Variety いろいろ

厚木キャンパス回顧 開学40周年(後編)【アオガクタイムトラベラー】

厚木キャンパスが開学してから、今年で40年。
前編》で予告した通り、今回は、厚木キャンパスの跡地がどうなっているのか、潜入調査をしてきた記録をご紹介します。
【通常は、見学できませんのでお気を付けください】

閉学後の解体時の様子を撮影した貴重な画像もご提供いただきました。
さて、どんな状況なのか、ぜひご覧ください。

 

日産先進技術開発センター(NATC)へ

2022年4月28日、厚木キャンパスの跡地に入った日産先進技術開発センター(NATC)にダメもとで電話をしてみました。「今、どうなっているか、ぜひ取材をさせてください」
取材要領をメールでお送りすると、R&D総務ファシリティマネジメント部の船津様より「エントランス及びお客様エリア内であれば取材対応は可能です」と早々にメールでご返信をいただきました。
正式にはゴールデンウィーク明けに回答します、とのことで、ワクワクして休みを過ごしていると、いよいよ正式な許可が下り、可能な範囲でご協力いただける旨のご連絡をいただきました。
訪問日は5月24日に決定。その日を待つばかりとなりました。

そしてついに当日。
小田急線本厚木駅南口で隊長のレッド隊長と待ち合わせ。
久しぶりに本厚木駅に降り立ちました。

 

見学日和の素晴らしい天気。
私たちを神が祝福してくださっているかのようです(大げさ過ぎました。お許しを)。

懐かしい地に立ったという、テンションが上がった状態で厚木市内へ。

先ずは、駅南口から徒歩5分ほどの教職員バスの専用乗降場所であった場所を確認。最近まで青山学院が所有する土地でした。


かつての教職員専用バス乗降場所
教職員の方々は当時の記憶が思い出されるのではないでしょうか

 

本厚木駅の北口にも行きたかったのですが、早速、旧厚木キャンパスへ出発です。
高松山のトンネル経由です。

 

NATCの正門に到着しました。

 

指定の駐車場へ移動すると、船津様がお出迎えくださいました。

残念ながら、センター内での撮影は全てNG。
カメラもスマートフォンも応接室に残しての見学となりました。

ここでは、日産自動車の先端技術を開発しているため、厳重なセキュリティが施されています。

 

日産先進技術開発センター(NATC)のご紹介

今回、多大なご厚意をいただいた日産自動車先進技術開発センター(NATC)のご紹介をいたします。


株式会社日本設計ウェブサイトより

 

ここNATCは2007年に竣工。1981年に同じ厚木市内で稼働を始めた日産テクニカルセンター(NTC)とわずか2.5km離れた場所(厚木キャンパス跡地)に位置します。
敷地面積118,000平方メートル、約2,000名の方が働いていて、実験棟、オフィス棟、オーディトリウム棟から成っています。

横須賀の追浜にある総合研究所で練られた企画を、ここNATCで研究・先行開発し、その後NTCで製品開発するという流れの中、NATCでは現在の主流となっている電動化、知能化の最先端の研究・開発が行われています。オフィス棟の階段状になったコラボレーションエリアではフロアごとの様々な部門の研究者たちが立ち会って実験を行っており、スピード感が求められる先進の開発現場であるとの説明を受けました。


株式会社日本設計ウェブサイトより

 

敷地の周りは自然に囲まれ、自然との共生を謳ったその建物は、驚くほど清潔感に満ちあふれ、周囲の緑色がマッチした、オシャレな空間でもありました。社員食堂はガラス張りの向こうに新緑があふれ、4月には、青学時代から残っている桜の景色が楽しめ、秋の紅葉の季節はとても風情があるとのお話を伺いました。
私たちが見ていた桜が今も日産自動車の社員の方々の癒しになっていると伺い、うれしくなりました。

オーディトリウム棟にあるホールは300人ほどが収容できるスペースで、発表会や会議を行うほか、市民にも開放されているそうです。

ほかにもオフィス内の熱を外に排出する仕組みなど、エネルギーを効率よく活用する仕組みが施された施設でした。
さすが! 技術の日産です。

 

敷地内見学 なんと残っていた建物を発見!

オフィス棟内でのご説明が終わり、船津様のご案内で、レッド隊長と私ブルーがいよいよ構内に潜入します。
ワクワクします。

見学できる場所は限られているため、船津様についていくばかりです。
最初に外周から見学です。
外周の道路はほぼそのまま残っているようで、樹々もそのままです。
《レッド隊長》「このカーブ感、当時のまんまだわ」


桜の樹々 【写真提供:日産先進技術開発センター】

 

その外周には、厚木キャンパスの建物を解体した際に出てきた廃材“ガラ”を利用した垣根が備わっていました。


柵の中に“ガラ”を入れて垣根に 【写真提供:日産先進技術開発センター】

 

次に向かった先は、一番奥のG館・M館があった場所。
走行テスト用の道路の上を歩いていきます。
なぜか信号機がありました。
《船津様》「自動運転の試験走行で必要だからです」
なるほど。

G館・M館は解体されて空き地になっていました。

その左手に、ぽつんと古びた3階建てのコンクリートの建物が見えてきました。
《船津様》「あれは当時のまま現存しているF館です」

なんと!そのまま残っています。
写真を撮りたい!
「後で私が撮影した画像をお送りいたします」と船津様。
ああ、よかった! 感謝します。

建物の入口には堂々と「F館」と表示されています。
《レッド隊長》「『よく今日まで頑張って耐えてきたな。ご苦労様』と声をかけたくなるねえ」


F館【写真提供:日産先進技術開発センター】

 

F館は私には“あまり記憶がない建物”という印象でしたが、あとで調べると、「主として理化学実験など約24教室と自然科学系の研究室を収容する」との説明書きがあり、主に理工学部の学生が使用していた建物だと思われます。

2011年の東日本大震災が発生するまではこのF館を使用していたそうですが、震災後、耐震強度不足となり、その後は利用していないとのことでした。

さて、次に出会ったのが、万代記念図書館でした!


万代記念図書館 【写真提供:日産先進技術開発センター】

 

新たに2階からの渡り廊下が出来ていましたが、ほぼ、昔の外観をとどめていました。


万代記念図書館入口 【写真提供:日産先進技術開発センター】

 

荘重な印象を与える円柱がそのまま残っていました。
入口を入ると、かつてはすぐに図書館内部の奥まで見えましたが、今は壁ができていて行き止まり。左右に道が分かれ、1・2・3階にはオフィスが出来ているそうです。
しかしエントランスを見上げると、かつて見たことがある光景でした。


エントランスを見上げると…… 【写真提供:日産先進技術開発センター】

 

この写真の光景、覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか!

旧メインストリートを歩いて最初のオフィス棟へ帰還し、潜入は終了です。

実験棟などの建物を撮影した画像が世に出てしまうと、その建物の形や大きさだけで、その建物が何の施設で、どのような実験・研究を行っているのかがわかってしまうのだそうです。
今回掲載している画像は、この見学時にお願いした場所を、後日、船津様が撮影してくださり、ご提供いただいたものです。

そうだ! 忘れていました。
もう1か所、ご提供いただいた画像がありました。
テニスコート、グラウンド、ゴルフ練習場への陸橋付近の画像をご提供いただきました。
体育の授業の際、この陸橋を渡ってテニスコートやグラウンドに向かった方も多いのではないでしょうか。


体育館から道路を越える陸橋 【写真提供:日産先進技術開発センター】

左がテニスコート、右はグラウンド 【写真提供:日産先進技術開発センター】

 

グラウンドは、昨年まで、サッカー横浜・F・マリノスの練習場だったそうです。
テニスコートは、一般市民の皆様に無料開放されているそうで、見学の日も多くの方々がプレーしていて全面使用中でした。

おそらくN館も当時のままではないでしょうか。


赤丸が現存していた建物「F館」「万代記念図書館」「N館(?)」

 

厚木キャンパス解体中の貴重な画像も

見学を終えてオフィス棟に戻ると、船津様がパワーポイントで貴重な資料をご紹介してくださいました。
なんと、解体工事の時の様子を映した画像でした!

「取材のお申し込みをいただき、いろいろと過去について調査しました。地元住民の方々への説明会の記録なども見つかり、新しく施設を作り上げる際の大変なプロセスを知り、先人たちの苦労が偲ばれました。そのような貴重な資料が残されていて、我々も勉強になりました」
船津様には多くの時間を割いてご対応いただいたことがわかり、大変恐縮な思いでいっぱいになりました。

ご提供いただいた解体工事中の画像をご紹介します。


【写真提供:日産先進技術開発センター】

 

厚木キャンパスのシンボルと言うべきチャペル解体工事の画像は、私たちにとっては少し衝撃を受ける画像です。
船津様が調べてくださったところによると、チャペルを解体する前には、正式に仏式での地鎮祭を行ってくださったそうです。安心しました。

このたびの、船津様、日産自動車様の多大なご協力そしてご厚意に、深く感謝申し上げます。

去りがたい気持ちを抱えつつ、帰途につきました。

 

周辺を探索

しかし、このままでは去りがたく、せっかく久しぶりに厚木に来たので、周辺も巡ってみることに。

近い場所を歩いて散策。

かつてのセミナーハウスは、「NATCセミナーハウス」となっていました。


NATCセミナーハウス

 

バス停「森の里青山」とつなぐ階段、通称「けもの道」が健在(残念ながら中には入れません)。

 

バス停「森の里青山」も健在。

正門前のバス停は「日産先進技術開発センター」に。

 

厚木キャンパスの裏手にあった若宮公園。健在でした。

 

陸上部「17kmコース」を辿る

私事で恐縮ですが、せっかくの機会でしたので、レッド隊長とブルーの思い出の地を訪ねてみました。

私ブルーは、かつて住んでいた愛名にあるアパート「コーポ山本」へ。2棟のうち1棟が残っていて、うれしくなりました。

塾講師のアルバイトをしていた近くの塾は無くなっていました。
これまたアルバイトをしていた高松山トンネル入口にあったコンビニは、建物だけが残って、閉店状態でした。

そして、レッド隊長の思い出、陸上部「17kmコース」を辿ってみることにしました。
レッド隊長は、厚木キャンパス2期生で、在学中陸上競技部の選手として、卒業後も本学陸上競技部のコーチを務め(現在に至る)、箱根駅伝出場の夢を追いかけました。その練習場所として、同期のエース吉濱さんが厚木キャンパス周辺の山道を走る「17kmコース」を作ったそうです。


ピンクの線が「17kmコース」
地図上「松蔭大学」付近が当時の厚木キャンパス

【レッド隊長の回想】
当時、メイン練習として週2回ほどこの17kmコースを走っていました。今の学生たちは2部練習するうち、朝は5時30分から坂道コース(13kmコース)を走ったりしています。それを思うと、私の学生当時の練習では、箱根駅伝への道のりは遠かったんだなと思います。ただし、この17kmコースは起伏もかなりあり、今の学生たちが走ってもきついコースかなと思います。私が卒業した後、フルマラソンの練習対策でこのコースを2周(34km)走ったことがありますが、やはりへとへとになるくらいきつかったですね。

学生時代、授業が終わってから17kmコースに出かけると、帰る頃にはあたりが暗くなるため、日が出ているうちに頑張って帰ろうと、必死に走っていたことも思い起こします。また、宮ヶ瀬ダム方面へ向かう道なので、ダンプがひっきりなしに通り、身の危険を感じながら走っていました(笑)。
今回のこの取材時もダンプの往来が多く、昔とあまり変わりありませんね。
(ごく一部の関係者にしかわからない話ですみません)

 

「17kmコース」を辿って


この橋は、当時よりきれいになっていました

このタヌキが見えたところで約半分の距離

道路右下にはきれいな川が流れています

この石材店も当時のままでした

 

旅を終えて そして緊急企画。皆様の思い出、募集中!

いかがだったでしょうか。
やはりほとんどの建物は壊され、昔の面影はわずかしか残っていませんでしたが、少しでも懐かしいと感じていただければうれしく存じます。

青春時代の思い出の場所が無くなってしまっていることは残念ですが、皆様の心の中にそれは残っています。今回の回顧で、その記憶を呼び覚ましていただき、懐旧の談に花を咲かせていただければ幸いです。

さて、緊急企画で、皆様の思い出話を募集しております。次回の記事では、皆様からお寄せいただいた思い出話を一挙公開させていただきます。
ぜひ皆様の思い出話をご投稿ください。
楽しみにしております。

 

 

エピソード1

ホワイト元隊員の父君が、かつてNATCで働いていらっしゃったことを最近知りました。なんという奇遇でしょう!

 

エピソード2

今回の旅で、「17kmコース」を逆コースで辿ってみましたが、ラーメン通のレッド隊長がその途中、思わぬ場所で「ZUND-BAR(ズンド・バー)」という、有名なラーメン屋さんの看板を見つけ、これまた思わずラーメンを食べてきました。こんな山奥にあったのかと、一度は食べてみたかったので思わぬ副産物でした。
翌日、青山キャンパス近くの別のラーメン屋で食べた塩ラーメン。本当は美味しいはずなのに、物足りなさを感じてしまったレッド隊長とブルーでした(笑)。

 

エピソード3

【前編】公開後、私がキャンパス内を歩いていると、多くの方が私に声をかけて厚木の思い出を語ってくださいました。
・管理部のK課長は、なんと同じ「コーポ山本」の住民でした。2学年差のため、当時顔を合わすことがなかったのですが、なぜかアパート周辺の細かいことが次々と思い出され、懐かしい思いにひたりました。
・かつて厚木事務部に務めていたお二人から、当時の写真や資料を送っていただきました。新たな画像も入手できました。ありがたいことです。
・厚木1期生の内山義英先生(国際政治経済学部教授)は、2010年頃、厚木高校での出張講義を行うことになり、厚木キャンパス閉学後久しぶりに厚木を訪れることになり、かつて学部の講義準備室に勤めていらっしゃった方へご挨拶に伺った後、NATCを訪れたそうです。見学を希望されたのですが、中に入れてもらえなかった、との回想話を伺いました。
・「思い出話はいっぱいあるけど、NGな内容ばかりで、投稿できません(笑)」という方も。公開できなくて残念です。

 

撮影・取材/レッド隊長、ブルー