ハロウィーンはキリスト教の行事?
2019/10/28
「トリック・オア・トリート!(お菓子を頂戴!くれないと、イタズラしちゃうぞ!!)」。思い思いに仮装した子どもたちが玄関先に立ち、お菓子をねだる。ハロウィーンの日、アメリカでよく見かける光景です。しかし日本でも、1980年代にキデイランド原宿店がハロウィーン・パレードを、1990年代には東京ディズニーランドが「ディズニー・ハッピー・ハロウィーン」を開催する等、様々なイベントが行われるようになりました。ハロウィーンのイベントは、規模が年々大きくなっているように思われます。仮装やコスプレも激しさを増し、エスカレートした騒動さえ見られるようになって来ました。昨年はハロウィーン直前の週末に、渋谷で数名の若者が軽トラックを横転させる等、目に余る事件が起こっています。そうした中、ハロウィーンとは何か。青山学院の建学の精神であるキリスト教と、どのような関係があるのか等、ご一緒に考えてみましょう。
ハロウィーンの起源については、古代ケルト民族のドルイド教が行っていた「サウィン祭」という、収穫を感謝して祝うお祭りから来ていると見なされています。このお祭りは、夏が終わり、冬が始まろうとする、1年の最後の日と定められていた10月31日に行われていました。そしてこの日には、現世と死後の世界との間に存在する扉が開かれ、死者の霊が帰って来ると考えられていたのです。これは日本の「お盆」に近い思想と言えるかもしれません。しかし戻って来る死者たちの中には、先祖の霊だけでなく、悪霊も混じっていると見なされていました。そこで悪霊と同じ格好をして仲間であるように見せかけ、悪霊から身を守ろうとしました。それがハロウィーンの日に、悪霊や魔女に仮装する由来であると言われています。ちなみに、悪霊も混じっているという考えは、後にキリスト教によって影響を受けた思想であるという見解もあるようです。ともあれ、キリスト教がヨーロッパに普及して行く中で、ケルト民族の祭りを取り込んでいったと見ることができます。それゆえ、元来ハロウィーンはキリスト教のお祭りではなかったと言えるでしょう。
キリスト教の暦では、「諸聖徒日(All Saints’ Day)」と呼ばれる日があります。この諸聖徒日は11月1日で、8世紀前半、第90代ローマ教皇であったグレゴリウス3世によって定められました。中世になるとキリスト教では聖人たちを崇敬する傾向が強くなり、諸聖徒日は聖人や殉教者だけを記念する日に限定されるようになります。そして10世紀の終わり頃には、一般の信徒で亡くなった人々を記念する日として、別に「諸魂日(All Soul’s Day)」が11月2日に定められるようになりました。このようなことから現在、多 くのキリスト教会では11月の第1日曜日を「聖徒の日」と呼び、亡くなった人々を記念し、祈る日として礼拝が守られています。
中世の時代、ローマ・カトリック教会では、11月1日の「諸聖徒日」に聖人たちの遺物を展示し、それらを見るために大勢の人々が教会に集まって来ました。そして1517年、当時のローマ・カトリック教会が発行した免罪符に疑問を抱いたマルティン・ルターは、より多くの人々に訴えかけるため、諸聖徒日の前日である10月31日、ドイツのヴィッテンベルク城の教会の扉に「95ヵ条の提題」を貼り付けました。そしてこの日が「宗教改革記念日」と呼ばれるようになったのです。「諸聖徒日」と「宗教改革記念日」との関連、非常に興味深いものがあります。そしてキリスト教を建学の精神とする青山学院に繋がる私たちは、「10月31日は何の日?」と問われた際、「ハロウィーン」と答えるよりも、「宗教改革記念日!」と答えることのできる者でありたいと願います。
キリスト教の行事としてではなく、外国の一文化に触れて学ぶことを目的に、初等部では英語クラブの先生・児童たちが留学生とともに、毎年ハロウィーンの時期に思い思いの衣装をまとい校内をまわり、お祭りを楽しんでいます。〈アオガクプラス編集部〉