『ピーター・パン』―子どもの心とともに―【佐久間康夫の「この世という広大な劇場」第19回】
2022/12/23
文学や演劇の歴史を飾るような名作が、時に精神分析の材料とされることがあります。1983年にアメリカの心理学者ダン・カイリーが提唱した「ピーター・パン症候群」はなかでもよく知られていると思います。年齢は大人に達しているのに、精神的には子どものままという青年に多く見られるパーソナリティ障害を指す用語です。
カイリーは著書でさまざまな「成長を拒む男性」の例について解説していますが、その多くはどんな成人にも見られる特徴とされます。想像力豊かで純粋な反面、自己愛や現実逃避が著しい傾向など、なるほど『ピーター・パン』の物語に描かれた子ども像そのもののように思えます。そもそも戯曲『ピーター・パン』には「大人になろうとしない少年」との副題が付けられていました。
さて、永久に大人にならない少年ピーターを主人公にしたファンタジー童話は、読者の皆さんにもおなじみでしょう。ピーターはロンドンの中流家庭ダーリング家の娘ウェンディとその2人の弟を連れて、おとぎの国ネバーランドへと冒険の旅に飛び立ちます。そこではピーターに片腕を切り落とされた海賊のフック船長が、隙あらば仕返しをしようとピーターを狙っています。
当のフックも自分の腕を食べて味をしめたワニにつけ回わされています。ワニは時計を飲み込んでいるため、近づいてくるとチクタクという音が響きわたります。時計の音に耳をすませば、死の歩みが聞こえるネバーランド。ピーターがフック船長に決闘を挑む場面にも、「死ぬってのはきっとものすごい冒険だろう」という有名なせりふが出てきます。ネバーランドは意外にも憎しみや復讐心に支配された死と恐怖の空間でもあるのです。
劇中で、ピーターの命を狙って仕組まれた毒を妖精ティンカー・ベルが飲み干す自己犠牲の一場があります。瀕死のティンカー・ベルを助けるために、ピーターは客席に向かって叫びます──「みんな、妖精がいるって、ほんとうに信じているかい?」。妖精を救う手立ては、その存在を信じる子どもたちの無垢な気持ちだけなのです。満場の観客から万雷の拍手が起こる名場面です。想像力のたくましさを謳歌する『ピーター・パン』の真骨頂といえます。
ピーターは海賊の捕虜になった子どもたちを救出し、フック船長とその仲間も倒します。波乱万丈の冒険は、ピーターの一行が無事ロンドンに戻るところで終わりを告げます。そして幕切れでは切ないエピソードが描かれます。長い年月が経って、成長したウェンディはもう飛べなくなっています。そこへピーターが訪ねてきて、彼女の娘、さらには孫娘をネバーランドへ誘うことが暗示されるのです。
原作者のJ.M.バリはスコットランドに生まれました。バリが6歳の頃、13歳の兄が痛ましい事故で急逝。最愛の息子を失った母親は身も世もなく泣き暮らしたそうです。バリは母の壮絶な嘆きように衝撃を受け、それは一生彼の心に残る傷となりました。母の思い出の中で、亡き息子はいつまでも13歳のまま、少年の姿をとどめていました。
バリはその後、母、姉、義弟と次々に親しい家族の死に見舞われますが、一方で作家として名を成していきます。芝居の創作にも手を染め、ロンドンで大活躍していました。ある時、ケンジントン公園を散歩の途中で、バリはたまたま出会ったデイヴィス家の小さな男の子たちと親交を結びます。海賊ごっこなどの遊びに夢中になったり、昔話や即興の物語を聞かせたり、バリとデイヴィス家の子どもたちの交流はやがて幻想的な物語『白い小鳥』(1902)に結実します。後にその中からピーターの登場する6章が独立して、『ケンジントン公園のピーター・パン』(1906)と題して出版されました。
この書物で初登場した際のピーターはまだ赤ん坊にすぎません。ピーター・パンの名前に付いている「パン」とは、ギリシャ神話に出てくる牧神(牧人と家畜の神)のことを指しています。葦笛を吹く絵姿でよく描かれる、下半身が山羊の半獣神です。マラルメの詩から霊感を得たドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』はクラシックの名曲として有名ですね。この牧神パンの叫びは人々を恐怖や混乱に突き落とすとされ、これが「パニック」という言葉の語源になりました。
バリはこの赤ん坊が少年に成長した──さすがに神話的な半人半獣の格好ではない──姿で、芝居に再登場させようと目論みました。時は1904年のクリスマス。ところはロンドンの劇場街に古雅な風格を誇るデューク・オブ・ヨーク劇場。『ピーター・パン』は、登場人物だけで数十人にのぼり、ワイヤーで役者を吊るフライングまで用いた、かつてない規模で初演されました。案の定、場内は割れんばかりの拍手喝采、大いに盛り上がりました。
この後、『ピーター・パン』はクリスマスの定番の演目として、イギリスはもちろんのこと世界中で愛されるレパートリーとなりました。上演の度に改訂が施され、戯曲が出版されたのはようやく1928年になってからです。またこの間に芝居とほぼ同じ内容の小説版『ピーター・パンとウェンディ』(1911)も書かれています。
この舞台を成功に導いたのは、「演劇界のナポレオン」の異名をとったアメリカ人興行主チャールズ・フローマン。当たりを取れるか心配する向きもあった新作に、彼は惜しげもなく大金をつぎ込んだのです。名プロデューサーとの信頼関係がなければ、この作品は日の目を見なかったことでしょう。
第1次世界大戦中、バリに会うため危険を冒してアメリカを旅立ったフローマンは、乗っていた客船ルシタニア号に魚雷が命中し、一命を落としました。攻撃を受けてパニックに陥った船中で、フローマンは泰然自若として、「なぜ死を恐れるんだね、死ぬってことはものすごい冒険じゃないか」と『ピーター・パン』のせりふを引用し、救命ボートの席を譲ったと伝えられます。
バリと親交を深め『ピーター・パン』誕生のきっかけを作ったデイヴィス家ですが、子どもたちの父親と母親が相次いで病死してしまいます。生前の両親は、バリが子どもたちへ過度の愛情を示すことに多少の警戒心を抱いていた模様です。ちなみにバリは自作の劇に出演した女優と一度結婚したのですが、大人の女性との愛情を育むことができなかった彼の結婚生活は後に破綻しました。
ともかくも裕福なバリは、デイヴィス家の両親が亡くなった後、生涯にわたり5人の少年の親代わりを務めることになりました。しかし思いがけない悲劇がバリを襲います。長男ジョージが第1次世界大戦中、ベルギーの前線で戦死。四男のマイケルもオックスフォード大学の学生時代に溺死してしまいます。バリは生涯立ち直れないほどのショックを受け、それからの彼は大作の名に値する作品は残していません。また、作家自身が亡くなった後の1960年のことですが、三男のピーターまで精神を病んでロンドンの地下鉄に飛び込み自殺をしています。
バリの生涯を振り返ってみますと、多くの愛する人との別れに傷つき、悲しみの涙の枯れることのない一生だったようにも思われます。そのような作家の魂から、成長することを拒み、永遠に死ぬことのない子ども像が生まれました。バリが実在する子どもたちに語ったお話は、物語に、芝居に、はてはアニメや映画やミュージカルへと翻案されて、いまだに世界中の子どもたちに愛されています。
[Photo:佐久間康夫(5・6・7・8枚目)]
(バリとデイヴィス家の子どもたちとの出会いから、『ピーター・パン』上演までを描いた、実話に基づくストーリー)
山崎育三郎、濱田めぐみ主演 2023年5~6月、新国立劇場中劇場にて上演予定