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「私たちの能楽教室」青山学院初等部芸術鑑賞会─国立能楽堂で鑑賞する能と狂言

青山学院初等部では児童が本物の芸術にふれる「芸術鑑賞会」を毎年行っています。今年は11月14日に4~6年生が国立能楽堂で能と狂言を鑑賞しました。

初等部の恒例である能楽鑑賞は「私たちの能楽教室」というタイトルがついています。これは1978(昭和53)年にはじめて行われたときから変わらず今日まで続いてきました。この「私たちの能楽教室」が始まった経緯を綴った記録が『青山学報』122号(1985年)に残されています。記事によると、当時初等部部長であった伊藤朗先生が「一流の物や本物に対面させることが、子どもたちの精神や魂の成長に欠くことのできない要素である」という初等部創立以来の実践をふまえ、開催を決定したということです(阿部昭伍教諭 記)。

日本の伝統芸能である能楽にはじめてふれる子どもたちに向けて、能楽の概要や様式を学ぶ「事前学習」も、第1回から継続して行われています。
それでは今回の事前学習と鑑賞会当日の様子をご紹介していきましょう。

 

事前学習─2022年11月11日 於:米山記念礼拝堂

1限目が始まる時間になると、5年生と6年生が会場である米山記念礼拝堂にやって来ました。4年生も教室からオンラインで参加します。はじめて間近に見る能楽の世界にみんな興味津々の様子です。



能楽は、奈良時代に大陸から伝わってきた「猿楽」を基とし、600年ほど前の室町時代に大成したといわれる日本を代表する舞台芸術で、ユネスコの無形文化遺産に認定されたことで世界的にも知られるようになりました。

鑑賞会当日に演目をご披露くださるのは、能楽の流派のひとつ、観世流の流れをくむ「梅若(うめわか)研能会」の皆さんです。この日、事前学習のために4人の方が初等部に来てくださいました。

司会進行を務める初等部教諭飯澤正実先生の紹介で、梅若研能会の皆さんがステージに登場しました。
まずは同会の長谷川晴彦さんが、能楽とはどういうものなのか、その歴史や舞台の構成などについて解説してくださいました。
「能楽には『能』と『狂言』というふたつの演劇があり、そのふたつをあわせて『能楽』と呼んでいます。『能』と『狂言』は600年以上前からこれまで、まるで兄弟のように、ずっと能舞台で一緒に演じられてきました」。

梅若研能会の皆さん。左から萩原郁也さん、梅若志長(うめわかゆきなが)さん、古室知也(こむろともや)さん、長谷川晴彦さん

「能」と「狂言」。それぞれなんとなくイメージは湧くのですが、その違いや楽しみ方をよく知らない人も少なくはないでしょう。鑑賞会では、初等部生たちもこのふたつの演劇を見ることになっています。はじめての鑑賞でも舞台を楽しめるようにするには、どのような見方をすればよいのでしょうか。そのヒントとなるお話をたくさん聞くことができました。

 

「狂言」は室町時代のコント

当日演じられる「狂言」の演目は「柿山伏(かきやまぶし)」。ある山伏が柿を盗み食いして、畑の主にこらしめられる場面を痛快に描いたお話です。

ここではストーリーを理解しやすいように、あらすじとともに「山伏」など現代ではあまり使われない言葉についての説明をしてくださいました。昔の言葉や古い言いまわしが多く使われていることもあり、古典芸能にはなんとなく難解なイメージをもってしまいがちですが、

「『狂言』というのは“会話”で成立するお笑いの演劇です。お芝居仕立てで行う笑いの演劇、今でいうコントのようなものなのです」

と長谷川さん。そんな昔の時代にも日常をおもしろおかしく描くエンターテインメントが存在したのかと、600年も前の市井の人びとに親しみを感じるのと同時に、「コント」と聞いて少し気楽に楽しめそうな気もしてきました。当日にむけて期待がふくらむ児童たちです。

「柿山伏」の1シーン

「柿山伏」あらすじ
ある山伏が修行を終えて山から帰る道すがら、畑でおいしそうな実のなった柿の木を見つける。お腹がすいていた山伏は、木に登って柿を盗み食い。そこへ畑の主がやって来たので、山伏はあわてて木の陰に身をひそめる。けれどもすっかりお見通しの畑主。「さてもさても、おろかな山伏じゃ。よいよい。あのようなおろかな山伏は、さんざんになぶってやろうと存ずる」と、山伏にひと泡吹かせることを思いつく──。

 

「能」は別れや悲しみを描く人間ドラマ

続いて「能」の解説をしていただきます。

「『狂言』が“会話”の演劇だとすると、『能』は会話ではなく“謡(うた)”の演劇です」。

能ではおもに、主役を演じる「シテ方」、シテ方の演技を引き出す相手役である「ワキ方」、器楽を演奏する「囃子方(はやしかた)」が舞台上で演劇を構成します。囃子方は、笛・小鼓・大鼓・太鼓の4つの楽器と、謡(うたい)と呼ばれる声楽の役割をあわせた5つの音楽で構成されます。ひな祭りの唄に出てくる「五人囃子」もこのメンバー構成なのだそうです。

「能」は源氏物語、平家物語などのお話や、土地に伝わる伝説などを題材に、人の別れや悲しみなどの情景を描く演劇です。シテ方は能面を着けて登場しますが、無表情なその能面が、ちょっとした角度の違いや演者の所作によって、怒ったり笑ったり泣いたりなど、感情豊かな表情を見せるところも「能」の味わいのひとつです。

静御前の能面。微笑んでいるようにも悲しそうにも見えます

角度やむきによってさまざまな表情に
静御前の能装束。紅葉した木々を描いた唐織り

今回の能楽教室では「平家物語」を題材にした「船弁慶(ふなべんけい)」が演じられます。お話の前半は源義経の恋人・静御前が主人公。義経が兄・頼朝に追われて船で九州へと逃れるときの、ふたりの別れの場面が描かれます。

静御前の別れの舞を梅若志長さんが実演してくださいました

後半は義経が弁慶とともに海上を航行中のお話。ふたりは壇ノ浦の戦いで滅ぼした平家一門の亡霊に遭遇し、死闘を繰り広げます。後半のシテ方は亡霊のなかでも最強の怨霊・平知盛です。

「船弁慶」あらすじ
頼朝から逃れるために弁慶らと京を出て九州へ向かうことになった義経。恋人の静御前は尼崎の港で催された別れの宴で船旅の無事と再会を願う舞を踊る。静との別れを惜しみ出発をためらう義経を弁慶が説得する。海上では平知盛の怨霊が義経を海底に沈めんと薙刀を振りかざして襲いかかる。弁慶は数珠を手に必死の祈祷で怨霊を退散させる。

 

この日は特別に「船弁慶」の怨霊・平知盛の着つけの様子をステージ上で見せてくださいました。「演者は通常、舞台袖の奥の『装束の間』と呼ばれる部屋で着つけを行います。その時間は舞台に向けて演者が意識を集中するとても大切な時間でもあるのです」。

平知盛の怨霊役の長谷川晴彦さんに装束を着つけます

続いて男の怨霊を表現する冠り物「黒頭(くろがしら)」を装着

最後に能面をとりつけます

平知盛が完成。激しい舞いで義経と弁慶に襲いかかります

能装束を身につけた長谷川晴彦さんに怨霊の舞の一部をご披露いただき、この日の事前学習は終了。
「能は舞台が終わるとひとりまたひとりと演者が幕に下がります。最後に舞台上から人がまったくいなくなったら、それが舞台が終わったとき。そこで、よかったなと思ったら拍手などしていただければと思います」と舞台終了のタイミング、拍手のお作法もご指南いただきました。

能楽鑑賞に向けて準備は万全です。次は鑑賞会当日の様子をご紹介します。

 

「私たちの能楽教室」当日─2022年11月14日 於:国立能楽堂

能楽鑑賞当日。午後1時30分過ぎ、4年生から6年生がそれぞれクラスごとに能楽堂に集まってきました。会場入り口では梅若研能会の方や国立能楽堂のスタッフの皆さんが出迎えてくださいました。



この日、初等部生たちのためだけに演じられるのは、「柿山伏」と「船弁慶」。事前学習で梅若研能会の皆さんに丁寧な解説をしていただき、ばっちり予習を済ませている児童たちです。さて、はじめての能楽鑑賞を楽しむことができるでしょうか。

上演に先立って、同会の方から狂言についての解説がありました。
「皆さんこんにちは。今日はご来場くださってありがとうございます。最初にご覧いただく狂言についてだけ、少しお話します。

狂言に登場するのはどこにでもいる普通の人です。能に出てくるのが源氏物語などの登場人物、すなわち歴史上の有名人であるのに対して、狂言に登場する人は、ごくごく普通の人で、嘘をついたり、自慢をしたり、けんかをしたり、といった愚かな日常を送っています。そんな愚かな人間を、滑稽な笑いにつつんで表現する舞台が狂言なのです。人の愚かさを責めたり批判したりするのではなく、ときに愚かなことをしてしまう人間でも、懸命に、必死に生きていくんだという、そんなメッセージに感じられます。

狂言は600年ほど前につくられた演劇ですから、当時の言葉が使われています。わからないところもあると思いますが、耳を大きく開いて、目を大きく開いて見ていれば、言葉はわからずともおのずと意味がわかってくると思います。肩の力を抜いてのんびり楽しんでください」。

さあいよいよ上演です。鑑賞会の様子を写真でご紹介します。

能舞台は三間四方の正方形で角柱、ワキ柱、シテ柱、笛柱と呼ばれる4本の柱が立っています

児童たちは着席して静かに上演を待ちます

狂言「柿山伏」で繰り返されるとぼけた会話の応酬。会場は笑いにつつまれました

能「船弁慶」の1シーン。静御前と弁慶が中央。右端は義経

九州に向けて航海中の義経と弁慶

義経に襲いかかる平知盛の怨霊

 

約1時間の上演が終わると感想を言い合う児童たちの声が聞こえてきました。
「想像していたよりも(意味がわかって)おもしろく見られた」「小鼓や笛などふだんあまり聞かない楽器の演奏が見られたのがよかった」。セリフの言葉がすべて理解できたわけではないかもしれませんが、特に狂言では会場中から笑いが起こったように、舞台上で表現される人間のおかしさや悲しみといったものをみんながそれぞれに感じとっていたようです。

「初等部の卒業生が(中略)国際人として広い世界で活躍」するときに、「日本の伝統文化を踏まえて(中略)日本の国ばかりでなく、諸外国の伝統文化の意味や価値について思いを馳せ、新しい視点を向けるよすがとなるかもしれない」(『青山学報』122号─阿部昭伍教諭 記)。

45年前に子どもたちに能楽を見せることを決めた当時の伊藤初等部部長と、試行錯誤のすえ開催に漕ぎつけた初等部の先生方の思いは、確実に今に受け継がれており、また今後も続いていくことでしょう。