Column コラム

ハイ/ロー・カルチャー徒然帳〈7〉*いかなる不死の手か眼がお前の恐ろしい左右対称を作り得たのか?… ディストピアはどこに

*ウィリアム・ブレイク「虎」より
青山学院大学コミュニティ人間科学部教授

松村 伸一


12月、女子短大現代教養学科では2年生全員が卒業論文を提出する。学生・教員それぞれに苦労は多いが、一番困るのが「何に興味があるかわからない」というタイプだ。それでもじっくり話をすれば先は見えると思えるようになったのは、学科ができて2回目の卒論指導の頃だった。

ある学生がテーマを決めかね迷走していたが、ふとした折りにアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』のファンだとわかった。ひとしきり話が盛り上がった後、「ではディストピアでいきましょう」とあっさり方針が決まった。同作は、罪を犯す可能性「犯罪係数」を判定して犯罪を未然に防ぐシステムが開発された近未来の日本を舞台に、未熟な分だけ真っ直ぐな女性警察官(監察官)がはみ出し者の刑事(執行官)らを束ねて犯罪捜査に当たる物語で、犯罪係数測定装置を兼ねた銃「ドミネーター」の造形(対象の係数によって形状と機能が変化する)や、管理システムをかいくぐる「免罪体質」という設定(そこにはシステムの闇が関係している)、そして山本沙代演出・絵コンテのオープニングに、私自身も参っていたのである。

ディストピアとは場所の意のトピアに「悪い、困難な」を意味するディスを冠した語で、「ない/良い場所」を意味するユートピアと対をなす。ユートピアという語の生みの親トマス・モア以来、現実の裏返しが理想郷となるのに対し、現実の一部を誇張するとディストピアが生まれる。

ディストピア文学の古典と言えば、ロシア/ソ連のザミャーチン『われら』、英国のジョージ・オーウェル『一九八四年』とオルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』、米国のレイ・ブラッドベリー『華氏451度』といったところだろう。『華氏…』は映画化もされ、そのラストシーンの美しさは本好きには忘れがたい。そもそも小説ジャンルの創成期に書かれた『ガリヴァー旅行記』にディストピアの要素は見られるし、現代カナダを代表する作家マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』は今年(2017年)米国でテレビシリーズ化されて話題を集めた。たぶんユートピアより普遍的な主題だ。

ディストピア文学でしばしば取り上げられるモチーフが、相互監視・言論出版統制・出産管理である。オーウェルが創造した「ビッグ・ブラザー」は独裁者を意味する一般名詞として辞書にも登録されているが、前述の作品群に共通しているのは、そうした超管理社会が国民的合意によって生み出され、発達したという点だ。派手な音と映像や薬物のような、直接的な刺激で思考を麻痺させることを人間が自ら求めがちなのは、通勤通学の車内を見回すまでもなく明らかだろう。

ディストピア小説は概して読みづらい。それ自体が読者に思考を求めるからだ。卒論を書かせる目的も、アニメに登場する犯罪者の言葉を借りれば「紙の本を読め」という一点にあるのだが、学生達はどうも悪しき場所に連れてこられたような顔をしがちだ。

 

ご紹介した作品

 

映画:『華氏451』
映画:『華氏451』

監督:フランソワ・トリュフォー
発売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント
税抜価格:1,429円(DVD)
※2019年11月現在の情報です。
NBC ユニバーサル・エンターテイメント 作品紹介ページへ

 

映画『劇場版「PSYCHO-PASS サイコパス」Blu-ray Premium Edition』
映画『劇場版「PSYCHO-PASS サイコパス」

監督:塩谷 直義
発売元:株式会社フジテレビジョン・東宝株式会社
販売元:東宝株式会社
税抜価格:8,800円(Blu-ray)
©サイコパス製作委員会
東宝「アニメーション」商品紹介ページへ

 

「青山学報」262号(2017年12月発行)より転載

 

【次回へ続く】