ハイ/ロー・カルチャー徒然帳〈1〉4月の優しい雨が草木を潤すころ…シェイクスピア変奏あれこれ
2019/04/18
まだ年度初めの喧噪が残る4月半ば頃、2018年度まで私の研究室があった女子短期大学図書館棟2階の窓辺で、毎年繰り返される光景があった。そこはふだんから同僚の山田美穂子先生が折々の花を活けておられるスペースなのだが、その時期には決まって、紅白のばらが飾られる。赤ばらに白ばらとくれば誰しも、中世英国貴族のランカスター家とヨーク家が王位をめぐって争った「ばら戦争」を連想するだろう。そして英文学徒なら、シェイクスピアの命日にして(たぶん)誕生日である4月23日にちなんだ設えと思い当たるはずだ。
誤解を避けるために急いで補足すると、まず、ばら戦争が終結したのは1485年、シェイクスピアが生まれたのは1564年と、約80年の隔たりがある。劇作家は戦争終結から約100年後に、ばら戦争を背景とする史劇を書いたわけだ。もう一点、誕生日については4月26日に洗礼を受けたという記録があるだけで、生まれて数日後に幼児に洗礼を施した当時の慣例から逆算して「23日」生まれということになっている。さらにイギリスでは18世紀半ばに改暦もあったのだが、英国でもその他の国々でも、まあ細かいことは気にせず、4月23日をシェイクスピアの誕生日兼命日としているのである。
ここでシェイクスピア自身を素材とする作品群が頭に浮かぶ。もともと史料が限定的である上、ロンドンで詩人・劇作家として名を挙げはじめる直前の7年間は記録が一切なく、「失われた年月」と呼ばれているのが、後世の創作者らの想像力をかき立てるのだろう。やがてシェイクスピアが書くはずの戯曲から適宜セリフを借用すれば、知的エンターテインメントに仕上がる寸法である(映画『恋におちたシェイクスピア』が好例)。同じ関心が別人説へとつながることもある。ジェニファー・リー・キャレルの小説『シェイクスピア・シークレット』や映画『もうひとりのシェイクスピア』が近年の例である。いずれも教養豊かな貴族が真の作者だという仮説に依拠していて、妄説と一蹴してよいのだが、『ダ・ヴィンチ・コード』同様、関連する豆知識を学べる知的ファンタジーとして楽しむ分には問題ない。ちなみに、シェイクスピアの伝記的事実については、『シェイクスピアについて僕らが知りえたすべてのこと』と上手い日本語タイトルを付けたビル・ブライソンの翻訳書がある。
日本では黒澤明監督の『蜘蛛巣城』が『マクベス』の、『乱』が『リア王』の翻案としてそれぞれ名高い。アニメ『絶園のテンペスト』は創造と破壊の間に世界と魔法の原理を据える壮大な物語だが、『大あらし』の直接的な翻案ではなく、「世の中の関節は外れてしまった」という有名なハムレットのセリフ以外に特に引用などはなかったようだ。何と言ってもハロルド作石の『7人のシェイクスピア』が未完のままなのは惜しい。隠れカトリックという設定は興味深く、妻の人物造形は衝撃的だった。そういえば、この漫画を貸してくれたのも山田先生だった。
書籍『シェイクスピア・シークレット』
著者:ジェニファー・リー・キャレル
(布施由紀子 訳)
出版社:株式会社KADOKAWA
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KADOKAWA 書籍紹介ページへ(下巻)
映画『恋におちたシェイクスピア』
監督:ジョン・マッデン
税抜価格:(DVD)1,429 円、(Blu-ray)1,886円
発売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント
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