると思います。最初によいと思えるものが書けたとしても、その一作で終わりにせず、書き続けてきたからこそ賞をいただいたり、周囲に喜んでもらえたりする機会が得られました。これは小説に限らず芸能活動でも同じです。一度やると決めた限りは満足いくまで続けると決めているので、今後もそこは貫いていきたいですね。

──在学生へのメッセージを。

中等部から大学まで、僕の学業と仕事の両立を支えてくれたのは先生方や友人たちでした。今でも顔を合わせればすぐに時間が遡り、気のおけない話ができます。先生や先輩も含めてたくさんの人と青山学院で出会うことができて、人に恵まれた10年間を過ごしました。皆さんもぜひ、人との関わりや出会いを大切にしてください。そして日々に流されず、日常の出来事の一つ一つを大切に、ていねいに記憶するようにしてください。そうすると大切なものが増えるし、社会に出てからも豊かな心で過ごせると思います。

 

加藤 シゲアキ さん KATO Shigeaki

1987年広島県生まれ、大阪府出身。青山学院中等部、高等部、大学法学部卒業。ジャニーズ事務所のアイドルグループNEWSのメンバーとして活動する傍ら、2012年1月に『ピンクとグレー』で作家デビュー。2020年11月に刊行された自身6作目となる『オルタネート』で第42回吉川英治文学新人賞を受賞。

 

[インタビューPhoto:]
 鈴木貴子(ひび写真事務所)
 松本理加(Rika Matsumoto)

 

「青山学報」276号(2021年6月発行)より転載
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