Column コラム

ハイ/ロー・カルチャー徒然帳〈3〉*その地区の不運は何一つ成功せず何一つ明確な結論に至らぬことだ…クエイ兄弟の箱

*ブルーノ・シュルツ『大鰐通り』
青山学院大学コミュニティ人間科学部教授

松村 伸一

海水浴客もとうに姿を消した初秋、曇天の平日に湘南の葉山を訪れた。神奈川県立近代美術館葉山で開催されたクエイ兄弟の回顧展を見るためだった。クエイ兄弟はフィラデルフィア近郊出身で主にロンドンで活動したアニメーション作家で、1986年製作の短編コマ撮りアニメ『ストリート・オブ・クロコダイル』が代表作として知られている。

同作は日本では1980年代末に公開され、カルト的な人気を博した。当時私は自由な身の上の貧乏学生で、映画情報誌でそのタイトルを探しては、新宿や渋谷の小規模上映会に幾度か出向いた覚えがある。30年ほど昔に若者だった世代には、同様の経験を持つ向きも少なくないはずだ。

当初は兄弟が一卵性双生児であることくらいしか情報がなかったが、その後、アニメーションと実写を組み合わせた長編映画『ベンヤメンタ学院』(1995年)、『ピアノチューナー・オブ・アースクエイク』(2005年)が公開される頃には、より詳しい経歴が伝わり、ヴィデオやDVDも手に入るようになった。

クエイ兄弟の作品は観る人によっては、暗くて不気味で耳障りで意味がわからないと受け止められそうだが、そもそも万人受けする物になど何の魅力があるだろう。その作品は東欧もしくは旧オーストリア・ハンガリー帝国圏の文化へのオマージュに満ちている。失敗し敗北した者、打ち捨てられた世界への連帯表明、とも言えようか。

美術学校でポーランドのポスター芸術に惹かれて以来、カフカ(チェコ)、ブルーノ・シュルツ(ポーランド)、ローベルト・ヴァルザー(スイス)らの文学、ヤナーチェク(チェコ)の音楽、ヤン・シュヴァンクマイエル(チェコ)のシュルレアリスト・アニメに、彼らは一貫して霊感を得てきた。カフカはともかく、他の芸術家らの魅力を私が知ったのはクエイ兄弟のおかげだ。

今回の展覧会ではディスクに収められていない作品群(初期イラストからバレーの舞台装置、音楽用映像にCM、未収録アニメまで)に触れられたほか、彼らの世界が基本的に〈箱〉だったことに改めて気づかされた。『ストリート…』の冒頭では箱状の覗き見式映写機が運び込まれ、その中に映写技師が唾を垂らすと、中で弦やパペットが動き出し、埃だらけの床からネジが抜け始める。

それは、クエイ兄弟が箱状のセットを組み、中に腕を突っ込んで人形やオブジェをミリ単位で動かし、光源と反射を調整し、カメラを移動させた作業を、わかりやすく視覚化した表現だったのだろう。会場には他にも見覚えのある〈箱〉が並び、いくつかは狭い窓から覗き込む形になっていた。それらが実際セットとして用いられた物かどうかは不明だが、ペンが宙に浮くからくりなど、製作過程の一端を垣間見たようで楽しかった。

映像の最後にはエピグラフとして原作の英訳が画面に映し出され、作曲家レシュ・ヤンコウスキによるポーランド語の朗読が重なる。だがタイトルに掲げた一文だけは工藤幸雄の原作邦訳に見当たらない。『大鰐通り』らしい出入口不明の謎だ。

 

ご紹介した作品

書籍『クエイ兄弟 ─ファントム・ミュージアム─』
『クエイ兄弟 ─ファントム・ミュージアム─』
著者:ブラザーズ・クエイ
出版社:求龍堂
刊行:2016 年7月
税抜価格:3,000 円
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映画『ブラザーズ・クエイ短篇作品集』
映画『ブラザーズ・クエイ短篇作品集』
監督:ブラザーズ・クエイ
発売元:IMAGICA TV
販売元:株式会社KADOKAWA
税抜価格:5,800円(Blu-ray)

 

「青山学報」258号(2016年12月発行)より転載
【次回へ続く】