Interview インタビュー あおやま すぴりっと

学院と共に奏でる「第九」〈校友・秋山和慶さん〉

2024年は青山学院創立150周年と同時に、秋山和慶さんの指揮者生活60周年という記念すべき節目の年となりました。

80歳を超えても精力的に活動を続けられている秋山さん。来年3月に開催される青山学院創立150周年記念演奏会においても本学在校生と校友の演奏を指揮されます。

青山学院で過ごした9年間の思い出や様々な音楽家との出会い、そしてクラシック音楽の魅力について、音楽に造詣の深い中等部部長の上野亮先生、大学文学部比較芸術学科教授の広瀬大介先生と共に語っていただきました。

(2024年7月12日インタビュー)

[聞き手]
中等部部長 上野亮先生 UENO Toru
大学文学部比較芸術学科教授 広瀬大介先生 HIROSE Daisuke

 

青山から世界に羽ばたいた高名な音楽家たち

上野 今年度は様々な青山学院創立150周年の記念行事が開催されてますが、その最後を飾る2025年3月16日にサントリーホールで行われる記念演奏会で、秋山先生に指揮をとっていただきます。指揮をご快諾いただきありがとうございました。青山学院出身の作曲家、渡辺俊幸※1さんへの委嘱作品の初演のほか、ベートーヴェンの交響曲第9番「第九」合唱付きなどを演奏予定です。
私は記念演奏会の実行委員会の立ち上げから関わってきたのですが、その過程で青山学院が芸術文化、特に音楽の分野で優れた音楽家を数多く輩出してきたことを改めて実感しています。まだ中等部・高等部が中学部と呼ばれていた戦前には、作曲家の中田喜直※2さん、そして團伊玖磨(だん いくま)さん※3が、1年違いで中学部に在籍されていました。また、一昨年亡くなられた現代音楽の作曲家で文化勲章も受章された一柳慧(いちやなぎ とし)さんも初等部から高等部まで在籍され、今年亡くなられたピアニストのフジコ・ヘミングさんも初等部から高等部まで通われていました。他にも優れた音楽家の皆さんが青山学院時代に音楽家への夢を描き、その後それぞれの道に進み、世界へ羽ばたいていきました。秋山先生もそのお一人です。また秋山先生のお父様も青山学院ご出身だそうですね。

秋山 そうです。当時はまだ大学という名称ではなく専門部だったと思います。父は大学のオーケストラでバイオリンかビオラを演奏していたそうです。
宮崎県出身の母は音楽の教員を目指していたのですが、当時の宮崎にはピアノを本格的に弾ける人がほとんどいなかったらしく、県から奨学金が出て東京音楽学校(現東京藝術大学)師範科に進学しました。卒業後は宮崎で教員をし、結婚後は東京に出て自宅でピアノを教えていました。教え子の中にはチェリストの岩崎洸さんもいます。
母の父、つまり僕の祖父は教会の牧師でした。僕が物心ついた頃はもう亡くなっていたのですが、母はずっと教会でもオルガンを弾き、聖歌隊の指導もしていたので、音楽的な環境はありました。小さい頃は毎週末、家族で教会に通っていたこともあり、宗教と音楽が関わることには何の抵抗もありませんでした。

上野 讃美歌は秋山先生にとって音楽の原点ですね。

 

  1. ※1 代表曲:NHK大河ドラマ「利家とまつ」メインテーマ、「大地の子」メインテーマなど
  2. ※2 代表曲:「夏の思い出」「小さい秋見つけた」など
  3. ※3 代表曲:「ぞうさん」「おつかいありさん」「夕鶴」など

 

指揮者への道のきっかけは小澤征爾氏との出会い

上野 秋山先生は終戦後の1947年、青山学院初等部に入学されました。

秋山 幼稚園は目白の自由学園に通っていて、幼稚園ながら合奏の時間がありました。それぞれできる楽器を弾くので僕はピアノを、何も弾けない子は太鼓を叩いたりしていました。そして卒園式では先生から「指揮をしなさい。1小節を4つにしていればいいのだから」と(笑)。それが僕の指揮者としてのデビューでしたが、当時はそれが自分の職業になるとは夢にも思っていませんでした。
初等部に入学した当時はまだ戦後の焼け跡が残り、校舎の天井は抜けてしまってトタン屋根でしたね。教室も板で囲ってあり、冬は暖房もなく寒かったことを覚えています。2年生になるとストーブが入って、みんな大喜びした記憶があります。グラウンドも荒れ放題でしたから、体操や小さな運動会などは屋上でしていました。本部の建物も今と同じ場所にあり、礼拝など時々そこで行われていました。4年生から毎年夏に合宿で山中湖に行って湖で泳いだり、中等部では奥日光に希望者で行ったりしていましたね。

 

初等部卒業式の後、母との写真
初等部卒業式の後、母と

 

上野 初等部、中等部では昭和を代表する歌謡曲の作曲家である筒美京平さんが同学年に在籍されていましたね。

秋山 初等部ではクラスが違うので直接の付き合いはありませんでしたが、ピアノが上手だということは知っていました。中等部になると礼拝での讃美歌の伴奏を彼と僕が毎週順番に弾いていたので、話す機会もありました。

上野 それはなんとも豪華な伴奏者ですね。当時は男の子でピアノを演奏するということはかなり珍しかったのではないでしょうか。

秋山 そうですね。特に終戦までは「男が音楽を演奏するなんて」という風潮でしたから、ピアノを演奏している男の子の家が「非国民」と言われ火をつけられたという話も聞いたことがありました。

 

中等部の頃、発表会の写真
中等部の頃、発表会

 

上野 ピアノはお母様から学ばれたのですか。

秋山 3歳くらいから母親に教わっていました。音楽に親しむこと、楽譜に忠実に演奏すること、物事にきちんと向き合う姿勢を教わりました。戦後、日本でジャズが盛んになった際、即興演奏で自由にテーマを変えられるところに魅力を感じ、そっちの方が面白いのではないかと思いました。その頃、ジャズは新鮮でしたね。一方、毎週土曜日にラジオで放送されていたオーケストラの録音はいつも聴いていました。また、初等部の4、5年生の頃から中等部時代は日比谷公会堂でのプロオケの定期演奏会に毎月行っていました。ピアノを弾くのも良いけれど、80人や100人のオーケストラの全員が息を合わせて気持ちをそろえて演奏するあの迫力は、一人でピアノを弾いているよりよほど面白いと感じました。
中等部2年生の秋頃、オーケストラの演奏会によく行っている人から「桐朋学園の子どもたちのオーケストラがすごく上手らしいから一緒に聴きに行こう」と誘われました。そうして青山にある日本青年館ホールで実際に演奏を聴いたら、目から鱗で、アンサンブルの緻密さと表現力の豊かさに感じ入りました。そこで齋藤秀雄先生と交替で指揮をとっていたのが小澤征爾さんだったのです。それまでにも一度、小澤さんにはお会いしていたのですが、その演奏を聴いたときはもう体中に電気が走ったような感じで、ぜひ自分も桐朋学園に入ってオーケストラに関わりたいと思いました。そこで演奏会終了後に小澤さんを訪ね、桐朋学園のオーケストラに関わりたい、そのためにはどうすればいいのか教えてくださいと言ったところ、「ちょっとついておいで」と言われました。そしていきなり齋藤先生のところに連れて行かれて「こいつ指揮を勉強したいんだって」と。指揮者になりたいなんて一言も言っていないのに(笑)。先生は本当に厳しい方なので「何を言っているんだ、出て行け」と言われるのかと思ったら、「今楽器は何を演奏しているの」と聞かれて。「ピアノをしています。今日の演奏を聴いてあまりにもすごいので、自分も桐朋に入ってオケで演奏をしたい」と伝えました。そうしたら「指揮をやるか」と。入学する前からレッスンの見学に行き、実際に振ることを教えていただきました。入学後は本当に厳しくて大変でした。でもレッスンが終わったら、先生は本当に優しい方で、夕食をご馳走になったり、たくさん参考になる話を聞きました。

 

中等部同級生の家での写真
中等部同級生の家で

 

上野 現在、世界中で日本人の指揮者が活躍されていますが、そのきっかけは優れた教育者である齋藤秀雄さんがオーケストラの指揮の技術を理論化、体系化されたからと言われています。それを身に付けた小澤征爾さんは世界へ羽ばたき、弟弟子の秋山先生も母校の桐朋学園で長く教鞭をとられて、多くの指揮者を育てながら東京交響楽団をはじめとする国内外の数多くのオーケストラと仕事をしてこられました。高校からは桐朋学園に進まれましたが、初等部、中等部時代の同級生との付き合いは続きましたか。

秋山 クラス会などで定期的に顔を合わせていました。みんな現役時代はバリバリ働き、現在はリタイアして悠々自適に暮らしているので、会うと「お前まだ音楽やらないといけないのか、かわいそうだな」と言われます(笑)。

 

現代でも色あせることがないベートーヴェンの音楽

広瀬 150周年記念演奏会で演奏するベートーヴェンの「第九」についてお伺いします。秋山先生が10年前に書かれたご著書ですでに「『第九』は400回以上振っている」とありました。年末の演奏も含め、あらゆる曲の中で最も指揮されているのではと思います。

秋山 そうなりますが、飽きることはありません。「第九」は端的に言えば、譜面を見るたびに新しいことが見つかる曲です。フォルテやピアノなどのダイナミクスをどう書いているのか、例えばこっちはフォルテだけどこっちはメゾフォルテだとか、そういう仕掛けがたくさんあり、それまで見落としていたものもあります。ダイナミクスの記号も、同じ場所、メロディーなのに、このパートには記載されているのに別のパートには記載されていないなど、そういうのを振るたびに見つけます。改訂版の楽譜が出るとまた表記が変わっていたりして、いつでも発見があります。

広瀬 ベートーヴェン自身、あるいはその交響曲の魅力はどんなところにあると思われますか。

秋山 彼が生きた時代のドイツは貴族の天下で、演奏家や楽士たちはお抱えとして貴族の下にいました。音楽をもう少し民衆にも楽しんでもらえるようにならないかと試みたのがベートーヴェンです。初期の作品である交響曲第1番、第2番に続く第3番「英雄」では、曲ががらりと変わりました。ベートーヴェンは王政から市民の解放を行うナポレオンを「民衆の英雄」と称えてこの曲を手がけ、ナポレオンの名前である「ボナパルト」というタイトルで献呈しようとしました。しかし、ナポレオンが皇帝として即位するとベートーヴェンは激怒し、「ボナパルト」の文字や献辞の言葉を譜面から削り取ってしまうという激烈さを持っていました。第4番になると少しクラシックに戻って、第5番の「運命」では激しさが印象的です。このように一曲ごとにベートーヴェンのキャラクターが異なり、まったく違う顔を見せてくれる、これは大きな特徴であり魅力だと思います。これがモーツァルトだったら、第1番から第30番あたりまでの曲は、どれが何番だかぱっと思い浮かべられないでしょう。それがベートーヴェンの交響曲は一曲ごとにあれほど違うわけです。特に「第九」は彼の集大成で、人間はみんな友達だと、平和への願いを込めました。異人種であっても異なる宗教であっても、共に音楽を楽しんでいいんだよ、というメッセージが込められています。

広瀬 最初の3つの楽章はオーソドックスなスタイルですが、合唱とソリストが加わる第4楽章だけが異質です。

秋山 ベートーヴェンは第4楽章のバスのレチタティーヴォ※4を何回も書き直しています。今の時代でも演奏され評価され続けているのは構成がしっかりしている証しで、メロディーの方向性や強弱の付け方も考え抜かれています。

広瀬 そうですね。ベートーヴェンは常に推敲に推敲を重ねるというイメージがあります。手書きの自筆譜は何度も書き直したりアイデアを殴り書きしたりで、非常に読みにくいことでも知られています。それだけ考え抜かれた末に生まれたダイナミックな音楽が、現代でも愛される魅力なのでしょう。

 

  1. ※4 クラシック音楽の歌唱様式の一種で、話すような独唱をいう

 

若いアマチュアの熱量に刺激を受ける心地よさ

広瀬 秋山先生はアマチュア楽団とも積極的に共演されていて、本学でも来年3月の記念演奏会で大学の青山学院管弦楽団、合唱団、中等部吹奏楽部、高等部ブラスバンド部などの学生・生徒と共演していただきます。アマチュアオーケストラには、どのような印象をお持ちでしょうか。

秋山 学生オーケストラはいい意味でまぜこぜで、その中で共通しているのは誰もが本当に「音楽をやりたい、オーケストラで演奏したい」という熱意を持っていることです。随分いろいろな大学で指揮をさせてもらっていますが、いつもみんなの熱に乗っけられてしまう感じです。気がつくと自然に、自分が「乗ってるな、乗せられちゃったな」となっています。しかも不思議なことに体もくたびれないんですよ。アマチュアとしての熱量に僕のほうが元気をもらっています。

広瀬 アマチュアのオーケストラが合唱とソリストが必要な「第九」を演奏するということはあまり例がありませんね。

秋山 プロのオーケストラでも合唱団となるとアマチュアが多いです。ただ厳しいオーディションを行う楽団もあり、誰もがステージに立てるというわけではありません。だからでしょうか、プロよりも熱があるなと感じることがあります。もちろんプロの人たちは本番ではしっかり歌いますが、「この曲はもう何度も歌っているから練習は不要です」といった姿勢の人もいます。それがあからさまだと、ちょっとがっかりするときはありますね。

広瀬 現在先生が関わっていらっしゃる中部フィルハーモニー交響楽団や岡山フィルハーモニック管弦楽団は、団体として結成されてまだ若いオーケストラです。いずれも志に共通するところがあるのではと感じます。

秋山 そうですね。誰もが本当にいいオーケストラになりたいと心から思っているのは、どちらのオーケストラにも共通しています。聴いたことがない、演奏したことがないという曲もたくさんありますが、それを限られた時間の中で一つずつ丹念に仕上げていくというのは、僕にとってもやりがいのあることです。そして「僕のやり方で演奏できるようになったら、ほかの指揮者のやり方でもできるようにならないといけないよ」と伝えています。

広瀬 先生の最近の活動を拝見していると、プロ、アマチュアも含め後進の育成により積極的に関わっておられる印象を受けます。ご自身の経験などを伝えていきたいという思いからでしょうか。

秋山 もちろんそれもありますし、聴いてくださるお客様を増やしたいという思いもあります。若い人が多いオーケストラや学生オーケストラだと、彼らの友人やご家族などが来てくださるでしょう。そうやってクラシックに触れてこなかった人とのご縁が少しずつでもつながればと思います。楽団の定期会員でもそんなに急激に増えるわけではないですから。今回の記念演奏会も、新しい聴衆にアプローチできる大きなチャンスだと考えています。
今後も若い人たちが関わっているオーケストラには、機会があればぜひ呼んでいただきたいと思っています。僕自身も絶えず新鮮で新しい気持ちにさせてもらえますし、オーケストラにもお客様にも楽しんでいただきたいですね。

 

秋山さん、上野亮先生、広瀬大介先生

 

少しでも長い時間音楽に触れて「いい脳」をつくってほしい

上野 ほかにもこの先やってみたいことなどはありますか。

秋山 世界各地で争いが起きている時代で、そのさなかにある地域では「音楽とか言っている場合じゃない」と思う方もいらっしゃるかもしれません。音楽は小さな力かもしれませんが、一人でも多くの方に音楽を届け、聴いた方の心が休まるなりエネルギーが得られるなり、いい方向に働いてくれるとうれしいです。
もう一度、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどシリーズを作り、全集のように演奏をしてみたいという思いもあります。ですから今でも勉強の日々で、飛行機や新幹線での移動中もずっとスコアを見ています。「なんでそんなことをする必要があるんだ。オーケストラが弾いてくれるのだからそれに合わせて振っていればいいだけで、指揮者なんて楽な仕事だろう」などと旧友たちにいまだに言われることがありますが(笑)、そうじゃないよと説明するようにしています。

上野 今年は青山学院創立150周年と同時に秋山先生にとっては指揮者生活60周年でもあります。60年という年月は、日本のオーケストラが刻んできた歴史でもあります。今年9月には記念演奏会でブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」を振られますね。

秋山 この曲は去年4月に名古屋フィルハーモニー交響楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、そしてウィーン国立歌劇場で活動するメンバーを中心に構成されたオーケストラ「トヨタ・マスター・プレイヤーズ,ウィーン」でも指揮したのですが、ウィーン・フィルの「これが俺たちの音だぞ」という響きの深み、豊かさに名古屋フィルのメンバーも触発され、素晴らしい音になりました。これは日本のオーケストラ単独でやっても、これくらいの音は出るはずだぞ、と。

上野 朝比奈隆さんに代表されるように、ギュンター・ヴァント氏やセルジュ・チェリビダッケ氏もしかり、指揮者の巨匠は年を重ねられてから最後に満を持してブルックナーを振られるということを耳にしますが、やはり若い頃には感じえないものがあるのでしょうか。

秋山 カラヤンが1959年10月にウィーン・フィルと来日した際、日比谷公会堂でブルックナーの交響曲8番を演奏しました。当時、日比谷は必要な残響がほとんど無いホールだったので、オケの響きがあまりに貧相で、途中で帰ろうかと思ってしまうほどの音でした。それを聴いて「ブルックナーってこんなつまらないんだ」と思ってしまったイメージが強すぎて、しばらくブルックナーには手を付けませんでした。それが30代以降ははまってしまいましたね。やはり若いうちは理解に苦しむ曲だと思うのです。若気の至りというか、若いゆえに上っ面しか見ていないと、ブルックナーの曲の素晴らしさに気付くことができません。

広瀬 改めて、クラシック音楽の魅力は何だと思われますか。

秋山 クラシックには実に多彩な曲があり、どれ一つとして同じものがありません。それらをイヤホンやスピーカーで聴いてもいい曲はいい曲ですが、ホールで聴けばさらに臨場感やフォルテシモが地響きのように身体に直接伝ってくるという魅力もあります。ハーモニーの美しい流れもあるし、一度聴いたら忘れられない印象的なメロディーもあります。近年は無調になったりわざと全部の音を外してぶつけあう不協和音の集積のような曲や「これぞ新しいアイデア」という曲を作る作曲家もいますが、僕はそういうものにはあまり興味がありません。モーツァルトでももちろん、ベートーヴェンでもいいし、ドビュッシーでもラヴェルでも、過去から繰り返し演奏され続けているクラシックの名曲は無尽蔵にあるので、ぜひそちらを一曲でも多く聴いてほしいです。

広瀬 交響曲を指揮されるのは大変な体力を要しますが、体力維持のために何かなさっていますか。

秋山 特にないんです。ほとんど毎日本番に向けての練習があります。「練習は弟子がやるのだろう」と言われたりしますが、自分で振って自分で仕込んでいく必要があるので、すべて自分で指揮しています。ほぼ毎日4、5時間指揮していることが、結果的に筋トレになっています。数年前にマッサージに行ったとき、「お客さん何の仕事をしているのですか、肩から上腕にかけての筋肉が異常に発達している。普通の仕事ではないでしょう」と言われました(笑)。

上野 最後に在校生へのメッセージをお願いします。

秋山 日本の教育システムでは、時間は否応なく勉強に費やされてしまい、音楽を含めた芸術に触れる時間が限られてしまいます。本当は、早い段階から幅広く芸術文化に触れ、きちんと学んで体の中に取り入れ、「いい脳」をつくってほしいという思いがあります。ぜひ音楽とたくさん関わってください。

上野 伸び伸び過ごせる青山学院の環境の中で自分のやりたいことを見つけてほしいというのが、われわれ教員の願いでもあります。本日はありがとうございました。

 

秋山 和慶さん
秋山 和慶さん AKIYAMA Kazuyoshi

指揮者。1941年東京都生まれ。青山学院初等部、中等部卒業後、桐朋学園に進み1963年同大学卒業。1964年2月に東京交響楽団の指揮者としてデビュー。国内外のオーケストラで音楽監督や首席指揮者を歴任。現在も中部フィルハーモニー交響楽団芸術監督・首席指揮者などを務めるほか、洗足学園音楽大学芸術監督・特別教授、京都市立芸術大学客員教授も務める。

 

上野 亮先生
上野 亮先生 UENO Toru

中等部部長。1960年石川県生まれ。福岡で中学高校時代を過ごす。青山学院大学文学部教育学科卒業後、同大学院に進学、在学中から青山学院高等部にて社会科の非常勤講師を務め、1992年より中等部専任教諭。2021年4月より現職。趣味は音楽。自らもトランペットを演奏し、吹奏楽部の指導に力を注いだ。

 

広瀬 大介先生
広瀬 大介先生 HIROSE Daisuke

大学文学部比較芸術学科教授。1973年生まれ。2012年に文学部比較芸術学科准教授、2017年より現職。専門分野は西洋音楽史。著書に『オペラ対訳×分析ハンドブック シュトラウス/楽劇 サロメ』(アルテスパブリッシング)など。各種音楽媒体での評論活動のほか、NHKラジオへの出演、演奏会曲目解説の執筆、オペラ公演・映像の字幕・対訳などを多数手がける。

 

青山学院創立150周年記念演奏会
― 響け、青学マインド。― 青山学院ゆかりの作曲家・指揮者とともに

青山学院創立150周年記念演奏会 秋山さんイメージ
青山学院創立150周年記念演奏会 ― 響け、青学マインド。― 青山学院ゆかりの作曲家・指揮者とともに 概要図

 

 

「青山学報」289号(2024年10月発行)より転載
※本サイト掲載の写真および文章について、無断転載・転用を禁じます。