Interview インタビュー あおやま すぴりっと

「青山俳壇」への誘い ─俳句を詠む楽しみ

2022年から新たに「青山俳壇」が始まります(6月15日より作品募集開始予定)。
五七五のわずか十七音で表現される世界は多彩で、季語は季節を表すだけでなく、日本の古くからの生活を今に伝えてくれるものでもあります。そして俳句には読み手が自由に解釈できるという楽しさもあります。

「青山俳壇」の開始にあたり、選者の先生方による座談会を開催しました。
選者の先生は、NHK俳壇にもご出演されている俳人の片山由美子先生と櫂未知子先生、大学文学部日本文学科教授の大屋多詠子先生、そして中等部国語科教諭の林謙二先生の4名です。
俳句との出会いからお気に入りの句、句作のアドバイスまで、先生方の豊かな知識が披露された貴重なひとときとなりました。
皆様に俳句の魅力をお届けいたします。

(2021年12月21日インタビュー)

 

俳句を詠む 季語・五七五・リズム

──最初に、皆様にとって俳句とはどのようなものかお聞かせください。

片山 日本語さえできれば誰でも作れる親しみやすい文芸で、自分の思いを形にできるものだと思います。日本語の奥深さを知り、日本の伝統や美意識に触れる楽しみ方もあります。

 

    青山俳壇_片山先生
片山 由美子先生

    1979年より鷹羽狩行に師事。俳句結社「狩」入会、のち同人・副主宰。1999年4月から2009年3月まで青山学院女子短期大学国文学科非常勤講師。2019年『狩』終刊を承けて『香雨』を創刊、主宰となる。2018年より「毎日俳壇」選者。1990年に俳句研究賞、2007年に俳人協会評論賞、2013年に俳人協会賞を受賞。句集に『飛英』ほか6冊。評論集、対談集、入門書など著書多数。公益社団法人俳人協会常務理事。「NHK俳句」に出演。

 

 五七五という音数を数えられ、「っ」は一音に数えるとか「ょ」はセットで一音などを分かっていれば、俳句は誰でもできると思っています。ただ、間口は広いですが入った後は奥が深いので、終わりがない文芸、一生楽しめる歌だと感じます。

 

青山俳壇_櫂先生
    櫂 未知子先生

    青山学院大学文学部日本文学科卒業、同大学院修了。はじめ短歌を学び、のちに俳句に転向。第一句集『貴族』で中新田俳句大賞、『季語の底力』で俳人協会評論新人賞、第三句集『カムイ』で俳人協会賞、小野市詩歌文学賞を受賞。著書に『第一句集を語る』(共著)、『食の一句』『俳句力』『言葉の歳事記』『十七音の旅』などがある。同人誌「群青」共同代表。公益社団法人俳人協会理事。「NHK俳句」に出演。

 

大屋 子どもの頃に父が俳句を詠み上げているのを聞き、遊びのような感じで五七五を書き留めていたので、小さいお子さんから楽しめる、リズムが親しみやすい文芸だと思っています。

 

青山俳壇_大屋先生
    大屋 多詠子先生

    東京大学大学院博士課程満期退学。博士(文学)。青山学院大学文学部日本文学科教授。専門は江戸時代後期の小説。著書に『馬琴と演劇』など。俳人の父、大屋達治の影響で幼少より作句。院生時代に有馬朗人主宰「天為」同人となる。

 

 櫂先生がおっしゃる通り間口は広いので入りやすいのですが、続けていくうちに「これではだめだ」と思うことも増えていきます。詠みたいものは自分の中にあっても見合う言葉が出てこない、詠みたいもの自体が浮かばないなど、壁にぶつかると越えるのが難しいですね。また、俳句は状況をよく観察し、描写するもので感情を言いすぎない方が良いですね。

 

青山俳壇_林先生
    林 謙二先生

    青山学院大学文学部日本文学科卒業。青山学院中等部教諭。俳句結社「一葦」所属。教員になってから俳句を始める。授業で俳句・短歌の実作を積極的にすすめる。公益社団法人俳人協会「教職員のための俳句指導講座」委員。

 

片山 句会で句を出し合って選び合うのは遊びの要素があって楽しいと思います。句会では先生も含めて句に名前を書かないので、誰がどの句を詠んだのか分かりません。だから先生の句に一点も入らないこともあります(笑)。

 私も「投票ではないのだから、自分の句に票を入れてはいけない」と最初に説明しています。忖度なしの世界ですね。

──季語の役割について教えてください。

片山 季語はお互い共通の認識を持ち、同じ世界、舞台で話ができるための装置の役割をするものです。また、日本の古くからの生活を伝えてくれるもの、日本人らしさを教えてくれるものでもあります。

大屋 俳句は俳諧の初句の五七五を切り出したものです。俳諧では句をつけるときに、四季の順番でつけるとか月や花などの定座、恋を詠まなくてはいけないなどの決まりごとがあり、その中で類語集のようなものや季語を集めた季寄せが出てきました。江戸後期には季寄せが歳時記と呼ばれるようになりました。

──青山俳壇に応募したい児童や生徒が季語を学びたいときは、歳時記を読んでみるのが最適でしょうか。

 そうですね。歳時記は読み物としても面白いですよ。「これも季語なんだ」「こんなものも季語に認定されたんだ」という驚きもあります。最近では夏の季語に「サンダル」や「冷やし中華」、冬には「ブーツ」が加わりました。

片山 歳時記に載っていてもほとんど詠まれない季語も多く、俳人たちがその季語を使って良い句を作ってきたかという実作で淘汰されていきます。ただ、使われていない古い時代の季語をすべて捨てるというわけではありません。例えば目にする機会の少ない「炭」は昔はそれで暖を取っていたのですから、そういう時代の生活を伝える意味でも残すべきですね。季語は季節の推移と生活です。はしりや旬のものを楽しむ、そして過ぎていくものを惜しむという「待つ、楽しむ、惜しむ」が季節の心です。

 そして完全に過ぎ去ったものは追わない。私はこれを「元カレ理論」と呼んでいます。今の彼氏を大事にしなさい、それが季語の原点であると。これが「今カレ理論」です(笑)。

 櫂先生は俳人協会の講演でもいろいろな季語の現物を持ってきてくださいますよね。季語の現物だけを保管するお部屋を持っていらっしゃるほどです。

 竹馬、蝿たたき、蝿取り器、ひさごなどの長いものはクローゼットに、棚には季節順に並べています。句会の席題で使うこともあり、皆さん手に取って「これか」と確認されます。夏の季語の「箱庭」は、実際に種をまいて草を育てます。「雪うさぎ」は南天の実で目を、葉で耳を、雪で胴体を作るのですが、雪がないときには、かき氷器で作りました。

 

櫂先生の季語コレクション

青山俳壇_季語コレクション1
青山俳壇_季語コレクション2
[左上]浮いて来い(夏)、[右上]水中花(夏)
[左下]青写真(冬)、[右下]寒紅(冬)

 

──五七五の定型は、本来厳格に守られるべきでしょうか。

 私は「中七女」と言われているほど、中七を大切にしています。上が字余りになってもいいし下が字余りになることもありますが、七音は絶対に七音にしたい。なぜなら句の骨だからです。中七以外の句は成功例もあまり多くありません。

片山 長い言葉でも外来語は早く言えるので、「クリスマスツリー」や「クリスマスケーキ」は八音ですが五音で扱っていいのです。選者を担当している「NHK俳句」で字余りを取り上げたとき、ピアニストの反田恭平さんがゲスト出演されました。ショパンの遺作のノクターンに出てくる三十五連符を十三連符と同じ二拍にどう収めるのか、実際に弾いていただきました。言葉も同じで長い言葉も早く言えば収めることが可能です。五七五はリズム、言葉というより音楽に近いですね。私はいつも音楽と言葉を一緒に考えています。

 

俳句との出会い 句を詠むとき

──皆様の俳句との出会いを教えてください。

 詩歌にも俳句にもまったく興味がありませんでした。教員九年目に前任校から中等部に移ったのをきっかけに、自分が面白いと思わないものを他人に教えられないと思い、たまたま手元にあった俳人協会の「教職員のための俳句指導講座」のチラシを見て参加してみました。そして「なんて俳句は面白いんだろう」と衝撃を受け、さらに先生たちと句会も行い、それも面白くて。ただ自分の句には全然点が入らなかったのが悔しくて、翌年も参加したら、今度は少し点が入ってうれしかったですね。今は俳句が本当に楽しくて、こちらの気持ちが生徒にも伝わり、共鳴してくれる生徒が何人も出てくるのがまたうれしいですね。

 

青山俳壇_林先生
林先生 3年選択授業「俳句」の受講生・卒業生と清澄・深川吟行会(2015年)

 

大屋 俳人である父の影響で始めました。初めて詠んだのは五歳のときで、「ゆきのひやパパとママはキスばかり」。子どもながらに、お父さんにお母さんを取られた嫉妬心があったようです(笑)。幼稚園の頃、父に連れられ参加した句会で詠んだのは「ベランダにひまわりぞおっとのびている」。小学校時代は黒田杏子さんの「藍生」に投句し、小さい子の句が珍しいせいか起用してもらえることもありました。

 青学の大学院生のとき、友人に誘われて短歌を始めたところ「あなたの歌は五七五で切れていますね」と短歌の先生に言われました。そこで俳句に興味をもち、雑誌『俳句』に広告掲載をしていた結社に入り俳句を始めました。初めて句会に参加したら、作者の名前が出ないことや、どんどん効率良く回っていくシステムがいいなと感じました。

片山 ピアノの個人レッスンをしていた生徒の両親がたまたま俳人で、句集を貸してくださいました。お返しするとすぐに次の一冊を貸してくれることを繰り返しているうち、次第に興味がわき、鷹羽狩行先生を紹介していただきました。先生の言葉に対する考え方や俳句の教え方はとても私に合い、指導も厳しいのですが適切でした。その後、先生の結社に入り投句するようになり、賞をいただいたのを機にだんだん俳句の仕事が増えて、いつのまにかピアノより俳句が本業になりました。

 

青山俳壇_片山先生
片山先生 「俳句研究賞」授賞式にて鷹羽先生と(1990年)

 

──俳句を詠まれるのはどんなときでしょう。

片山 机の上で作るというより、歩きながらとか、電車の中で作ります。そして自分を追い込んで作ります。どんなに忙しい日々でも俳句を作るのが俳人の務めであり、それを続けていかないとお弟子さんたちに示しがつかないですよね。

 私も常に追い込んで作ります。もっぱら句会に出て作ります。そういう切羽詰まったときの方が良い句が生まれるから不思議です。

 

青山俳壇_櫂先生
櫂先生 「俳人協会賞」授賞式(2018年)

 

大屋 学生時代は通学に片道二時間近くかかっていたので、軽い季寄せをぱらぱらめくりながら、日中気になった景色を思い出しては、電車の中で形にしていました。

 私は締め切りに追われないと作れないタイプで、「今日中に三~四句考えないといけない」というときは机に向かうことはありますが……。それでできれば苦労しません(笑)。

片山 私は五音七音でとらえる、スケッチすることの習慣化を奨めています。上五と下五しか思いつかない場合は真ん中を空けて書いておきます。そういう虫食いのようなフレーズでも別の機会に最適な言葉が見つかることもありますし、未完成のものをたくさん持っていると強いですよ。

 私も以前は思いついたことをメモして入れておく箱を作っていましたね。その後はクリアファイルに付箋で貼り付け、いつも持ち歩いていました。

 

俳句の魅力 お気に入りの俳句、俳人

──俳句の魅力についてお聞かせください。

片山 一句は短くても、積み重ねていけばその人の生きた歴史になります。自分では気が付かなかったものが思いがけず俳句として残っていることもあるなど、自分自身の発見につながるのも魅力です。

 現代川柳は重い内容の句もありますが、俳句は季語があることで、ある種の明るさが生まれている気がします。

片山 櫂先生がお母様の亡くなられたときに詠まれた「一瞬にしてみな遺品雲の峰」、深い句ですよね。夏に亡くなられたというだけでなく、雲の峰という季語を持っていらしたのがすごいなと。それが俳人の底力でもあります。

 たまたま依頼が来ていて、「帰ったら書かなくちゃ」と思っているきにふっと生まれた句でした。降ってくるみたいに一瞬で浮かんだ感じでしたね。

片山 分かります。何か降りてくるという感覚。本当に自分で作った句という気がしないときがあります。

大屋 自分の古い句に過去が一瞬にしてよみがえることがあります。また、他の方の句でも自分のことのように共感できる、しかもたった五七五で分かり合えるところが魅力です。

 「いちばん大事なところは言わない」、そこが魅力だと思います。また、俳句は自分の作った句の解説をしませんよね。「自分はこういうつもりで作りました」というものがあっても、実際にどう読み取るかは相手の自由です。例を挙げると、生徒と句会を開いた際、ある生徒が「かっこうがただかっこうと鳴いている」という句を詠みました。私はとても良い句だと思いました。本人は苦肉の策で詠んだのかもしれないのですが、私の解釈では、かっこうはかっこうとしか鳴けない。おそらくこの生徒は家で「勉強しなさい」とばかり言われている。やりたいことがたくさんあるのに勉強しかできないという自分を表していると感じたのです。

 片山先生の句で違う解釈をされたものもありましたね。

片山 「まだもののかたちに雪の積もりをり」という句があります。

 平成の名句ですね。

片山 この句は新潟へ行ったとき、まだそこに何があるか分かるくらいに雪が積もっていて、もっと降ったらまっ平な雪原になるのだろうと思って詠みました。それを雪の解け始めと解釈した人がいました。でも、東京に雪が降った時に、新聞の第一面のコラムに私のこの句を思い出したと書いてくださった編集委員もいて、シーンを共有してもらう楽しさがあります。

──好きな俳人や俳句、好きなテーマを教えてください。

 師匠である島谷征良先生の「六肢みな力を抜かず蝉の殻」は、先生の真面目さがよく出ていると思いますし、「蜩はかならず高きところより」は、「写生が基本」とよくおっしゃっている通りの句です。片山先生の句で生徒によく紹介するのは「籐椅子の窪みのどこか身にそわず」。亡くなったお父様やお母様がずっと使っていた椅子に改めて座ってみて、なんかちょっとしっくりこないような、勝手にそんな解釈をしています。櫂先生の有名な「佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり」、この近いような遠いような感覚もすごく面白いですよね。

テーマに関しては教員だけに、学校の一場面を詠む句が多いです。

大屋 師匠である有馬朗人先生の「妻告ぐる胎児は白桃程の重さ」は、受胎告知の宗教画のようなイメージもあり、自分も出産して実体験した感じです。父の句では、「大山に脚をかけたる竈馬かな」は小さな虫が大きな山に足をかけるという対照の面白さが好きです。片山先生の「初雪や積木を三つ積めば家」は、初雪が降って家に閉じこもっているとき子どもと積み木を積んで遊んでいる、その静寂がすごく好きな句です。櫂先生の「春は曙そろそろ帰つてくれないか」は、女性と男性どちらの言葉なのだろうと考えたりして惹かれます。林先生の句では「一声をしぼる鵟や風光る」、春先のまだ少し空気が冷たい中で猛禽類の声が響いているというのが好きです。

テーマはこれからの課題になりますが、身近な家事や子育ての中でいい句を作れるようにしていきたいと思います。

 

青山俳壇_大屋先生
大屋先生 2020年度「青山学院学術賞」受賞(2020年)

 

 飯島晴子と京極杞陽が好きです。二人は対照的な俳人で、飯島さんは「葛の花来るなと言つたではないか」「さつきから夕立の端にゐるらしき」など、比較的張りつめている句が多く、その緊張感に惹かれます。京極さんは「石炭や二十世紀は移りつつ」「性格が八百屋お七でシクラメン」など、本人は真面目に作っているのですがどこかユーモラスなんですよ。そんな句を多数詠んだ点に惹かれます。

テーマは、今までは生活に属した季語で詠むことが多かったのですが、今後はもう少し季節の移り変わり、中でも植物に特化して、テーマというより季語としてとらえていきたいと考えています。

片山 好きな句は細見綾子さんの「再びは生れ来ぬ世か冬銀河」です。人生は一度きり、それを「再びは生まれ来ぬ世か」の一言に集約しています。小川軽舟さんの「死ぬときは箸置くやうに草の花」も、後世に残る句ですね。好きな俳人は、近年九十九歳で亡くなられた深見けん二先生と百三歳で亡くなられた後藤比奈夫先生で、お二人とも生涯、現役の俳人でした。命ある限り人に感動を与える俳句を作れることは素晴らしいです。

詠んでいきたいのは、季節に伴う心の動きです。季語は人の感情を表してくれます。

 

選者からのアドバイス

──俳句と青山学院とはどのような関わり、つながりがあるでしょう。

片山 女子短期大学の卒業生には加藤楸邨先生や平井照敏先生に学んで俳人になっている方もいます。加藤先生の結社「寒雷」の後継に当たる「暖響」の代表は教え子の江中真弓さんです。私も短大の教え子たち何人かと、今も「青山句会」と称してメール句会をしています。また、大学の卒業生にも倉橋羊村先生や、北大路翼さんがいたり、青山は俳句と縁があります。
中等部の国語の教科書の俳句の単元は私が書いていますので、林先生に声をかけていただいて特別授業を行うこともあります。

──俳句の詠み方、句作へのアドバイスをお聞かせください。

 まず、五七五の「定型」を意識してください。次に歳時記を読んでみてください。どんな季語があるのか、どんな例句があるのかが、何となく見えてくるでしょう。怖がることなく、一句一句、肩に力を入れずに楽しむことが一番です。

 初心の人に作りやすい形としては「四音の季語+や・七音・五音」がいいでしょう。中七と下五で季語とは直接関わりのない、作者の心情が感じ取れるような場面やものを詠みます。「探梅や飛行機雲のなほ伸びて 」は私の句ですが、梅の花を探す冬の季語「探梅」と「飛行機雲」は直接関係がなく、「なほ伸びて」に春を待つ思いがあります。

大屋 実体験を詠むのが一番だと思います。私自身は、情景が目に浮かぶように、十七音の一音一音を大切に、重複しないように、また読み手に伝わるように、言葉を選ぶことを意識しています。五感を大切に表現したいですね。

片山 俳句を詠むことで得られるもの、それは毎日を丁寧に生きるということです。大げさなことではなく、うれしかったことやちょっと心を動かされたことなど、誰かに言いたくなったことを五七五にしてみてください。それが心の記録として残り、人生を豊かにしてくれるものであることに、いつか気付くと思います。

 

「青山キャンパス」を詠む

青山キャンパスを詠む
題「青山キャンパス」で詠んでいただきました(12月21日)

 

──最後に、皆様の今後の抱負をお願いします。

 俳句にゴールはありません。納得のいく会心の句などなかなかできるものではありません。皆さんの作品に刺激を受けながら、私も成長していきたいと思います。

大屋 俳句は幼少時から身近な存在でした。最初は遊びで、中学では文芸部、大学・大学院時代は俳句結社に所属して作っていました。しばらく疎遠になっていましたが、改めてしっかり向き合いたいと思います。

 ここ数年は若い俳人たちを育てることに力を入れてきましたが、今後は自身の作品を充実させていきたいです。繊細な自身の作品と良い作品を見逃さない選句力、その二点を大切にしたいと思います。

片山 俳句は今過渡期にあり、文語・歴史的仮名遣いの俳句がいつまで続くかは予測できません。だからこそ、日本語が本来持っていた豊かさを伝える文語を中心とする俳句表現を守っていきたいと思います。そして、俳句を通して様々な人とつながる楽しさを少しでも多くの人に伝えたいと願っています。

──本日はありがとうございました。

 

青山俳壇_選者の皆さま

[インタビューPhoto:] 川井 淳

「青山学報」279号(2022年3月発行)より転載
※本サイト掲載の写真および文章について、無断転載・転用を禁じます。