オリンピックで目指したのは チーム一丸となって戦うこと〈卒業生・馬場美香さん〉
2021/12/17
中学生の頃から華々しい成績を残し、大学在学中には当時の学生記録を塗り替え、卓球が五輪の正式競技となった1988年開催のソウルオリンピックでは女子ダブルスで4位入賞された馬場美香さん。
今回の東京2020オリンピックでは卓球女子日本代表監督として臨み、日本卓球女子史上、最高の結果を残しました。
堀田宣彌青山学院理事長との対談で、卓球を始めたきっかけや学生時代のエピソード、そして監督就任中の思いなどを語っていただきました。
堀田 東京2020オリンピックでは素晴らしい結果を残されました。おめでとうございます。
馬場 ありがとうございます。女子団体では銀メダル、伊藤美誠選手が女子シングルスで日本人初となる銅メダル、新競技のミックスダブルスでは日本卓球界の悲願である金メダルも獲ることができ、大変うれしく思っています。
堀田 選手たちが実力を存分に発揮するためには監督が導く部分も大きかったと思いますが、どのようなチーム作りを目指されたのですか。
馬場 それまでナショナルチームのコーチ経験がなかったので、逆に自分が思い描く監督像や方向性を最初に打ち出し実行することができたと思います。ナショナルチームでチーム力を上げていくこと、1年を通して合宿を行うこと、そしてチームビルディングとコンディショニングの専門家の知識をお借りしながらチームを強化する方法を取りました。チーム一丸となって戦うことが目標だったので、チームの一員としてどのように行動するか、チームメイトといかに切磋琢磨していくかといったチームビルディングの研修には多くの時間をかけました。また、自分の力を存分に発揮できるコンディション作りも重要だと考えたので、コンディショニングの専門家に、どのような休息を取れば故障をせずにパフォーマンスを上げていけるかという研修を行っていただきました。
堀田 今回、卓球女子代表として出場した3選手は、馬場さんから見てどんな選手ですか。
馬場 伊藤選手はとにかく自分で考えることが好きな選手です。どうしたいのかを自ら考えたいし、考える力も非常に優れています。また、試合そのものを楽しめる能力がありますね。石川佳純選手は、接戦になったら自分の持っている力やメンタルの強さを発揮できる選手です。今回、団体戦でシングルスの出番を後半に下げていたのは、プレッシャーに強く経験も豊富な石川で敗れたとしても監督として悔いはないと思えたからです。平野美宇選手は「なんと基礎技術が正確かつ高いレベルにある子なんだろう」と感心した選手です。
一つ一つの基礎の技術が優れているので、2017年のアジア選手権で中国のトップ選手3人を破って優勝した時のように、研ぎ澄まされた「ゾーン」に入ったら中国選手にも勝てるだけの力があります。
堀田 オリンピック開催が1年延期され、さらにその開催自体も危ぶまれていた時期は、馬場さんにとっても苦しい時間だったのではないでしょうか。
馬場 そうですね。まずは「必ず開催される」と自分に言い聞かせ、かつその祈るような思いを選手には見せまいとするのに必死でした。心の中に「もしかしたら開催されないのでは」という気持ちが生まれそうになるたびに打ち消して、選手には必ず開催されると言い続けていました。不安になっている様子が見受けられる選手には、開催される、されないよりも、まず自分がどういう選手になりたいか、そのために今どこを強化すれば理想とする卓球のパフォーマンスができるのかというところに焦点を当てさせるようにしました。
堀田 開催されたものの、無観客という過去に例のない形となりました。会場はどんな雰囲気でしたか。選手たちのモチベーションに影響はなかったのかも気になります。
馬場 それが、無観客という状況に慣れてしまえばそれほど違和感はありませんでした。ただ、観客の声援がなかったのはやはり寂しい気持ちはありました。なによりもサポートしてくれるスタッフすら会場に入れなかったのが、私としてはとても心苦しかったです。また、コロナ禍での開催ということにも非常に神経を使いました。「選手を絶対に感染させてはいけない」というプレッシャーは大きかったですね。PCR検査も毎日行われるなど、競技以外の部分でも労力を費やしました。
堀田 過去に例を見ないオリンピックとなりましたが、卓球女子選手の活躍を拝見し、開催されて本当に良かったと思いました。
馬場 女子団体戦の決勝が終わって卓球女子の東京2020オリンピックが終わった時、ほっとしたという思いがいちばん大きかったですね。選手たちの健闘はもちろんですが、何事もなく大会を終えることができたことに心から安堵しました。
堀田 ご自身は卓球をいつ、どのようなきっかけで始められたのですか。
馬場 たまたま家に卓球台があり、遊び半分で始めました。本格的に始めたのは小学校3年生からです。兄が高校の卓球部に所属していたことも影響していたのかもしれません。
堀田 中学生で全国ベスト8、高校生の時は2・3年生で全国高等学校総合体育大会で優勝、さらに3年生の時には世界選手権の日本代表として出場され準優勝されています。全日本卓球選手権では高校生としては34年ぶり二人目となる優勝をされました。この華やかな経歴をもって本大学文学部教育学科に入学されたわけですが、なぜ青学に進学しようと思われたのですか。
馬場 いくつかの大学から声をかけていただきましたが、大学では卓球だけでなく勉強も頑張りたいと思っていました。そこで、しっかりと学べる青学に進学しました。また、母と「大学は4年で卒業する」「教員免許を取得する」という約束をしていたので、そこもしっかり守りたいと思いました。約束通り留年はせず、小学校教員免許も取りました。
堀田 それは努力されましたね。全日本卓球選手権大会では高校3年生から5連覇を含む7度の優勝をされているでしょう。関東学生卓球選手権でもシングルス、ダブルス共に4連覇と、当時の学生記録を塗り替える大活躍をされました。目覚ましい活躍をされながら、勉強としっかり両立されていたとは頭が下がります。学生時代でとりわけ思い出深い試合はありますか。
馬場 1年に2度開催される関東学生リーグ戦はいつも緊張しました。団体戦だということもありますし、試合前に各大学がカレッジソングなどを歌うのですが、それも気持ちがひきしまり、緊張しました。チームメイト全員で声を枯らしながら試合に出ている選手を応援する姿も印象に残っています。
堀田 個人戦よりも団体戦、さらに大学の名を背負った試合では、大舞台を経験されている馬場さんでもひときわ緊張されたのですね。では授業で思い出深い先生はいますか。
馬場 「中国語文法」の先生は忘れられません。「試合があるので次の授業に出られません」と伝えたら、「そんなことは関係ない。欠席が増えれば単位はあげないよ」と言われてショックでしたが、試合と重ならない限り授業に出席し、2週に1度あるテストも自分なりに頑張りました。最後の授業は中国語の話を二つ朗読するという、単位に大きく影響する最終試験でした。緊張しながら一つ目の話を読み終えた時、先生から「もういいよ」と止められて……。次の話を読ませてももらえないのかと絶望しかけたところ、先生が「あなたのことを特集しているテレビ番組を見ました。あれほどの練習量を毎日こなしながら隔週のテストでしっかり点を取り、今もこれだけ中国語で読めるのだから、もう続きを読む必要はありません。単位をあげます」と。驚いたと同時にうれしかったですね。
堀田 厳しい先生ほど、認められた時の喜びは格別ですね。ほかに印象に残っている授業などはありますか。
馬場 教育学科は月曜の1限が「キリスト教概論」でした。当時は厚木キャンパスだったので、試合で日曜遅くに帰宅した時などは大変でしたが、授業中に眠ってしまうということは「キリスト教概論」にかかわらずなかったですね。
堀田 貴重な経験ですね。1・2年次は厚木キャンパスに通われていたのですね。
馬場 青学に入学した時点ですでに全日本チャンピオンになっていたので、常にプレッシャーやストレスがある状態でした。そんな中、キャンパスは私にとって貴重な癒しの場でした。厚木キャンパスの学食はとてもきれいで気持ちが盛り上がりましたし、青山キャンパスは古い建物も風情があり、いちょう並木を歩くたびに「ああ、この大学はさわやかで気持ちがいいな」と感じました。在学中は卓球をしているか勉強をしているかという忙しい日々でしたが、校舎から校舎へ移動する際に感じた心地良さなどは、気持ちをほぐしてくれました。青学での4年間はとてもいい思い出です。
堀田 ナショナルチームの監督は非常に多忙だとうかがいました。選手の強化に努めオリンピックで結果を残すことは監督に課せられた使命でしょうが、そのためにやらなければならないことは、われわれには想像もできないほど山のようにあるのでしょうね。
馬場 確かに、監督の仕事量は外から見るよりもはるかに多いですね。この仕事量をあらかじめわかっていたら、監督業は引き受けなかったかもしれないと思うほどです(笑)。一例をあげると、今回のオリンピックメンバー3人の試合や練習の映像をどれだけ見るかも、ゴールがないので、時間はいくらあっても足りませんでした。
堀田 記録はすべてノートに記されているそうですね。
馬場 私は書いて覚えるタイプなので、どのような強化をしたかという記録は毎日手書きでノートに記していました。そのほうが頭に残るのです。若いスタッフなどは書き込むのも見直すのもすべてPC画面で済ます人もいますが、私としては大切なことほどノートに書いて覚え、必要な時はページをめくって見直していました。
堀田 よくわかります、書くことは大切ですよね。それにしても中国の選手は強いですね。なぜあれほど強いのでしょうか。
馬場 卓球は中国の国技なので選手が多いこと、そして小さい時からエリート教育をしていること、さらにその中から強い選手をナショナルチームに招聘して国を挙げて強化を行っているというシステムが強さの一因です。そして互いに高いレベルで切磋琢磨しているので、ナショナルチームのトップで出てくる選手はおのずと戦い方、そして技術の精度が高いのです。
堀田 この先、日本選手が中国に勝利するためにはどうすればいいと思われますか。
馬場 中国と同等の技術力と戦術対応能力を備えたうえで、どの選手も突出したスペシャルなものを持つ必要があります。伊藤選手、平野選手、そして今回リザーブで裏方に徹してくれた早田ひな選手はまだ21歳と若く、順調に育ってくれれば中国選手と対等に戦い、勝てる可能性が高いですし、それより若い世代でも技術的に際立った選手が出てきています。こういった蕾を大切に育てつつ、中国のように小さい頃から強化をしていくことが大事だと思います。
堀田 ご自身が27歳で現役を引退された後に結婚されてからは、子育てに専念されていた時期もありましたね。
馬場 「母親は子どもの将来に大きく影響を与える存在」だと思っていたので、私の子どもが小さい時には、なるべくそばにいようと思いました。その息子が高校生の時、「お母さんは自分のやりたいことをやるべきだ」と言ってきたのです。その言葉に後押しされて、福原愛選手の専属コーチを引き受けることにしました。
堀田 選手の指導では叱らないとお聞きしました。
馬場 選手に対しては、なぜ私がこういうことを言うのかを冷静に伝えて理解してもらい、叱ることはありません。伝えることで自ら考える人間力が育つと考えています。しかし、子育てでは叱ることがありました。私の子育ての指針は息子自身が幸せだと感じられることと、人に迷惑をかけるような人間になってほしくないということが柱になっていたからです。私の子育て論は、青学で児童教育や児童心理を学ばせてもらったことが大きく影響していると思っています。
堀田 馬場さんをはじめ、本学出身のほかの指導者のお話を聞いていて改めて思うことは、本学の特徴は〝自分で考える力を養う〟という部分が大きいということです。それは卒業後の人生に必要な人間力を育てることにつながるのでしょう。最後に、本学の在校生に向けてメッセージをお願いします。
馬場 まず一つは「自分がどう生きたいか」を考えること。私は選手、子育て、指導者と、そのつど自分がどうしたいか、そしてそれを実現するためにはどう努力すべきなのかを考えてきました。在校生の皆さんも、どう生きたいのかを考える時間を持つと、後悔しない生き方ができるのではないかと思います。もう一つは、自分を支えてくれたりサポートしてくれる存在に巡り合ってほしいということです。そして違う場面では、今度はあなたが誰かをサポートしてください。支え、支えられるという関係が多ければ多いほど、人生は豊かになると思います。
堀田 馬場さんのように本学を卒業された方がこうして現役時代はもちろん、指導者としても活躍されていることを本当にうれしく思いますし、本学の理事長としても心から感謝しています。今後のご活躍も応援しています。
1965年群馬県生まれ。高校3年生の時、世界選手権団体準優勝。同年、高校生で史上2人目の全日本チャンピオン。大学在学中、全日本選手権で4連覇。88年本大学文学部教育学科卒業。ソウルオリンピック女子ダブルス4位、バルセロナオリンピックにも出場。2016年10月~21年9月、卓球女子日本代表監督を務める。
旧姓:星野さん。
[インタビューPhoto:] 加藤 麻希 https://www.katomaki.com/