Column コラム

ハイ/ロー・カルチャー徒然帳〈4〉*Words, words, words. … 辞書の話

*Shakespeare, Hamlet. II.ii.
青山学院大学コミュニティ人間科学部教授

松村 伸一

同僚高野嘉明先生の研究室はいつも千客万来で、クイズ番組の取材班まで見かけたことがある。先生の専門は英語学(社会言語学、辞書学)。放送では確かspiderman という語について解説しておられた。

語彙や辞書への関心は意外に広く根深い。芥川龍之介が大槻文彦著『言海』を愛読していたことはよく知られているし、三省堂刊『新明解国語辞典』をネタにした赤瀬川原平の『新解さんの謎』(1996)が話題を博したことは20年前の記憶がある人なら今も覚えているはずだ。

最近では三浦しをんの『舟を編む』(2011)が本屋大賞に輝いたのが記憶に新しい。私は石井裕也監督による映画版のほうを先に見たのだが、昨秋さらにアニメ化されたのは嬉しい不意打ちだった。雲田はるこ原案のキャラクターは自然でありながら美しく、ストーリーに加えられた繊細な改変、アニメならではの象徴的な映像表現、手堅い声優陣、岡崎体育の軽快なオープニング曲やサンリオ制作キャラ「じしょたんず」豆劇場等々、隅々まで楽しめた。

英語英文学を学ぶ人間なら特別な思いを抱く辞書がある。私が学生の頃、英文学研究者となるために受けた訓練は、ひたすらOEDを引くことだった気がする。斯界でOEDと言えば『オックスフォード英語大辞典』を指し、またそれ以外の呼称を用いることもない。一口に辞典と言っても、1冊でも扱いに困る大型本が約20冊。その体積と価格から通常は図書館などで利用する。どうしても手元に置きたければ、かつては二巻本の微小縮刷版を買い、付属の特製拡大鏡でゴマ粒より小さな文字を追うしかなかった。その後、使い勝手の悪いCD-ROM 版も出たが、現在はインターネットからデータベースを利用できる。まさに隔世の感である。

OEDの特色は、あらゆる英単語を取り上げること、そして豊富な用例によってその語義の歴史的な発達・変化を示すことにある。途方もない企てであるが、幾人もの個性的な編集主幹たちが世界中の篤志家の協力を得て、70年に及ぶ歳月をかけて完成させた(現在も改訂作業は進行中)。中でも、在野の言語研究家から主幹に抜擢されたジェイムズ・マリーと、殺人を犯して幽閉された精神病院の一室から1万件以上の用例を提供した元アメリカ軍医ウィリアム・マイナーの数奇な友情については、サイモン・ウィンチェスター著『博士と狂人』に詳しい。

同書の映画化権はメル・ギブソンが早々と取得したらしいが、最近ようやく制作が進んでいるとの情報を目にした。ただ、同辞典編纂史の全体像を知るには、同じ著者による『オックスフォード英語大辞典物語』のほうが適しているかもしれない。

この記念碑的な辞書は英国人の誇りだが、言葉より現実を重んじるのもまたジョンブル魂である。最初の本格的英語辞典を編んだサミュエル・ジョンソンが序文に記した有名な言葉はいかにも英国的だ。「言葉が大地の娘であり、事物が天の息子であることを忘れるほどには、私はまだ辞書編纂の道に惑ってはいない。」

 

ご紹介した作品

書籍『博士と狂人 ─世界最高の辞書OED の誕生秘話』
『博士と狂人 ─世界最高の辞書OED の誕生秘話』
著者: サイモン・ウィンチェスター
出版社:早川書房
刊行:2006 年3月
税抜価格:800 円
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アニメ『舟を編む』
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発売元:アニプレックス/フジテレビ
販売元:アニプレックス
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上巻/21,000円(Blu-ray)、19,000円(DVD)
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© 玄武書房辞書編集部
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「青山学報」259号(2017年3月発行)より転載
【次回へ続く】