パブとイギリス人【佐久間康夫の「この世という広大な劇場」第15回】
2022/03/29
イースターを迎える頃に、マーケットなどの陳列棚でひときわ目を惹くのが、ホット・クロス・バンズです。スパイスを効かせたドライ・フルーツを混ぜて焼き上げた菓子パンです。イエスの受難に思いをいたして食するという一種の縁起もので、そのため表面にはキリスト教の象徴である十字のマークが描かれています。
18世紀の伝承童謡『マザー・グース』にも「やきたてじゅうもんじパン」という1曲があり、これはパンの売り子の掛け声に由来するそうです。これだけでも相当に古い慣習であることがわかります。
今日ではホット・クロス・バンズの宗教的な含みは薄れてきたかもしれません。その気になれば年じゅう手に入りますから。とはいえ、飲んだり、食べたりという日々の行いは、どのようなものであれ、その国の文化や生活に深く根ざしているはずです。
イギリスのパブで過ごした時間は、私の記憶に忘れがたく刻まれています。
パブとは、一言でいえば、酒場のことです。『オックスフォード英語辞典』を調べてみますと、もとは公民館や宿屋を指していたパブリック・ハウスという語が、アルコール飲料を提供する酒場の意味で用いられるようになったのは1768年以降のこと。1865年には、パブリック・ハウスを略してパブが使われていて、今では伝統的な酒場を表す語として英語の世界に定着しています。
店ごとの特色を鮮明に打ち出して、中には意表を突くものもありますが、大体が質実剛健な作りです。「必要のないものは要らない」「酒場はこれでいい」と、思わず納得させられる風格が備わっています。落ち着いた大人の社交場として、実質一本槍の趣です。
店内のバーで飲み物を注文し、支払いはキャッシュ・オン・デリバリーで済ませます。日本語の感覚ではバーというと酒場そのものを意味しそうですが、イギリスのパブではカウンターのことをバーと呼びます。イギリスの大学のキャンパスでコレッジ・バーが見られるのは、成人年齢が18歳のため、大学生は法的に飲酒を許され、大人扱いされているからです。
以前は、労働者向けのパブリック・バーと中産階級向けのサルーン・バーという具合に、階級によって入り口の扉が分かれていました。また子どもは入店できないなど種々の規制があり、閉店時間をめぐっても論争が起こりました。時代とともにパブの風情には、世相が反映されてきた次第です。
今やパブはイギリスに住む人々の生活の大切な一部であり、その数はコンビニや美容室なみという印象です。体調の維持管理に資するという意味で(!)、日々のリズムを作る一翼を担っているわけです。ロンドンの金融街などでも、パブの外にたむろして立ち飲みするスーツ姿の会社員の一群をよく見かけたものです。
昼は軽食、いわゆるパブ・ランチを提供する店が多いですが、夜分になると食べ物は乾き物程度で、もっぱらお酒の提供に専心します。その結果、ありがたいことに、思いのほか安上がりで済みます。ジンやウィスキー、ワインなどメニューは豊富ですが、何といってもビールこそがパブの華ではないでしょうか。
パブで提供されるビールは、上面発酵という醸造法で作られる、黄褐色のビターと呼ばれる種類が主で、他にもギネスで有名な黒ビールなどが揃えられています。日本のビールに近いのはラガーですが、これはヨーロッパ系のビールの輸入に頼っています。かつてはいわゆるクラフト・ビールが多く、イギリス各地で地ビールを楽しめましたが、近年は大企業による寡占が目立つようです。
注文に迷ったら、「フルーティな香りが好みです」とか「クリーミーな飲み口のをよろしく」などと、バーマン(バーテンダー)やパブリカン(店主)に話を向けてみましょう。日本のビールとはまた味わいの異なった、ビールの奥深さを堪能できる一杯を出してもらえることでしょう。
少し前までは常温で供するのが常識でした。冷えてないビールなんて、と驚かれる向きもあるでしょうが、平均気温の低いイギリスでは、泡の立っていないパイント・グラスで、ビターをちびりちびりやるのが旨い飲み方なのです。ちなみに、1パイントを500㏄(日本のビール中瓶)と私は計算するようにしています。
イギリスは北国ですので、30年ほど前でもホテルや地下鉄に冷房が備わっていませんでした。温暖化の影響で、近年はエアコンが普及し、ビールも冷やしてサーブされることが多くなりました。とはいえ、一気飲みをしない流儀はさほど変わっていません。パブに入れば、そこにはいつの世にも変わらぬ世界がある。そのことに私の心はホッと和むのです。
ある時、ショアディッチというイギリスの演劇史上で最初の劇場が建てられた地区の探訪に出かけました。帰り路、ロンドンの下町界隈といえるビショップズゲートあたりをぶらぶらしていると、リヴァプール・ストリート駅のはす向かいに、いわくありげなパブが目に留まりました。かの有名な「ダーティ・ディックス」でした。
18世紀半ばの話、金物問屋の経営で成功をおさめたリチャード・ベントリーなる人物がいました。青年時代はいっぱしのダンディを気取っていたようですが、婚約者の死が引き金となって人格が一変、身の回りにいっさい構わなくなったそうです。自分の身なりばかりか屋敷や店舗まで荒れ放題、その常軌を逸したありさまでかえって知られるところとなり、「ロンドンの汚い問屋」という宛先で郵便が届いたというからふるっています。やがて廃業し、1809年には本人も亡くなりました。
大小説家ディケンズは名作『大いなる遺産』(1860-61)の中で、婚約を破棄された後、花嫁衣裳を着たまま隠遁生活を送る登場人物を創造しましたが、この実在した人物から霊感を得たと伝えられます。
ベントリーの死後だいぶ経った1866年に、近所で「オールド・エルサレム」という名のパブを構えていた店主が、その逸話にあやかって、「ダーティ・ディックス」(ディックはリチャードのニックネーム)と店名を改めたのです。「いたるところ天井から蜘蛛の巣がぶら下がり、店内のあらゆる物品が埃まみれ」と記録に残るほどの悲惨なインテリアを売りにして、人気を博しました。エキセントリックであることをいとわない国民性の現れですね。
さすがに現在の店は予想に反して不潔ではありません(笑)。しかし、店内の地下へ降りたあたりのほの暗い一角をのぞくと、「蜘蛛の巣だらけの猫の死骸」など、往時をしのばせる不気味な記念品が、ガラスケース満杯に陳列されています! 百花繚乱ともいえるパブ文化。どうか皆さんもお気に入りの一軒を見つけてください。
[Photo:佐久間 康夫]