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美術「テンペラと油彩」筒井祥之先生インタビュー【青山学院中等部3年生選択授業】

1971年に始まった中等部3年生の「選択授業」。中等部生たちの個性をいかし、将来の可能性を伸ばすため、様々な分野の授業を用意しています。
詳しくは、まとめページをご覧ください。

今回は、美術「テンペラと油彩」をご担当されている筒井祥之(つついよしゆき)先生にインタビューしました。

 

選択授業「美術」───名画ができるまでのプロセスを知る

───選択授業「美術」はいつ頃から行われているのでしょうか。
23年ぐらい前からになると思います。実は昨年度のみ、コロナの影響で不成立になってしまったのですが、それ以外の年度はすべて開講しています。

開始当初は、これだけの作業を中学生が忍耐力を持ってこなせるか不安もありましたが、実際に行ってみたところ、生徒たちは大人以上に一生懸命取り組んでくれました。その姿を見て安心し、こうして長い間、「美術」の授業を継続することができています。

 

Mr.Tsutsui
筒井祥之先生

 

───20年以上の歴史があり、しかも1年を除いて毎年度開講されていることに驚きました。美術が好きな生徒が多いのですね。
3年生選択授業には20種類以上の講座があります。生徒たちはいろいろな講座に関心があると思うのですが、美術は2時限連続の授業なので、美術を選択した場合、他の講座は履修できなくなってしまいます。そうした条件の中で、美術を選択し受講してくれているというのは、すごくありがたいです。

また、この授業は、作業工程や材料の手配の関係で人数制限を設けています。毎年度、10数名の募集に対して10人前後の生徒が受講しています。少人数で、美術を好きな生徒が集まって行う選択授業は理想的で、今年度の「テンペラと油彩」というテーマにも適しています。

 

───今年度「テンペラと油彩」というテーマを選ばれた理由と、授業のねらいを教えてください。
自分自身の探求の過程でテンペラに出会ったのですが、本来、中学校の授業は文部科学省の定める「学習指導要領」に沿った内容で展開する必要があります。テンペラはそこから外れるため、通常授業では扱えない内容なのですが、選択授業というプログラムのおかげで、まるで大学の授業のような専門的な内容の講座を開講することが可能になりました。
中学生の段階で、こういった専門的な画法を知識として知っているだけでも、絵画に対する見方は大きく変わっていくと思います。体験することによって、見え方が変わっていく過程を楽しんでもらいたいという思いで、テンペラの授業を始めました。

 

Tsutsui_1

 

生徒たちは生まれたときからずっと、いろいろなものが身の回りにあふれている環境で生活しています。そういった環境では、身の回りにあるものがどういった歴史の中で成り立ってきたのか、縦の系列がなかなか把握できません。歴史の中でものは変化してきているということ、変化してきたものが今私たちの身の回りにあるということも、理解して、学んでほしいですね。

絵の世界でも、現代の画家はロールキャンバスを買ってきて、それを木枠に張り、絵を描き始めますが、それらの材料はすべて加工されたものを使用しています。加工された土台のうえにものを表していくというのは、規格のものに手を加えていく作業なので、ある意味では規格の範囲でしか作品を作れません。規格を超えた自分だけの作品というのは、やはり土台から自分で手を加え、規格を超えた形で表現していく必要があります。つまり、目に見えない、最初の土台の部分にいかに手を加えるかがとても重要になります。この授業では土台作りという部分を体験しながら、名画はこういう過程《プロセス》で作られているんだということを、実際に体験してもらいたいと思っています。

 

───土台作りから手掛けるという経験は生徒たちにとって本当に貴重ですね。すでに1学期中に土台となる「支持体」(絵画を支える材料)を作られたとのことですが、そのときの生徒たちの様子はいかがでしたか。
支持体を作る際、くっつく材料として何を使うかというのが非常に重要です。現在では、木工用ボンドなどの、いわゆる糊が使われますが、昔は膠(にかわ)という動物の骨や皮を煮込んで抽出したゼラチンを乾燥させたものが使われました。日常生活では膠に出会うことがないので、生徒たちにとってはまずその出会いから衝撃です(笑)。授業では、柔軟性があり西洋でも好まれているウサギの膠を使用しましたが、においをかがせたところ、生徒たちは「くさい!」とか「けもの臭がする」などと言って驚いていました。快適な空間作りが重視される現代社会においてくさいものは排除されがちですが、そういったものに出会い、五感を使って触れ合うことで、昔の人の感覚を呼び覚ますという経験ができたと思います。

それ以外にも、白い塗料を支持体に塗る「地塗り」を行ったのですが、塗料は膠と白亜(チョーク)を混ぜて作りました。学校で板書にも使われているチョークを材料として使用したことで、絵を描く際、身近にある意外なものが材料として使われているということを理解しました。

 

Students_Nikawa
膠を作る生徒たち

 

Students_Mix_Nikawa_and_Chalk
膠に白亜を混ぜて白い塗料を作る

 

Students_Jinuri
地塗り作業の様子

 

テンペラとの出会い───テンペラの歴史を紐解く

───筒井先生が初めてテンペラに出会ったのはいつ頃だったのでしょうか。
大学生のときにアンドリュー・ワイエスというアメリカの画家を知りました。イラストレーター、画家である父の影響で、彼は古典的な技法書を研究し、アメリカのペンシルベニア州からほとんど離れることなく、非常に線の細かい筆致で描く(テンペラの)画風を確立しました。同時期に日本にも広まり、私もテンペラを知ったのですが、アンドリュー・ワイエスのおもしろいところは、テンペラの本場であるヨーロッパへ渡航した記録がないことです。本を読んで、独学でこの画風を確立したんですね。

 

AndrewWyeth
アンドリュー・ニューウェル・ワイエス(1917-2009)

 

私自身の専門は油画だったので、当時、テンペラを手掛けることはありませんでしたが、中等部へ奉職し生徒たちに美術を教えながら、学びは続けていました。テンペラを手掛けるきっかけになったのは、ヨーロッパの美術館で本物のフランドルの油画に出会ったことです。

油を描画材料として完成させたのは15世紀のフランドルの画家、ヤン・ファン・エイクです。当時、テンペラの上に油を重ねることで非常に緻密な表現が可能になり、それを契機にテンペラから油へと流れていきました。その時代の技法で描かれた絵は、色がつややかで、深く、内側からにじみ出てくるような色彩を感じられます。では、それを自分で表すにはどうすればいいか、という問いから探求が始まりました。

 

PortraitofJanvanEyck
ヤン・ファン・エイク(1395?-1441)

 

JanvanEyck
ヤン・ファン・エイクの代表作「アルノルフィーニ夫妻の肖像」
写真と見間違うほどの鮮やかで美しい発色の油彩画

 

───実際に絵を見ることがやはり大切なんですね。筒井先生のおすすめの美術館があれば教えてください。
イギリスにあるテート・ブリテンや、フランスのルーブル美術館にはさまざまな絵が展示されています。あとはイタリアのフィレンツェにあるウフィツィ美術館には名品と呼ばれる作品が数多くあり、おすすめです。ウフィツィ美術館にはイタリア系の美術品が多く、黄金背景のテンペラも見ることができます。

 

───日本の美術館でもテンペラを見ることはできますか。
常設展という形ではなく、西洋の絵画を借りて企画展示されることはあります。
ただ、日本にもテンペラ画家の方はいらっしゃいます。平筆などを使い面で塗ることができる効率の良い油画に対し、テンペラは筆先の細い筆致で、1本1本の細い線の積み重ねで描き表していくので、一つの作品を制作するのに大変時間がかかります。そのため、大作を作るのは難しく、小品が多いのですが、非常に根気強くコツコツ積み重ねて作品を制作されています。

 

Students_Visit_the_Museum
1学期初回の授業では国立西洋美術館を訪れた

 

表現することのおもしろさを追求する

───筒井先生の考える、絵を描くこと、表現することのおもしろさとは何でしょうか。
それはなかなか大きなテーマですね(笑)。自分が一生をかけても、ほんのわずか一握りでも掴むことができるかどうかわからないのですが、一番大事なのは、他の誰でもない自分の世界、自分の価値観を表すことができるということではないでしょうか。いろいろなものを表現すること、その手段は実にさまざまですが、絵の場合は特に豊かな⾊彩を扱うことができます。⾊彩というのは、画材によっても異なりますし、無数にある⾊の中から⾃分の意図する⾊、好きな⾊、これらを選んで組み合わせることです。絵の中ではその色彩を豊かに表していくことができ、大変おもしろいです。きっと色は神様が与えてくださったギフトのようなものだと私は思っています。

絵を描くという作業の中でも、ものを見て写すのは比較的楽な作業です。ところが、自分の意図するもの、それをメッセージとして相手に伝えるのはすごく難しい。それは言葉でもどんなものでも同じです。絵における構図というのは、自分の考えを相手に伝わりやすくする「文法」です。どう配置したら自分のねらいが伝わりやすいかを考えて構図を作ります。形を描くにはどうしても修練が必要です。そういったおもしろい要素が混ざり合っているところが、絵を描くことのおもしろさであり、奥深さだと感じます。

学生の頃は、絵を描くのは簡単なことだと思っていて、まさかこんなに深みにはまるとは思っていませんでした(笑)。課題というのは年を経るほど、こなせないほどたくさんあると気づきます。ですが、答えが無限にある中で、自分で答えを求めていくおもしろさ、答えが一つではないというところに魅力があります。自分ができることは限られていますから、気づいた中から一つひとつ解決していく、一歩を踏み出していくことが必要です。その積み重ねの結果、集積されて何が残るかというのが大事だと感じます。

生徒たちの描く絵も各々違っていて、それぞれが一生懸命自分を表現している。それが発達段階を表していたり、自分の思いや感情を何らかの形で表現したりしていて、見ていて大変おもしろいです。

 

Students_Draft
自然光で原画を透かし、真剣にトレースする生徒たち

 

───テンペラのほかに今後授業で扱いたい画法やテーマなどはありますか。
定年が近づき、あと数年しか勤めがないので、「もし私が若かったら」という仮定でお話しすると(笑)、モザイク、フレスコ、テンペラ、油画、額縁、彩色写本といった分野を一通り体験できたらおもしろいだろうなと思います。

モザイクはガラスや石を当てはめて模様を作り、漆喰壁や床に貼っていきますが、コストがかかります。そのコストを抑えるために、漆喰壁に糊を混ぜずに絵の具を塗るフレスコが主体になりました。ところが、フレスコは漆喰を塗った部分が濡れているうちに描かなくてはならず、乾いた後に塗ると剥落してしまいます。それを改良するために、絵の具に卵黄や膠を混ぜて描くテンペラが生まれました。そして、教会建築技法が改良され、壁ではなく窓を用いることが可能となり、ステンドグラスなども使われるようになります。それにより壁面は少なくなり、​絵を描く場所は壁から「パネル」という木の板に移っていきます。ビザンティンでのイコン制作もテンペラで描かれており、そうした経緯で生まれたテンペラ画はやがて⾦を使⽤した絢爛豪華な⻩⾦テンペラなどに発展していきました。テンペラの上に油と樹脂を薄く重ねたフランドルの技法はイタリアへと広がってゆき、16世紀にはベネチアへとその舞台が移っていきます。ところが、湿気があるベネチアでは木板(パネル)が反り、当初は大きな絵が描くことができませんでした。当時のベネチアは海上貿易の拠点であったことから、多くの帆船がこの街に出入りしていました。その帆布を使い、今日の油画で使用しているキャンバスが出来上がり、大画面に描くことも可能になりました。こうして、ベネチア派と呼ばれる⼈たちが、⿇布に油を使う今日の油画の基礎を作ったと⾔われています。絵画の歴史は、実はすべてつながっているんですね。それを時間をかけて一通り体験できたら、よりヨーロッパの絵画に対する理解が深まると思います。

あとはそれぞれの時代に合わせた額縁を作るのも楽しいと思います。小さい作品でも作って並べてみると興味深い体験ができるんじゃないでしょうか。

 

Tsutsui_2

 

───絵の歴史がそんなふうにつながっているとは知りませんでした。歴史がわかるとやはり見方が大きく変わりますね。
筒井先生がこれまで中等部で過ごした中で印象に残った出来事があれば教えてください。

教師という職業に就いていなければ気づけなかったことが多々あったと思います。上手くいかないことが山ほどある中で、青山学院という環境でいろいろな経験を積ませていただけたのは本当に幸いでした。
青山学院で勤務して40年ほどになりますが、その中で新校舎の建設にも中心メンバーとして立ち会わせていただきました。この空間は非常に理想的で、設計段階から関わらせていただいたこと、青山学院が豊かさというものの価値を認めてこの新校舎を建設してくださったことをありがたく思っています。
豊かさという点では、青山学院の生徒たちはとても豊かな「心」を持っていると感じます。私のことを「おじいちゃん」と言って優しくねぎらったり、気遣ったりしながら支えてくれますし、そういった生徒たちの「心」にふれるたびにキリスト教の教えがよく根付いていると実感します。いろいろな教科の学習と同じぐらい、このキリスト教の学びは大事だと確信しています。生徒たちが大人になったときに「心のある大人」でいてほしいなと思っています。

 

───最後に、生徒たちへメッセージをお願いいたします。
私たちの身の回りのものはすべて先人たちの血と汗と努力の結晶であり、それが技としてつながって伝統となり、現在まで伝わってきています。それを認識できると、表面的ではなく、人の手と苦労が重なったものとして捉えられるようになると思います。表面の裏側にはそういった謎がひそんでいるので、その謎を一つひとつ自分の手で解き明かして、楽しんでいってもらいたいと思います。

特に英語ができると、世界はぐっと広がるはずです。英語の文献が読めると、物事の本質への理解が深まり、世界が百倍ぐらい広がると思います。私も語学は苦手ですが、海外の文献は、説明における構成が実に見事だと感じます。日本の文献は、海外の文献を部分的に翻訳して、それを要約したものが多く、残念ながらほんの一部しか情報を得ることができません。残りの部分を自力で読めるというのはものすごく大きな財産です。

私の好きなニーチェの言葉を一つ紹介します。

 

何か新しいものを初めて見つけることではなく、
古いもの、古くから知られていたもの、
あるいは誰の目にもふれていたが
見逃されていたものを新しいもののように
見いだすことが、真に独創的なことである。

───フリードリヒ・ニーチェ

 

人が生きていくうえで大切なことが、ニーチェの言葉にはすべて含まれています。
この言葉に出会ったのは、実は青山キャンパスの向かいにある無印良品なんです(笑)。そこの壁にこの言葉が掲げられていて、「これはまさに自分が求めていることそのものだ」と感銘を受けて、以来、大切にしています。絵というのは、伝え方が非常に難しいものです。自分が表したいことを絵に表せば人が認めてくれるかというとそうではありません。人が、特に絵を描いていない人が自分のメッセージを拾ってくれるように努力が必要です。ニーチェのようにわかりやすい言葉をできるだけ使って、伝えたいことをメッセージとして上手く発信できればと思っています。

生活をしながらアンテナを張っていれば、何か必ず引っかかることがあるはずです。逆にアンテナを張っていないことで見過ごされてしまうこともあります。アンテナを張っているというのは、謎解きを自分でしているということです。同じ1年を過ごしても、謎解きをしている1年とそうでない1年とでは大きく成長度が変わってくると思います。

みなさんが今している勉強というのはどこでどうつながっていくかわからないので、一生懸命やって無駄になることは一つもないと思います。いろいろな勉強を一生懸命こなしていけば、世界はさらにどんどん拓けてくるので、ぜひ頑張ってもらいたいです。
勉強は学生の間だけではなく一生続いていくものなので、ぜひ全うしてください。

 

Tsutsui_3

 

 

(インタビュー/湘 photo/茂)