カントリー・ハウスに泊まりに行こう【佐久間康夫の「この世という広大な劇場」第22回】
2023/06/22
イギリスの文化をめぐっては、ロンドンのような大都会よりも田園地帯の方に魅力を感じる人が多いようです。イギリスの国土は、面積自体では日本の3分の2程度と、それほど広くないのに、山の多い日本とは対照的に、その大部分が低地です。ものの30分もロンドンから電車に乗れば、なだらかな丘陵に牧草地がどこまでも続く、のどかな風景に出会えます。
典型的なイギリスの田舎の情景を一幅の絵に描くとしたら、欠かすことのできない題材がカントリー・ハウスです。今日イギリスに現存するカントリー・ハウスは、その数2,000を下らないといわれます。そもそもカントリー・ハウスとは、イギリスの地方に、貴族や大地主が所有してきた豪壮な館のことです。
かつて富裕階級は首都ロンドンに社交や仕事に使う邸宅を持っていました。これがタウン・ハウスです。一方の地元では、広い領地にものをいわせて、威信を誇示しようと立派な本宅を競い合うように建てたのです。こうしたカントリー・ハウスは、中世の荘園に起源を持ち、16~18世紀に建築の最盛期を迎えますが、中には20世紀になってから建造されたものもありました。
カントリー・ハウスといえば、並木道や湖沼、果樹園など、土地の個性を生かして、門から館に通じる道程を楽しめるよう設計されています。邸内に部屋数が多いのにも目をみはります。ホール(大広間)、大階段、サルーン(広間)、ロング・ギャラリー(邸内の通路)、ドローイング・ルーム(応接間)、ライブラリー(書斎、図書室)、ダイニング・ルーム(食堂)、寝室、浴室、厨房、ビロウ・ステアーズ(階下という意味で、家事を担当する使用人部屋のこと)など、一軒の屋敷に何十もの部屋があるのもごく普通です。しかも、そのすべてに贅を尽くした意匠がほどこされていて、見る者を圧倒します。
広大な敷地には、これまたあざやかなイングリッシュ・ガーデンが造られるのが常です。屋敷と庭園とは、いわばクルマの両輪のように、一つの美的な世界を構築する働きをしているのです。ガーデニングの趣味をイギリス人の間に根づかせたのにも、カントリー・ハウスの存在が大きく影響したといわれます。
18世紀には、生涯に250もの風景庭園を造りあげ、《ケイパビリティ・ブラウン》と異名をとった天才造園家が生まれました。風景庭園とは、フランスの宮殿に見られる人工美にあふれた整形庭園と対照的に、自然そのものの景観を広い敷地全体に造り上げる手法でした。
ちなみにニックネームのケイパビリティとは「可能性」といった意味の英語です。その由来については、依頼主から相談を受けると、「この庭はさらに素晴らしくなる可能性を秘めています」としばしば答えたため、という説が有力です。
一口にカントリー・ハウスといっても、呼称はさまざまで、土地固有の由来を示していることもあります。例えば、ヘンリー八世の宗教改革に伴い、修道院が解散され、その資産を譲り受けた有力者がアビー(修道院)の名前を残した、というような場合です。ケンブリッジ近郊にある「アングルシー・アビー」はその好例で、1135年の創建ですが、宗教改革後に数奇な運命をたどって、今日ではナショナル・トラスト(自然保護や史跡の保存を主旨とする民間組織)が管理しています。
エセックス州にある「オードリー・エンド」も元をたどれば1139年創建の修道院にまでさかのぼるカントリー・ハウスです。
やはり宗教改革以降に貴族の手にわたり、17世紀初頭に、大蔵卿にまで上りつめた権力者サフォーク伯爵が典型的なジェイムズ朝の様式に改築しました。当のジェイムズ王が立ち寄った際に、「国王には立派すぎるが、大蔵卿にはお似合いだ」と痛烈な皮肉を飛ばしたという逸話が伝わる大豪邸です。
その後、歴史の荒波にもまれて、現在はイングリッシュ・ヘリテージ(歴史的遺産の保存を目的とした政府の機関)の所有になりました。
世界遺産に登録されたイングランド最大のカントリー・ハウスは、モールバラ公爵家が代々オクスフォード近郊に所有する「ブレナム・パレス」です。
バロック期の建築家ジョン・ヴァンブラが手掛けた代表作ですが、彼は劇作家としても演劇史に名を残しています。建築家にして劇作家とは多芸多才を絵に描いたような人物です。
パレスと呼ばれる由縁は、ブレナムの戦い(1704年)で勝利をおさめた勲功により、将軍ジョン・チャーチル(後のモールバラ公爵)が、時の女王アンから下賜(かし)された王領に建てられたからです。その広さたるや、資料によってまちまちなのですが、杉恵惇宏氏の著書によれば、「成田空港の6倍くらい」だそうです!
建物の完成から半世紀たった頃に、上述のケイパビリティ・ブラウンが面目を一新させた庭園によっても有名です。第2次世界大戦時の首相ウィンストン・チャーチルの生家としても知られています。ケネス・ブラナー監督・主演の映画『ハムレット』では、なんとシェイクスピア劇のロケ地としてこのブレナム・パレスが利用されました。『ハムレット』といえば中世の古城のイメージを思い浮かべますが、城の代わりにカントリー・ハウスを用いたのは斬新なアイデアといえましょう。
自然保護の意識の高まりの中、歴史的な遺産の保存維持のため、1965年にランドマーク・トラストという組織が設立されました。この団体の目のつけどころが素晴らしい点は、立地条件が悪く、放っておけば朽ち果ててしまう恐れのある建造物に狙いをしぼったことです。
イギリス各地には、あまりに交通の便が悪く、観光客の押し寄せてきそうにない名所旧跡が数多く存在しています。そこにセルフケータリングの設備をしつらえて、期間を決めて一般に貸し出すことで、観光客を呼び込もうという発想です。
利用客が支払う代価を維持管理費に回して、過去の由緒正しい文化遺産を未来へつないでいこうというわけです。日本でも古民家をリフォームして、レトロな風合いを生かしたカフェや住宅へ再生する事業が流行していますが、ともに地球環境にやさしくというSDGsの視点が見事ではありませんか。
私たち家族が滞在先に選んだランドマークの物件は、イギリス南西部デヴォン州の「ザ・ライブラリー」でした。1524年頃から19世紀までデヴォン随一の大地主ロール一族が所有していたというスティーヴンストーン荘園の廃墟(!)の一部です。ずいぶん辺鄙(へんぴ)なところに思えましたが、イースター・ホリデーに家族で1週間ほど出かけるには好都合と、愛車のおんぼろオースティンを駆って行くことにしました。
イングランドには珍しく起伏にとんだデヴォンの悪路をどうにかこなしてたどり着きました。カタログではただ「ザ・ライブラリー」なのですが、実際に行ってみると「ライブラリー」と「オランジェリー」という30メートルほど離れて建つ一対の棟で、それぞれにツイン・ベッドルームが誂(あつら)えられていました。
貴族文化華やかなりし頃は、豪奢な装丁の書物を収蔵することがステイタス・シンボルでした。ライブラリーというと邸内に作られた書斎か図書室を想像しますが、ここは意外なことに母屋とは独立した戸建てでした。オランジェリーとは、緯度の高いイギリスでオレンジなどの南国の果実を栽培する温室のことです。もっとも2棟の屋内には書籍や樹木の面影がありません。本来の用途には長い間使用されてこなかったようで、名称がそのまま残っている理由は、今となっては管理人にも分からないとのことでした(笑)。
元は壮麗な館が建っていたと思しきあたりには、時の苔むした礼拝堂がひっそりたたずんでいます。
夕景に牧草地が広がり、放牧された無数の羊が目に入るばかり。眠れなかったら、この羊の数を数えればいいと楽観していたものの、いざ夜も更けてくると、星の降る寒空の下、どこからともなく野鳥か獣の鳴く声がかそけく聞こえてきます。
あまりのもの寂しさに、ジェイン・オースティンの小説に描かれたような優雅な生活を追体験したいという気持ちも、すっかり萎えてしまいました。「東洋からの貧乏観光客を狙う泥棒なんていやしないよ」と慰めともつかない言葉を口にしたのが、我ながら愉快でした。周囲には、人っ子ひとりいないのですから!
オランジェリーとライブラリーはすぐ向かいとはいえ、別棟に4人家族が別れて泊まるのがどうにも心細く、夜陰に乗じてベッドを移動し、貴族の気分には程遠い雑魚寝と相成りました。とはいえ、イギリス文化のエッセンスを表すカントリー・ハウス。その一端でも身近に感じられ、ゆったりした時間と空間に身を置くことができたのは貴重な体験でした。
[Photo:佐久間 康夫]