Interview インタビュー あおやま すぴりっと

黒板アートが引き出す子どもの探求心〈卒業生・上野広祐さん〉

幼い頃から絵と自然に親しみ、絵の優れた才能は結果にも表われ、油絵のコンクールに出展すればのきなみ入選。そんな上野さんが選んだ道は、画家でもアーティストでもなく、小学校教諭でした。

子どもたちとのコミュニケーションツールとして始めた黒板アートは、想像以上に子どもたちの心をつかみ、揺さぶりました。
 
東京都公立学校教員に採用。最初の赴任地の杉並区最大規模の小学校から房総半島の千葉県館山市にある全寮制の特別支援学校へ異動してから、その腕に一段と磨きがかかっている上野さんに、幼い頃の体験から大学での学び、黒板アート、教育について語っていただきました。

(2019年12月20日 館山にてインタビュー)

 

幼い頃から絵を描き 自然に親しむ日々

──上野先生は現在、黒板をキャンバスに館山の様々な自然を描かれています。絵を描くのは小さい頃からお好きだったのですか。
3歳のときにはすでに、カレンダーの裏などにたくさん絵を描いていたようです。それを両親に褒められるとうれしくて、ますます描きました。最初は家族の顔を、次第に大好きな図鑑を見ながら写実的に描くようになっていきました。自宅の近くにあった小金井市の浴恩館公園で、昆虫を捕まえることも好きでしたし、母から「松ぼっくりを水に濡らすとカサが閉じるよ」などと教えてもらうことも楽しく、今振り返ると自然に親しむ子ども時代だったと思います。

小学生の頃も絵は得意ではありましたが、たくさん習いごとをしていて、どちらかというと絵よりもサッカーやバスケなどに夢中でした。中等部に入学してからもバスケ部に入ろうと思っていたところ、母なりに思うところがあったのか「美術部にも入ったほうがいいよ」と言われ、二つの部活を兼部することにしました。美術部では初めて油絵に取り組みました。もともと写実的に描くのが得意だった僕にとって、油彩で細かいところを表現するのは難しくて苦労しました。

高等部時代に描いた「自画像」
高等部時代に描いた「自画像」

 

2年生のとき、ゴッホの「ひまわり」を模写する機会がありました。ゴッホは輪郭線を描かず、色でタッチを作っていく描き方をします。この「色だけで形を作っていく」感覚をそのとき身に付けたことが、後の黒板アートの技法につながっていきました。

──高等部では美術部に絞り、絵に集中されたそうですね。
油絵を突き詰めていきたいと、美術館に行く火曜日以外はすべて絵を描くと決め、美術部顧問だった安山義正先生のお世話になりながら美術室で過ごしていました。読書は苦手だったのに、高等部の図書館で画集の絵を見ながら解説を読みふけっているうちに、いつの間にか本も大好きになっていましたね。本当に絵のことしか考えていないような毎日でした。コンクールにもかなり出展し、賞をいただくことが多かったです。3年生で第56回「学展」高校生の部で佳作に入選した際は、「青山学報」219号(2007年3月発行)で紹介していただいたこともあります。

学展表彰式と作品
学展の表彰式(左)と、受賞作品の前で(右)

 

それだけ絵に打ち込んでいると、おのずと将来は画家になりたい、イラスト関係の仕事につきたいと思うようになっていました。美大に入るための予備校に通ったところ、自分より上手い人がそれこそ山のようにいて……。「高校卒業後も青学の生活を楽しもう」と、青山学院大学への進学に気持ちが切り替わりましたね。教育学科を選んだのは、大学で唯一、図工を勉強できる学科だったからです。学科案内の資料を見たとき、小学生の頃、図工の授業がすごく楽しかった記憶がよみがえり、これも将来の選択肢の一つかもしれないと考えました。そういう気持ちで進学したので、当時は「絶対に教師になる」といった強い意志があったわけではありませんでした。

 

教育学科で開眼 教員を目指す道に迷いなし

──教育学科での学びはいかがでしたか。
これが実に素晴らしくて、あっという間に教育学に夢中になりました。教育学科で学び始めてすぐ、「教師の道はすごく楽しそうだ」という気持ちが込み上げてきました。僕は一度やろうと思い立つと、とことんやりたくなってしまうタイプなので、週に一度、小学校での教育活動や環境設備を支援する学校支援ボランティアを始めました。また、大学の文化連合会に所属している青山子ども会という児童福祉ボランティア団体に入り、子どもたちに関わるようになりました。さらに学童保育の児童指導員や塾講師のアルバイトもしましたね。そのすべてが面白くて仕方がなかったです。子どもの素直さや、大人と違って思ったことをそのまま表現する子どもの楽しさに惹かれ、どんどんのめり込んでいきました。ずっと絵と自分だけの世界にいたのが、子どもと出会うことによって、人と関わる楽しさを知ったのかもしれません。
 
あまりに毎日が楽しかったので、絵のことはちょっと忘れてしまうほどでした。その頃は高等部の安山先生に依頼されて引き受けていた高等部美術部のコーチと、あとは少しスケッチを描く程度の関わりぐらいになっていました。

──大学で印象深かった授業や先生はいらっしゃいますか。
僕は勉強が大好きで、講義は常に前から3列目以内で聞くようなタイプでしたから、授業は全部楽しかったです。どの教科の先生にもたくさん質問し、たくさん教えていただきながら勉強していました。そんな中でもとりわけお世話になったのは社会科の蔵元幸二先生で、授業の面白さもさることながら、教育実習でもいろいろ面倒を見ていただきました。また、植物を専門とされる岡崎惠視先生からも大きな影響を受けました。岡崎先生の授業では、どの花がどういう葉から進化していったのかを観察スケッチを描いたりしながら検証するのですが、これがものすごく勉強になりました。また、僕のスケッチを見た先生が「うまいね」と褒めてくださり、先生も執筆された書籍『花の観察学入門─葉から花への進化を探る』で挿絵を描かせていただけることになったのです。挿絵はすべて点描画で、植物の毛の本数なども全部数えて忠実に模写するというものでした。たとえば「ひっつき虫」と呼ばれる植物、オナモミの場合、棘の数から並んでいる位置まですべて正確に、実物と寸分たがわず描きました。
 
黒板アートを描き始めるようになったのは教員になってからで、学生時代は黒板へのこだわりもなければ黒板アートを意識したこともありませんでした。ただ、今思えば岡崎先生に教えていただいた「見たものをそのまま正しく描く」というスタイルが、黒板アートにつながっていることは間違いありません。

上野さん