コヴェントリー生まれのクリスマス・キャロル【佐久間康夫の「この世という広大な劇場」第30回】
2024/11/29
コヴェントリー・キャロルを聞いたことはありますか? 16世紀に作曲されたクリスマス・キャロルで、今日ではさまざまな合唱曲版に編曲されて世界中で親しまれています。礼拝堂の敬虔な雰囲気をたっぷり味わえるケンブリッジ大学キングズ・コレッジ聖歌隊の動画はYouTubeで視聴できます。他にもCDをはじめ、いろいろな媒体で鑑賞が可能です。
中世のイギリスでは、天地創造から最後の審判まで、聖書の物語を連作形式で披露する宗教劇が祝祭日に上演されました。このキャロルはそうした劇の1編、コヴェントリーで上演された「裁断師と仕立屋組合の劇」の劇中歌です。
歌詞は『新約聖書』の「マタイによる福音書」第2章に記されているヘロデ王の逸話に基づいています。ベツレヘムに救世主が誕生したという知らせに、ユダヤのヘロデ王は自分の地位を脅かされるのではと不安にかられます。そこで2歳以下のユダヤ人の男の子をことごとく殺害するよう命じたのです。ヨセフとマリアは預言に従い、幼子イエスとともに危難を逃れました。
中世劇に登場するヘロデ王は、幼児虐殺の謀略が成功したとの報告を真に受けて盛大な宴会を催します。しかし宴が最高潮に達した折も折、舞台に現れた死神によって、王は地獄へと引きずり込まれてしまいます。ヘロデの役を演じる俳優はグロテスクなほど大げさな演技をするのが定番だったようです。
シェイクスピアの時代になっても、うぬぼれの強い暴君ヘロデ王はよく知られた敵役でした。『ハムレット』の第3幕には、劇中劇を演じる旅回りの役者たちに向かい、ハムレットが注文を出すシーンがあります。彼はヘロデ王を引き合いに出して、激情を抑えられず、せりふをわめきちらすような演技は慎んでほしいと述べています。
劇で歌われる歌詞の一部を載せておきましょう(原文はコラムの最後に付します)。
怒りに狂ったヘロデ王が
今日のこの日に命じました
力の強い家臣たちに、目の前で
小さな子どもをみな殺せと
ああなんて悲しいことだろう
哀れな子どもを思って嘆くとは
今ここで別れては、二度と子守唄も歌えない
ねむれよ、ねむれ、やすらかに
クリスマス・キャロルの趣旨はイエスの降誕を祝福することですから、心の洗われる明朗な歌がほとんどです。しかし、ことコヴェントリー・キャロルに関しては、理不尽な理由で我が子を奪われる親の悲哀が強調されます。痛切な調べは心の奥深くに沁みわたっていくかのようです。
イングランドの中部に位置するコヴェントリーは、ロンドンから北西約140km、列車で1時間ほどの距離です。イギリスで12番目に人口が多いとはいえ、市内には中世風の街並みも残されていて、一風変わった魅力にあふれた都市です。
レディ・ゴダイヴァにまつわる伝説で名高く、現在のコヴェントリー市の旗(シティ・フラッグ)には、まさに長い髪を垂らして馬に乗る女性のシルエットが描かれています。
時は11世紀。領主レオフリックは修道院建設の費用を捻出するため、市民に重税を課していました。妻のゴダイヴァは夫の仕打ちに苦しむ市民を見かねて、負担を軽くするよう何度も夫に嘆願します。根負けした領主は「一糸まとわず町を一周したら、いうことを聞いてやろう」と告げます。意を決した夫人は全裸となり、馬にまたがって町中を回ったのです。夫人の思いやりに感激した領民たちは、窓という窓を閉め切って家にこもり、彼女の裸の姿を見ないようにしました。妻の勇気ある行為に心を打たれた領主は税を引き下げたといわれます。レディ・ゴダイヴァの物語は自己犠牲の精神を表すシンボルとして、英語圏では有名な故事です。
さてレディ・ゴダイヴァに関しては、もう一つ面白いエピソードが付随しています。心がけの悪い人間はいつの世にもいるもので、馬上のレディをのぞき見した男がひとりいたのです。神様は天罰を下し、その男の目を見えなくしてしまった、というのが民間伝承のあらましです。のぞき魔のことを指す「ピーピング・トム」(peeping Tom)という英語の俗語表現は、この言い伝えから生まれたそうです。
コヴェントリー市の中心部ブロードゲイトに、レディ・ゴダイヴァの像が除幕されたのは1948年のこと。イギリスの第2級歴史遺産に指定されました。また市庁舎に設置されたゴダイヴァ・クロックと呼ばれる時計台も見ものです。毎正時になると、馬に乗ったレディ・ゴダイヴァが時計の下を回るのに合わせて、鳩時計のようにピーピング・トムが顔をのぞかせて両目を手でおおう仕草をします。仕掛け時計のなんともユル〜い動作に、思わずほほ笑みがこぼれます。
もっともこの中世の伝説は、読者の皆さんにはむしろ高級チョコレート「ゴディバ」の方でなじみ深いかもしれません。1926年にベルギーで創業した製菓メーカーが、人々に愛と幸せを届けたレディのイメージに触発されて、その名を社名に冠したのです。なおゴディバはゴダイヴァのベルギー現地での発音にならった表記です。
コヴェントリーの一帯は「ブラック・カントリー」の異名をとった大工業地帯です。イギリスの自動車産業発祥の地で、かつては多くのメーカーの生産拠点でもありました。現在でも高級乗用車ジャガーが本社を構えています。市内のどのあたりか、ボンネットに飾られるジャガー・マークの巨大な像が設置されていて、目を見張りました(ちなみにイギリスでは「ジャギュア」という発音ですね)。
クルマ好きの方であれば、名車が一堂に会するコヴェントリー・トランスポート・ミュージアム(交通博物館)が見逃せません。私も愛車オースティンがいかに大衆に愛された実用車であったかという歴史の一端を知ることができ、嬉しく思ったものでした。
第2次世界大戦中、コヴェントリーは軍需産業の中心地であったため、ドイツ軍の激しい空襲を受け、完膚(かんぷ)なきまでに破壊されました。14世紀に創建されたゴシック建築のセント・マイケル大聖堂(通称コヴェントリー大聖堂)も、天にそびえる尖塔以外は、天井を吹き飛ばされて骨組みだけになりはてました。爆撃で壊された聖堂はあえて建て直さずに、そのまま保存されました。イギリス人気質が如実に感じられるところです。その何もない空間を舞台にして、先述の中世劇が市民の手で復活上演されることもあります。
1962年には、廃虚に隣接する形で、新しい大聖堂が建設されました。廃虚と未来的なデザインの建物がよりそって建つ光景は、ちょっとSF映画の一場面を観ているような気分になります。
新しい大聖堂の落成を記念してベンジャミン・ブリテン(1913–76)に作曲を委嘱した『戦争レクイエム』が、同年5月30日に初演されました。未曾有の被害を出した戦争で命を落とした人々を追悼する、20世紀の記念碑的な鎮魂歌です。
レクイエムで通常用いられるラテン語の典礼文の合間に、第1次世界大戦で戦死した詩人ウィルフレッド・オーウェン(1893–1918)の英詩が歌われるという、世にもまれな構成の超大作です。ラテン語のパートを担当するのは、ソプラノ、大編成のオーケストラ、混声合唱に少年合唱を加えたグループ。オーウェンの詩の部分はテノール、バリトン、室内オーケストラが演奏します。
初演時のキャストはテノールにピーター・ピアーズ、バリトンにディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが起用されました。戦争で敵対した英独両国の歌手をそろえた点に、平和を希求する作曲者の気持ちが込められていたのでしょう。後に録音されたレコード版では、さらにロシア人のソプラノ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤも加わって、戦争当事国3国の歌手の共演を切望していたブリテンの願いはついに叶ったのでした。
私は30年ほど前にロンドンのロイヤル・アルバート・ホール(6000人を収容可能な音楽会場)で、『戦争レクイエム』の演奏に接しました。ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(ヴィシネフスカヤの夫君)とリチャード・ヒコックスの指揮者2人が同時にステージに上がり、2つのオーケストラを別々に指揮するのを見て、こういう演奏形態もあるのかとぼうぜんとしました。戦火の悲劇から生まれた、壮大にして厳粛な音楽の滔々(とうとう)たる流れに、ブリテンの魂の叫びと祈りを体験したコンサートでした。
Herod the king, in his raging,
Chargèd he hath this day
His men of might in his own sight
All young children to slay.
That woe is me, poor child, for thee
And ever mourn and may
For thy parting neither say nor sing,
“Bye bye, lully, lullay.”
注:“bye bye”および“lully”と“lullay”は幼児をあやして寝かしつける言葉で、擬音語であるともいわれます。子守唄のことを指す「ララバイ」(lullaby)はこの表現に由来します。
[Photo: 佐久間康夫]