青山学院 由来の地探訪プログラム【校友会編】
2025/03/28
青山学院は、明治時代に米国のメソジスト監督教会から派遣された3人の宣教師が設立した学校がルーツとなっています。この度、創立から150年の節目に、教職員8名からなるワーキンググループを組織し、米国における学院由来の地を訪ね、そのルーツを探るプログラムを実施しました。メンバーは「団長」「学院史」「国際交流」「広報」「校友会」「後方支援」担当で構成され、全12回に及ぶ事前学習会を経て、自ら掲げた20以上のミッションに臨みました。
今回、「校友会編」では、「青山学院 由来の地探訪プログラム(以下、本プログラム)」における校友会ロスアンジェルス支部との交流に関連する3つのミッションについて報告します。
今回のアメリカ訪問にあたっては、校友との交流を深めるという大きな柱がありました。青山学院校友会は、設置学校である幼稚園から大学・大学院までのいずれかの学校を卒業された校友によって組織されており、その数はなんと約39万人です。在校生が2万4千人として、16倍にあたります。すべての設置学校の卒業生からなる組織というのは全国的にも珍しいようです。今回あらためてその存在の大きさに気付かされました。
アメリカ各地域にも支部があり、定期的な活動がなされています。
まず、我々団員は、「校友会」について改めて学ぶ機会を設けました。本プログラムでは、渡米前に全12回にわたって、団員全員で各回約90分のワーキンググループでのミーティングを行い、さまざまな側面から訪問計画を立てていました。2024年6月20日に行われた第7回ワーキンググループでは、紀正尚校友会副会長をお招きし、校友会の組織構成や歴史などについて講義いただきました。
講義の終了予定時間後も、団員からの質問に答えていただいたり、これからの展望についてお話をしていただいたりしました。現状の課題として、校友会組織の高齢化が進んでいるということや、この課題への対応として、30歳以下の次世代委員会を発足し、20代の若者を中心に活動を始めていることなど、さまざまな情報を知ることができ、非常に勉強になりました。
11月1日、ロサンゼルスを訪問し、最初にお目にかかった校友は大川道雄牧師でした。翌日、創設者の墓参に備えて、我々と同じホテルに宿泊していたのです。そして、夕刻にお時間をいただき、大川牧師から150周年を迎える青山学院へのメッセージを受け取りました。
ホテルに到着した衣斐団員から大川牧師のお部屋に電話をかけてみると、19:30に直接お部屋を訪問することに。団員全員で押しかけるのもご迷惑になるとの判断で、伊藤団長、校友会担当の衣斐団員、広報担当の久場川団員がお話をお伺いすることになりました。急いで夕食を済ませ、約束の時刻に大川牧師のお部屋を訪れると、牧師は我々団員3人と初対面でしたが、笑顔で出迎えてくださいました。
早速お話しを伺います。
=== 大川牧師へのインタビュー ===
ロスアンジェルス(ロサンゼルス)、小東京(リトル・トーキョー)にあるセンテナリー合同メソジスト教会にて日本語部牧師の仕事をしています。128年の歴史があるこの教会は、小東京のど真ん中で、日本人の一世、二世の方々の血と汗で建て上げた歴史的なものです。
教会の周りには、いろいろな日系の宗教の建物や、葬儀所、図書館があり、日本語新聞「羅府新報」は今も活躍していますし、毎週の礼拝の模様が載っています。
ちょっと昔にはこの小東京に日本の大使館もありましたし、日系の各団体の施設もあります。
今では、小東京は若い方々が群れをなして、原宿のような賑わいを見せています。
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響け、青学マインド!!
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創立150周年 おめでとうございます!
「主の霊が激しく彼の上にそそがれた。」 旧約聖書:士師記 15:14
サムソンは千人を倒した。青学マインドに注がれる力の源泉は主の霊(Holy Spirit)です。神の愛を最も表わす十字架のキリスト、そして復活。
十字架の丘(岡)は、Green Hill (緑ヶ丘(岡))です。青山学院は Green Hill College と呼ばれます。
今も Green Hill、青山には神の永遠の愛の霊が注がれていると信じます。あの3人の宣教師たちの主の霊の種まきは、この150年の今に至るまで注がれ続けて来ました。150倍の<実>を結んできてくださったのです。
「主の霊がのぞむ時、力を得て、進む」(使徒の働き)と約束されています。「私は新しい霊を、あなたがたに与える」(エゼキエル 11;12)一粒の麦として(ヨハネ 11:24)命を注いで下さった3人の宣教師のスピリットは今も延々と続いています。青山学院はその霊をいただいて、守って来ましたから、150倍の実を結んできました。感謝です。このスピリットが、次世代の若者たちの上にも注がれていきます。これが信仰の力です。
響け、青学マインドと与えられていく永遠の主の霊のスピリットを十分にいただいていきましょう!青学の永遠の愛の継続を北米のご3人のお墓をロスアンジェルスでお守りしながら、さらに主の熱き霊に満たされて進みます、この暗黒の時代にあっても、フレーフレー 青山学院!!!!
1961年 文学部 英米文学科卒業
センテナリー合同メソジスト教会
日本語部牧師 大川道雄
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エネルギッシュな大川牧師のお話に、団員の方が元気をもらいました。お疲れのところ、夜遅くまで長時間にわたり、ありがとうございました。
創設者3名の墓参を終えたのち、校友会ロスアンジェルス支部の皆さんとの交流会に参加しました。会場には現地在住の校友が30名以上集まる中、伊藤団長による挨拶に続き、衣斐団員から学院の近況報告のプレゼンテーションを行いました。創立150周年記念のプロモーションビデオや久場川団員によるクイズ形式での最新トピック紹介の場面が特に盛り上がりました。
また、交流した校友から、創立150周年を迎える青山学院に対して熱いメッセージをいただくことができました。お一人ご紹介いたします。
=== 阿部 洋平氏へのインタビュー ===
現在いくつかの顔を持っており、最も高いプライオリティーのライフプロジェクトとしてバルス(Balse.org)という現代アート・音楽・歴史・哲学・環境問題を網羅する新しい社会コンセプチュアルアート団体/会社を運営しています。ロサンゼルスをベースにニューヨークやイタリア・ベネチア、そしてもちろん東京のチームとともに next human (次の人類の姿)という問いの元、ヒントを探し、発信をし続けています。フォトグラファーでもあります。これとは別に米国公認会計士として、ロサンゼルスに本社を置く米国企業の経理財務のディレクターを担当しています。元々は2001年に東京での仕事を辞めて渡米、ロサンゼルスの USC(南カリフォルニア大学)にて会計大学院(MAcc)を卒業、その後大手監査法人PwCで働いた後、ロサンゼルスに戻り(ソニー・ピクチャーズ、アメリカンアパレル、Hulu、トヨタ自動車などで)さらに経験を積みました。
2001年に日本を飛び出した時に人生の指標と決めたのが「我は文化なり、我は文化を奏でるなり、世界に文化を奏でるなり」。これは学生時代から続けていたバンド活動と最初に働いた会社を辞めると決心した25歳、人生岐路に立った時、自分は一体どんな人生を描きたいのかと考え最終的に至ったビジョンです。過去20年以上、毎日のように唱え、人生の重要な決断を下す度に軸としています。米国公認会計士(USCPA)の道を選んだのも実は青山学院の親友の影響、世界のさまざまな都市、そしてさまざまな文化的企業へ入り込めるパスポートとして決めました。ニューヨークで生活をする、ニューヨークでアート、クラブミュージック、クラシック音楽を学ぶ、世界中から集まる文化を奏でる仲間と交わる。また会社や組織をある意味楽器と考えることするならば、経理財務がわかりCPAという左脳を鍛えて、同時に右脳の文化・リベラルアーツ、歴史、哲学を継続的に学べば組織(楽器)を通して世界に奏でられるであろう、またはリードできる人物になれると考えます。常に世界を見、世界へ足を運び、世界人と交わり、勉強を続ける毎日です。
大学時代4年間、今はなき常青寮という男子寮で過ごしました。国連大学の真横、青山キャンパスまでは徒歩5分、原宿まで徒歩10分。最高の環境の中、寮は体育会という面白いコンビネーションでした。バンド活動に打ち込んでおり、毎月渋谷、新宿、下北沢などのライブハウスで活動、最終的にはフジテレビの深夜番組で大賞をとり、ソニーミュージックのインディーレーベルからCDを発売、タワーレコードなどでも売っていました。パートはボーカル。もともと国際政治学科に入った理由は環境問題に興味があったこと。環境倫理学、Environmental Ethics を学ぶ Evanoffゼミに所属していました。
最も大きな学びというか、得られたものは一生の仲間でしょう。夢と希望と挫折を分かち合えて心が通じる友。素直で優しさと勇気を併せ持つ人。青山にはそういう全人的で心豊かな人たちが集まり、さらに育まれる要素があると感じます。海外で生活していて青山の校友との交わりにホッとします。また校友会を通して母校の創立のゆかり、使命などをより深く知るほどに自分も人生を通して社会に生かし、貢献できるよう心が引き締まります。
150周年、改めておめでとうございます。立ち止まり感謝を心に、次へ、200周年、250周年につながる大志を抱き、仲間とともに世界へ羽ばたきましょう!
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本プログラムの実施にあたって、校友会ロスアンジェルス支部の矢島支部長には日本へ帰国されるタイミングごとに何度もお打ち合わせの時間を作っていただき、訪問先の相談などをさせていただきました。当初よりマクレイの弟が創設したクレアモント神学校は訪問を予定していましたが、マクレイの親族(ロバート・M・ウィドニー氏)が創設した南カリフォルニア大学も近くに存在するという大変貴重な情報も、矢島支部長に教えていただき、初めてわかったことでした。
他にも、青山学院創立150周年のキャッチコピー「響け、青学マインド。」を使って、「〇〇で、響け、青学マインド。」と書いたフリップを用意し、参加者の皆さんが普段取り組まれていることや大切にしていることを「〇〇」の部分に記入していただき、そのフリップを持って写真撮影にもご協力いただきました。夏に伊藤団長が校友会シカゴ支部を訪問した際にも、同様の写真を撮影させていただいたので併せてご紹介します。
交流会の最後には、参加者全員で大学のカレッジソングを歌って、会を締めくくりました。
このように、実際にアメリカを訪れたことで、毎年欠かさず創設者の墓参を行ってくださっているロスアンジェルス支部の皆様、懇親会において学院の近況報告プレゼンテーションを真剣に聞いてくださる参加者の皆様、インタビューでは青山学院への思いを熱く語っていただいた校友の方々と交流をすることができました。
また、今回、訪問は叶いませんでしたが、ニューヨーク支部の菊池支部長ともメールで近況などの情報を交換させていただきました。こうした皆様が日本から遠く離れたアメリカの地で活躍され、現地からも青山学院のことを気にかけてくれている、ということに大変勇気付けられました。校友の皆様に支えられて、学院は151周年、その先の160周年、200周年に向かって新たな一歩を踏み出すことができると確信しました。
ご協力をいただき、感謝申し上げます。
アメリカ滞在最終日の11月3日は日曜日で、現地教会での礼拝に出席することを計画しました。ただし、日本へのフライトの出発時間が15:45ですので、間に合うように空港へ向かわなければなりません。そこで、事前に西ロサンゼルス合同メソジスト教会の久山康彦名誉牧師に相談したところ、牧師の計らいで、滞在ホテル付近の教会をご紹介いただき、アメリカの教会の礼拝に参加、体験できることになりました。これが、大川牧師の奉仕するセンテナリー合同メソジスト教会です(https://centenary-dtla.org/)。
事前に、大川牧師ともメールで訪問時刻等について調整をしました。教会では毎週日曜日の9:15から10:15まで【日本語部】の礼拝を、 11:00から12:00まで【英語部】の礼拝を実施しているそうです。英語礼拝は最後まで出席するとフライトに間に合わないため、【日本語部】と【英語部】の一部に出席させていただくことをご了解いただきました。
その代わり・・・ではありませんが「この時にぜひ!」と、大川牧師からまさかの依頼がありました。【日本語部】の礼拝出席者のために、青山学院の紹介と、日本語の歌を歌ってもらえないか?というものです。学院のことを知ってもらう意味でも、そして何より現地の方と交流することができるという意味でも、またとない機会です。すぐにお受けすることにしました。
問題は、何を歌うかということです。これを2024年10月17日に開催した第12回ワーキンググループで検討しました。
団員からは、校歌がよい、日本の讃美歌がよい、などさまざまな意見が出ましたが、最終的に候補を3つに絞りました。讃美歌312番「慈しみ深き(祈祷)」、532番「やすかれ、わがこころよ」、155番「山べにむかいて」です。この中から、礼拝出席者に一緒に歌ってもらいたい、一体感を創出したいということ、そして団員一同にとっても、もっとも親しみやすいメロディであったということから、日本の讃美歌ではないものの、312番を選んだのでした。この時、アメリカ出発の約10日前です。
いよいよ11月3日(日)の訪問日当日は、8:45にホテルを出発し、車で5分ほどの場所にある教会に到着しました。9:15からの日本語礼拝には、ロサンゼルス在住の日系人が30人近く出席されています。教会内の座席後方にはカメラや音響機器などが並んでおり、テレビ局にでも来たかのような風景でした。これらの機材で礼拝の様子を世界中に配信するとのことです。讃美歌を歌う予定の団員たちは少し緊張してきました・・・
大川牧師の説教に続いて、礼拝の中で衣斐団員から青山学院と「由来の地探訪プログラム」について紹介をさせていただきました。その後、いよいよステージ上で讃美歌312番「いつくしみ深き」の1・2番を団員6人で歌い、3番は礼拝出席者全員で合唱しました。伴奏はなんと大川牧師自らのピアノ演奏でした。実は、団員たちは、個々に歌の練習をしていたものの、全員で合わせて歌うのはこの時が初めてで、歌い切った後はホッとしていました。
礼拝後は、出席者の皆さんとコーヒーブレイクに参加しました。4人ほどのグループに分かれて席についたのち、団員一人一人が出身地を含めて自己紹介をしました。すると同郷出身の参加者もおり、「私もです!」などと盛り上がる場面もありました。全員の自己紹介が終わった後は、スイカやスナック菓子が用意されたテーブルを囲んで、参加者の皆さんと談笑の一時を持ちました。
参加者の中には、なんと大川牧師の奥さまもいらっしゃり、アメリカに引っ越すまでの経緯を聞かせていただいた団員もいます。戦後、大川夫人のお父さまがアメリカへ留学しており、送られてくる手紙や写真などで見ているうちに、「私もアメリカへ留学に行きたい!」と考えたそうです。そこで、英語を学ぶため津田塾スクールオブビジネス(現在は閉校)へ入学したのですが、残念ながら留学の夢はかなわず秘書として働きました。その後、大川牧師とご結婚し静岡で暮らしながら、渡米の夢を捨てきれずにいたところ、偶然にも大川牧師に対してアメリカの教会の牧師にならないかとオファーがあり、アメリカに行く夢がついに現実したそうです!夢を信じ続けることが何よりも大事であるのだと学ばせていただいたのでした。コーヒーブレイクは終始アットホームな雰囲気で、まるで日本にいるような居心地の良さです。
このアットホームな雰囲気には理由があります。教会の定礎には「Centenary Methodist Episcopal Church 1925」の文字が刻まれています。ということは、100年ほどの歴史なのかと言えばそうではありません。教会は1896年に設立されましたが、偏見や人種差別による抑圧で1925年まで教会の建物を持つことができなかったのだそうです。
ここは、抑圧にさらされながらも、日本人の一世、二世の方々の血の汗で建て上げた教会です。まさに小東京の中心にあって、日本からの移民とその家族にとっては、信仰を深めるだけでなく、文化的なつながりを維持し、この新しい土地に適応するための共同体を見つけるための重要な場所であったことは想像がつきます。この精神が128年経った今でも受け継がれているからこそ、初めて訪問した我々をこれほど歓迎してくれるのだと実感しました。
コーヒーブレイクの後、我々は、英語での礼拝にも出席しました。この日は、年に一度開催される死者を悼む「All Saints Day」という行事がありました。亡くなった方のこれまでの功績の紹介があり、親族や知人などがろうそくに火をともしていました。日系人とその功績が多く紹介されて、これまでカリフォルニアのこの地で多くの日系人が地域の発展に貢献してきていたのだと気付くことができました。
フライトの時間が迫り、団員たちは後ろ髪をひかれながら、お世話になった皆さんに別れを告げて、空港へ向かって出発しました。
※本ページ掲載の内容は、2024年10月時点のものです。
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