Interview インタビュー ボランティアの形

現地、そしてオンラインでのボランティア活動〈女子短期大学Blue Bird〉

園児、児童、生徒、学生、教職員による多様なボランティア活動が行われている青山学院。コロナ禍の現在、現地へ赴いての活動は難しくなっていますが、オンラインというもうひとつの形で活動が継続されています。

東日本大震災被災地支援や熊本地震被災地支援のためのボランティア活動を続けてきた女子短期大学の「Blue Bird」は、発足から10年となる2021年春、その歴史に幕を下ろします。

短大本科、専攻科の4年間Blue Birdでボランティア活動を行ってきた中林晏奈さん(女子短期大学専攻科多文化専攻2年・上画像右から3番目)にこれまでの活動を振り返るとともに、活動に対する想いを語っていただきました。

(2020年10月20日 インタビュー)


──ボランティアに興味を持ったきっかけや、「Blue Bird」に入ろうと思った理由を教えてください。
小学校6年生の時に起きた東日本大震災でボランティアの方々の活動を知り、「自分にも何かできないだろうか」と思ったのが始まりですが、当時は幼かったこともあり関わることが難しかったです。中・高生の時は部活動等で休みがない程忙しく、思うように活動を開始することができませんでした。

短大進学が決まってBlue Birdの存在を知った時は「ようやく自分も現地で活動する機会が得られる」とうれしく思い、最初から参加を決めていました。

──Blue Birdの主な活動内容と、先輩達から引き継がれてきた精神を教えてください。
東日本大震災発生後、学生の声に応える形で活動が始まったBlue Birdは、岩手県宮古市と釜石市でがれき撤去や、仮設住宅への訪問等の支援活動を行いました。以来、毎年春と夏の休暇ごとに活動しています。

発足以来、Blue Birdには人にそっと寄り添うような心と、「大好きな宮古の人々のために何かしたい」という情熱が受け継がれているように感じます。

宮古市では「学童の家」で子ども達の学習支援を行った。右が中林さん

 

宮古市の鍬ケ崎公民館にて開催した夏祭り。右から2番目が中林さん

 

宮古市の「重茂味まつり」ではフランダンスを披露

 

──2017年~2018年にかけて「アートでつながる壁画プロジェクト」がありました。
宮古市と北海道室蘭市を結ぶフェリー航路が就航することを記念して行われたプロジェクトで、「海に生きる」「出会い・つながり」をテーマとする壁画が宮古港フェリーターミナルビルに設置されました。私が行ったことは小学生が壁画を描く際のサポートです。

除幕式に出席し、完成した壁画を見て圧倒されたことを今でも覚えています。岩手県初のフェリー航路、そのターミナルという人とのつながりが増えていく場所で未来が明るく照らされている、そんな気持ちになりました。

完成した壁画「出会い・つながり」(左)と「海に生きるⅠ・Ⅱ」(右)

 

除幕式当日。プロジェクトのメンバーでフェリーの初出航を見送った

 

──今年9月に「熊本にエール! 宮古─青山─熊本オンラインジャズコンサート」が開催されましたね。
豪雨被害を受けた熊本にエールを送ろうという企画で、短大の礼拝堂からジャズコンサートのライブ配信を行いました。

当日は台風10号の影響で、予定していた熊本会場でのライブビューイングはかないませんでしたが、共催の宮古市の会場ではお世話になっている方々にライブで届けることができました。

私はプログラムのデザイン等を担当し、当日は、実家からライブを視聴していました。ジャズユニット「3℃」の美しく、心に寄り添うような演奏は前向きになれるパワーを感じさせてくれて、気が付くと涙が流れていました。

コンサートのオープニングの様子

 

コンサートのプログラム

 

──現在のコロナ禍において、ボランティアに対する考え方の変化等はありましたか。
現地に行けないから何もしないのではなく、オンラインを活用するなど、どんな状況下でも「立ち止まらず、今だからこそできること」を探求することを学びました。

もちろん、ボランティアは現地での活動の方が実際に交流できる等良い部分があります。現在、オンラインでの活動は未だ手探りで、顔は見えてもその場の雰囲気がわからず、本当に相手に寄り添えているのか不安な部分があります。

しかし、この度のコロナ禍でこれまで宮古市限定だったコンサートやシンポジウムが、オンライン配信によって熊本ともつながることができ、更により多くの人に発信できることを改めて気付けたのは、大きな成果でした。

──活動を通して得たことは何でしょう。
私は元々相手に対し、少し身構えて接してしまうところがあったのですが、素直な心のまま相手と関われることは、温かく素敵なことだと実感できるようになりました。

企画したイベントの告知のビラを宮古市の各お宅に訪問してお渡ししていた時、インターホンを鳴らしたことに対し「うるさい!」と怒鳴られたことがありました。「私のせいでBlue Birdが築き上げてきたものが壊れてしまう」という不安がよぎり、とても怖くなってしまったことを覚えています。

しかし、必死に謝り私がBlue Birdのメンバーだとお伝えすると、「Blue Birdか、知ってるよ」と過去に訪れた先輩達の話等で会話が弾み、その後、イベントにも来てくださり、私に声もかけていただきました。心を通わせることができた経験のひとつとなりました。

──今後の目標をお聞かせください。
宮古市は「第二の故郷」「いつかは住んでみたい」と思っている程愛着があるので、これからも様々な形で関わっていきたいです。例えば宮古の豊かな海産物をより多くの人に知ってもらえるような発信をすることも、一つの方法だと思っています。

宮古市で訪れた浄土ヶ浜

 

また、短大では色々なことを経験する機会に恵まれ、たくさんの人との出会いがありました。その中で「自分と性格や考え方が違うから認めない」ではなく「違う人とも支え合って生きていきたい」と考えるようになりました。

今後は多くの人の心にそっと寄り添い、勇気や希望を届けられる物語を描き発信していきたいと思っています。

──活動を引き継ぐ後輩達へのメッセージをお願いします。
Blue Birdの活動を引き継いでくれる大学のMF3・11のメンバーはとても頼もしく、先輩方から受け継いだ「人に寄り添う心と情熱」も感じます。今後も自分よがりにならないよう想像力を働かせ、相手の立場に立った活動をしてください。私も時にはOGとして参加したいですね。

────Blue Birdの歴史は幕を閉じますが、その精神は受け継がれていきますね。ありがとうございました。

「青山学報」274号(2020年12月発行)より転載