Story ストーリー

アイビーホール青学会館の新たな出発 歴史と秘話と

新型コロナの影響で、2021年3月末で一旦閉館した青学会館。
しかし新たな出発の時を迎え、2021年10月22日より、カフェとレストランがオープンします。

 

カフェ「茶珈堂 Cha Café do(ちゃかふぇどう)」

カフェ「茶珈堂」
チャペル内の備品や家具を再利用した伝統や歴史を感じる空間に


 

洋食レストラン「洋食の果実 Grill KAJITSU」

洋食レストラン「洋食の果実 Grill KAJITSU」
こだわりのデミグラスソースが自慢


 

ぜひご利用ください。

今回は宣伝から始まりましたが、さて本題です。
先日、いつも「青山学報」の質問コーナーにご投稿いただく北海道のM・Kさんから「青学会館の歴史と近況」についての質問が届きました。ありがとうございます。自分自身が勉強し歴史を知る良い機会となっています。
今回は、M・Kさんの質問に応えるために、そして多くの方に知っていただくために、新たな出発を迎える青学会館の歴史について紐解きたいと思います。

 

青学会館の誕生 1968年

青学会館の誕生
完成間近の青学会館。手前にはプール

 

現在地に建つ青学会館は、1968年8月20日に献堂式が行われ、同年9月1日にオープンしました。今は大学の新図書館棟の建築のために壊されたプールも、同時期に建てられました。

青学会館は、校友会(卒業生を全てまとめた組織)の事務機能、校友会の催しの開催会場・集会場などを備え、「グリーンエリア」という校友の方の専用スペースでは、同窓会やゼミ会、クラス会など、親睦を深める場所として大いに利用されてきました。

また、結婚式場やレストラン、宴会場も備え、青学会館がオープンした年に青学サービス株式会社(現、株式会社アイビー・シー・エス)が設立され、運営を行ってきました。

その後、キリスト教式の結婚式が増加し、挙式数も増える見通しから増改築が検討され、本格的なパイプオルガンを備えたチャペルを加え、1994年4月1日に新装されました。

「青山学報」には、【青学会館ニュース】というページが設けられ、毎号、挙式・集会などの利用状況の報告や、催しの予告などのほかに、挙式された方の感想などが掲載され、青学会館が賑わっていた当時の様子が伝わってきます。

 

愛称「アイビーホール青学会館」

アイビーホール青学会館 かつての外観
アイビーホール青学会館 かつての外観

 

その新装された時、愛称の募集も行われ、「アイビーホール」と決定しました。
この愛称募集では220点の応募があり、羽坂勇司理事長(当時)が委員長を務める選考委員会で決定したもので、当時、青山学院の広報室長であった小澤孝充氏の「アイビーホール青学会館」が選ばれ、1994年3月10日の献堂式の際に表彰されています。

小澤氏は、アイビー(ivy)とは、蔦の一種であり、アメリカ東部のキリスト教信仰を礎とした8大学が“アイビーリーグ”と名付けられおり、特に蔦の絡まる校舎が多く、青山学院もキリスト教信仰の学園として、同じく蔦の絡まる校舎も多いので、アイビーという言葉がふさわしいものと名付けた旨を語っています。

小澤さんは、私が広報室に異動となった時、わずか1年間でしたがご一緒に働かせていただき、大変お世話になった方でした。部長職にありながら、学院の行事を記録すべく自ら撮影されていらっしゃいました。ニュースの書き方なども教わった、尊敬するお人です。当時の理事長のスピーチ原稿は広報室長が用意(執筆)しており、小澤氏もその仕事を担われたお一人でした。

 

世界的オルガンビルダー 辻宏氏が制作したパイプオルガン

そして、青学会館に設置されたパイプオルガンは、青山学院男子高等部最後の卒業生のお一人、辻宏氏が制作したものでした。辻氏は男子高等部を卒業後、東京芸術大学器楽科に進み、アメリカやオランダでオルガン建造について学び、辻オルガン製作所を設立。スペインのサラマンカ新大聖堂の16世紀に制作されたオルガン「天使の歌声」の修復を依頼されましたが、修復費用は無いとのことで自ら一般に募り、集まった募金を修復費用に充て、1990年3月に修復が成り、奉献式を行いました。そのほかにも世界中の数多くのオルガンを制作・修復されてきた方です。スペインのイザベル女王勲章エンコミエンダ章を受章されたほか、「現代の名工」(卓越した技能者)表彰などを受けていらっしゃいます(2005年永眠)。

「青山学報」112号(1983年3月発行)では「校友登場」のコーナーで辻氏が登場し、男子高等部・東京芸術大学時代や留学先での経験などが語られ、高等部時代には、音楽部、機械部、宗教部を掛けもって活動していたことが記されていました。

かつてのグローリーチャペル
かつてのグローリーチャペル 中央に辻氏制作のパイプオルガン

 

辻オルガンの危機

アイビーホール青学会館が閉館した際、このパイプオルガンの行き場がなくなってしまうという事態が発生しました。この知らせを受けた本部総務部のKさんは、なんとかオルガンの移設先を見つけようと動きました。

Kさんは、かつて岐阜のオルガン工房を訪ねて、辻氏のオルガン製作の様子を見学したことがあったのです。

辻氏と親交の深かったオルガニストの方を通じて、辻オルガン工房の跡地を引き継がれた藤吉オルガン株式会社をご紹介いただき、数百万円はかかるであろう解体撤去費用の全てを無償にて行い、引き取って頂くこととなりました。それは藤吉さんが青学会館にパイプオルガンを設置した時のメンバーのお一人でもあったこと、日本のオルガンビルダーとしてパイオニア的な存在であった辻宏氏の「辻オルガン」を後世に引き継ぎたいという強い思いによるものでした。

2021年8月5日から7日間にわたるオルガン解体と移動の際には、藤吉オルガンの藤吉ご夫妻と大学生の娘さんのご家族総出で搬出作業に当たっていただき、また、Kさんやアイビーホールのスタッフもボランティアで作業にあたりました。

パイプオルガンの解体作業の様子
パイプオルガンの解体作業の様子(写真提供:Kさん)

 

2020年度末に結婚式場としての業務を終了するまでの総挙式数は、約6万組を数えました。
数多くの新婚夫婦を祝福してきた「辻オルガン」。
「救出できて良かった」とKさんはしみじみと語りました。分解されたオルガンがオーバーホールされて、いつの日にかどこかの教会でその美しい響きを取り戻し、人々の心にその素晴らしい音色を届けてほしいものと願っています。

 

校友会館の誕生 1935年

青学会館が建てられる前、「校友会館」という建物がありました。

戦前の1935年、青山学院は青山キャンパスの東北隅にあった和田病院の土地・建物を買収し「校友会館」として改装し、学院への寄付活動を行ってきた校友会に対する恩をお返しする意味で無償貸与しました。卒業生の親睦の場として、食堂、宿泊所も備えた建物でした。

校友会館
校友会館

 

校友会館が建っていた位置
校友会館が建っていた位置

 

戦時中には、軍需工場として接収され、さらに空襲で破壊され、1955年にようやく再建が成ります。この再建に尽力したのが、戦前戦後に青山学院理事長の任に当たった、当時校友会会長だった万代順四郎、副会長の古坂嵓城、実行委員長の稲葉浅吉、そして豊田實院長たちでした。

学院創立90周年事業の一環で、現在の青山学院記念館が建った際(1964年)、同地の校友会館は撤退を余儀なくされました。しかし存続を望む声が多く、1968年9月1日にオープンした青学会館に校友会館の機能が引き継がれたのです。

現在の東門付近に一時移築された時の校友会館
現在の東門付近に一時移築された時の校友会館

 

青学会館の新たな出発

2020年度中に結婚式場の事業から撤退し、その後、新型コロナの影響により、校友会の活動拠点機能のみを残して、2021年3月末日で青学会館は閉館しました。
しかし、存続を望む校友の方々の声に応え、2021年10月22日より新しいカフェ・レストランがオープンします。

レストランやカフェには、かつてのチャペル「グローリーチャペル」と「ホーリーチャペル」や宴会場に備わっていた備品が再利用されており、ステンドグラスや燭台、各種イスやカウンター、そしてシャンデリアなど、かつて見たことがある備品に出会えることでしょう。

校友の方々、一般の方々に、末永く愛されるお店になるよう、願っています。

 



 

〈参考文献〉
「青山学報」128号(1935年1月30日発行)
「青山学報」復刊6号(1954年6月発行)〈以下復刊〉
「青山学報」14号特集号(1955年12月発行)
「青山学報」30号(1959年2月発行)
「青山学報」48号(1963年12月発行)
「青山学報」57号(1968年6月発行)
「青山学報」112号(1983年3月発行)
「青山学報」123号(1985年5月発行)
「青山学報」156号(1991年12月発行)
「青山学報」157号(1992年3月発行)
「青山学院広報」129号(1968年9月15日号)
「青山学院100年 1874-1974」学校法人青山学院 1975年
「青山学院120年」学校法人青山学院 1996年 

〈協力〉
 株式会社アイビー・シー・エス
 資料センター