Story ストーリー

青山学院の創立記念日〈1〉創立記念日の変遷

まもなく青山学院の創立記念日を迎えます。
今回は、青山学院の創立記念日について調べてみました。
いつものように資料センターのご協力を得ながら、青山学院の歴史を紐解く楽しさを味わいました。
その昔、女子系と男子系で、創立記念日がそれぞれ違っていたことがわかりました。

 

青山学院の創立記念日 1874年11月16日

三つの学校を源流とする青山学院。
 「女子小学校」(1874年) 創立者:ドーラ・E・スクーンメーカー
 「耕教学舎」 (1878年) 創立者:ジュリアス・ソーパー
 「美會神学校」(1879年) 創立者:ロバート・S・マクレイ
がそれであり、一番早い「女子小学校」の開校日を青山学院の創立記念日としています。

創立者たち

 

しかし青山学院の歴史を辿っていくと、創立年などについての変遷が見受けられました。

 

女子系学校の創立記念日 1874年11月16日

アメリカのメソジスト監督教会婦人外国伝道会社から派遣されたドーラ・E・スクーンメーカー(Dora E.Schoonmaker)が創立した女子小学校。サンフランシスコから25日間の船旅を経て日本の横浜に到着したのが1874年10月28日。それから1ヵ月も経たない、11月16日の月曜日、麻布新堀町の豪商・岡田兵蔵の屋敷の日本間を教室とした、女子5名、津田仙の息子2名の生徒で、女子小学校が開校しました。小学校と言っても31歳、20歳、18歳、12歳2名、8歳、5歳と、年齢はまちまちだったそうです。その中のひとり、12歳の岩村千代さんは、現青山学院常務理事の鵜飼眞氏の曾祖母(ひいおばあちゃん)にあたる方です。津田塾大学の創設者・津田梅子の父である津田仙は、女子小学校設立時にそしてその後もスクーンメーカーを大いに助けます。岡田兵蔵の屋敷は、津田仙の屋敷の隣りにありました。

創立日は、スクーンメーカーが伝道会社にあてた翌年の報告書The Heathen Woman’s Friend, Vol.7,No.2(Aug 1875)に記載されています。

 I begin work out there next Monday,November 16;(後略)

その後、1927年に女子系と男子系が合同して「青山学院」となるまで、「女子小学校」に始まる女子系の学校は幾多の変遷を経ます。

 1875年 救世学校に改称
 1877年 海岸女学校(築地に移転)に改称
 1888年 海岸女学校と東京英和女学校(青山に移転)に分かれる
 1894年 東京英和女学校に統合
 1895年 青山女学院に改称
 1927年 青山学院と合同し、青山学院高等女学部となる

女子系変遷
40周年記念絵葉書
青山女学院創立40周年記念絵葉書(1914年)

 

男子系学校の創立記念日

女子小学校より少し後に設立された男子系の学校「耕教学舎」(1878年)と「美會神学校」(1879年)は、下記のように創立記念日が移り変わっています。

 1. 1882年11月10日
 2. 1882年11月3日
 3. 1882年11月16日
 4. 1874年11月16日

 

1. 1882年11月10日

1881年、男子系の学校「耕教学舎」が「東京英学校」と改称し、翌1882年には男子系の学校「美會神学校」が「東京英学校」に合同します。これが1882年11月10日のことでした。
どちらかの学校の創立年月日ではなく、東京英学校に合同した日付が創立記念日と定められました。

翌1883年には、ジョン・F・ガウチャーの寄付により、現在の青山キャンパスの土地を購入し、「東京英和学校」と改称します。さらに1894年には「青山学院」と改称します。

女子系変遷
25周年記念絵葉書
創立25周年記念絵葉書(1907年)

 

2. 1882年11月3日

1932年、創立50周年を記念して、様々な行事が行われたことが「青山学報」105号(1932年11月28日発行)に記録されています。
その日付は、11月3日。

10日から3日に変わっています。
なぜか?
明治天皇の誕生日である11月3日が天長節(のち明治節)として国家の祝日となりました(当初は9月22日。1873年に太陽暦を採用し11月3日に変更)。当時、多くの学校や軍隊などで祝賀式が行われており、青山学院も明治天皇の誕生日と同日にしたようです。

 

青山学院創立50周年祝賀記念祭 1932年

創立50周年記念正門アーチ
創立50周年記念正門アーチ(1932年)

 

1932年に挙行された創立50周年祝賀記念式では、「詔勅の拝聴」「君が代斉唱」「国旗掲揚」「明治神宮への参拝」などを行った旨が記されています。

また、近隣の住民の方々の協力も得て、盛大な催しがいくつも行われた様子が、「青山学報」105号(1932年11月28日発行)に掲載されています。

そのほかにどのようなことが行われたか? 他の周年行事とともに、次回続編でお伝えします。

50周年を記念して編纂された『青山学院五十年史』の冒頭には次のように書かれています。
「わが青山学院の歴史は、2個の源泉から出発した。その一は明治11年東京に創立された耕教学舎であり、他の一は明治12年横浜に開設された美以神学校である。」

 

3. 1882年11月16日

1935年、今度は11月16日に変更されました。
「青山学報」137号(1935年11月28日発行)によると、「永く11月3日の祭日と一緒にせられていた、学校の誕生日がはっきりせず憂鬱であった本学院の創立記念日を愈々11月16日に守ることになった。」と記されています。その理由は、「11月3日は明治節となったために、16日に変更して女子部の創立記念日と合して守ることとなりました。これより年々11月16日を本院の創立記念日としたい」と、1935年の創立記念式で阿部義宗院長が語っています。

「青山学報」141号(1936年4月8日発行)には、「男子部創立記念日11月3日を11月16日に変更の件文部大臣に申請中の所3月3日付をもって認可せられたり」と書かれており、国への申請が必要な案件であることもわかりました。

「創立記念日等変更認可申請 認可申請書」
〈理由〉
 1. 11月3日は明治節なるを以て特に重んじ儀式を行わんためなり
 2. 11月16日は女子部の創立記念日に相当するを以て各学部を11月16日に統一せんとす
 (「青山学院一五〇年史 資料編1」506ページより)

1936年の創立記念式の模様を、阿部院長自らが「青山学報」147号(1936年11月30日発行)に「学院の11月16日(創立記念日)」と題して記しています。

その後、戦時下の1942年11月16日に60周年記念式が行われ、「青山学報」174号(1943年1月1日発行)には、「征戦下の創立六十周年記念」と題した笹森順造院長の式辞が掲載されています。

ただし、創立年は、東京英学校の設立年の1882年のままです。

 

4. 1874年11月16日

新制大学開学当時の正門
新制大学開学当時の正門(1949年)
左柱は豊田實、右柱は國澤新兵衛が揮毫

そして戦後、
 1946年11月16日 第64回創立記念祭
 1947年11月16日 第65回創立記念祭
 1948年11月16日 第66回創立記念祭

この翌年の1949年、不思議なことが起きます。
 1949年11月16日 創立75年記念祭

本来ですと「第67回」となるべきところ、「創立75年」となっています。

なぜ、回数が8回分増えたのか?
この時初めて、女子小学校を創立記念日として、1874年11月16日から75年目と数えていることになります。
このことについての説明書きが、どの文献にも見当たりませんでした。

戦争中の物資不足などからいったん途絶えた「青山学報」が1953年に復刊し、その4号(1953年11月15日発行)の記事に「青山学院の創立」と題したコラムが載っていました。

「さて本年は創立何周年に当たるのであろう。4年前の昭和24(1949)年に創立75周年を記念祭として盛大な祝典が挙行された事は我らの記憶に新しいことである。して見れば本年は79年に当たるわけであるが、更に遡って昭和7(1932)年に青山学院創立50年祭が行われた事、そうしてその年を記念して青山学院50年史という立派な学校史が編纂されている事を思い合わせるとこの間17年間に8年の飛躍があるように考えられ、当然起算の年度が違うのではないかという疑問が生じてくる。」
と書かれていたのです。
その回答が記載されておらず、参考に、それまでの年表が記されているのですが、その年表の一部に誤記があり、なおさらわかりにくくなっているところがまた面白い(?)ところでした。

さて、私と同じ疑問を68年前の「青山学報」の編集者が抱いていた。そして当時の青山学院関係者も同じ思いを抱いたことでしょう。その時その疑問が解決していなかったのだろうか。
どうすれば“裏が取れる”のだろうか?

「創立75年」となった1949年は、4月に新制大学として長年の念願であった大学の設置が認可され、青山学院大学が開校した年です。豊田實院長が大学の学長を兼任のもと、文学部、商学部、工学部からなる男女共学の大学を開設したのです。

この大学の認可申請の際に、創立記念日を申請(登録)したのではないか?
これが私の考えでした。

 

「昭和23年6月 青山学院大学申請書」

資料センター所蔵の「昭和23年6月 青山学院大学申請書」を読んでみました。表紙をめくった最初の「青山学院大学設置要綱」の「1.沿革及び目的」の冒頭には次のように書かれていました。
「青山学院の歴史は明治7年(1874)11月16日ミス・ドーラ・イー・スクーンメイカー(本文ママ)及び津田仙氏によって東京麻布新堀町に開設された女学院まで遡ることができる。(中略)かかる沿革を有する青山学院は創立以来既に74年を経、(後略)」

 

青山学院大学申請書
青山学院大学申請書(資料センター所蔵)

 

大学がスタートしたその年の「青山学院新聞」28号(1949年11月15日発行)には『創立七十五周年に寄せて』と題した豊田實院長の話が載っています。
「(前略)女学校が開設された明治7年11月16日まで遡るのであって、今年は満75周年の記念日を迎える次第である。」

この男女共学の大学のスタートを機に、元々の女子系の学校の創立記念日に統一されたのです。

 

創立150周年に向けて

1949年に新制大学として新たな出発をしてから72年を経た今年2021年、青山学院は創立147周年を迎えます。
3年後の2024年、記念すべき節目となる創立150周年の年に実施予定の様々な企画・行事が検討されています。
礎となる建学の精神や教育方針を守り、これまで歩んできた歴史を振り返り、新たな取り組みを交え、その先の未来を見据え、多くの関係者とともに、その記念日を祝いたいものと願っています。

 

THE SERENITY PRAYER

O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.

Reinhold Niebuhr

※今年、Reinhold Niebuhr没後50年の年にあたります。

 

次回続編では、節目の周年行事でどのようなことが行われてきたか、ご紹介いたします。

※必要に応じて現代仮名遣い、常用漢字にしています

 

〈参考文献〉
『青山学院一五〇年史』資料編Ⅰ 2019年 学校法人青山学院
『青山学院一五〇年史』資料編Ⅱ 2021年 学校法人青山学院
『青山女学院史』1973年 青山さゆり会 
『青山学院五十年史』1932年 青山学院
『青山学院九十年史』1965年 学校法人青山学院
『青山学院120年』1996年 学校法人青山学院
『青山学院大学五十年史』2010年 青山学院大学
『しなやかに夢を生きる』棚村恵子著 学校法人青山学院 2004年(創立130周年記念出版)
「青山学報」各号
「青山学院新聞」各号
「昭和23年6月 青山学院大学設置認可申請書」